| 呼称 | NHLでは名前の英語発音で「アンドレイ・メザーロス」と言われる |
| ポジション | ディフェンスマン |
| スティック | 左 |
| 生年月日 | 85年10月23日 |
| 出身 | ポヴァジシュカ・ビストリツァ、旧チェコスロバキア(現スロバキア) |
| 身長・体重 | 188cm、100kg |
キャリア
| シーズン | 所属リーグ | 所属チーム | レギュラーシーズンの成績 | プレーオフの成績 |
| 01-02 | スロバキアU18 | HCドゥクラ・トレンチーンU18 | ||
| 02-03 | スロバキアU18 | HCドゥクラ・トレンチーンU20 | 33試合 6得点16ポイント | |
| SEL | HCドゥクラ・トレンチーン | 23試合 0得点 1ポイント | ||
| 03-04 | スロバキアU20 | HCドゥクラ・トレンチーンU20 | 5試合 2得点 4ポイント | |
| SEL | HCドゥクラ・トレンチーン | 44試合 3得点 6ポイント | 14試合3得点4ポイント | |
| 04-05 | WHL | バンクーバー・ジャイアンツ | 59試合11得点41ポイント | 6試合1得点4ポイント |
| 05-06 | NHL | オタワ・セネターズ | 82試合10得点39ポイント | 10試合1得点1ポイント |
| 06-07 | NHL | オタワ・セネターズ | 82試合 7得点35ポイント | 20試合1得点7ポイント |
| 07-08 | NHL | オタワ・セネターズ | 82試合 9得点36ポイント | 4試合0得点1ポイント |
| 08-09 | NHL | タンパベイ・ライトニング | 52試合 2得点16ポイント | |
| 09-10 | NHL | タンパベイ・ライトニング | 81試合 6得点17ポイント |
国際大会(スロバキア代表)
| シーズン | 大会 | 成績 |
| 02 | U18世界選手権 | 8試合0得点1ポイント |
| 03 | U18世界選手権 | 7試合2得点4ポイント |
| 03-04 | 世界ジュニア選手権 | 6試合1得点2ポイント |
| 04 | 世界選手権 | 7試合0得点1ポイント |
| 04-05 | 世界ジュニア選手権 | 6試合3得点4ポイント |
| 06 | トリノ五輪 | 6試合0得点2ポイント |
| 06 | 世界選手権 | 1試合0得点1ポイント |
| 10 | バンクーバー五輪 | 7試合0得点0ポイント |
個人タイトル
| タイトル | 受賞年度 | 受賞時の所属チーム |
| WHL新人ベスト6 | 04-05 | バンクーバー・ジャイアンツ |
| NHL新人ベスト6 | 05-06 | オタワ・セネターズ |
大柄だが決してサイズに頼らないオールラウンドディフェンスマン。大柄な体格を活かした守備範囲の広いディフェンスとスティックさばきの上手さは同郷のスターであるチャラをほうふつとさせるが、チャラよりはるかにスケーティングが上手く、トランジッションの際にパスだけでなくドリブルで駆け上がることもできる。
スロバキアの名門ドゥクラ・トレンチーンの下部組織で育ち、16歳でU18世界選手権スロバキア代表に選ばれ、故郷では逸材として知られていた。経歴だけを見れば同い年のハラークに似ているが、メサーロシュの方がトップチーム昇格は早かった(もっとも、ゴーリーのハラークは昇格したくてもポジションが空いていないという事情があった)。03-04シーズンにはトップチームでレギュラーとして活躍しており、年代別スロバキア代表の常連。終了後のNHLドラフトでオタワ・セネターズに1位(総合24位)で指名され、北米のスカウトにも高く注目される選手だった。
04-05シーズンにカナダに渡り、WHLバンクーバー・ジャイアンツに加入。1年目で新人ベスト6と西部ベスト12に選ばれる活躍を見せ、北米スタイルに対する適応力を見せつけると、05-06シーズンにセネターズのシーズン前キャンプに召集。ここで関係者を納得させる活躍を見せ、開幕ロースターに食い込むと、そのままレギュラーとして定着した。この年にはトリノ五輪代表にも選ばれており、グループステージで5連勝を見せ関係者を驚かせたチームで活躍した。この年にはNHL新人ベスト6にも選ばれている。06-07シーズンにはスタンレーカップ・ファイナル進出を果たしたチームのレギュラーとして最終ラインを支え、翌年までセネターズのブルーラインで活躍した。08-09シーズン開幕前に、クバ、ピカール、ドラフト1位指名権と引き換えにタンパベイ・ライトニングにトレードされる。ライトニングでは守備面ではともかく攻撃面で思ったような攻撃ができず、在籍した2年間でいずれも20ポイント以下と期待を裏切ってしまった。だが、10年バンクーバー五輪ではスロバキア代表として奮闘し、ポイントはなかったものの攻守の切り替えを司るオールラウンドディフェンスマンとしてハーラと同じくらい貢献した。10-11シーズン開幕前にドラフト2位指名権と引き換えにフィラデルフィア・フライヤーズにトレードされている。
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