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Randy Carlyle(ランディ・カーライル)

現役時代のポジション ディフェンスマン
生年月日 56年4月19日
出身 サドバリー、カナダ・オンタリオ州

現役時代
キャリア
シーズン 所属リーグ 所属チーム レギュラーシーズンの成績 プレーオフの成績
72-73 NOJHA チェルムスフォード・カナディアンズ
73-74 OHA1部 サドバリー・ウルブス 12試合 0得点 8ポイント
74-75 OMJHL サドバリー・ウルブス 67試合17得点64ポイント
75-76 OMJHL サドバリー・ウルブス 60試合15得点79ポイント
76-77 CHL ダラス・ブラックホークス 26試合 2得点 9ポイント
NHL トロント・メイプルリーフス 45試合 0得点 5ポイント  9試合0得点1ポイント
77-78 CeHL ダラス・ブラックホークス 21試合 3得点17ポイント
NHL トロント・メイプルリーフス 49試合 2得点13ポイント  7試合0得点1ポイント
78-79 NHL ピッツバーグ・ペンギンズ 70試合13得点47ポイント  7試合0得点0ポイント
79-80 NHL ピッツバーグ・ペンギンズ 67試合 8得点36ポイント  5試合1得点1ポイント
80-81 NHL ピッツバーグ・ペンギンズ 76試合16得点83ポイント  5試合4得点9ポイント
81-82 NHL ピッツバーグ・ペンギンズ 73試合11得点75ポイント  5試合1得点4ポイント
82-83 NHL ピッツバーグ・ペンギンズ 61試合15得点56ポイント
83-84 NHL ピッツバーグ・ペンギンズ 50試合 3得点26ポイント
NHL ウィニペグ・ジェッツ(初代)  5試合 0得点 3ポイント  3試合0得点2ポイント
84-85 NHL ウィニペグ・ジェッツ(初代) 71試合13得点51ポイント  8試合1得点6ポイント
85-86 NHL ウィニペグ・ジェッツ(初代) 68試合16得点49ポイント
86-87 NHL ウィニペグ・ジェッツ(初代) 71試合16得点42ポイント 10試合1得点6ポイント
87-88 NHL ウィニペグ・ジェッツ(初代) 78試合15得点59ポイント  5試合0得点2ポイント
88-89 NHL ウィニペグ・ジェッツ(初代) 78試合 6得点44ポイント
89-90 NHL ウィニペグ・ジェッツ(初代) 53試合 3得点18ポイント
90-91 NHL ウィニペグ・ジェッツ(初代) 52試合 9得点28ポイント
91-92 NHL ウィニペグ・ジェッツ(初代) 66試合 1得点10ポイント  5試合1得点1ポイント
92-93 NHL ウィニペグ・ジェッツ(初代) 22試合 1得点 2ポイント

国際大会(カナダ代表)
シーズン 大会 成績
89 世界選手権 9試合1得点5ポイント

個人タイトル
タイトル 受賞年度 受賞時の所属チーム
OMJHLベスト12 75-76 サドバリー・ウルブス
NHLオールスター選出 80-81 ピッツバーグ・ペンギンズ
81-82 ピッツバーグ・ペンギンズ
84-85 ウィニペグ・ジェッツ(初代)
92-93 ウィニペグ・ジェッツ(初代)
ジェームズ・ノリス記念賞 80-81 ピッツバーグ・ペンギンズ
NHLベスト6 80-81 ピッツバーグ・ペンギンズ

現役時代のカーライルは、攻守両面で貢献できる総合力の高さを誇るディフェンスマンだった。ジュニア時代は17歳の時にOHA1部(翌年OMJHLになる)のサドバリー・ウルブズでデビューを果たし、2年目となる74-75シーズンに67試合で64ポイントを獲得して注目された。これは、1年で反則118分を記録するほどタフなプレースタイルでありながら記録したものであり、翌年は60試合で79ポイント(反則126分)と更に数字を伸ばしてプロのスカウトの目を引くと、翌76-77シーズン開幕前のドラフトでトロント・メイプルリーフスに2位(総合30位)指名を受けている。ちなみに、WHAからもドラフト指名を受けており、シンシナティ・スティンガーズに1位(総合7位)で指名されている。

76-77シーズンにプロに転向し、メイプルリーフス傘下でセントラル・ホッケーリーグのダラス・ブラックホークスで開幕を迎える。すぐにトップチームに昇格し、シーズンの半分以上をNHLで過ごす上々のルーキーイヤーを過ごした。だが、翌年も開幕はマイナーリーグで迎えており、78-79シーズン開幕前に若手2人と引き換えにピッツバーグ・ペンギンズにトレードされた。

プロとして台頭するのはペンギンズ時代であり、1年目に70試合で47ポイントを記録。攻撃力もさることながら肉弾戦にも強さを発揮し、またゴール前の混戦をめぐって相手のフォワードと乱闘を辞さないほど気が強く、体を張ったプレーを繰り返すことからファンに愛され、チームからも信頼された。80-81シーズンには76試合で自己ベストとなる83ポイント(しかも反則136分で)を記録し、ジェームズ・ノリス記念賞(NHL年間最優秀ディフェンスマン賞)を受賞した。このように自身にとってペンギンズ時代はブレイクを果たした時期となったが、チームはレギュラーシーズンでそこそこ成績を残しながらプレーオフで早期敗退を繰り返し、83-84シーズンに再編期に入るとドラフト1位指名権と若手有望株と引き換えにウィニペグ・ジェッツ(初代)にトレードされた。

攻撃的なチーム作りをしたペンギンズとは違い、ジェッツ時代は守備面での責任が高く、ペンギンズ時代ほどポイント数は稼げなかった。だが、それでも守備面で貢献しながら40ポイント台を期待できる極めて優秀なディフェンスマンとして重宝された。80年代はボークやコフィーなどの陰に隠れた上に、ジェッツが当時全盛を誇るエドモントン・オイラーズカルガリー・フレームズと同じディビジョンに入ってしまったためチームとしての成績が伸び悩み、カーライルの印象が下がってしまった感は拭えない(カナダカップでカナダ代表に選ばれなかった理由もそこにあると思われる)が、数字に残る成績だけでなくチームのキャプテンとして多大な貢献度を誇った。92-93シーズンを最後に、現役引退。NHL通算1055試合647ポイントを記録した。

監督として
キャリア
シーズン 所属リーグ 所属チーム レギュラーシーズンの成績 プレーオフの成績
95-96 NHL ウィニペグ・ジェッツ(初代)(コーチ)
96-97 IHL マニトバ・ムース(コーチ)(GM兼任)
IHL マニトバ・ムース(途中就任) 32試合16-14- 2
97-98 IHL マニトバ・ムース(GM兼任) 82試合39-36- 7 1回戦
98-99 IHL マニトバ・ムース(GM兼任) 82試合47-21-14 2回戦
99-00 IHL マニトバ・ムース(GM兼任) 82試合37-31-14 1回戦
00-01 IHL マニトバ・ムース 82試合39-31-12 2回戦
01-02 無所属
02-03 NHL ワシントン・キャピタルズ(コーチ)
03-04 NHL ワシントン・キャピタルズ(コーチ)
04-05 AHL マニトバ・ムース 80試合44-26- 0 準決勝
05-06 NHL マイティダックス・オブ・アナハイム 82試合43-27-12 準決勝
06-07 NHL アナハイム・ダックス 82試合48-20-14 優勝
07-08 NHL アナハイム・ダックス 82試合47-27- 8 1回戦
08-09 NHL アナハイム・ダックス 82試合42-33- 7 2回戦
09-10 NHL アナハイム・ダックス 82試合39-32-11
10-11 NHL アナハイム・ダックス 82試合47-30- 5 1回戦
11-12 NHL アナハイム・ダックス(途中解任) 24試合 7-13- 4

個人タイトル
タイトル 受賞年度 受賞時の所属チーム
IHL年間最優秀GM賞 98-99 マニトバ・ムース

記録
マイティダックス・オブ・アナハイム/アナハイム・ダックスの歴代通算最多勝利記録 273
マイティダックス・オブ・アナハイム/アナハイム・ダックスの歴代通算最多監督試合数記録 516
マイティダックス・オブ・アナハイム/アナハイム・ダックスのプレーオフ歴代通算最多勝利記録  36
マイティダックス・オブ・アナハイム/アナハイム・ダックスのプレーオフ歴代通算最多監督試合数記録  62
マイティダックス・オブ・アナハイム/アナハイム・ダックスのシーズン歴代最多勝利記録  48(06-07)

現役終了後、古巣のジェッツで95-96シーズンにコーチ就任。翌年、IHLマニトバ・ムースのGMに就任(コーチ兼任)した。このシーズンには終盤戦に監督を更迭し自身が後釜となったので、99-00シーズンまで監督兼GMとなった(最後の00-01シーズンは監督に専念)。98-99シーズンにはIHL年間最優秀GM賞を受賞するなど、マイナーリーグで少しずつ実績を積み重ねていった。02-03シーズンにワシントン・キャピタルズのコーチに就任し、2シーズンを過ごしたが04-05シーズンに監督としてムースに復帰。05-06シーズン開幕前にマイティダックス・オブ・アナハイム(翌年アナハイム・ダックスに改名)の監督に就任し、NHLの監督となった。

ハードワークを全面に押し出し、リンク全体でプレスをかけつつ肉弾戦で上手を取るスタイルをダックスに浸透させ、就任1年目でプレーオフ準決勝までチームを導く快挙を見せた。2年目となる06-07シーズンにはもともといたセレンネやジゲールだけでなく、マクドナルド、ゲッツラフプロンガースコット・ニーダーマイヤーらを擁した一大勢力へと変貌を遂げた。このシーズンに挙げた48勝は、チームのシーズン最多勝利記録である。このシーズンにはプレーオフで勝ち進み、チームはスタンレーカップを獲得する。現役時代、選手として評価されつつも縁がなかった栄冠を、監督として手にすることになった。その後はサラリーキャップ制度の問題もあってチーム力を維持することに苦労しながらも、09-10シーズンと解任された11-12シーズンを除いてはプレーオフを逃すこともなく、レギュラーシーズンとプレーオフの歴代通算最多勝利及び監督試合数記録全てを記録する形となった。これは、かつてチームを率いた名将ロン・ウィルソンを押しのけて記録したという点からも価値の高い記録である。11-12シーズンには、チームが転換期に入っていたこと、そして序盤戦で負けがこんだために解任されたが、ダックス史上最高の監督と呼んで差し支えないほどの実績を残している。