一節 航海10

 渦の中心で踊るその生物は、およそ彼らの理性が保てる許容を超えていた。
 細長の外見は海蛇によく似ており、龍のような頭を持っていたが、やはり海に巣食う生物
らしく、浅い紫に染まった身には優雅なヒレが添えられている。
 だが、大きい。途方もなく大きすぎるのだ。
 海中で見えない部分も含めて、その全長はゆうに彼らの船の十隻分以上に値するだろう。
「何だあいつは!?」
 まさに腹の底からそのまま出てきたような言葉を、セシルは船長にぶつけた。
「船乗りのおとぎ話だよッ!! 大海原の神様ってやつだ!
 まさか本当にいやがるたぁな、ぶったまげたぜ!」 
「大丈夫なのか!」
「そう見えるか!? おとなしくつかまってろい!!
 オラッ、てめーらちったあ落ち着かんかい!!」
 やはり期待に足るような答えなど返ってはこない。胴間声を響かせる熟練の船長の険しい
横顔が、状況の切迫さを十分に物語っている。一方、人手不足もあって、まともな経験も無く
かき集められた船員たちは見るも哀れに取り乱していた。いち早く状況を察知していたヤン
だけが、帆を支えようとかけ回っている。
「ケッ! 曹長殿ひとりで事足りてやがる、情けねえ!」
 悪態をつきながらも、船長の神経はその手が握る舵だけに注がれている。渦に引き回される
勢いを利用しながら波に抗う舵さばきは、後ろで見守る彼ら素人の目に見ても見事な技である。
少しずつ、船は海神の領域を遠ざかり、徐々にその影響も弱まっていった。
(やり過ごせるか・・?)
 彼らが思わず安堵しかけたときだった。船の様子を伺っていた海神は突然水中に頭を沈め、
その雄大な尾を天空高くひらめかせた。
「伏せろッ!!」
 その意するところを察知したセシルは声を上げ、リディアの頭を抑えながら身を伏せた。
 直後、船と海王との長い距離が、その巨体によって一瞬でなくなった。台風のような突風が
彼らの頭上を舞い、虫のように這いつくばったまま、甲板から身を剥がされそうな風に必死で
耐える。やがて顔を上げた彼らは唖然とした。

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最終更新:2007年12月13日 04:34
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