《有里》  
《有里》  
《有里》  
《有里》 放課後の図書室。町にとっては、静かで、心の落ちつく場所。
《有里》 古臭い、と人は言うかもいれないが、大好きな本がたくさんあって……それに、他の理由で行くのが楽しみな場所でもある。
《有里》 自分が行くと必ずあの人がいるからだ。
《有里》 自分と同じくらい、もしかするともっと本が好きで、いつも静かに話を聞いてくれる人が。
《有里》 教室の掃除を終え、その脚で図書室へ向かう。案の定、図書室の鍵は既に開いていた。▽
《有里》  
《町》 かちゃかちゃと微かに杖を鳴らしながら、町が図書室へ入ると、今日は利用者の姿が見当たらない。
《町》 静かな図書室に、町のたてるほんの少しの音が響く。
《町》 町は、窓から差し込む夕日に見とれて、少し立ち止まった。
《町》 それも少しの間のこと。
《町》 積まれている返却の本を片付けなくては。町はカウンターへと歩み寄る。▽
《有里》 カウンターへ向かうと、カウンターの内側から町のほうを見ている視線とはちあわせした。
《有里》 【有里】「やあ」少し長い髪をアップヘアにしている、薄い眼鏡が特徴的な女性。町の一つ上の先輩、空須 有里(からす ゆり)だ。彼女も同じく図書委員で、そして、町と仲のいい人でもある。とはいっても、友人やそういう段階の話であるが。
《有里》 【有里】「掃除かな?」言葉少なく問いかけながら、何かに気付いたように読んでいた本に栞を挟み、今まで座っていた手近な席から一つ奥の席へ移る。▽
《町》 【町】「あ、空須先輩。」一瞬、視線がまともに重なったのに、少しうろたえる町。
《町》 すぐに、つい、と視線を落として彼女の口元を見る。
《町》 きれいなラインの、形のよい唇。静かで落ち着いた、好きな感じの声が出てくる唇。
《町》 けれど、それはそれで、なんだか気恥ずかしくて、町は先輩の首元まで視線を落とす。
《町》 【町】「はい、掃除です。ごめんなさい、遅くなってしまって。」
《町》 カウンターの上の本を片手で器用に何冊か抱える。
《町》 杖を使って生活するのに慣れてからは、案外、人が思う以上に片手でいろいろなことができるものだ。
《町》 【町】「返却、片付けておきますから。先輩は続けてください。」▽
《有里》 【有里】「いや、人はあまり、来ないからね」気にしないよ、という風に頭を振ってから、町には、やることを任せ。「重たいものは先に直しておいたよ。細かい所は、頼む。私は、そういうのは面倒でね」そう言いながら、また本を開く。何やら割と新しい、娯楽小説らしい。
《有里》 乱読家らしく、妙に色々と読んでいるのを見かける。それでいて古い本にもやたらと詳しい。
《有里》 なんというか、変わった人、である。▽
《町》 【町】「はい。」にっこりと笑って、数冊の本を片手に本棚へと歩いていく。
《町》 普通、みんなはこう言う。
《町》 ――いいよ、やっておくから。相田さんはカウンターの中にいて。
《町》 ――だいじょうぶ、そういうのはあたし達がやるからさ。
《町》 かわいそうだから。不自由だから。やってあげる。全部やってあげる。
《町》 みんな、そういう。
《町》 …この人を除いて。
《町》 町は本を片付けながら、思う。
《町》 本当に町が困るような重いものはやっておいてくれる。
《町》 けれど、町の仕事を全部取り上げたりは、しない。
《町》 「読書を続けて」と言ったら、本当に続けている。
《町》 あまり当番が当たったことがないけど。
《町》 【町】(空須先輩って、こういう人なんだな…)カウンターを振り返って、読書にふける彼女の横顔に、知らず見入った。▽
《有里》 【有里】「……」黙して本を読む。時折、唇の端が歪む。笑っているのだ、と気づく人が少ないくらい、わずかな変化だ。それこそ……いつも観察していないと気づかないほど。表情の変化に乏しい人ではないが、本を読む時は割合、表情が読みにくくなる人ではあった。
《有里》 ▽
《町》 【町】(あ、笑った…)なんだか、理由も分からず、町は嬉しくなった。
《町》 【町】(楽しいな、ちゃんと仕事、あるの。)空須先輩の素っ気無い振りの心遣いに感謝しながら。
《町》 返却の本を棚に戻す。
《町》 順番が入れ替わっていたり、乱れている棚を直す。
《町》 【町】(うん、これできれい…かな。)町はざっと見渡して満足すると、カウンターへ戻っていく。
《町》 読書にふけっている空須先輩の邪魔をしないよう、なるべく杖の音をおさえながら。静かに。▽
《有里》 【有里】「……おっと?」戻ってきて少しした後。町が隣に座っている事に気付いた。実際、本を読みに来ている人は少なく、カウンターの一部は妙に死角になっていて読書コーナーからも見えにくい。ゆえにちょっとしたおしゃべりでは問題にならない程度で……そして、二人とも声は控えめなので、さらに問題にならないのであった。
《有里》 【有里】「お帰り。助かったよ」顔を上げて、目元が緩み、端正な唇がわずかに微笑む。
《有里》 ▽
《町》 【町】「いいえ。」ただ、微笑んで答えを返す。
《町》 町が気づくはずもないけれど、それは――そういえばこれまでにしたことのない微笑みだった。
《町》 気を許せる人にだけ見せることのできる表情。無防備な微笑み。
《町》 音を立てて、先輩の読書の邪魔をしなかったことに満足しながら、
《町》 町は、ほんの一瞬だけ、ちらりと先輩の唇を見た。
《町》 【町】(きれいな形…きれいな色……)つい、と視線を落として、図書カードの整理を始める。
《町》 【町】「どうぞ、そのまま。カードはやっておきますから。」▽
《有里》 【有利】「ん。じゃあ、お言葉に甘えよう。今、いいところでね」そしてそのまま、視線には気づいているのかいないのか、そして笑みの意味にも……けれど有里はそのまま、視線を本に戻す。
《有里》 楽しそうに本を繰る有里の姿は、なんとなく、町の心に残った。▽
《町》 カードの整理をしながら、町はただ、楽しんだ。
《町》 同じ時間を共有しながら、別々のことをしている、この時を。
《町》 ぺらり、ぺらり、と先輩が頁を繰る音が、耳に心地よい。
《町》 それは、お気に入りのどの音楽よりも、町の心に沁みこんでいく。
《町》 ▽
《有里》 【有里】「……ふぅ」やがて紙のこすれる音が止んで、ぱたりと本を閉じる音がした。十分に堪能したらしく、表情は明るい。が、すぐに何かに気付いたように、町のほうを見た。「……ああ、すまない。作業はもう終わってしまったかな?」手元を覗き込みながら問いかけた。▽
《町》 【町】「はい、カードも片付きました…大丈夫ですよ、仕事があるのは嬉しいです。」やわらかな微笑みで答える。
《町》 その拍子に、また視線が重なる。
《町》 【町】(あ、先輩の目って、光のあたりかたでは茶色に見えるんだ――)▽
《有里》 【有里】「そうか。じゃあ少しのんびりしようか……うん」一つ頷いて……それから、静かな時間が過ぎていく。時に少しおしゃべりをしたり、最近読んだ本について話をしたり。
《有里》 そんな……穏やかで静かな時間が、閉館時間の少し後まで続いたのであった。
《有里》  
《有里》 二人の関係が変化するのは、もう少し、あとほんの少しだけ後の話になる。
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《有里》 穏やかな日々の最後 Fin
《有里》