永井配信の経歴(2008~)

永井配信の経歴(2008~)

 

第九部 さよならスロ板編<後>(2008.1.1~)

2008年

1月11日 ゴールドXR拷問配信3日目でついに確率1/8192のPGGを引く。スレに『明日朝早いからもう寝るわ』と書かれているのを読み上げ、
「おいおい、寝た五分後ぐらいにひくんだがwいいのか?w」といいながら押したレバーで全消灯。突然の事態にスレも永井も歓喜の嵐に包まれた。
「神はこういう台本を用意していた」という名言まで飛び出した。

1月13日 永井兄弟ガチスロバトル第三幕~華麗なる蝶の舞~開催。互いに南国育ち設定4、ジーコが負ければ「シーマン2」ひろゆきが負ければ「アイマス10週」という罰ゲームを賭けての一戦となった。(途中リスナー数2600人越え)
序盤はひろゆきが永井をひきはなしたが、永井が般若心経で二度も当たりをひきこむ奇跡をみせるなど神がかった展開で追い上げた。
最後は般若心経で終了のベルをひきこみ、いいオチもつけ、結果ひろゆきがこの勝負をものにした。

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2月2日 久しぶりのパチスロ実機配信。永井家初の5号機がリスナーから届く。事前に永井にはその音楽の良さから絶賛していたマーベルヒーローズが届くことが知らされており、公式HPに「マーベルきたぁああああ!!!!!!」とまで書くほど永井は大歓喜!
だが、配信で開封すると出てきたのはマーベルヒーローズではなく、モーニング娘。であった。
最初は落胆していた永井であったが、プレイを続けていくうち、自分がモーヲタだった時代を思い出し、懐かしんだ。

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2月14日 バレンタイン配信。去年は貰えたP子からのチョコが無く落胆する永井。更に毎年の母・祖母からのものも今年はなく、「手渡しチョコは0個」という事でややテンションが下がっていたが、浩二・博之(と正宗)にファン達から大量のチョコが届く。

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2月17日、永井板2にて今後の掲示板のあり方について意見を募る聴取会が開催され、「管理は基本的に永井自身が行う」「BANの基準は各自察すること」「荒らしに対しては専用スレでIP公開の処分を行う」等が確認された。

2月24日 深夜の天鳳兄弟バトル配信。お互い3戦し、どちらが合計点数が高いかを、負ければ永井がライドウ配信、博之がアイドルマスター配信という罰ゲーム付きで勝負。初戦から永井が9万点をたたき出し、自らをゴッドジーコと煽るなど勝敗は決したかと思われたが、博之の倍プッシュ案により最後までわからない天鳳史上最も熱いバトルとなった。
結果、神がかり的なひきときれをみせた永井が勝利し、散々ごねた博之も渋々ながら、後日罰ゲームを決行することを約束。

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2月25日 浩二配信終了後、引き続いて博之のイミソーレ配信。午前3時20分頃、奇跡が起きる

3月2日 博之自身初である『アイドルマスター』決行。かねてから幾度も「アイドルマスターだけはやらん」と言っていた博之も、罰ゲームとあってリスナーのためと銘うって、嫌々ながらプレイ開始。

 3月24日 博之配信「龍が如く2」内のミニゲームである将棋に、永井が挑戦した。
その戦術は「王を前線で戦わせる」という常軌を逸した肉弾玉砕戦法であり、当然苦戦を強い入れられた。だがとても逆転できないような状況でも諦めず、最後まで粘り続け、まさかの逆転勝利をおさめた。
永井先生が永井名人になった瞬間であった。

3月26日 ひろくん、ライドウクリア。

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4月2日、解約していたサミータウンに再入会、久々のサミタ配信を行う。永井の登場に多数のリスアバターが(リスナーと思われる)追っかけを始める。この後約一月に渡って定期的にサミタ配信が行われるようになる。

4月3日 ひろくん、ドラクエ5攻略開始。

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 4月17日 博之配信「ドラゴンクエスト5」 はぐメタブートキャンプ~そして伝説へ

20日は午前2時50分頃からキャンプ再開。案の定テンションがやけに高い博之の絶叫で、浩二は眠れず隣室から起きてくる。合いの手を入れたり雑談で間をつないだり、肝心のところで般若心経を唱えるなど、弟を必死でサポートするも、睡魔が限界となり午前8時前にダウン。しかし、その約1時間後の、20日午前9時28分ついにはぐれメタルをGETした。(944匹目)テンション最高潮の博之は食欲も眠気も吹っ飛び、その後も配信を継続。愛するあまり仲間にしたはぐりんのレベルをMAXにしようとするが、住民の猛反対もあり、仕方なくストーリーを進めることになる。結局17日の記録に並ぶ約12時間の長時間配信となった。

4月25日 ひろくん、ドラクエ5クリア。

4月26日 ジーコ、ひろくん、トシのウイイレ配信→絶体絶命都市2攻略開始。以後、絶体絶命都市2の続きはひろくんが単独で攻略。

5月5日 ひろくん、絶体絶命都市2クリア。

 

第十部 永井板2BAN騒動編(2008.5.9~) 

5月9日、永井のサミタ配信(Eカード)と前後して永井板2にて大量のBAN(地域プロバイダ規制)が発生した。
以後、不定期に規制と解除が繰り返されるようになる。
この一連の規制により多数の難民が発生したため、永井の古巣であるスロ板の避難所に住民が流出した。これを境に、一連の規制と永井ら管理側の態度に批判的な住民と、
管理側の行動に好意的な住民の対立が深刻化してゆく。

5月21日 ひろくん、FF5(PS ファイナルファンタジーコレクション収録)攻略開始。

6月5日ひろくん、FF5クリア。レア武器・ジョブ等、さんざんこだわりを見せてきたにもかかわらず、最後はぜになげに頼るという大波乱の展開に。住民に心底叩かれたがいつもどおり博之はマイペースにエンディングを見続け空気を読んで即座に退散。華麗なスルー技術を見せ付けた。

6月9日、永井の30歳の誕生日ということもあり配信に期待が寄せられていたが、公式Blogに永井への誕生日プレゼントに対するお礼の言葉が書かれただけで、この日配信はなかった。久々の配信を心待ちにしていた住民によって永井板2は大荒れとなる。

この頃、ニコニコ動画にアップされていた一部の永井動画がうp主本人に削除される(『永井先生の国際交流』等の再生数6万超になる人気動画含む)。

同日 ひろくん、龍が如く2を遂にクリア。引き続き自腹で買ってきた悪魔城ドラキュラ闇の呪印攻略開始。

6月23日、ひろくん、悪魔城ドラキュラ闇の呪印クリア

6月29から30日にかけて、立て続けに永井板2で永井の殺害をほのめかす様な書き込み及びスレ立てが行われる
6月29日の段階では当該書き込みがスレごと削除される処分に留まったが、翌日(30日)に永井殺害を示唆するスレッドが立てられるに至って管理側が通報処分を行う

7月3日早朝 ひろくん配信中に永井が降臨、二ヶ月ぶりの復活に永井板は歓喜する住民で溢れ返った。
先日の殺人予告や一連のBANなどの暗い話題には触れず、兄弟でパチンコ実機配信(CR倖田)を行う。

7月20日 前永井先生@wiki閉鎖。プライバシーの侵害・名誉毀損の二点において、
「生活に実質的な被害が生じている」と永井氏本人が主張したことが理由とのこと。

同日19時頃、ピアキャスト配信者佐々木とスカイプ対談を行う。
久しぶりのピアキャスト配信者二大巨頭の対談ということで永井板は活気付いたが、
その他のスレ(BAN民避難所や佐々木板)などでは、BAN騒動には勿論全く触れなかったことや、
ジーコのテンション自体が低かったことに加え、前wikiの閉鎖騒動もあり、
このスカイプ対談自体が「wiki問題の火消し」との冷めた意見が大半だった。

7月30日未明、永井板2に突如永井浩二本人が降臨。また悪意のある者が迷惑行為に及ぼうとしてるらしく、自分も博之も少し疲れたので、配信をしばらく休みます(レス番号16)とのこと。その直後に永井板閉鎖

9月6日未明、NHK-BSの番組「ザ☆ネットスター!9月号」内において、
ネットで話題になっている単語として、「永井先生」があがる。
番組内では「現在出演交渉中」とのナレーションがなされたが、永井兄弟は配信休止中であり、実現しなかった。

 

第十一部 ニコ生で復活=jukeと永井先生=編(2010.4.26~)

2010年

4月26日、ニコニコ生放送の放送主Jukeの放送枠内にスカイプで永井兄弟が話をするという形式で1年9か月の沈黙を破り復活した。

 

※以下ニコニコ大百科から転載(できるだけ中立な情報にするため、一部表現を変えています)

Jukeの猿回し前述の通り永井兄弟の復活は、生放送主であるJukeの放送にskypeでのゲスト出演という形で行われた。Jukeによれば、永井は親友Jukeの一年間に及ぶ説得に応じて出演したという。

しかし、復活当初は「皆兄弟を求めているだろうから俺はじじゅうする」と裏方に回っていたにも関わらず、途中からJukeは永井先生の発言を遮って話し始める上、その自分語りは長時間に及んだ。それに対し視聴者が批判コメントをし、それにもいちいち突っかかったため、それがさらに顰蹙を買うこととなる。

また、永井先生自身も、視聴者をイラつかせるJukeに対して発言された批判コメを全て「荒らし」と断じ、Jukeを擁護する発言を繰り返した。そして、放送の中でJukeを自分の親友だとも語った。しかし、この「親友」という言葉に対し疑問を呈する視聴者も現れ始めた。

というのも、永井先生がアラジンチャンスのBGMで「ケイコごめんよ」の歌を歌うように頼まれた際のJukeの態度が親友のそれとは思えなかったからである。頼まれた当初、永井先生はさすがに恥ずかしいのか、歌うことを渋り、関係ない話でお茶を濁そうとした。ところが、Jukeはこうした態度の永井先生に対し突然、「ごちゃごちゃ言ってないで歌えやコラ!と怒鳴りつけたのである。こうしたことから、永井先生とJukeの間には上下関係があり、永井先生はJukeに頭が上がらないのではないかという推測する者も現れ始めた。ついには「愛媛の奴隷」という揶揄の言葉さえ生まれた。しかし、結局のところ永井先生とJukeとの間に何があったについては定かではない。

また、ゆきと(生放送主)を批判した際に、「しょうもない事言いよる奴はサンクスかローソンかすき家か吉牛の店員か、もうそんなレベル。マジで。それぐらいやろなレベル低いと発言してしまった。これにより、職業差別をしたと判断されてしまい、ついには永井先生自身が叩かれる理由を作ってしまった。

5月、画伯という配信者がブロッコリーという別の配信者に対しJukeのスカイプIDを聞いたところ、ブロッコリーは画伯にそれを教えてしまう(ただし、この二人は別に公の場でそのIDを曝したわけではない)。そして、Jukeに対しゆづか姫(生放送主)を騙ってJukeにスカイプチャットやメールを送った。このことにJukeが激怒し、Jukeの親友である永井先生はJukeと共にブロッコリーを批判する生放送を行った。この放送の中では、Jukeはブロッコリーに対し、少額訴訟を起こすつもりだと語った。さらにブロッコリーの生放送のミラー画像を出し、その外見を「犯罪者の顔」「のび太」等と呼んで中傷した。しかし、この中傷が原因で、放送中に運営側からBAN(強制停止)される。

Jukeと永井先生はこの運営の仕打ちに怒り、5月16日の生放送で運営と画伯とブロッコリーを徹底的に批判した。さらに「著作権侵害」を理由に運営側に対してニコニコ動画にアップロードされている全ての永井関連の動画を削除するように要求した。そして永井先生は引退宣言を出し、2度と配信を行わないことを明言した。ただし、Jukeの方は単独でニコニコ生放送で配信を続ける意思を表明した。その後、永井先生の動画を投稿したユーザーの一部は、自主的に永井動画の削除を開始した。自主的に削除された永井動画の中には、再生数が70万回以上を誇った「組曲『永井動画』」も含まれている。この件に関し、画伯は「自分は単にJukeに対してスカイプチャットやメールの送信しか行っていない」と釈明し、責任は自分にJukeのIDを伝えたブロッコリーにあると説明した。

5月20日のJukeの生放送で復帰した。この時の放送は、以前とはうって変わって静かなものであり、Jukeと永井先生のエギング(イカ釣り)に関するやり取りが続いた。

5月24日午後5時28分に、元PeerCast配信者の佐々木健介がニコニコ生放送にて復活した。この佐々木の生放送中に偶然にも同じく生放送していたJukeと永井先生は、それを見ながら佐々木に関するコメントを出した。佐々木は放送の中で、永井先生は嫌いだがJukeは敵に回したくないと語った。しかし、その後に行った永井先生のニックネームを決めるアンケートによって状況は一変した。そして、これで永井先生とJukeがキレる原因を作ってしまった。

というのも、佐々木は、「1.モルボル永井」・「2.歯糞乞食野郎」「4.愛媛の恥」という選択肢を用意し、リスナーは「3.豚の奴隷」という選択肢を用意したからだった。永井は嫌いだがJukeを敵に回したくない佐々木にとって、この3番目の選択肢は予想外だったらしく、自分の考えた選択肢を選ぶようにリスナーに呼びかけた。なお、結果は69.0%で3番目が圧勝した。これを聞いていたJukeは生放送中の最中に佐々木を中傷するようなことを言ったため、運営からBAN(強制停止)されてしまう。その後、Jukeは2つ目のプレミアムアカウントを用いて再度生放送を開始するも、物の数分も経たずしてBANされてしまう。

こうして全てのアカウントを停止されてしまったJukeと永井先生は、永井先生の持つアカウントを使って再度生放送を行った。そして、2度目のBANについては全く納得がいかないと怒りを露わにした。永井先生は、「何歳ぞマジで」・「帰れ」・「お前らホント大概にせえよマジで」・「来るなや」など、運営に面白がって通報したリスナーを強い口調で批判し、怒りのあまり泣き出してしまった。Jukeは何故か佐々木に対する批判コメントを出した。なお、この放送の中で永井先生は、「俺一人でやりよったらそんなにならんぞホントに」とも言った。

 

現在 (2012.2~)

2012年

永井先生はその後もJukeと共にニコ生で散発的に配信を行なっていたが、2012年2月の時点で、完全にJukeとは手を切った事が、Juke自身により明かされる(永井先生側からのコメントは特にない為、真相は不明)。

尚その際、Jukeが永井浩二公式Webサイトの管理人(通称・公式管理人)だった事も明かす。

永井先生の今後の動向については、現在の所は不明である。

最終更新:2012年05月02日 22:40
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