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6世紀後半の壬申の乱に勝利した天武天皇とその妻・後の持統天皇に
よって、朝廷(政権)とは相対的に独立した、新しい国家理念を
象徴する国土と国民の守護神として創立された。
伊勢神宮の前身となるものは遅くとも推古朝(592~628年?)
には存在していたと考えられている。
壬申の乱を成功させた大きな要因は伊勢神宮によるもので、
壬申の乱が成功した暁には伊勢の神を天照大神としてあがめまつる事を
神に誓ったのである。この誓約によって天照大神が出現したとされている。
壬申の乱の後の674年、大来皇女を斎王として伊勢に派遣した事を
もって伊勢神宮の創立とする意見が多いが、天武天皇の死後に起きた
大津皇子の変に関連して、大来皇女は斎王を解任されて都に戻ると
いった内容の文章が「日本書紀」に書いてあり、その文には、
「伊勢神祠」と書かれており、もはや「神宮」では無くなっていた。
つまり伊勢神宮を日本の天の神としてまつる天武天皇の誓約も破棄
されてしまったのである。
そのために天武天皇の妻であった持統天皇がその意思をついで、698年
多気郡多気にあったとされる伊勢神宮を度会郡宇治に遷し、天照大神を
祀る唯一最高の神社として創立した。これが今の「伊勢神宮」であり、
これをもって伊勢神宮の創立とする考えもあるようだ。