そしていつも通りの朝が来た。
ベッドから起き、冴えない頭で洗面所に向かう。蛇口に付いてるシャワーから熱いお湯が出て、それで顔を洗う。
ついでにそのお湯で鏡に写った寝ぐせも直す。すっかり目がさめて部屋に戻り、制服に着替える。
いつもの習慣でもうその頃にはおなかが空いていて、僕は食卓に向かう。もちろん誰もいない。
がらんとした場所。朝食の用意はない。冷蔵庫から昨日の残り物を出してレンジで暖める。いただきます。
食べ終えた食器は洗い場のシンクの中に入れる。中には母さんが使い終わった食器が入っていた。
面倒臭いけどしょうがないので一緒に洗う。その後で歯も磨き終わると、もう学校に行くのにちょうど良い時間だ。
時間割通りの教科書を詰めたかばんを持って玄関に行く。
そして、いつもは言わないのだけれど、昨日の事を思い出し、ちょっと口に出してみる。
「いってきます」
返事はない。なんとなくあきらめている自分がいる事に気が付いていた。そう、そんな事あるはず無いのだ。
ただ、何かの間違いかもしれないから、ちょっと確かめてみたかっただけなのだ。
なんて感傷的な気分に浸ってたら、目の前に血相を変えた姉さんが走って来た。靴を履いた僕の前でキュッと
止まる。幽霊とは思えない。ちょっとびっくりした。
「……寝過ごした」
「幽霊って寝るの?」
「知らないわよ! 久しぶりに自分の部屋に帰ってきたら、なんか安心して寝ちゃってたみたいなんだもの。
大体アンタも学校行く前に一言くらい声かけてくれたっていいじゃないの!」
言えない。夢かと思ったなんて。
だから僕は違う事を言う。
「姉さん幽霊なんだからさ、そんな寝起きの顔で血相変えて走って来たら怨念とかこもってそうで恐いよ」
「んあー! それがわざわざ見送りに来た姉に言う事かあ!」
とか言いつつ、姉さんは自分の姿を気にしたのか、そんなに酷い顔してる? と聞いてきた。顔洗ってくれば?
と僕が言うと、そうする。とか言い出した。自分が幽霊だと言う事を忘れてるんじゃないだろうか。はたして鏡に姿は
写るんだろうか? 興味はあるけど、もう学校に行く時間だ。僕は改めてあの言葉をちょっと口に出してみた。
「……じゃ、いってきます」
「はいはい、いってらっしゃい」
そして僕は姉さんに見送られ、いつもより少しだけ違う気持ちで学校へと向かった。昨日の雨はもう、晴れていた。
『忘れられた花火のウワサ』
もちろん学校生活は何の変化も無く、いつも通りに退屈で、いつも通りの放課後がやって来た。
それまで静かだった教室は帰りのHRが終わった途端、急に騒がしくなる。
誰かが始めるおしゃべりの音、イスを引いて立ちあがる音、教室のドアを開けて、誰かが出ていく音。そして開いた
ドアからは、他の教室からの、似たような音が飛び込んでくる。
夕暮れ前の僅かな賑わい。僕は帰り際のそんな風景を見ているのが嫌いじゃなくて、ついつい帰るのが遅れて
しまう。
教室の中にはまだ残ってる人が何人かいた。その人達は僕と違って感傷になんか浸ってなくて、輪になって
取りとめも無いおしゃべりをしている様だった。
その輪の中心には男子が一人、回りを女子が囲んで、楽しそうに話をしている。そんな状況を見ると、すごいな、
なんて思ってしまう。
沢山の女子の中でオトコが僕一人なんて、何話していいかわかんなくて困っちゃうな、きっと。
なんて思いながらずっとそっちの方を見ていたら、そのグループの女子が一人、僕の視線に気が付いたみたいで、
僕の机の方にツカツカと歩いて来た。
ああまずい。ずっとそっちの方を見てたから、盗み聞きしてたなんて思われたんじゃないか。なんて困っていたら、
その歩み寄ってきた女の子は、なんだか僕よりもずっと困ったような顔をしていた。そんなに聞かれて困るような話
だったんだろうか。
何だか困ったような顔をしているその子は、僕の席の前に立って、言いにくそうに切り出した。
「ねえナオキ君……」
「な、何?」
「昨日の事、怒ってるの?」
「……昨日の事?」
そう言った僕の顔を見て、なんだか彼女は驚いているようだった。なんだろう、そんなに変な顔はしていなかったと
思う。多分。
よく見ればその女の子は昨日姉さんのウワサ話をしていた一人だった。確かマナミさんと言う名前。
「あ、ううん。別に怒ってないならいいの」
ごめんね、と言って立ち去ろうとしていたマナミさんを、意外な事に僕は呼び止めてしまっていた。
「ねえマナミさん、昨日の話って誰から聞いたの?」
「え、誰って……。あの話って結構有名だから、誰かって特定できないと思うよ。あの、気を悪くしたんだったら私も
聞いた人に言っておくから……」
マナミさんはそう言いながら視線をそらす。
「いや、そういうのじゃないんだ」
本当に、ふと不思議に思ったんだ。
「あ、今はその話してたんじゃないよ? シュウジ君に花火の幽霊のウワサって知らない? って聞かれて、私は知ら
なかったから、その話ってどんなのかって聞いてたんだけど」
マナミさんは話を逸らすかのようにそんな事を言う。でも、何だかそっちの話も気になるので聞いてみた。
「花火の幽霊って何?」
「うん、ナオキ君も知らない?」
僕は肯く。マナミさんはあのね、と言って話し始める。
「ナオキ君の帰り道の方向だと、希望公園って公園があるんじゃない? 知ってる?
その公園でね、悲しい事件が起こったらしいの。
……今から10年程前、夏の終わりだったそうよ。
仲の良い家族が3人、夏の終わりを楽しむかのように、花火をしていたんですって。
お父さんの仕事の都合で花火大会に行けなくなった家族は、家族用の花火セットを買って、近くの公園で小さな花火
大会をすることにしたの。
お父さんとお母さんと、小さな女の子が一人。小さな女の子は、花火大会用に買ったピンクの浴衣に、その日はじめ
て袖を通したの。
女の子はうれしかったわ……。それで、花火を持ったままはしゃぎまわっていたの。
でも、それがいけなかったのね。ちょっと目を離した隙に、落とした花火が浴衣に燃え移ってしまって。
科学繊維の浴衣に燃え移った火はピンク色に染まっていて、まるで花火のようだって……。
それ以来あの公園には、花火のように燃えて、消えていく幽霊が出るそうなのよ……」
「へえ……」
花火になった、女の子の幽霊か。よくまあ、あんなに狭い範囲でそんなに幾つも話があるもんだ。
「ずいぶん不運な事故だったんだね」
「うん、だから近くで同じような事が二つもあって不思議だねって今話してて……」
マナミさんはそこまで言って、何かを思いだしたような顔をして、あわててさっきのグループの中に戻ってしまった。
何だろう、変なの。
マナミさんが戻ってすぐに、担任のヤマガタ先生が教室のドアを開けて入ってきた。
「おーいお前らー、用が無いんだったらさっさと帰れよ」
先生にそう言われて時計を見ると、もう結構いい時間だった。ボーっとしたり話をしているうちに、いつの間にか
こんな時間になったみたいだ。
さて、僕も帰ろう。と思って支度をしていると、ヤマガタ先生が僕を呼び止めた。
「お、ナオキ。特に用事が無かったら、帰る前に教材運ぶの手伝ってくれないか?」
特に断る理由もないので引き受けるしかなかった。何にしても、教師のお願いは半ば強制なのだ。
3階の社会化準備室に教材があるそうなので、僕は後を付いていく。
階段を上がっている途中で、先生は妙に言いにくそうに話しかけてきた。
「なあナオキ、最近どうだ?」
どうだって、何がどうなのだろう。
「はあ、まあぼちぼちです」
はっきりしない聞かれ方をしたので、僕もなんとなく答えるしかない。先生も困ったような顔をしている。
「いやその、何だ。みんなとうまくやってるか?」
やっぱりはっきりしない。うまくって、一体何を指してるんだろう?
「うまくったって、わかんないですよ。別にいつも通りだと思いますけど」
そう言われた先生はやっぱり困ったような顔をしている。
「いや、そうか。ナオキは元々おとなしいからな。だからあまり変わらなく見えるのかもしれないけど。でもな、あんな事
があってから、あまりクラスのみんなと話したりしてないだろ? 皆も、先生も、心配してるんだよ」
……ああ、何だ。姉さんの事か。
クラスの皆が心配、それがどういう事なのか僕にはよくわからない。僕が感じたのは腫れものに触るような、あまり
近寄りたくないって雰囲気だ。それとも、それは僕のカイシャクが足りないのだろうか。
「別に……、大丈夫ですよ」
そう言った僕を見て先生は、「そうか……」とつぶやいて、やっぱり困ったような顔をしていた。
なんだろう。言われなければ特に気にしなかったのに、先生が変な事を言うから、かえってこんがらがってしまう。
なんか、胸の辺りがモヤモヤして落ち着かない。
そんな事を考えていたから、僕はその光景を見てしまったのかもしれない。
社会化準備室がある3階には、3年生の教室がある。姉さんが通っていた教室がある階。その教室の入り口に、
姉さんが立っていた。
教室の入り口から、中を覗いている。何かを期待しているような表情で。僕の方には全く気付いてていない。
教室の誰かが、姉さんの横を通り抜けて行く。その度に姉さんは、通りすぎるクラスメイトを目で追っている。
目を細くして、悲しそうな顔で。
……あ、僕は慌てて社会準備室に入る。今、姉さんと目が合いそうになった。なんだろう、悪い事をしたわけではない
と思うけど、見てはいけないモノを見てしまったような気がする。
この時の僕の気持ちも、腫れものに触りたくないクラスメイトの様な気持ちだったんだろうか。
先生に文句を言われながらも、なるべくゆっくりと用を済ませてから社会科準備室を出た。恐る恐る廊下を見ると、も
うそこに姉さんはいない。ちょっと安心する。僕は先生に挨拶して、家に帰った。
家に着くと、制服姿の姉さんが何にもなかったかのように明るい顔をして僕を迎えてくれた。
「おかえりー」
「ただいま」
しばらく見ていなかったけど、いつも通りの風景。良かった。この感じだと、姉さんはそんなに落ち込んで無いみたい
だ。
僕も、何事も無かったように自分の部屋に行き、かばんを置いて、着替えてから居間に戻った。
姉さんは、ソファに寝そべりながらラジオとにらめっこをしていた。
「姉さん……。何してるの?」
「ラジオ聞いてるのよ。悪い?」
「テレビ付けないの?」
「付けられないもん」
言ってから、しまったと思う。幽霊ってそう言うものなんだろうか。物が掴めないんだ。僕は慌てて話をはぐらかす。
「母さん、一回帰ってきたんだ」
「うん」
じゃあきっと、ラジオはその時に付けていったんだろう。うちでは誰かいるように思わせるために、防犯用としてラジオ
を付けてから外に出るようにしている。
「帰ってきたときに、お弁当置いてったみたいよ」
そう言われてテーブルの上を見ると、近くのスーパーの印が付いたビニール袋が乗っている。中は、もう飽きるくらい
食べた事のあるお弁当だった。
夕飯が置いてあるって事は母さんの帰りが遅くなるって事だ。いつもなら、帰ってくるのは多分9時か10時くらいにな
ると思う。
時計を見るとまだ5時30分くらい。少し早いと思ったけれども、おなかが空いていたのですぐにお弁当を食べる事に
する。ビニールのパッケージをはがして、レンジで温める。
姉さんが生きてた頃は作ってくれてたっけな……。そう思いながら、温めたお弁当を食べ始めた。
その姉さんはいつのまにかラジオを聞くのを止めて、テーブルの向かい側の席に付いていた。僕の食べるところをじ
っと見ている。……なんだか食べにくい。それで無くても、今日学校での姉さんの姿を見て、なんだか気まずいって言
うのに。
「ねえナオキ」
出しぬけに姉さんが聞いた。
「な、なに?」
何だか考えてる事が見透かされた気がして、僕は慌てる。
でも、姉さんが言ったのは僕の考えてる事とは全く別の事だった。
「私、もう一度あの場所に行ってみたいの。一緒に行ってくれない?」
「あの場所って?」
「私が死んだ場所」
言われて、僕は少し黙ってしまう。
「……なんで、行く必要があるのさ?」
「私ね、覚えてないんだ。その時の事」
「その時の事って……」
姉さんが死んだ時の事だろう。
「そんな事、思い出す必要あるの?」
「あるよ!」
姉さんはそう言って勢いよく立ち上がる。 その剣幕に驚いて、僕は箸を落としそうになった。よっぽど驚いた顔をして
いたのか、姉さんは僕の顔を見て咳払いをすると、また何事も無かったかのように座り直した。
「……あのね、覚えてないのはその時の事だけじゃなくてね、その前の事も覚えてないの。どうして、いつもと違う道を
帰ったのか。どうして、死ななくちゃいけなかったのか。どうして、他の人は私の姿が見えないのか」
どうして、僕だけに見えるのか?
「そんな事……」
「私は、知りたい」
知ったら、どうなるんだろうか?
「知って、どうするのさ」
「わかんない」
「わかんないって……」
「わかんないから、知りたい」
正直、あまり気乗りはしない。うまく言えないけど、自分が死んだ現場を見るのって、あんまりよくない気がする。
「もし僕が行きたくないって言ったら?」
「一人でも行く」
一人で行かせるのはもっと良く無いだろう、多分。なんだか良くない胸騒ぎがする。
「……わかったよ、一緒に行こう」
僕がそう言うと、姉さんの顔がぱあっと明るくなった。なんか変な話だけど。
「ホント? ヤッター。実はちょっと心細かったんだ。もし、また帰ってこれなくなったりしたらヤダし」
姉さんは何でも無い事のようにそう言う。ああ、僕が心配してたのはその事だったのかもしれない。
そんな事を考えながら、僕はお弁当を食べ終える。そして昨日姉さんと会った場所に向かった。姉さんが、死んだ場
所に。
辺りはもう暗くなり始めていた。
雨が降っていなくても、この道は相変わらず不気味だ。背の高い木が影を落として、この辺りだけを余計に暗くさせ
ている気がする。
そんな場所に、不釣り合いとも思える様な、色とりどりの花が咲いている場所があった。姉さんの死んだ場所に捧げ
られた花束だった。
姉さんは、その前でじっと立っていた。しばらく目をつぶって何か考えたり、辺りをうろうろ歩き回ったり。
姉さんの顔は曇ったまま、晴れない。まあ、それはそうなんだろうけど。歩き回りながら、何かをしきりに考えている。
「何も思い出せない」
そう言われて僕は黙っている事しかできない。
「ここって、私が死んだ場所なんだよね」
「多分……、そうだと思う。僕が見たわけじゃないし」
「そう」
姉さんは感情のこもってない声でそう言うと、自分に捧げられた花束を見つめていた。
「……ねえ、幽霊って、その後どうなっちゃうんだろう」
「どうって?」
「人って、死んだらそれまでだと思ってた。でも、その後ってどうなるの? 私、これからどうなっちゃうの?」
言われて、また僕は黙ってしまう。そんな事、考えた事も無かった。
幽霊のその後。死んだ後の、そのまた後。そんなの、僕にはわからない。わかるのは、姉さんが悲しそうにしている
事。視線を落とし、両腕で自分を抱いている。そうしている姉さんはとても小さく見えた。
「……嫌だな、こんな状態」
落とした視線は花束に向けられたままだ。
「知らない間に花束置かれて、それでおしまい。みたいなの。私はここに、いるのにさ」
……ああ、そうだ。姉さんのこの顔。これに近い表情を、僕はつい最近見た。学校で、クラスメイトに気付かれずただ
見送っていた目、それにそっくりだった。
「……ゴメン、ナオキ。せっかく連れてきてもらったのに。この場所やっぱり嫌だ。さっきから悪い事ばっかり思い浮かんでくるの」
やっぱり、連れてきたのは良くなかったのかもしれない。……よし、何とか話題を変えよう。
「そ、そう言えばさ」
そこまで言って、止まる。さて何て言ったものだろうか。慰め様にも、僕に適当な事は言えそうにも無い。今は傘も持
ってないし。
姉さんはそんな僕を不思議そうに見ている。なんか学校で、面白そうな事無かったっけな……。
「この辺りで、花火の幽霊ってのが出るらしいんだ」
……出てきたネタはこれか。自分がちょっと嫌になる。
「花火の幽霊? 何ソレ」
姉さんは思ったより食い付いてきた。お、意外と良かったのかも。
「僕も詳しくは知らないんだけどさ、花火をしている女の子の幽霊がこの近くの公園で出るんだって」
僕はマナミさんから聞いた話を、かいつまんで話した。姉さんは興味深そうに話を聞いていた。
「……ねえ、今から行ったらその子に会えないかな?」
突然のその言葉に僕は驚く。他の幽霊に、会う?
「いや、それはわからないけど……」
「ねえ、行ってみようよ。もし話ができるなら話してみたいし、私みたいにその場から動けなくなってたら、ほっとけない
もの」
自分がこんな状態だから、他の幽霊意も助けたいのだろうか?
もし、その少女の幽霊も姉さんと同じように助ける事が出来たら、その時は姉さんの表情は晴れるんだろうか?
わからないけれど、ここから離れる為に、僕は「うん」と肯いた。
もう夕日も消えかかった午後の7時頃、僕達は公園に着いた。
この公園は僕達が小さい頃によく遊んでいた公園で、近所で一番大きく、小学校の頃はよく皆ここに集まって遊んで
いた。でも、昔はもっと広かったような気がする。今はなんだか少し狭く、寂れてしまった様な……。大きくなったからそ
う思うんだろうか?
「見事に誰もいないねえ」
姉さんが辺りを見渡してそう言う。シーソー、ブランコ、砂場に滑り台。一通りの遊具があって、姉さんの言う通り、そ
のどれにも人影は無い。まあ、こんな時間だから子供がいないだけかもしれない。
「けど、もしかするとウワサのせいで子供達は早く家に帰ってるのかもね」
そんな事を言いながら、姉さんと公園の中を見て回る。
「……あれ? ねえ、あそこ。誰かいるんじゃない?」
そう言って姉さんは公園の隅を指差した。
そこにはひさしの付いたベンチが置かれている。さっき見た時は遠くで、しかもひさしの影に隠れていたから見えなか
ったのだけど、近づくにつれ、そこに誰かが座っているのがわかった。
もしかしてこの人、僕と姉さんが話してるの見てたんじゃないだろうか。姉さんとのやり取りを傍から見てたとしたら、
僕はただの変な人だ。うう……。
その人物は、そんな風に悩んでる僕なんか知らないって感じで、唐突に声をかけてきた。
「お前、一人で何やってんだ?」
言われてよく見てみると、見覚えのある顔だった。僕のクラスメイトのその人は、今日マナミさん達とウワサ話してい
た男子だった。
「イシザカ君?」
「なんだ、ナオキかよ……」
姉さんが誰、と僕に聞いてくる。そう、彼はイシザカシュウジ君。1ヶ月ほど前に僕のクラスに転校してきたばかりの転
校生だ。結構背が高くて運動も出来るので、比較的目立つ男子のグループにいるのをよく見る。
けど、その中で彼はあまり慣れ合おうとしない人だった。や、そういう僕もほとんど喋った事は無いから詳しくは知らないんだけど……。
そんなイシザカ君が、何だか邪魔そうな目で僕を見ていた。
「おまえ、なんでこんな所にいるんだよ」
「いや、別に……。イシザカ君こそ、何でこんな所にいるの?」
「俺もたいした用事はねえよ」
そう言ったきり、イシザカ君は黙ってしまう。何だかみょーに気まずい。沈黙が長く続いて、僕はその重圧に耐えきれ
ず、何か話題を探した。
「……あ、そう言えばさ、この辺りに幽霊が出るってウワサ知ってた?」
姉さんの時と同じ話題だったりする。そんな僕を、イシザカ君は呆れたように見ていた。
「はあ? おまえそんなもん信じてんの? マナミが言ってたやつだろ、それ」
なんか散々な言われ様だった。
「……いや、信じてるって言うかさ、別に」
「じゃあ、なんでこんな所に来たんだよ」
僕はちら、と姉さんの方を見る。姉さんは興味深そうに僕とイシザカ君のやりとりを見てるようだった。
「なによそ見してんだよ。ホラ、そんなくだんねー事いいからさっさと帰れよ。早く帰んねーと母ちゃん心配するぞ」
何だかその言い方は小さい子供に向けられているそれのようで、僕は少しむっとする。自分だって同じ癖に。
「なんだよそれ、馬鹿にするなよ。それに今帰ったってきっと母さんはいないよ」
「ふーん、共働きか」
「いや、うちは母さんしかいないから……」
僕がそう言うと、イシザカ君はまた黙る。うう、なんかやりづらい……。と、出しぬけにイシザカ君が口を開いた。
「うちは親父しかいない」
「あ、そうなんだ……。あの、イシザカ君はさ」
「シュウジでいいよ。名字で呼ばれるの、あんま好きじゃないんだわ。で、何?」
「いやその、何でここにいるのかなあって……」
「またそれかよ。お前こそなんでいるんだよ」
また最初に戻ってしまった。少し話題を変えないといけないのかもしれない。
「いや、っていうかさ、前に姉さんのウワサを聞いたんだ」
「はあ? 何だソレ」
「死んだ姉さんが幽霊になってるってウワサを聞いて……。そこに行ってみたんだ。ここの近くなんだけど」
「で、どうだったんだ? いたのか?」
「いや……」
さて、どう言えばいいだろうか。今僕の隣にいるよ、って言うのはあまりに変だろうし……。でも僕がなんて言おうか
迷っている間に、シュウジ君は「そうか……」とか言って勝手に納得してしまった。
「それでこの公園のウワサにも興味があったって言うか。ちょっと見に来てみたんだ」
シュウジ君の僕を見る目が、何だかさっきまでと違う。どうしたんだろう。そんなに変な事言ったんだろうか?
「……お前さ、マナミから聞いたんだろ? この公園に女の子の幽霊が出るって事」
僕はうん、と肯く。シュウジ君は「あいつおしゃべりだからなあ」と言って話を続ける。
「あの話、ホントはちょっと違う所があるんだ。知ってるか?」
「違う所って?」
「この公園で親子3人が花火してたって話だろ。でも本当はそうじゃない。親子はもう1組いたんだ」
「……どう言う事?」
「女の子には仲の良い友達がいて、その子と一緒に花火をしてたんだ。親子は、二組いたんだよ」
それは、はじめて聞く。マナミさんはシュウジ君から話を聞いたといっていた。じゃあ、シュウジ君はマナミさんより
詳しい話を知ってると言う事だろうか。
「それで、話はどう変わるの?」
僕の質問にシュウジ君は首を振る。
「いや、何も変わらない。女の子の浴衣に花火が燃え移ってしまう。でも、その女の子の浴衣に火を付けたのは、
一緒にいた友達の方だったんだよ」
……結果は変わらないのかもしれない。でも、それが誰かの手によって成された事だとすると、事情は随分と
変わってくると思う。
「ど、どうして友達は女の子の浴衣に火を付けたの?」
「……悪気は無かったんだ。ただ、二人とも花火をするのがうれしくて仕方が無かったんだ。ほら、子供だから普段
火遊びなんかさせてもらえないだろ? 夜、花火をすると光が残像になって残るから、それが楽しくて、どこまで残る
か試しているうちに二人で競い合って走りあって……」
シュウジ君はそこで一息付く。
「そして友達がちょっとした悪戯で急に立ち止まった時、女の子が背中にどんっとぶつかって、友達は花火を落として
しまって、それが女の子の浴衣のたもとに入ってしまって……」
言っているシュウジ君の声はどんどん小さくなってゆく。いつのまにかがっくりと肩を落としていた。そして消えるよ
うな声で、
「花火、思ったより簡単に燃え移ったよ」
そう言った。
……今、何て言った? 思ったより簡単に燃え移ったよ? まるで、自分がその目で見たような言い方じゃないか。
いぶかしんでる僕に、シュウジ君が笑って答えた。
「そうだよ。火を付けたのは、俺なんだ」
その言葉に、僕は息を飲む。シュウジ君は黙っている僕に向けて、続けた。
「その後どうしたか、詳しくは憶えてない。ただ、相手の親がパニックになって、うまく火を消そうとしてもなかなか
消せなくて、そうこうしてるうちに救急車が来て、女の子を連れてったんだけど、間に合わなくて死んだって聞い
て……。それからなんだ。この公園で、花火をしている女の子の幽霊が現れるってウワサが流れ始めたのは」
僕とシュウジ君の間にまた沈黙が流れる。でもそれは、さっきまでのものとはちょっと違っていた。どうして、僕に
こんな事を話すんだろう? こういう事話すのって、きっとつらいんじゃないだろうか。なのに、会って一ヶ月もしない
様な僕に話してくれたのはなんでだろう? これまで、あんまり話もしてなかったのに。
「あ、あのさ。どうして僕にその話をしてくれたの?」
僕の質問に、シュウジ君は相変わらず力の無い笑みで、答える。
「……俺もさ、お前と一緒なんだよ。マナミから聞いたよ。この近くで、お前の姉さんが幽霊になって現れるって。
俺もさ、会おうとして何度もこの公園に来てるんだ。でも、まだ会えないんだ」
シュウジ君は、会えなかった。僕の横には姉さんがいる。シュウジ君には見えないけど、僕には見える。どうして
だろう。シュウジ君は話を続ける。
「子供の頃も、何度か確認しに行こうと思ったんだよ。でも、結局行けなかったんだ。……怖くて。それからしばらく
して、おやじの仕事の都合でこの街から離れる事になった。助かったって、思ってたんだと思うよ。この場所から
離れられるって」
でも、転校してこの街に戻ってきてしまったんだ。
「……でもさ、やっぱり戻ってきちゃったんだよ、この街に。来たのはおやじの仕事の都合だけどさ、でも、チャンスだと
も思ったよ。いつまでもこんな風に思っていたくない。あの子に会いに行こうと思ったんだよ」
「シュウジ君は、その子に会ってどうするつもりだったの?」
「……わからない。けど、もし俺のせいでまだあの子がここに残ってるんなら、行かないといけないと思ったんだ」
そこで、シュウジ君はまたさっきの力無い笑みを見せた。
「でも、いなかったんだ。
皆に幽霊の話をしたんだけどさ、誰も知らなかった。覚えてなかった」
それを確かめるために、マナミさん達にも話していたんだろう。今、僕にそうしているように。
「昔の記憶を頼りに、その女の子が住んでた家にも行ってみた。でも、もう空家になって誰も住んでなかったよ」
「もしかしてシュウジ君、いつもここに来てるの?」
「引っ越して来た一月前から、ずっとここに来てる。でも、会えない」
……だからさ、もう、今日で終わりにしようと思ってたんだ」
修二君はそこで僕を見る。
「お前が来てくれたのも、何かのきっかけなのかもしれないしな」
「え……。い、いや、僕何にもしてないよ? それに何かって?」
「何かは何かさ。何でもいいんだ。俺が今日を最後の日だって決めた。その日に俺と同じようなヤツが来た。
そいつも見えないらしい。……だからそれがシメなんだ。もう、あの子はいない。その幽霊も。だから、もうオシマイ」
「オシマイって、なんか僕、そんな日に来て良かったのかどうか……」
「何言ってんだよ。来てくれて助かったんだぜ」
「そうなの?」
「そうだよ。結局、幽霊はいないってふんぎりを付ける事が出来たんだ。少なくとも俺には見えない」
「……」
「もしかして、さ。お前には見えたりするのか? この公園の幽霊」
「ううん。見えないよ」
「そっか。そうだよな。お前が来てくれてよかったよ」
僕は、相変わらず、なんと言って良いのかわからない。
「お前は」
「ナオキでいいよ」
「……ナオキは、姉さんに会えるといいな」
僕は姉さんのほうを見ながら、なんて言っていいか迷う。
シュウジ君はそんな僕を横目に「んじゃ、帰るわ」とだけつぶやき何かを納得していた。
ポケットに手を突っ込んで、振り返らずに帰る。
シュウジ君は僕が来てくれて良かったと言っていた。でも、僕は何もしていない。本当に良かったんだろうか?
姉さんの方を振り向く。姉さんは、困った様な表情をしていた。
「ねえナオキ。あのシュウジ君って子は納得したみたいだけどさ。ここにいたかもしれない花火の幽霊って、結局
どうなっちゃったのかな?」
「……はじめから、いなかったのかもしれないよ」
「だけどウワサになってたんでしょ? じゃあ昔はいたんじゃない?」
「そんなの、僕にはわからないよ」
そう言った僕を見て、姉さんはまた悲しそうな顔になる。ああ、しまった! これじゃさっきと一緒じゃないか。
「ねえ、花火になった女の子の幽霊は、どうしていなくなっちゃったの? 皆に忘れられたから、消えちゃったの?」
「だ、大丈夫! 姉さんは消えないよ!」
「……何で?」
姉さんはいぶかしんで僕を見ている。な、何でったってわかる訳無いじゃないか。ああもう。
「な、何でったって……。だ、だってさ、姉さんは僕の目の前にいるじゃないか! 忘れ様が無いよ!」
そう言われた姉さんは、驚いたように僕を見ていた。ぽかんと口を開けて。そして、何か納得したようにうんうんと
肯いていた。
「……うん、そっか。そうだよね。……ありがと」
そう言ってから、そこでようやく姉さんは笑って、ゴメンね、と言ったのだった。
……正直何て言ったかよく憶えてないけど、とりあえず良かったみたいだ。
「でもさ、私やっぱり知りたいよ。他の幽霊の事も。これじゃすっきりしないもん。他に幽霊のウワサとかないの?」
「……え、いや、どうだろう。明日学校に行けば、またあるのかも」
それこそ、マナミさんに聞けばいくらでも出てきそうだ。
「じゃあ、もし何かあったら、教えてよ。また二人で、こうやって探してみようよ」
姉さんは笑ってそう言った。
……こうして僕は、姉さんのために学校で怖いウワサを集める事になったのだった。
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最終更新:2007年12月27日 14:36