※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

PARTⅣ
二〇〇一年 四月十六日 PM3:00[-Tokyo- The Metropolitan Police Department]

 京介が自殺事件の総ざらいをするために最初に足を運んだのは、田島翔子の死体が安置されてある警察病院だった。

 二十五階から転落した死体など見たくもなかったが、少しでも手掛かりを得るためには仕方がない。

 京介は気合いを入れて病院内に入ると、
待合室でこれから出会う死体の情報を確認しようとした。

 あちこちポケットを探り、はたして一枚の潰れた紙切れを探し当てると、ガサガサと紙を開いて伸ばす。

 死体の名前は田島翔子。
年齢は二十八歳、女性。両親が海外へ旅行中、マンションの屋上から投身自殺。
両親による死体確認は終了。

 ただし遺書等は見つかっていない。

 初めは警察も他殺事件の可能性大と見ていたが、捜査の結果により自殺とみなされた。

 これは他殺事件にするほどの証拠がなかったというのが正直な話で、そうなった以上は資金面の都合から考えて、手を引かざるを得なかったのが現状だった。

 京介はそこが気に食わなかった。何か他の、重要なモノを見落としているように思えてならない。

 刑事の勘と言ってしまえば俊也に鼻で笑われそうだが、彼は自分の勘を信じていた。

「まあ、この先のことはいずれ判るだろう」

 京介はそう考えると、紙を無造作にポケットにねじ込む。

 そして暫く呆けていると、検死官が京介の所に歩いてくるのが見えた。その姿を見て、京介はもう一度気合いを入れ直す。

 これから見なくてはならない死体の惨状は、容易に想像できる。
死体と対面して、そのまま気絶という醜態はさらしたくない。

 だが京介のその覚悟は空振りに終わった。



「死体が無くなったとは、どういうことだ?」

 このとき京介は怒鳴るでもなく、不気味な優しささえ称えながら言ったので、
問われた検死官はその笑みに明らかに安堵した。

(この刑事は優しい人らしい)

 そう感じると、検死官は今まで会った刑事を思いだした。
彼は自分が悪いわけではないのに、少しでもミスを見つけると、誰彼かまわず当たり散らす刑事という輩が嫌いだった。

 しかし残念なことに彼の目の前にいる刑事は、これまで会った中で一番凶暴な刑事だった。

 安心しきった検死官は、京介に最高の愛想笑いを浮かべながら言い訳を吐き出そうとしたが、
その時彼にとって想像を絶する出来事が起こった。

 京介が微笑みながら検死官の襟首を鷲掴みにすると、強引に顔の近くまで引き寄せたのだ。

「説明しろや」

 京介の顔が瞬間的に悪魔の形相に変わる。
目には殺意の光が灯り、下手な言い訳などしたらその場で噛み殺されそうな勢いがあった。

「ぼ、ぼ、暴力は止めてください。ひ、人を呼びますよ」

 検死官は京介の手から必死に逃れようとしたが、彼の厳つい腕は執拗にも放さない。

 しかも京介は片手を放すと、今度はその手で検死官の髪をつかんだ。

「誰がそんなことを言えと言った? この小さい脳味噌でよく思い出して見ろ。
俺はなんと言った?」

 髪を掴まれ、その苦痛に顔を歪ませた検死官は、苦痛とそれに勝る屈辱で顔を真っ赤にした。
短い悲鳴を上げながら、京介の手を引き剥がそうとする。しかしそれも叶わぬと見ると、検死官は観念したように口を開いた。

「せ、説明を……」

 この言葉を聞いたとき、京介は口元をつり上げた、
周囲の人にはそれが悪鬼の笑いに見えただろう。

「良くできた、お前頭良いな。
ついでに出来るなら死体が安置されてあった場所も見たいんだが」

「わ、判りました。判りましたから放してください!」

「ん? おっと、ごめんな。時々この手は勝手に動くんだ」

 京介は検死官を放すと、軽く彼の肩をはたいた。

「じゃ、案内してもらおうか」

 そう言う京介の顔は、いつもの柔和で無害な表情に戻っていた。


 二時間後、京介は病院近くの電話ボックスへ移動していた。
 ガラス張りの小綺麗な箱の中に入ると、くたびれた鞄の中からハンディコンピュータの端末を取り出して電話につなげる。
 そして右手に持ったペン型の入力装置で手早く何かを入力し、その情報を送ると、
彼の身なりからは場違いなほどの高価そうな端末は、彼の手足のようにスムーズに機能した。

 そしてコンピューターが全ての情報を吐き出し終えると、京介は警視庁に携帯電話を掛けた。

「私だ」

 電話の向こうから聞き慣れた声が聞こえると、京介は挨拶もせずに話題を切り出した。

「例の死体が消失したぞ、お前知っていたか?」

「いや、初耳だ」

「てっきりお前の悪戯かと思ったが」

 俊也は京介の質の悪い冗談を聞いて、不機嫌になったようだ。

「冗談はよせ、そんな暇あるわけがない。それで?」

 そう憮然と言う俊也に、京介は素知らぬ振りをして続ける。

「三日前、病院の死体置き場から死体が数体盗まれたそうだ。
お前が知らないとは、部下の教育がなってないな」

「ふん、おおかた懲罰が怖くて黙っていたんだろう。いつものことさ、
で、手掛かりが無くなったと泣きついてきたのか?」

「いや、頼みの綱は後一つある。アポイントは今取った」

「MAGI、か。余り関わり合いたくはないが」

 俊也の口調が苦々しさを帯びた。

「心配するな、餅は餅屋さ」

 京介は努めて明るく言ったが、それが本当に信頼に値するかは彼自身にも判らない。

 MAGI。
それは国際的な規模を持った情報収集組織の総称。

 情報会社と言えば聞こえは良いが、この組織で取り扱っている情報は、合法、非合法を問わない。

 どこの組織からも中立の立場をとり、酷いときには双方の敵である組織に、互いの弱点を教える事も厭わない情報会社。

 その組織を頼ると、京介は言ったのである。捜査の方法にある種の潔癖さを求める俊也にとって、情報屋というモノは手を触れ難い危険な集団だった。

 確かにこれまでMAGIは彼等に友好的であったが、これからもそうだとは限らないのだ。
仲間だと思い込んで、いざというときに手のひらを返されては困る。

 しかし俊也は自分の感情を押し殺した、止めろと言って止める京介ではないことは、長い付き合いの経験上判っていたし、京介もその種の危険に気付いていない訳はない。

 俊也は事を京介に一任し、話題を変えようと試みた。

「勝手にしろ。こちらにも動きがあった」

「関係ありそうなヤツか?」

 不謹慎にも声が高まる京介に、俊也は又、顔をしかめた。彼の目が輝きだす様が、容易に想像できる。

「板橋区の公園で殺人事件が発生した。喧嘩が高じてのことらしいが」

「そりゃあ。言っちゃ悪いがありきたりの事件だな、
それと俺の事件とどういう関係があるんだ?」

「被害者と加害者は、共に妊娠中の女性だ」

 俊也の抑揚のない口調が、京介に戦慄を与えた。彼の皮膚を泡立たせる何かを、彼はその口調から感じ取ったようだ。

「妊婦……」

 しかし俊也は京介の反応をよそに、極めて冷静に続ける。

「第一発見者は神坂唯。
発見後はその場で気絶、今は都内にある海桜総合病院に収容されたが未だ意識はない。
通報は第二発見者である篠原孝子から。

 彼女によると加害者は被害者を殺した後、狂ったように笑っていたそうだ」

「加害者が精神科にかかった経歴は?」

「知るか、まだ其処まで調査できているわけないだろう。つい先ほど入った情報だからな」

 京介は唇の片端を上げた。この事件は関係が深そうだ。被害者には悪いが、手掛かりの糸口が見えたような気がする。

 京介は現場の詳しい場所を俊也から聞くと、ボロボロに使い込まれたメモ帳に手早く書き込んだ。