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PARTⅡ
二〇〇一年 十一月十三日 PM3:44[-Thiba- Unknown Place]
 沙也加が車で案内した場所は、人気のない丘の上だった。病院を立ってから二時間ほど経過し、それまで一言も喋らなかった公史と京介は、やっと外の空気を吸えるといって車外に飛び出したものだ。
 東京を跨いで千葉まで足をのばしたその旅程は殆ど強行軍に近く、カーブのきつい山道を走行したこともあって二人は疲れ切っていた。
「やれやれ、あの車の後部座席なんて乗る物じゃないな」
 京介は縮こまって戻らない体を無理矢理伸ばして戻すように、大きな伸びをした。長時間ポルシェの狭い後部座席に体を収めていたのだから、無理もない。
 そんな京介を後目に、公史は周囲の風景に気をとられていた。
 紅葉も見事な丘の木々に隠れるように、その廃墟はそびえていた。そびえると言ってもそう大して大きな建物ではない。しかしその敷地の広さには唖然とさせるものがあった。 二階建ての鉄筋コンクリートで作られた建物の周りには、今や落ち葉で埋め尽くされたスロープや中庭が完備されていて、以前はさぞかし美麗な施設だったであろう面影が残っている。だが人工の美は廃れてまもなく、入り口の大きな門は朽ち果てていて、建物自体も蔓草などでヒビが走っていた。
「ここは?」
「ジノテックスコーポレーションの研究施設だった所よ」
 沙也加は車から降りると、懐かしげに廃墟を見上げた。建物のガラスは長い年月で汚れていて、内部をのぞき見ることも出来ない。
 沙也加の言葉を聞いて、京介が驚いたように声を上げた。
「じゃぁ、ここが事件の始まった場所なのか?」
「ええ、ここで密かに実験が行われたわ。精子を遺伝子改良して、次の世代の人類を創造する。彼らはそれを『プロジェクト ネクストエイジ』と呼んだ。
 そのころは未だ遺伝子解析が完了されていなくて、クローン技術も手の届く範囲にはなかった。医学の研究が大幅に遅れていた日本は、この実験で世界に先駆ける技術を生み出すはずだったわ。初めはまっとうな研究施設だったのよ」
「しかし所長の命令で不正な人体実験が行われていた。神坂憲一氏はそれをいち早く気づき、阻止に打って出たというわけか」
「そう」
 沙也加は相づちをうつと、ゆっくりと玄関口へと歩き始める。公史と京介もそれにつられたように歩を進めた。
 そして三人が広い玄関口に到達すると、沙也加はガラス製の自動ドアに手をかけて押し開ける。鍵はかかっていないようで、ガラスの扉は緩慢に動くと、初めて彼らは建物の内部を見ることが出来た。
 施設の中は十五年間の埃で灰色に染まっていたが、未だ椅子などの設備が置かれていた。彼らのいるところは玄関ロビーのようで、眼前には二階に続く階段が延びている。その外観は研究施設と言うよりホテルのそれに近く、この建物にどれほどの資金がかけられたかを如実に語っていた。
「こっちよ」
 沙也加は呆然とロビーを眺める二人の男に向かって手招きすると、まるで道を知っているかのように歩き出す。そして彼女は一階奥の一室に二人を呼び入れた。
 そこは窓も無く、一切の光が遮断されていた。唯一の光源は、いつの間にか沙也加が持っていた懐中電灯の光だけだ。沙也加は二人に室内の様子を見せるため光を左右に振ると、この部屋が二部屋に別れていて、向こう側が大きなガラスで隔てられていることが見て取れた。
 ガラスの向こうには見たこともない機械の群れが立ち並んでいた。木の根を思わせるような太い金属製のパイプが天井を縦横無尽に走っており、そのパイプは高さ百八十センチほどもある円柱の透明なシリンダーのような装置につながっている。
「ここが人体実験の行われた研究室よ。実験で女性の子宮から取り出した胎児を、ここで成長させていたの」
「子宮から取り出したって、実験は成功していたのか?」
 京介の問いかけに沙也加は何故か動揺の色を見せたが、すぐに立ち直っていつものポーカーフェイスにもどった。
「実験は……」
 しかし沙也加の声色は彼女の意志に反して抑揚を乱していた。目線が定まらなくなり、心の揺れががそのまま瞳に映し出される。
「実験は一度だけ成功したわ。遺伝子改良、いえ、遺伝子改造された子供は偶然にも産みだされて、これからの研究に革新的な一歩を踏み出させる起爆剤となったの。
 その子は女の子でね……」
 沙也加はそこで言葉を切ると、悲しげな瞳を公史に向けた。
「所長はその子に、オリジナルという意味を込めて、『唯』と名付けたの……」
「それって……」
公史は何も考えられず、ただ沙也加の瞳を見つめていたが、喉の奥に詰まる言葉をやっとの思いで吐き出した。
 まるで声帯に鉄串でも刺さったかのような痛みが、彼の喉元に広がった。沙也加が彼に何を言おうとしているのか、いかに鈍感な彼でも察することが出来る。
「それって、妹のことですか?」
「公史君……」
「嘘だ!」
 公史は堪らず声を張り上げてしまった。彼自身も吃驚したのだろう、彼の瞳は大きく開かれ、怯えたように後ずさる。
 驚いていたのは公史だけではなかった。京介も又、同じように目を見開いて沙也加を凝視している。
 沙也加は悲哀のこもった眼差しで公史を見つめていた。嘘だという彼の言葉を否定せずに、しかし彼女の目は、それが真実であることを静かに告げていた。
 公史はその瞳にも耐えられずに視線を逸らす。
「あいつは、あいつはそんな奴じゃない! 普通の人間だ!」
「そう、見た目は普通の人間よ。ただ彼女は人より敏感に周囲の空気を感じ取ることが出来る。人類が進化の過程で失った感覚、いわゆる第六感的な能力を持っているの。
 そして彼女の真価は、彼女の精神力が周囲に与える影響。まだ未発達だけど、これからその力は次第に大きくなり始めるわ」
「やめろ」
「彼らはその力に目を付けた。うまくいけば彼女を介して、民衆をコントロールできるかもしれない。いえ、そのメカニズムさえ解明されれば……」
「やめろって言ってんだよ! なんなんだよあんた! 唯を動物みたいにいいやがって!」
 公史は怒りの籠もった目で沙也加を睨んだ。全身が灼けるように熱くなる。彼の激昂は止まることを知らず、しかし沙也加を殴るわけにはいかないので、必然的に辺りの椅子やコンピューターに当たり散らした。
「落ち着け!」
 荒れる公史を京介が諭しても、彼の怒りは収まらない。公史は沙也加を罵ると、駆け出すように室内から飛び出した。
「お、おい!」
「追いかけてあげて」
 沙也加は懇願するように京介に言うと、そのまま両足を抱きかかえるように、しゃがみ込んでしまった。
 京介は一瞬何をどうしたらいいのか判らなくなって戸惑ったが、彼女の言葉を聞き入れて公史の後を追う。駆ける足音が遠ざかり、室内は静寂に包まれた。
 沙也加は動く気配さえ見せず、しかし時折嗚咽を漏らしたような声と共に背中を引きつらせていた。
「頑張ってよ公史君」
 沙也加は蚊の鳴くような声で呻いた。
「お願い、あの子を助けて……」
 彼女の痛々しいほどの懇願の言葉が、暗闇に吸い込まれた。