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PARTⅤ
「なんで僕が、こんな目に遭わなくちゃいけないんだ」
麻生尚紀は半ベソをかきながら、暗い森林の中を走っていた。公史達を始末して唯と平和な日々を送りたかっただけなのに、事態は思わぬ方向へすすんでしまっている。
 想像通り事が済めば今頃彼は愛しい妻とともに、至上の生活を満喫しているはずだった。(でも、僕は諦めないよ)
 尚紀は赤黒く腫れた左頬を涙で濡らしながら歪に笑った。どんなに辛くても天使が見守ってくれている。
 白い肌、美しい肢体、柔らかな肉。その全てが彼を癒すはずだ。
「唯、僕の唯」
 麻生はうわ言のように呟きはじめ、妄想にかられた瞳が妖しい光を帯びた。
「僕を癒しておくれ。こんなに君のために頑張っている僕を、不幸で可哀想な僕を慰めておくれ」
 そして彼はやっとの思いで家にたどり着くと、震える手つきで玄関のドアを開けた。いつの間にか目は血走り、呼吸も荒くなっている。
 彼は辛抱堪らない様子で薄汚れたズボンのベルトに手をかけると、急かされたように外して抜きはなった。尚紀の笑みがさらに歪み、喉奥から歓喜の声が漏れ出した。
「今、行くからね……」

 公史と沙也加、そして京介の三人は、木々の間を縫うように森林の奥へと進んでいた。月明かりだけでは心許ないが、懐中電灯などを付けてどこかに潜んでいる敵に察知されるよりはましだ。
 エージェント達が向かった方向からは、どうやら敵との前哨戦が始まったらしく、断続的な銃声が闇夜に響いていた。
 そして彼らもまた、ただならぬ殺気の渦中にいた。その手の経験に疎い公史でさえ、首筋辺りの毛が逆立つ。
「俺たち、狙われていますよね」
 公史は緊張に耐えかねて、沙也加に囁くように言った。彼女はその言葉に片唇を上げて笑うと、無言で肯定をする。
「まぁ、ただでは辿り着けないと思っていたけどな」
 やれやれと言うように京介は肩をすくめ、手にした拳銃を胸元に引き寄せた。どうやらそれは彼の、戦いを始める前の一種の儀式らしい。
「おい沙也加、公史と一緒にS7地区に直行しろ。はやく麻生を捕らえないと、また逃げられるぞ」
「……貴方はどうするの?」
「さぁ? そこらで遊んでるさ」
 その時の京介の表情は、公史が今まで見慣れている人なつこい笑みとは裏腹に、眼光の鋭さが増しているように思えた。沙也加は彼らしい言いぐさに微笑すると、ウエストポーチから手榴弾を取り出して京介に手渡した。
「あんまり遊びすぎちゃだめよ?」
「殺生なこと言うなよ。夜遊びは俺の本領なんだぜ?」
 そう言って京介は沙也加にウィンクすると、弾かれたように走り出した。それを合図に沙也加も公史の手を引いて、同方向へと走りだす。
 その一拍をおいて、周囲の暗闇から閃光が走り、銃弾が土を剔った。
「緊急時の対応が遅い!」
 不敵な笑いを見せた京介は、光が瞬いた付近に向かって木の間を走り抜けた。決して直線的に走らず、木の幹を盾にしながらも走る速度を緩めない姿は、まるで獲物を捕らえる虎を思わせる。
「見つけたぜ」
 京介は夜間迷彩服に身を包み、頭にも黒いマスクをかぶった敵の姿を捉えた。そして何の躊躇いもなく、敵に容赦のない銃弾を浴びせる。
 彼は弾が人体に着弾するのを確認すると、すぐに振り返って後ろに続く沙也加と公史に鋭い声をかけた。
「クリア!」
 沙也加はその声に素早く反応し、公史と共に今まで敵の居た木陰に向かって走り出した。そして京介のサポートのもと、策敵をしながら進行方向を遮る敵を屠り、適当な木陰に移動した。
 そして今度は沙也加がサポートに廻り、京介の移動を助ける。
「すごい……」
 二人の息のあった連携に、公史は驚嘆した。いつも口喧嘩をしている彼らに、このような芸当が出来るとは思わなかったのだ。
「そうでもなきゃ、たった三人で別行動なんて採らないわよ」
 公史の素直な表現に沙也加は眉目を上げると、四人目の敵に銃を放った。沙也加の撃った銃弾は的確に相手の胸を貫いた。
「あの、殺したんですよね?」
「何を今更?」
「だって……」
公史はこの状況に少し戸惑っていた。自分自身では覚悟していたつもりだったが、現に戦闘を体験するとどうしても怯えが先に立つ。
「知らないわよ。そんなこと気にする余裕なんて無いわ」
 沙也加は公史の心境を悟っていたが、あえて突き放すような態度をとった。覚悟を決めたなら甘えは許されない。『こんなハズじゃなかった』と泣き寝入りすることは出来ないのだ。
「いい? 余計なことは考えないで。唯を助けることだけを考えなさい。
 貴方が決断したことは、決して間違ってはいないわ。だから自信を持って」
「すみません……」
 公史は沙也加の叱責に頭を下げて詫びた。
「なんか怖くなって……」
「まぁ、仕方ないけど……。
 ただ、これだけは憶えていて。貴方はこれから、色々な決断を強いられることになるでしょう。でも、一度決断したことに後悔をしないで。前を見続けて……」
「おいっ! そんなところでサボってんじゃねぇよ!」
 車やかの言葉尻に、京介の怒鳴り声が被さった。沙也加のサポートが切れたおかげで、銃弾が飛び交う中、単身でくぐり抜けなければならなかったのだ。しかし殆どの敵を無力化している所が、この男が尋常ではない腕の持ち主だと言うことを物語っている。
 しかし沙也加は、肩で息をする京介に一瞥をくれただけの反応しか見せなかった。
「まだ生きてたのね」
「お前のお陰でまた死にそうになったぞ!」
「あらそう? 刺激的な人生が送れて羨ましいわね」
「お前、本当にイヤなやつだな」
「それは今に始まった事じゃない……でしょ?」
 沙也加はそう微笑むと、京介は「確かにそうだな」と、吹き出した。
「で? 目的地はまだか? なんか後から団体さんがやって来そううな気配だぜ」
「もう、すぐそこよ。
 ここを真っ直ぐ行けば、麻生が隠れ住んでいる家があるわ」
「よし、じゃあ先に行け。俺はここで団体さんの相手をするから」
「平刑事一人じゃ無理よ」
 沙也加はマガジンを装着して弾倉に装てんすると、公史に微笑みかけた。
「ここからは、貴方一人で行きなさい。そして、絶対に振り返らないで。
 貴方の決断したものがどんな結末を迎えるか、自分の目で確かめてきなさい」
「沙也加さん……」
 公史は一瞬迷ったが、彼女の目を見て何かを決心したのか、ゆっくりと頷いた。
「ちっ! しょうがねぇなぁ……」
 京介はため息をついたが、沙也加の提案を肯定すると、ガリガリと頭を掻いた。
「よし、じゃぁ俺たちが食い止めてるから、とっとと行って来な!」
「ありがとうございます」 
 京介の激励に、公史は再び頷いた。今まで困惑と恐怖で曇っていた彼の瞳が、次第に澄んでいく。
 そして公史はもう一度二人に会釈をすると、そのまま森林の奥へと駆けだした。
 京介と沙也加は、彼から若者らしい力強さを感じると、その後ろ姿を満足げに見送った。
「じゃぁ、こっちも始めるか」
 京介の言葉に、沙也加は妖艶に微笑した。
「……そうね、楽しい夜になりそうだわ」
 そして彼らはお互いの銃を合わせると、迫り来る敵を迎えるために、来た道を戻っていった。