「同士」(2009/10/04 (日) 00:06:47) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
**同士 ◆IWqsmdSyz2氏
もうどれくらい走っていただろうか。
後方からの物音に、沙織は振り返る。
(っ・・・!誰か来た・・・・・?)
立ち止まると、耐え難い疲労がこみ上げる。
今にも体を支えることを放棄してしまいそうな両脚。
走っていたときは感じなかったその苦痛に沙織は顔を歪めながら、
暗闇の向こうに神経を向けた。
(こっちに来る・・・・・?)
未だ確信に至らないレベルの小さな音。
木々のざわめきを聞き違えたのだろうか、
しかし、沙織には草を踏む足音に思える。
姿は見えずとも、何かの気配が・・・沙織に近づいていた。
(どうしようっ・・・・・!)
人を殺す。その決意はあった。
生きるための手段、生還へのステップ。
仕方の無いことだ。既に一人殺したのだから躊躇う必要はない。
(でも・・・・相手がどんな人物かわかりもしないで手を出したりはしない。
いくら武器があるとはいえ、女の私でも確実に仕留められる相手じゃなきゃ・・・・・・)
そこまで考えてから、沙織は近くの大木の陰に身を隠した。
一刻も早く金が欲しい。そして今、最初のチャンスが訪れようとしている。
だが、返り討ちにあうような真似だけは避けなくてはならない。
(勝ち目のない相手ならここで隠れてやり過ごす・・・
複数人だったら・・・・非力な女であることをアピールして取り入り、油断を衝いて殺す・・・・!)
本来ならば、一度に複数人と接触するのは得策ではないだろう。
しかし、沙織にとって大事なのは「棄権すること」だ。
つまり、1700万円分のチップを手に入れること。
一人に支給されるのは1000万円分のチップであるため、
これから沙織は二人以上の人間から金を集めなければならない。
となれば当然、二人以上をまとめて殺すことが出来る状況は最も好ましい。
あるいは、既に1000万円以上のチップを所持している人物を狙うこと。
それが近道である。
(この銃があれば・・・まず有利だわ・・・。
そして・・・・)
沙織はデイパックの一つから、ボウガンの矢を取り出す。
鋭利な矢先が月の光を鈍く反射した。
至近距離からこれで突けば、致命傷を負わせることくらいは出来るだろう。
指に、脳裏に、苦みが走る。
有賀の眼球にペンを突き立てたあの感触。
医療に携わってきた者として、並みの女に比べればああいった事態に耐性がある。
とはいえ、嫌悪感は拭いきれない。
人を殺したのだから。
沙織は矢を一本 懐に隠し、息を潜めて“物音”の正体が現れるのを待った。
(来るわ・・・!)
沙織の判断は正しかった。
数十秒としないうちに、人影が輪郭を現す。
周囲を警戒した様子で草を踏みしめるのは――学生服の少年。
工藤涯だ。
(中学生くらい・・・かしら)
涯は沙織に気付くことなく歩みを進めている。
支給品の入った荷物を二つ背負い、
そのうち一つのデイパックからは鉄バットが伸びていた。
(デイパックを二つ持っているということは 二人分のチップを持っている可能性もあるわ・・・!)
遠目にでもわかるほど体中に傷をつけて、
とりわけ腹部、裂けたシャツの隙間からは痛々しい痕が見え隠れしている。
時折背後を確認しながら進む姿に、沙織は違和感を覚えた。
(子供・・・・それも手負い相手なら勝てるっ・・・・・!
でも、様子がおかしい・・・敵が追ってくるのを気にしているようにも見えるけれど・・・・・
違う・・・もっと何か・・・・むしろ誰かが来ることを期待しているような・・・・)
仲間と逸れてしまったのだろうか。
それも違う。
彼がとっているのは明らかに「逃げ」であり、合流を目的にした動きには思えない。
ならば、少年のこの表情は何なのだろう。
後悔すら連想させるような悲痛さは――
沙織は頭を左右に振り、己の思考を抑え付けた。
ウージーを握る両手に力がこもる。
(関係ないわっ・・・!どんな事情があっても・・・!!殺せる相手なら仕掛けなきゃっ・・・・!)
背後から撃てば、まず確実に殺せるだろう。
トリガーを一度引くだけでいい。
赤子の手をひねるようなもの。
(出来るでしょっ・・・簡単なことよ・・・!指一本・・・・・その動作だけっ・・・・!)
4kgの重みが、沙織の腕に圧し掛かった。
この銃が、人の命を奪う。
否――人の命を奪うのは、沙織の腕・・・!
彼女の“人間”としての意識が、
非人道的な行為の実行を妨げようと働く。
本当に殺してしまうの?
彼を撃ち殺し、その死体を漁って・・・一銭も手に入らなかったらどうするの?
人を殺したという結果だけしか残らないじゃない。
そうなったとしても本当に後悔しないの?
沙織の目的は、あくまでも棄権の為の資金集めであり、
殺人自体はその手段に過ぎない。
言うなれば、沙織は不本意のマーダー。
人を殺さずに金が手に入るのならそれに越したことはなく、
また、金に結びつかない殺人は彼女にとって無意味なはず。
しかし、現状、天与の機。
沙織自身も死と隣り合わせのこの島で、
これほど有利に事を運べる機会が そう何度も訪れようものか。
無意味かどうかは・・・殺してから考えればよい。
顔に特徴的な痣を持つ、目つきの鋭い少年。
さして小柄、というわけではなかったが、
この島で一人孤独を抱く姿は 小さく、弱弱しい。
腹部の傷、あのままでは化膿してしまうだろう、と沙織は思った。
涯は沙織に気付かず、彼女の隠れる大木の前を通り過ぎていく。
見る限り、彼は遠距離攻撃可能な武器を持っているようでもなく、
素手に比べればリーチを稼ぐことの出来る鉄バットさえ荷物として背負うに留めていた。
(殺し合いに乗る気はないってことかしら・・・)
無論、沙織の推測は間違っている。
沙織と同様、涯は殺しあうことを望んでいるわけではない。
だが、また、沙織と同様に自衛の末 人を殺めるのは仕方のないことだとも感じていた。
相手が“敵”であれば容赦なく討つ。
ただ、涯は他の人間に比べて武器を必要としないだけ。
己の拳のみで、十分に渡り合える実力を持っているのだ。
武器に頼ろうという精神自体が弱み。
オレはオレに依って生きていく。
その考えから、バットはデイパックに納められている。
そうした気構えも、沙織にとっては知る由もないだろう。
彼女からすれば 恰好のターゲットとして現れた少年としか映らない。
(こんなチャンス・・・・もう二度とないかもしれないわ・・・・)
あの男――有賀研二と対峙した時とは異なる状況だ。
有賀は沙織の生命を脅かす存在だった。明白だった。
よって、やむを得ない行動だった。殺さなければ殺されていた。
しかし、これからの行為にその文句は通用しない。
無抵抗の相手を、殺す。
明確な“殺意”を掲げて、他人の未来を奪う。
(あの男の子を・・・・・殺す・・・・・)
震えが止まらない。
仕方ないのよ、仕方ないのよ。
あと1700万円、それで絶対の安全を得ることができるのだから。
私は人殺し。
どんな理由があったとしても、既に一人を殺めた。
今更怖がって何になるというの。
私が悔いるとしたら、それはきっとこのチャンスを逃したときよ。
現実を見るのよ、沙織。生き抜く術を知るのよ、沙織。
本当にそれでいいの?、ともう一人の自分が問うてくる。
今なら引き返せる。人間として生きていける。
神威の夜のように、乗り越えることが出来るかもしれないじゃない。
己が為に人の命を奪おうなんて
そんなのアイツと変わらないわ――
(うるさいっ・・・!違う!!・・・・違う!私はアイツとは違うのよっ!!)
沙織の眼から涙が零れ落ちた。
カイジと決別し、単独行動を選んだ今。沙織の判断を咎める者はいない。
そして、同時に、彼女は罪を分け合う相手も手放したことになる。
出来る?私に?
俯く沙織の耳元で声が聞こえた。
『君は殺せない』
あのときからずっと、有賀への怒り、憎しみ、嫌悪感と
僅かに残る殺人への躊躇いが葛藤している。
「やる・・・・私は出来るわっ・・・」
沙織は鬼気せまる表情で
音も無く立ち上がり、深呼吸をした。
(アイツなんかとは違う・・・・!私は正常だっ・・・・!アイツは関係ないっ・・・・・・!!)
そして
涯の背に銃口を向け――撃鉄を引く。
* * *
赤松、そして零から逃げながら、工藤涯は考えていた。
これで正しかったのだろうか。
わからない。
この先、わかる時がくることを祈るしかない。
だが、孤立の先に、何かがある。
もう・・・戻れない。戻る必要もない。
理解されたかった。
友情に飢えていた。仲間が欲しかった。
認めざるを得ない本心だ。
そして、それがオレの弱さっ・・・!
人間の弱さは他人にある・・・・・・・!
関わりあおうというその心に・・・弱さは生まれるのだ。
孤立せよっ・・・!
(随分歩いたが・・・)
方向を見失わないように、
常に左側にアトラクションゾーンが見える道を進んできた。
今はどの辺りにいるのだろう。
脳裏にマップを思い浮かべながら、涯は考える。
零は・・・赤松は・・・今頃どうしているのだろうか。
オレがこうして逃げたことに対して・・・何を思っているのだろうか。
(そんなことは・・・もういいんだっ・・・孤立っ・・・!)
涯は、否が応でも考えてしまう 少しの時を共にした人間たちのことを
必死に忘れようと努めた。
ふと、気配を感じて立ち止まる。
今、後方で何かが動いたような気がした。
(敵か・・・?それとも・・・あいつらが追いかけてきたのか・・・?)
確認のため、涯が振り向こうとした そのとき。
乾いた音が林に響き渡った。
本能的に、理解する。
これは、銃声。
刹那、何かが涯の真横、空を切る。
「っ・・・!」
状況を把握できぬまま、涯は草むらに飛び伏せた。
デイパックに穴があく。中身が散乱する。銃弾が当たったのだろう。
その反動で、デイパックは涯の肩を離れ、地面に落ちる。
(襲撃っ・・・?)
敵の姿を確認するべく、僅かに顔を上げる涯。
(どこだっ・・・どこから撃ってきている・・・?)
右手にはアトラクションゾーン。
左手には林。
転がったデイパックを少し見つめてから、涯は林の方角を注視する。
疎らに木々が並ぶその向こう、一際立派な大木の影が、動いていた。
敵は咄嗟に身を伏せた涯を見失ったのだろうか、銃声は止み、再び静かな闇が辺りを包む。
逃げるか?戦うか?
相手が銃器を持っている以上、勝ち目は薄い。
涯の攻撃可能範囲はバットの届く距離まで。
そのバットが入ったデイパックも、先の攻撃を受けた際に、放ってしまった。
手を伸ばしても僅かに届かない場所に、デイパックはある。
今、涯はまさに身一つの状態だ。
動けば また銃撃が再開されるかもしれないと思うと、呼吸さえ慎重になる。
(こうして距離をあけられていては、攻撃を仕掛けることも出来ないっ・・・・!
だからといって・・・・・自ら近づくなどは持っての外・・・・どうする・・・・)
膠着状態が続く。
狙われている側の涯はともかくとして、何故相手方は動かないのだろう。
何か理由があるのか?
涯は不思議に思いながらも、息を潜めて敵の行動を待った。
おそらくは――あの大木の影から撃ってきた。
しかし、未だ姿さえ確認できていないのだから
逃げるにしても、戦うにしても・・・あるいは交渉を試みるにしても、下手に動くことは危険だと判断したのだ。
数分とも、数時間とも思える静寂の後、
大木に隠れていた敵がついに動きだす。
銃口をこちらへ向けたまま、一歩、また一歩と近づく その姿。
ヘルメットで頭は隠されているが、服装、体格から、おそらくは――
(女かっ・・・・・)
敵――沙織はどうやら涯が被弾したとでも思ったのだろう。
さほど警戒する様子も無く、しかし恐る恐るに距離を縮めてくる。
幸い、涯は肘を擦りむいた以外にダメージはない。
無論、ここに来るまでの戦いで様々な傷を負って来たが、
今、この瞬間はその痛みを感じることさえ無かった。
女相手なら勝てるのではないか、という気持ちと
女相手に戦えるのか、という気持ちが涯に芽生える。
* * *
(殺った・・・)
田中沙織は胸を撫で下ろす。
ウージーのトリガーを引いた瞬間、僅かな後悔と同時に押し寄せたのは達成感だった。
ほら、出来る。出来るじゃない、私にだって。
殺せる。私は、弱くなんかないんだ。
荒い呼吸を整えるのに時間を要したが、
沙織が思っていた以上に、行為は簡単に遂げられた。
少年が元居た場所にはデイパックが転がるのみ。
草むらへ倒れるように消えたターゲットは、果たしてまだ生きているのだろうか。
(あれだけ撃ったんだから・・・当たってるわよね・・・?)
涯が倒れこんだ草むらを見つめるが、
ヘルメットを通した視界では、その姿を確認することは出来なかった。
足の長い雑草が、彼の姿を隠している。
生きているのか・・・死んでいるのか。
それを確認して、止めを刺さなければ。
そして、あのデイパックを回収すること。
しばらくの時間を経て 動きがないことを見極めた後、
沙織は直ぐに攻撃に転じることが出来るように引き金に指を掛け、
涯がいるはずの場所へと移動をはじめた。
(大丈夫・・・私は出来るもの・・・・私は生き残れる・・・・)
徐々に、涯の姿が現れる。
草むらの影に、土と血で薄汚れたシャツが垣間見えた。
ぴくりとも動かないそれに、沙織は少しだけ動揺する。
「ほんとに・・・・し・・・死んじゃったの・・・かしら・・・・」
尚も銃口を下げることなく、慎重さを心がけながら、
沙織は距離を詰めていく。
一方の涯は、機を窺っていた。
相手は人間・・・となれば当然、隙が生まれるはずだ。
今更傷を負いたくないなどとは思わない。
ただ・・・生還。大切なのはその一点のみ。
一歩・・・二歩・・・三歩・・・・沙織が近づくたびに涯はカウントを重ねた。
相手の油断を衝いて銃を奪う。数発体に食らっても怯まずに決行。
一か八かの作戦だが、銃の扱いに慣れていないはずの女相手ならば――
そして・・・
(今だっ・・・!)
突如飛び起きた涯に、沙織は驚き、声を上げる。
「ひっ・・・!」
反射的に沙織は指を動かした。
発射装置が作動し、ウージーの吐いた弾丸が、涯を目掛けて飛ぶ・・・はずだった。
かちり、かちり。
引き金の音だけが、周囲に響く。
「なんでっ・・・!なんでよぉっ・・・!!」
弾切れだ。
弾薬の確保などもちろん考えておらず
リロードの方法さえ知らない沙織は、幾度もトリガーを引きながら喚き続ける。
「壊れたのっ・・・?!なんで動かないのよっ・・・・!」
混乱状態の沙織に弾切れという概念はなく、彼女は一時的な混乱状態に陥った。
(銃器が使えないのか・・・?)
何が起きているのか、それは涯にもわからない。
ただ、 沙織は撃つことが出来ない状況なのだ。
攻撃を仕掛けるなら今しかない――
しかし次の瞬間、
“銃器”として使いものにならなくなったウージーは“鈍器”として涯を襲う。
「ぐっ・・・」
予想外に腹部目掛けて飛び込んできたそれを、涯は腕で受け止めた。
衝撃で尻餅をつくが、幸い大したダメージはない。
しかし、ウージーの重量は4kg近いもので、
沙織が次に本気で殴りかかってくれば、打ち身では済まないだろう。
「殺すっ・・・!殺すぅっ!」
一拍と置かずに再び かざされるウージー。
沙織の狂気に満ちた瞳が、涯の頭部を捉える。
「くそっ・・・!」
涯の脳裏に、死がイメージされる。
終わる。終わってしまう。
この一撃が当たれば
例え腕で防いでも・・・腕の骨が折れるはずだ。
涯にとって最大の武器である“拳”が使い物にならなくなれば、
ここを切り抜けたとしても未来は暗いものとなる。
「させるかっ・・・・・・!」
女相手に暴力を振るうことには抵抗があった。
とはいえ、この局面で戸惑っている時間はない。
涯は地面に指を立て砂を手掴み、
沙織に向けて放つ。
「きゃっ」
咄嗟に眼をつぶり、腕で顔を覆う沙織。
その隙に素早く飛び退き、沙織から数歩の距離を置く。
涯は穴だらけのデイパックを拾い上げ、
体制を立て直した沙織に向けて、投げつけた。
どすりと音を立て、デイパックは沙織の肩に衝突。
瞬間、バランスを崩す沙織に 涯は体当たりを食らわし、転ばせる。
「うっ・・・」
沙織の手を離れたウージーを蹴り飛ばし、涯は告げた。
「あんたはこれで負けだ・・・・・・!
オレはっ・・・・あんたを殴り殺すことだって出来る!
嘘やハッタリじゃない・・・・・丸腰のあんたに勝ち目はない・・・・!」
涯は光速の拳を持つ男。
不意打ち、あるいは銃器を持つ者相手ならともかく、
一対一、飛び道具なしの戦いであれば、負けることはない。
「・・・・・」
唇を噛む沙織に対し、涯は拳をつくり、構える。
これで観念し、逃げてくれれば・・・と涯は思う。
仕掛けてきたのは間違いなく沙織からであり、
そこには明確な殺意が存在していた。
しかし、やはり、女相手に拳を振るうのは気が進まない。
今更善人ぶるつもりなどは毛頭無かったが、
涯のプライドが、沙織への攻撃を躊躇させていた。
(なんで止めをささないの・・・?バカじゃないの・・・?)
落ち着きを取り戻した沙織は、内心で毒づく。
身のこなしから、相当に運動神経が優れていることは見て取れる。
だが、どうだ。命を狙ってきた人間が座り込んでるという絶対有利の状況でこの振る舞いは。
脅すだけ脅して、結局は目の前の敵を殺す気概も持ってない。
女だからって甘く見ているのだろう。
沙織は不愉快になりながらも、これを好機と見た。
女であることが有利に働いたのだ。
女だからと狙ってくる輩も もちろんいるだろうが、
こうして「女には手をだせない」という甘い人間も少なからずいる。
(もうあの銃は使い物にならないけど・・・・)
ちらり、とウージーを見やる。
涯に蹴り飛ばされ、数メートル離れた場所に転がっていた。
更に視線を移動し、沙織の横。
穴だらけのデイパック――そして付近に散乱するのは涯のチップ。
(私にはまだ武器がある・・・!)
「おいっ・・・聞いてんのかっ・・・・!
あんたの負けなんだよ・・・!」
涯はその場から動こうとしない沙織に対し、再び通告する。
それを合図にするかのように、沙織は懐からボウガンの矢を取りだし、涯に突きつけた。
「私は負けないっ・・・!」
突然のことに驚き眼を見開く涯。
間髪を置かずに沙織は涯に飛び掛かる。
「死ねっ!」
人の命を奪うのは、容易い。
この島で人を殺めたとて、誰がその行為を責められよう。
ほんの数秒で、命の灯火は消えてしまう。消えうる状況が、蔓延している。
沙織の手でも、か細いその腕にも、人間の命を奪うチャンスがある。
人の命を救うのは、困難だ。
この島で他人を守ろうと考えられる人間が、どれだけいるのだろうか。
絶望的な環境で、希望を創り出そうとする精神は、どんなに尊いものだろう。
そして――沙織の手なら、沙織の知識があれば、消えかけの命を救いだせる。
沙織には出来た。
この島の誰よりも
人の命を守れる立場に
田中沙織は居たはずだった。
看護婦としての経験を。
参加者名簿という強力な情報を。
使えたはずだった。
人間らしさを捨てずに、生きていく術が――
可能性を信じることさえできれば、彼女には残されていたはずだった。
だがそれも、今となっては選ばなかった道の話。
何より沙織が一番知っていることだろう。
この状況を望んだのは彼女自身に他ならない。
「死ねっ!死ねぇっ!!」
沙織の泣き声にも似た叫びが響く。
咄嗟に避けた涯だったが、ボウガンの矢は、左頬の皮膚を数枚掠め取っていった。
「やめろっ・・・!」
「うるさいっ!!私は殺せるっ!!!」
「あんた死にたいのかっ・・・・!」
矢を振り回す沙織に、涯は間合いを取りながら話しかける。
「何故殺すっ・・・・!どうして殺しあうっ・・・・!」
涯は沙織の瞳の狂気・・・更にその奥に“人間”を見た気がした。
彼女の行為は正気の沙汰ではない。生きるためとはいえ、倫理から外れた行為。
しかし、彼女の狂気は――彼女のその振る舞いは偽物だと涯は思った。
沙織は、心の奥に人間らしさを押し殺している。
「黙れっ・・・!殺さなきゃ生き残れないんだっ!」
悲痛な声だった。まるで自分自身に言い聞かせるように、沙織は言う。
「私は生きるんだ!!あんたを殺してっ・・・!私はっ・・・!」
「なんで・・・!人間なのにっ・・・・!!!!オレたちは人間だ、人間なんだっ・・・・・・!」
その時。涯の口から発せられたのは 宇海零が説いた内容そのもの。
自然と、涯の眼から涙が溢れる。
そうだ。人間なんだ。だけど、もうオレは・・・・!
「人を殺したという事実はっ・・・それだけで精神を蝕むっ・・・!
心に巣食うっ・・・・逃げることはできないっ・・・・!オレは知っているっ・・・・!
殺しあうなっ・・・・!人間であり続けるためにはっ・・・・だからっ・・・!」
涯の必死の説得。
しかし沙織はその発言を遮った。
「私は人を殺してるっ・・・!すでに一人殺してるのっ・・・・!」
人を殺している。オレと同じように・・・?
涯は言葉を失う。
この女は、オレと同じ、獣の道を歩むもの・・・・。
ならば・・・この人間らしさは・・・・人間を感じる振る舞いは・・・・。
沙織の攻撃は当初の勢いを失い、
今では見切る必要もないほどに緩慢な動作で、
ボウガンの矢は、ただだらだらと虚空を行き来している。
「私はっ・・・生きて・・・・生きたかっただけなのにっ・・・・・」
徐々に腕を振る速度は落ち、もはや危険すら感じない。
「私・・・もう戻れないのよっ・・・・!
いつ死ぬかもしれない状況の中、馴れ合って、恐怖を紛らわせて、
二人なら大丈夫なんて根拠のない気持ちに縋って・・・・
そんなの・・・もう出来ないっ・・・・!我慢できないのっ・・・・・!
人間として真っ当に生きていく道にはっ・・・もう戻れないの・・・・!」
「・・・・・」
沙織と涯は・・・置かれた立場は違えど、似ていた。
同士だとさえ言えた。
この島で殺しあうことは仕方がない。
仕方がないことだとわかっている。
だが、頭で理解しつつも、心では割り切れていなかったのだ。
それ故――涯も、沙織も、人を殺したという事実から眼を逸らせなかった。
人間としての道を、己から捨ててしまった。
あるべき行路を、自分から定めてしまった。
救いの手を自ら跳ね除けてまで、獣として直走る。
この島で上手く生きていくには、二人は強情すぎたのだ。
「生きるために殺すことっ・・・間違ってないわ・・・!私は間違ってないっ・・・!」
しかし、沙織の方が“強かった”。
能力的な問題ではない。
涯は自分の中に生まれた葛藤を解決できず、孤立という道を選んだ。
そして 沙織は人殺しの事実を、己の生還のためのエネルギーにかえようとしている。
沙織の眼が、再び涯を睨む。
「私は生還するっ・・・・なんとしても・・・・死なないっ・・・・・!アイツとは違うっ・・・・!」
“アイツ”が誰を指すのか、涯の知るところではないが、
その言葉を口にした瞬間から、消えかけていた殺意が沙織に吹き返している。
「くっ・・・・!」
本気で殺り合えば、涯が負けることはないだろう。
だが、この期に及んでも涯は、沙織を倒そうと思えない。
負けることがないからこそ・・・か。
境遇も、意見も全く違うだろう相手だが、
沙織の中に、涯は自分自身を見た気がした。
逃げるか・・・?
お互いに怪我をせずやり過すにはそれしかないだろう。
“殺す”意志を再燃させながらボウガンの矢を構える沙織を見つめながら、
涯はタイミングを見て林に逃げ込もうと考える。
全力で数十メートルも走れば、追ってくることはないはずだ。
そして――涯が思い定めたその時、風に乗って、声が運ばれてきた。
「・・・・・・・くん・・・!」
腕を振り上げたまま、沙織はぴたりと動きを止める。
「誰っ・・・?」
沙織の耳にも届いたらしいその声。
涯は聞き覚えのあるそれに対して、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「赤松かっ・・・・・」
「涯くんっ・・・・!」
暗闇の向こうから浮かび上がってきたのは、涯の想像通り、赤松修平の姿だった。
【C-3/アトラクションゾーン沿いの林/夜中】
【田中沙織】
[状態]:精神疲労 肩に軽い打撲、擦り傷
[道具]:支給品一式×3(ペンのみ1つ) サブマシンガンウージー 防弾ヘルメット 参加者名簿 ボウガン ボウガンの矢(残り十本/一本は装備中)
[所持金]:8300万円
[思考]:一億円を集めて脱出を目指す 森田鉄雄を捜す 一条、利根川幸雄、兵藤和也、鷲巣巌に警戒 涯を殺す
※防弾ヘルメット、ボウガンの矢一本以外の持ち物はC-3地点、工藤涯と争っている場所に放置されている状態です
【工藤涯】
[状態]:右腕と腹部に刺し傷、左頬に掠り傷 両腕に打撲 他擦り傷などの軽傷 手に擦り傷 疲労
[道具]:フォーク 鉄バット 野球グローブ(ナイフによる穴あり) 野球ボール 支給品一式×2
[所持金]:2000万円
[思考]:孤立する 沙織から逃げる
※持ち物は全てC-3地点、田中沙織と争っている場所に放置されている状態です
【赤松修平】
[状態]:健康 腕に刺し傷
[道具]:手榴弾×9 石原の首輪 標のメモ帳 支給品一式
[所持金]:1000万円
[思考]:できる限り多くの人を助ける 宇海零にメモを渡す 工藤涯を零の元へ連れ戻す
※石原の首輪は死亡情報を送信しましたが、機能は停止していません
※利根川のカイジへの伝言を託りました。
|084:[[帝図(前編)]][[(後編)>帝図(後編)]]|COLOR(#FFFFFF):BGCOLOR(#a9a9a9):CENTER:[[投下順>本編投下順]]|086:[[猛毒]]|
|087:[関係]]|COLOR(#FFFFFF):BGCOLOR(#a9a9a9):CENTER:[[時系列順>本編時間順]]|088:[[希望への標(前編)]][[(後編)>希望への標(後編)]]|
|081:[[獣の儀式]]|COLOR(#FFFFFF):BGCOLOR(#a9a9a9):CENTER:田中沙織|088:[[希望への標(前編)]][[(後編)>希望への標(後編)]]|
|074:[[心の居場所(前編)]][[(後編)>心の居場所(後編)]]|COLOR(#FFFFFF):BGCOLOR(#a9a9a9):CENTER:工藤涯|088:[[希望への標(前編)]][[(後編)>希望への標(後編)]]|
|074:[[心の居場所(前編)]][[(後編)>心の居場所(後編)]]|COLOR(#FFFFFF):BGCOLOR(#a9a9a9):CENTER:赤松修平|088:[[希望への標(前編)]][[(後編)>希望への標(後編)]]|
**同士 ◆IWqsmdSyz2氏
もうどれくらい走っていただろうか。
後方からの物音に、沙織は振り返る。
(っ・・・!誰か来た・・・・・?)
立ち止まると、耐え難い疲労がこみ上げる。
今にも体を支えることを放棄してしまいそうな両脚。
走っていたときは感じなかったその苦痛に沙織は顔を歪めながら、
暗闇の向こうに神経を向けた。
(こっちに来る・・・・・?)
未だ確信に至らないレベルの小さな音。
木々のざわめきを聞き違えたのだろうか、
しかし、沙織には草を踏む足音に思える。
姿は見えずとも、何かの気配が・・・沙織に近づいていた。
(どうしようっ・・・・・!)
人を殺す。その決意はあった。
生きるための手段、生還へのステップ。
仕方の無いことだ。既に一人殺したのだから躊躇う必要はない。
(でも・・・・相手がどんな人物かわかりもしないで手を出したりはしない。
いくら武器があるとはいえ、女の私でも確実に仕留められる相手じゃなきゃ・・・・・・)
そこまで考えてから、沙織は近くの大木の陰に身を隠した。
一刻も早く金が欲しい。そして今、最初のチャンスが訪れようとしている。
だが、返り討ちにあうような真似だけは避けなくてはならない。
(勝ち目のない相手ならここで隠れてやり過ごす・・・
複数人だったら・・・・非力な女であることをアピールして取り入り、油断を衝いて殺す・・・・!)
本来ならば、一度に複数人と接触するのは得策ではないだろう。
しかし、沙織にとって大事なのは「棄権すること」だ。
つまり、1700万円分のチップを手に入れること。
一人に支給されるのは1000万円分のチップであるため、
これから沙織は二人以上の人間から金を集めなければならない。
となれば当然、二人以上をまとめて殺すことが出来る状況は最も好ましい。
あるいは、既に1000万円以上のチップを所持している人物を狙うこと。
それが近道である。
(この銃があれば・・・まず有利だわ・・・。
そして・・・・)
沙織はデイパックの一つから、ボウガンの矢を取り出す。
鋭利な矢先が月の光を鈍く反射した。
至近距離からこれで突けば、致命傷を負わせることくらいは出来るだろう。
指に、脳裏に、苦みが走る。
有賀の眼球にペンを突き立てたあの感触。
医療に携わってきた者として、並みの女に比べればああいった事態に耐性がある。
とはいえ、嫌悪感は拭いきれない。
人を殺したのだから。
沙織は矢を一本 懐に隠し、息を潜めて“物音”の正体が現れるのを待った。
(来るわ・・・!)
沙織の判断は正しかった。
数十秒としないうちに、人影が輪郭を現す。
周囲を警戒した様子で草を踏みしめるのは――学生服の少年。
工藤涯だ。
(中学生くらい・・・かしら)
涯は沙織に気付くことなく歩みを進めている。
支給品の入った荷物を二つ背負い、
そのうち一つのデイパックからは鉄バットが伸びていた。
(デイパックを二つ持っているということは 二人分のチップを持っている可能性もあるわ・・・!)
遠目にでもわかるほど体中に傷をつけて、
とりわけ腹部、裂けたシャツの隙間からは痛々しい痕が見え隠れしている。
時折背後を確認しながら進む姿に、沙織は違和感を覚えた。
(子供・・・・それも手負い相手なら勝てるっ・・・・・!
でも、様子がおかしい・・・敵が追ってくるのを気にしているようにも見えるけれど・・・・・
違う・・・もっと何か・・・・むしろ誰かが来ることを期待しているような・・・・)
仲間と逸れてしまったのだろうか。
それも違う。
彼がとっているのは明らかに「逃げ」であり、合流を目的にした動きには思えない。
ならば、少年のこの表情は何なのだろう。
後悔すら連想させるような悲痛さは――
沙織は頭を左右に振り、己の思考を抑え付けた。
ウージーを握る両手に力がこもる。
(関係ないわっ・・・!どんな事情があっても・・・!!殺せる相手なら仕掛けなきゃっ・・・・!)
背後から撃てば、まず確実に殺せるだろう。
トリガーを一度引くだけでいい。
赤子の手をひねるようなもの。
(出来るでしょっ・・・簡単なことよ・・・!指一本・・・・・その動作だけっ・・・・!)
4kgの重みが、沙織の腕に圧し掛かった。
この銃が、人の命を奪う。
否――人の命を奪うのは、沙織の腕・・・!
彼女の“人間”としての意識が、
非人道的な行為の実行を妨げようと働く。
本当に殺してしまうの?
彼を撃ち殺し、その死体を漁って・・・一銭も手に入らなかったらどうするの?
人を殺したという結果だけしか残らないじゃない。
そうなったとしても本当に後悔しないの?
沙織の目的は、あくまでも棄権の為の資金集めであり、
殺人自体はその手段に過ぎない。
言うなれば、沙織は不本意のマーダー。
人を殺さずに金が手に入るのならそれに越したことはなく、
また、金に結びつかない殺人は彼女にとって無意味なはず。
しかし、現状、天与の機。
沙織自身も死と隣り合わせのこの島で、
これほど有利に事を運べる機会が そう何度も訪れようものか。
無意味かどうかは・・・殺してから考えればよい。
顔に特徴的な痣を持つ、目つきの鋭い少年。
さして小柄、というわけではなかったが、
この島で一人孤独を抱く姿は 小さく、弱弱しい。
腹部の傷、あのままでは化膿してしまうだろう、と沙織は思った。
涯は沙織に気付かず、彼女の隠れる大木の前を通り過ぎていく。
見る限り、彼は遠距離攻撃可能な武器を持っているようでもなく、
素手に比べればリーチを稼ぐことの出来る鉄バットさえ荷物として背負うに留めていた。
(殺し合いに乗る気はないってことかしら・・・)
無論、沙織の推測は間違っている。
沙織と同様、涯は殺しあうことを望んでいるわけではない。
だが、また、沙織と同様に自衛の末 人を殺めるのは仕方のないことだとも感じていた。
相手が“敵”であれば容赦なく討つ。
ただ、涯は他の人間に比べて武器を必要としないだけ。
己の拳のみで、十分に渡り合える実力を持っているのだ。
武器に頼ろうという精神自体が弱み。
オレはオレに依って生きていく。
その考えから、バットはデイパックに納められている。
そうした気構えも、沙織にとっては知る由もないだろう。
彼女からすれば 恰好のターゲットとして現れた少年としか映らない。
(こんなチャンス・・・・もう二度とないかもしれないわ・・・・)
あの男――有賀研二と対峙した時とは異なる状況だ。
有賀は沙織の生命を脅かす存在だった。明白だった。
よって、やむを得ない行動だった。殺さなければ殺されていた。
しかし、これからの行為にその文句は通用しない。
無抵抗の相手を、殺す。
明確な“殺意”を掲げて、他人の未来を奪う。
(あの男の子を・・・・・殺す・・・・・)
震えが止まらない。
仕方ないのよ、仕方ないのよ。
あと1700万円、それで絶対の安全を得ることができるのだから。
私は人殺し。
どんな理由があったとしても、既に一人を殺めた。
今更怖がって何になるというの。
私が悔いるとしたら、それはきっとこのチャンスを逃したときよ。
現実を見るのよ、沙織。生き抜く術を知るのよ、沙織。
本当にそれでいいの?、ともう一人の自分が問うてくる。
今なら引き返せる。人間として生きていける。
神威の夜のように、乗り越えることが出来るかもしれないじゃない。
己が為に人の命を奪おうなんて
そんなのアイツと変わらないわ――
(うるさいっ・・・!違う!!・・・・違う!私はアイツとは違うのよっ!!)
沙織の眼から涙が零れ落ちた。
カイジと決別し、単独行動を選んだ今。沙織の判断を咎める者はいない。
そして、同時に、彼女は罪を分け合う相手も手放したことになる。
出来る?私に?
俯く沙織の耳元で声が聞こえた。
『君は殺せない』
あのときからずっと、有賀への怒り、憎しみ、嫌悪感と
僅かに残る殺人への躊躇いが葛藤している。
「やる・・・・私は出来るわっ・・・」
沙織は鬼気せまる表情で
音も無く立ち上がり、深呼吸をした。
(アイツなんかとは違う・・・・!私は正常だっ・・・・!アイツは関係ないっ・・・・・・!!)
そして
涯の背に銃口を向け――撃鉄を引く。
* * *
赤松、そして零から逃げながら、工藤涯は考えていた。
これで正しかったのだろうか。
わからない。
この先、わかる時がくることを祈るしかない。
だが、孤立の先に、何かがある。
もう・・・戻れない。戻る必要もない。
理解されたかった。
友情に飢えていた。仲間が欲しかった。
認めざるを得ない本心だ。
そして、それがオレの弱さっ・・・!
人間の弱さは他人にある・・・・・・・!
関わりあおうというその心に・・・弱さは生まれるのだ。
孤立せよっ・・・!
(随分歩いたが・・・)
方向を見失わないように、
常に左側にアトラクションゾーンが見える道を進んできた。
今はどの辺りにいるのだろう。
脳裏にマップを思い浮かべながら、涯は考える。
零は・・・赤松は・・・今頃どうしているのだろうか。
オレがこうして逃げたことに対して・・・何を思っているのだろうか。
(そんなことは・・・もういいんだっ・・・孤立っ・・・!)
涯は、否が応でも考えてしまう 少しの時を共にした人間たちのことを
必死に忘れようと努めた。
ふと、気配を感じて立ち止まる。
今、後方で何かが動いたような気がした。
(敵か・・・?それとも・・・あいつらが追いかけてきたのか・・・?)
確認のため、涯が振り向こうとした そのとき。
乾いた音が林に響き渡った。
本能的に、理解する。
これは、銃声。
刹那、何かが涯の真横、空を切る。
「っ・・・!」
状況を把握できぬまま、涯は草むらに飛び伏せた。
デイパックに穴があく。中身が散乱する。銃弾が当たったのだろう。
その反動で、デイパックは涯の肩を離れ、地面に落ちる。
(襲撃っ・・・?)
敵の姿を確認するべく、僅かに顔を上げる涯。
(どこだっ・・・どこから撃ってきている・・・?)
右手にはアトラクションゾーン。
左手には林。
転がったデイパックを少し見つめてから、涯は林の方角を注視する。
疎らに木々が並ぶその向こう、一際立派な大木の影が、動いていた。
敵は咄嗟に身を伏せた涯を見失ったのだろうか、銃声は止み、再び静かな闇が辺りを包む。
逃げるか?戦うか?
相手が銃器を持っている以上、勝ち目は薄い。
涯の攻撃可能範囲はバットの届く距離まで。
そのバットが入ったデイパックも、先の攻撃を受けた際に、放ってしまった。
手を伸ばしても僅かに届かない場所に、デイパックはある。
今、涯はまさに身一つの状態だ。
動けば また銃撃が再開されるかもしれないと思うと、呼吸さえ慎重になる。
(こうして距離をあけられていては、攻撃を仕掛けることも出来ないっ・・・・!
だからといって・・・・・自ら近づくなどは持っての外・・・・どうする・・・・)
膠着状態が続く。
狙われている側の涯はともかくとして、何故相手方は動かないのだろう。
何か理由があるのか?
涯は不思議に思いながらも、息を潜めて敵の行動を待った。
おそらくは――あの大木の影から撃ってきた。
しかし、未だ姿さえ確認できていないのだから
逃げるにしても、戦うにしても・・・あるいは交渉を試みるにしても、下手に動くことは危険だと判断したのだ。
数分とも、数時間とも思える静寂の後、
大木に隠れていた敵がついに動きだす。
銃口をこちらへ向けたまま、一歩、また一歩と近づく その姿。
ヘルメットで頭は隠されているが、服装、体格から、おそらくは――
(女かっ・・・・・)
敵――沙織はどうやら涯が被弾したとでも思ったのだろう。
さほど警戒する様子も無く、しかし恐る恐るに距離を縮めてくる。
幸い、涯は肘を擦りむいた以外にダメージはない。
無論、ここに来るまでの戦いで様々な傷を負って来たが、
今、この瞬間はその痛みを感じることさえ無かった。
女相手なら勝てるのではないか、という気持ちと
女相手に戦えるのか、という気持ちが涯に芽生える。
* * *
(殺った・・・)
田中沙織は胸を撫で下ろす。
ウージーのトリガーを引いた瞬間、僅かな後悔と同時に押し寄せたのは達成感だった。
ほら、出来る。出来るじゃない、私にだって。
殺せる。私は、弱くなんかないんだ。
荒い呼吸を整えるのに時間を要したが、
沙織が思っていた以上に、行為は簡単に遂げられた。
少年が元居た場所にはデイパックが転がるのみ。
草むらへ倒れるように消えたターゲットは、果たしてまだ生きているのだろうか。
(あれだけ撃ったんだから・・・当たってるわよね・・・?)
涯が倒れこんだ草むらを見つめるが、
ヘルメットを通した視界では、その姿を確認することは出来なかった。
足の長い雑草が、彼の姿を隠している。
生きているのか・・・死んでいるのか。
それを確認して、止めを刺さなければ。
そして、あのデイパックを回収すること。
しばらくの時間を経て 動きがないことを見極めた後、
沙織は直ぐに攻撃に転じることが出来るように引き金に指を掛け、
涯がいるはずの場所へと移動をはじめた。
(大丈夫・・・私は出来るもの・・・・私は生き残れる・・・・)
徐々に、涯の姿が現れる。
草むらの影に、土と血で薄汚れたシャツが垣間見えた。
ぴくりとも動かないそれに、沙織は少しだけ動揺する。
「ほんとに・・・・し・・・死んじゃったの・・・かしら・・・・」
尚も銃口を下げることなく、慎重さを心がけながら、
沙織は距離を詰めていく。
一方の涯は、機を窺っていた。
相手は人間・・・となれば当然、隙が生まれるはずだ。
今更傷を負いたくないなどとは思わない。
ただ・・・生還。大切なのはその一点のみ。
一歩・・・二歩・・・三歩・・・・沙織が近づくたびに涯はカウントを重ねた。
相手の油断を衝いて銃を奪う。数発体に食らっても怯まずに決行。
一か八かの作戦だが、銃の扱いに慣れていないはずの女相手ならば――
そして・・・
(今だっ・・・!)
突如飛び起きた涯に、沙織は驚き、声を上げる。
「ひっ・・・!」
反射的に沙織は指を動かした。
発射装置が作動し、ウージーの吐いた弾丸が、涯を目掛けて飛ぶ・・・はずだった。
かちり、かちり。
引き金の音だけが、周囲に響く。
「なんでっ・・・!なんでよぉっ・・・!!」
弾切れだ。
弾薬の確保などもちろん考えておらず
リロードの方法さえ知らない沙織は、幾度もトリガーを引きながら喚き続ける。
「壊れたのっ・・・?!なんで動かないのよっ・・・・!」
混乱状態の沙織に弾切れという概念はなく、彼女は一時的な混乱状態に陥った。
(銃器が使えないのか・・・?)
何が起きているのか、それは涯にもわからない。
ただ、 沙織は撃つことが出来ない状況なのだ。
攻撃を仕掛けるなら今しかない――
しかし次の瞬間、
“銃器”として使いものにならなくなったウージーは“鈍器”として涯を襲う。
「ぐっ・・・」
予想外に腹部目掛けて飛び込んできたそれを、涯は腕で受け止めた。
衝撃で尻餅をつくが、幸い大したダメージはない。
しかし、ウージーの重量は4kg近いもので、
沙織が次に本気で殴りかかってくれば、打ち身では済まないだろう。
「殺すっ・・・!殺すぅっ!」
一拍と置かずに再び かざされるウージー。
沙織の狂気に満ちた瞳が、涯の頭部を捉える。
「くそっ・・・!」
涯の脳裏に、死がイメージされる。
終わる。終わってしまう。
この一撃が当たれば
例え腕で防いでも・・・腕の骨が折れるはずだ。
涯にとって最大の武器である“拳”が使い物にならなくなれば、
ここを切り抜けたとしても未来は暗いものとなる。
「させるかっ・・・・・・!」
女相手に暴力を振るうことには抵抗があった。
とはいえ、この局面で戸惑っている時間はない。
涯は地面に指を立て砂を手掴み、
沙織に向けて放つ。
「きゃっ」
咄嗟に眼をつぶり、腕で顔を覆う沙織。
その隙に素早く飛び退き、沙織から数歩の距離を置く。
涯は穴だらけのデイパックを拾い上げ、
体制を立て直した沙織に向けて、投げつけた。
どすりと音を立て、デイパックは沙織の肩に衝突。
瞬間、バランスを崩す沙織に 涯は体当たりを食らわし、転ばせる。
「うっ・・・」
沙織の手を離れたウージーを蹴り飛ばし、涯は告げた。
「あんたはこれで負けだ・・・・・・!
オレはっ・・・・あんたを殴り殺すことだって出来る!
嘘やハッタリじゃない・・・・・丸腰のあんたに勝ち目はない・・・・!」
涯は光速の拳を持つ男。
不意打ち、あるいは銃器を持つ者相手ならともかく、
一対一、飛び道具なしの戦いであれば、負けることはない。
「・・・・・」
唇を噛む沙織に対し、涯は拳をつくり、構える。
これで観念し、逃げてくれれば・・・と涯は思う。
仕掛けてきたのは間違いなく沙織からであり、
そこには明確な殺意が存在していた。
しかし、やはり、女相手に拳を振るうのは気が進まない。
今更善人ぶるつもりなどは毛頭無かったが、
涯のプライドが、沙織への攻撃を躊躇させていた。
(なんで止めをささないの・・・?バカじゃないの・・・?)
落ち着きを取り戻した沙織は、内心で毒づく。
身のこなしから、相当に運動神経が優れていることは見て取れる。
だが、どうだ。命を狙ってきた人間が座り込んでるという絶対有利の状況でこの振る舞いは。
脅すだけ脅して、結局は目の前の敵を殺す気概も持ってない。
女だからって甘く見ているのだろう。
沙織は不愉快になりながらも、これを好機と見た。
女であることが有利に働いたのだ。
女だからと狙ってくる輩も もちろんいるだろうが、
こうして「女には手をだせない」という甘い人間も少なからずいる。
(もうあの銃は使い物にならないけど・・・・)
ちらり、とウージーを見やる。
涯に蹴り飛ばされ、数メートル離れた場所に転がっていた。
更に視線を移動し、沙織の横。
穴だらけのデイパック――そして付近に散乱するのは涯のチップ。
(私にはまだ武器がある・・・!)
「おいっ・・・聞いてんのかっ・・・・!
あんたの負けなんだよ・・・!」
涯はその場から動こうとしない沙織に対し、再び通告する。
それを合図にするかのように、沙織は懐からボウガンの矢を取りだし、涯に突きつけた。
「私は負けないっ・・・!」
突然のことに驚き眼を見開く涯。
間髪を置かずに沙織は涯に飛び掛かる。
「死ねっ!」
人の命を奪うのは、容易い。
この島で人を殺めたとて、誰がその行為を責められよう。
ほんの数秒で、命の灯火は消えてしまう。消えうる状況が、蔓延している。
沙織の手でも、か細いその腕にも、人間の命を奪うチャンスがある。
人の命を救うのは、困難だ。
この島で他人を守ろうと考えられる人間が、どれだけいるのだろうか。
絶望的な環境で、希望を創り出そうとする精神は、どんなに尊いものだろう。
そして――沙織の手なら、沙織の知識があれば、消えかけの命を救いだせる。
沙織には出来た。
この島の誰よりも
人の命を守れる立場に
田中沙織は居たはずだった。
看護婦としての経験を。
参加者名簿という強力な情報を。
使えたはずだった。
人間らしさを捨てずに、生きていく術が――
可能性を信じることさえできれば、彼女には残されていたはずだった。
だがそれも、今となっては選ばなかった道の話。
何より沙織が一番知っていることだろう。
この状況を望んだのは彼女自身に他ならない。
「死ねっ!死ねぇっ!!」
沙織の泣き声にも似た叫びが響く。
咄嗟に避けた涯だったが、ボウガンの矢は、左頬の皮膚を数枚掠め取っていった。
「やめろっ・・・!」
「うるさいっ!!私は殺せるっ!!!」
「あんた死にたいのかっ・・・・!」
矢を振り回す沙織に、涯は間合いを取りながら話しかける。
「何故殺すっ・・・・!どうして殺しあうっ・・・・!」
涯は沙織の瞳の狂気・・・更にその奥に“人間”を見た気がした。
彼女の行為は正気の沙汰ではない。生きるためとはいえ、倫理から外れた行為。
しかし、彼女の狂気は――彼女のその振る舞いは偽物だと涯は思った。
沙織は、心の奥に人間らしさを押し殺している。
「黙れっ・・・!殺さなきゃ生き残れないんだっ!」
悲痛な声だった。まるで自分自身に言い聞かせるように、沙織は言う。
「私は生きるんだ!!あんたを殺してっ・・・!私はっ・・・!」
「なんで・・・!人間なのにっ・・・・!!!!オレたちは人間だ、人間なんだっ・・・・・・!」
その時。涯の口から発せられたのは 宇海零が説いた内容そのもの。
自然と、涯の眼から涙が溢れる。
そうだ。人間なんだ。だけど、もうオレは・・・・!
「人を殺したという事実はっ・・・それだけで精神を蝕むっ・・・!
心に巣食うっ・・・・逃げることはできないっ・・・・!オレは知っているっ・・・・!
殺しあうなっ・・・・!人間であり続けるためにはっ・・・・だからっ・・・!」
涯の必死の説得。
しかし沙織はその発言を遮った。
「私は人を殺してるっ・・・!すでに一人殺してるのっ・・・・!」
人を殺している。オレと同じように・・・?
涯は言葉を失う。
この女は、オレと同じ、獣の道を歩むもの・・・・。
ならば・・・この人間らしさは・・・・人間を感じる振る舞いは・・・・。
沙織の攻撃は当初の勢いを失い、
今では見切る必要もないほどに緩慢な動作で、
ボウガンの矢は、ただだらだらと虚空を行き来している。
「私はっ・・・生きて・・・・生きたかっただけなのにっ・・・・・」
徐々に腕を振る速度は落ち、もはや危険すら感じない。
「私・・・もう戻れないのよっ・・・・!
いつ死ぬかもしれない状況の中、馴れ合って、恐怖を紛らわせて、
二人なら大丈夫なんて根拠のない気持ちに縋って・・・・
そんなの・・・もう出来ないっ・・・・!我慢できないのっ・・・・・!
人間として真っ当に生きていく道にはっ・・・もう戻れないの・・・・!」
「・・・・・」
沙織と涯は・・・置かれた立場は違えど、似ていた。
同士だとさえ言えた。
この島で殺しあうことは仕方がない。
仕方がないことだとわかっている。
だが、頭で理解しつつも、心では割り切れていなかったのだ。
それ故――涯も、沙織も、人を殺したという事実から眼を逸らせなかった。
人間としての道を、己から捨ててしまった。
あるべき行路を、自分から定めてしまった。
救いの手を自ら跳ね除けてまで、獣として直走る。
この島で上手く生きていくには、二人は強情すぎたのだ。
「生きるために殺すことっ・・・間違ってないわ・・・!私は間違ってないっ・・・!」
しかし、沙織の方が“強かった”。
能力的な問題ではない。
涯は自分の中に生まれた葛藤を解決できず、孤立という道を選んだ。
そして 沙織は人殺しの事実を、己の生還のためのエネルギーにかえようとしている。
沙織の眼が、再び涯を睨む。
「私は生還するっ・・・・なんとしても・・・・死なないっ・・・・・!アイツとは違うっ・・・・!」
“アイツ”が誰を指すのか、涯の知るところではないが、
その言葉を口にした瞬間から、消えかけていた殺意が沙織に吹き返している。
「くっ・・・・!」
本気で殺り合えば、涯が負けることはないだろう。
だが、この期に及んでも涯は、沙織を倒そうと思えない。
負けることがないからこそ・・・か。
境遇も、意見も全く違うだろう相手だが、
沙織の中に、涯は自分自身を見た気がした。
逃げるか・・・?
お互いに怪我をせずやり過すにはそれしかないだろう。
“殺す”意志を再燃させながらボウガンの矢を構える沙織を見つめながら、
涯はタイミングを見て林に逃げ込もうと考える。
全力で数十メートルも走れば、追ってくることはないはずだ。
そして――涯が思い定めたその時、風に乗って、声が運ばれてきた。
「・・・・・・・くん・・・!」
腕を振り上げたまま、沙織はぴたりと動きを止める。
「誰っ・・・?」
沙織の耳にも届いたらしいその声。
涯は聞き覚えのあるそれに対して、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「赤松かっ・・・・・」
「涯くんっ・・・・!」
暗闇の向こうから浮かび上がってきたのは、涯の想像通り、赤松修平の姿だった。
【C-3/アトラクションゾーン沿いの林/夜中】
【田中沙織】
[状態]:精神疲労 肩に軽い打撲、擦り傷
[道具]:支給品一式×3(ペンのみ1つ) サブマシンガンウージー 防弾ヘルメット 参加者名簿 ボウガン ボウガンの矢(残り十本/一本は装備中)
[所持金]:8300万円
[思考]:一億円を集めて脱出を目指す 森田鉄雄を捜す 一条、利根川幸雄、兵藤和也、鷲巣巌に警戒 涯を殺す
※防弾ヘルメット、ボウガンの矢一本以外の持ち物はC-3地点、工藤涯と争っている場所に放置されている状態です
【工藤涯】
[状態]:右腕と腹部に刺し傷、左頬に掠り傷 両腕に打撲 他擦り傷などの軽傷 手に擦り傷 疲労
[道具]:フォーク 鉄バット 野球グローブ(ナイフによる穴あり) 野球ボール 支給品一式×2
[所持金]:2000万円
[思考]:孤立する 沙織から逃げる
※持ち物は全てC-3地点、田中沙織と争っている場所に放置されている状態です
【赤松修平】
[状態]:健康 腕に刺し傷
[道具]:手榴弾×9 石原の首輪 標のメモ帳 支給品一式
[所持金]:1000万円
[思考]:できる限り多くの人を助ける 宇海零にメモを渡す 工藤涯を零の元へ連れ戻す
※石原の首輪は死亡情報を送信しましたが、機能は停止していません
※利根川のカイジへの伝言を託りました。
|084:[[帝図(前編)]][[(後編)>帝図(後編)]]|COLOR(#FFFFFF):BGCOLOR(#a9a9a9):CENTER:[[投下順>本編投下順]]|086:[[猛毒]]|
|087:[[関係]]|COLOR(#FFFFFF):BGCOLOR(#a9a9a9):CENTER:[[時系列順>本編時間順]]|088:[[希望への標(前編)]][[(後編)>希望への標(後編)]]|
|081:[[獣の儀式]]|COLOR(#FFFFFF):BGCOLOR(#a9a9a9):CENTER:田中沙織|088:[[希望への標(前編)]][[(後編)>希望への標(後編)]]|
|074:[[心の居場所(前編)]][[(後編)>心の居場所(後編)]]|COLOR(#FFFFFF):BGCOLOR(#a9a9a9):CENTER:工藤涯|088:[[希望への標(前編)]][[(後編)>希望への標(後編)]]|
|074:[[心の居場所(前編)]][[(後編)>心の居場所(後編)]]|COLOR(#FFFFFF):BGCOLOR(#a9a9a9):CENTER:赤松修平|088:[[希望への標(前編)]][[(後編)>希望への標(後編)]]|
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: