「猜疑と疑惑」(2009/11/01 (日) 08:03:56) の最新版変更点
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**猜疑と疑惑 ◆mkl7MVVdlA氏
「佐原。いるんだろう。出て来てくれ。
……いや、俺たちが信頼できないなら無理に姿を現さなくてもいい。
とにかく、俺の声が聞こえる場所にいてくれ。
お前が出てくるまで、俺たちはフロントを動かない」
温泉旅館の内部に入った森田は、南郷を連れてフロント中央に立ち、声をはり上げた。
佐原以外の人間、それも殺人に加担しているような輩が潜んでいた場合、それは自殺行為に等しい。
森田が遠藤と別れる間際に確認した限りでは周辺に他の人間がいなかったとはいえ、可能性はゼロではない。
それでもあえて自分の居場所を知らせたのは、佐原を悪戯に刺激しないためだ。
佐原は今、過剰な程のストレスに晒されている。拳銃の誤射、それによる誤解、裏切り。
それらの心理的な瑕疵に加えて、常時、命を狙われ続けるという尋常ではない圧迫感。
殺意という見えない恐怖に、喉をぎりぎりと締め上げられているはずだ。
生死の境界線に立たされる苦しさを、森田は嫌という程知っている。
人間の精神はそれほど丈夫にできていない。長時間恐怖に晒されすぎると、感覚が麻痺してくる。
戦場に駆り出された兵士が殺人を躊躇わなくなるように、時間が経てば経つ程に島内で殺人者は増加する。
自分が殺されると分かっていても、手元にある拳銃の引き金を引かずにいられる人間など稀有に等しい。
森田の脳裏には、神威ビルでの惨劇があった。
人間は、きっかけさえあれば実に容易く人間を殺す。
だからこそ、佐原との接触を急ぐ必要があった。
森田は何度か「自分はフロントにいる」「声が聞こえる場所にいてくれ」という意味の発言を繰り返した後、佐原の姿が見えぬままに語りだした。
「遠藤とは別れてきた。あいつは頭がキレるが、信用はできない。だから決別してきた。
今ここにいるのは、俺と、南郷の二人だけだ。
こっちは丸腰。武器になるような物は何も持っちゃいない。
自己申告じゃ信用できないかもしれないが、さっき遠藤がお前に何と言ったか思い出してくれ。
あいつは俺たちが丸腰だと言った。武器を持つお前に、丸腰の俺たちを殺せ、とも。
遠藤が言っていた通り、俺たちは武器を所持していない。
俺たちは、佐原、お前と組みたい。
あの時、あえて選択を回避することで、殺人に乗らなかったお前と。
……そう考えて、ここまで来た」
室内からの応答はない。聴覚を研ぎ澄ませても、物音ひとつ拾うことはできなかった。
感じるのは自分の声の余韻と、南郷の気配。南郷には、念のために玄関側を見張って貰っていた。
完全に背を預ける形だが、背後から刺される心配はない。
そういう男だからこそ、森田は、一見して何の役にも立たないと思った南郷を選び、遠藤を捨てたのだ。
「お前が俺たちと組む利点をあげようと思う。
どこかで気になることがあったら、質問してくれ。
さっき確かめたんだが、電話を使って外部に連絡を取ることはできない。
だが、電話機に電源は入っている。つまり、内線は生きているんだ。
フロントに電話をしてくれれば、会話はできると思う」
森田はゆっくりと歩き、フロント内部に入った。
佐原に向かって説明したとおり、館内の内線電話を示すランプは密やかに点灯していた。
通路の端に設置された非常灯の明かりがわずかに室内を照らしている。
「――お前が俺たちと合流すれば、第一に、人数が増える。
こいつは単純なようで意外と重要だ。一人きりじゃまともに寝ることもできない。
定時放送があるだけじゃない。寝てる間に襲われる可能性があるからな。
その点、人数が多ければ見張りを立てて交代で体を休めることができる。
そして俺たちは殺し合いに乗っていない。
人を殺してまで、自分が生き残ろうとは思っちゃいないってわけだ。
つまり、身を預けて眠っても安全。もっとも、この点に関しちゃ、互いに信用するしかないがね」
全体的に薄ぼんやりとした闇の中で、森田は手元に一冊の手帳を取り出した。
ショッピングモールで採取したデータは、人物ごとにまとめてある。
森田は手帳のページを捲り、佐原に関する項目を視線でたどった。
「俺はこの、非道な殺人ゲームを否定する。だからといって黙って殺されるのを待つわけじゃない。
この島からの生還を目指す。そのための道具がここにある。
俺はゲーム参加者のこれまでの動向を握ってる。
こいつを有効に使えば、有効な情報を持っている連中や、強力な武器を持っている人間と接触、連合が可能だ。
……どうしてそんなことができるかって?
初期配布の道具が参加者全員の動向を閲覧できるソフトだったからさ」
自分に与えられた道具が本物であることを証明するためには、佐原が自分たちに喋っていない新たな情報を提示する必要がある。
先程の佐原は遠藤に誘導され、重要な項目は殆ど自ら口にしていたが、それでも幾つか、細かな内容が残されていた。
「佐原。お前と板倉の最初の接触は、話し合いなんていう穏やかなものじゃなかった。
板倉は毒を持っていた。そいつで脅されたはずだ。
合流してから身を潜めていたのは、すぐ近くのホテルの上階。
お前が誤って拳銃を発射してしまった時刻は、夕方。
――――分かるか。俺たちはお前の行動を知ることができた。
そして、板倉はもう死んでる。一条という男の手によって殺されているんだ。
板倉が死んだ以上、お前の誤射を知る者はいない。板倉が復讐を仕掛けてくる事もない。
そして俺達は、あれが間違いだった事を知っている」
そこまで一気に話しきったところで、森田は一度、大きく息をついた。
板倉が毒を所持していたことは知っているが、それで佐原を直接的に脅していたかどうかは不明だ。
全ては会話記録からの推測に過ぎない。あくまでも条件を重ねあわせた上での想像でしかない。
とはいえ、これまでに森田が得てきた「板倉」という男の人物像から推し量れば可能性は低くない。
むしろこの程度の推測が当たらぬ程度では、数時間にわたって行動記録を観察し続けた意味がない。
「さっきも言ったとおり、俺達は敵じゃない。
殺し合いに乗っていない連中を集めて、このゲームを破綻させたい。
可能であれば、合流してほしい」
いつの間にか、手帳を持つ森田の手は大量の汗で濡れていた。
緊張すると顔ではなく手に出る癖は、昔から変わっていない。
「…………」
無言で待つ時間は、想像以上に長く感じられた。
ここで佐原を味方につけられなければ、自分は結局、それだけの男だという事だ。
かつて行動をともにしていた平井銀二のように、他人を安心させるだけの能力も、懐の広さもない。
「森田、俺からも言わせてくれ」
森田が佐原からの返事を諦めかけた時、
旅館の玄関口を見張っていた南郷が、建物に入って初めてまともに口を開いた。
「佐原。俺は……あんたと同じだ。誰も殺したくない。殺す度胸なんてまるでない。
だからって死ぬのは嫌だ。どうにかして生きて帰りたいと思っている。
できるなら、一刻も早くこんな地獄から逃げ出したい。
ここにきてから後悔の連続だ。
今でも、こいつは何かの冗談で、悪い夢でも見てるんじゃないかと思う。
だけどここは現実で、俺は実際に殺されかけた。
……森田は、こいつは悪い奴じゃない。単純な、損得で動く奴じゃないんだ。
その証拠に、こんな、何の役にも立たない俺と、遠藤って男を比べて、俺を選んでくれた」
「南郷…」
「いいんだ。俺は結局、何の役にも立ってない。それくらいは分かってるさ。
だからせめてこれぐらい、言わせてくれ」
薄暗い室内で、南郷が笑う気配がした。
佐原から不安を取り除くどころか、南郷に勇気付けられている自分に気がついた森田は、無意識のうちに張り詰めていた肩の力を抜いた。
場の雰囲気が緩み、森田の中に落ち着きと余裕が生まれる。
掌を湿らせていた汗が、少しずつ引いていく。
こちらが気を昂ぶらせていては、対話する相手が落ち着くはずがない。
安心感を与えるためには、まず自分が落ち着くことだ。
交渉の基本を思い出した森田が、仕切りなおすために手帳を上着のポケットに収めた瞬間、フロント内部の電話が鳴り響いた。
佐原が話し合いに応じてくれたのかと思い、森田が電話に手を伸ばす。
フロントには、電話をかけてきた部屋の番号を示す機能が備わっていた。
各部屋の設備がどうなっているのかは不明だが、全ての親元となるフロントでは、通話状況の把握ができるらしい。
電話機と一体型の液晶画面に表示されている部屋番号は「**9」。
森田は、フロントに張り出されている館内の見取り図に視線を向けた。
「――――?」
見落としか、見間違いか。
液晶に表示されている部屋番号は館内見取り図のどこにも表示されていなかった。
不審に思いながらも、受話器を握る。
「………ッ!」
白いプラスチックの受話器に触れた途端、静電気のような痺れが走った。
指先から始まり、背筋から脳天までをゾクゾクと走り抜ける悪寒。
それは、仲間が増える前向きな予感ではない。むしろもっと、不穏な何か。
この電話に出てはいけない。森田の中で本能的な何かが通話を拒否した。
この先には表現しようもない大きな危険が迫っている。
先の見えない、深い谷。それが目の前に口をあけて待っている。
その危うさが同時に、森田の心を奮い立たせた。
この谷を飛べるかどうかは自分の力の及ぶところではない。それは谷が決めること。
――――俺にできることは、ただ地を蹴り、身を宙に投げること!
跳べるか跳べないかはこの際問題ではない。
ただその跳ぼうとする行為、それこそが重要だ。
「……もしもし」
森田は受話器を握りしめ、耳に押し当てた。
暗い魔の淵に、自ら身を投げるように。
********
佐原はフロントに接した隣室の窓から、森田が出て行くのを確認した。
どこへ向かうのか、闇の中へと向かい走り去っていく。
壁には耳を接したまま、フロント側の様子を探る行為は怠らない。
森田が出て行った事が何かの演技でなければ、建物の中には南郷だけが残ったはずだ。
一体、森田の身に何が起こったのか。先刻の電話は何だったのか。
知るためには、南郷に接触するしかない。
佐原は意思を固めて、銃を両手に抱え、廊下に続く扉に手をかけた。
先程の電話は、自分がかけたわけではない。
内線電話の仕組みがどうなっているのか分からない以上、不用意に電話を使うのは躊躇われた。
カラオケやホテルでは、通話口で部屋番号を伝えずとも、フロント側でそれを判別する事が可能だ。
この建物の内線電話にも同様の機能が備わっているだろうと判断した。
森田の説得はそれなりに魅力的だった。
何より、禁止エリアを把握していない自分はどこかで情報を入手しなければならない。
連合するかどうかは別として、情報を得るだけならば、接触してもいいかもしれない。
そう考える程度には、森田と南郷に対し、警戒のハードルを下げていた。
森田が言ったとおり、一人きりでは行動が大きく制限されたままだ。
今の状態では、どこに隠れようと、安心して眠ることなどできそうにない。
睡魔と疲労は、恐怖という精神の異常な高揚をこえて、体のあちこちに泥のように絡み付いてくる。
安心できる居場所を手に入れたい。
それは佐原にとって、何より切実な願いでもあった。
まずは銃を構えたまま接触し、しばらく様子を見る。
一緒に行動して問題がないと判断した時は、先刻自分が思いついたアイデアを話す。
駄目だと思った時は、逃げればいい。
こちらは武器をもっているのだ。そう簡単に襲い掛かってはこないだろう。
深夜を過ぎて鈍りはじめた思考の中で、佐原が行動を起こそうとした間際。
フロントの電話が鳴った。もちろん、自分は電話をかけていない。
ならばこの館内に森田達や自分以外の誰かがいるのか?
予想外の状況に佐原はパニックを起こしかけた。
しかし、壁越しに聞こえてくる森田の声がこれまでになく慌てていたことが、逆に佐原の興奮を鎮めた。
旅館から出て行ったところを見ると、電話の相手は建物の外。
この建物へと外から電話をかけられるような人間など、限定されている。
恐らくは主催。もしくはそれにつながる人物からの連絡ではないか?
佐原は思案した末に、建物に残された南郷に接触することに決めた。
森田は遠藤に比べ誠実そうに見えたが、南郷はそれに輪をかけて善良そうだ。
先刻、森田に続いて語った南郷の言葉を聞いて確信した。
どこか得体の知れない強かさを感じさせる森田に比べ、南郷はどこにでもいるような一般人。
自分やカイジと一緒に鉄骨レースに参加した、石田のような人間だろう。
南郷とならば話してもいい。そう思い、フロントが見渡せる場所までやってきた。
「南郷、お前一人か…?」
「あ、ああ。森田は、外に出て行った」
「最初に言っておく。俺は、まだ森田って男を信用していない。だが、あんたとなら話してもいいと思ってる」
「ど、どうしてだ。俺なんか、……何もできないただの…」
「だからいいんだ」
両腕で構えていた銃口を、佐原はゆっくりとおろした。
図体こそ立派だが、南郷からは戦意が感じられない。むしろ武器を見て、怯えている。
どこにでもいるような、普通の人間の反応だ。そうだ、それが普通なのだ。
遠藤のように他人を撃てとそそのかしたり、森田のように平然と銃口に身を晒すような奴の方がどうかしている。
「俺は人を殺せない。殺す度胸もない。だからといって、主催に立ち向かう力もない。
ついでに言えば、ギャンブルの才能もない。
森田は何か考えがあるようだが、どこか底が知れない。
それがどうも、信用できないんだ。
……いや、信用はできるのかもしれない。だけど俺は、奴が怖い」
「怖い?森田が?」
「普通、こんな状況であそこまで堂々としていられるか?」
「そういう人間も、たまにはいるんじゃないか?」
「あんたにとっちゃ森田は頼もしい存在かもしれないが…。
俺にしてみたら、理解不能だ。まだ遠藤の方が分かりやすい。
森田って男は、こんな状況に慣れているか、神経がイカれてるかのどっちかだ」
「……佐原」
「俺は板倉を撃った後、混乱して、禁止エリアの放送を聞いていなかった。
それどころじゃなかったんだよ。
自分でもみっともないと思うが、それが普通の人間じゃないか。
あんたも話は全部聞いていただろう。俺の立場だったら、どうしていた?」
「何も、……何もできなかっただろう」
佐原と同じ状況に追い込まれた自分の姿を想像したのか、南郷が力なく首を振った。
その反応に満足した佐原は、銃を腕に抱えたまま、手近なソファに腰を下ろした。
「教えてくれ。あいつが参加者の動向を把握できるってのは本当なのか?」
「本当だ。どうなっているのか、仕組みはよく分からないが。
画面に情報が表示されて、そいつを手帳にメモしていた」
「画面?パソコンのディスプレイか?そういや、さっきもソフトがどうとか言ってたしな…」
「……すまない。そのあたりは詳しくない…。そこにある、その機械と同じような形の物だ」
そういって南郷が指差したのは、フロントに設置されているデスクトップのパソコンだった。
「なるほど。そうなると、今は情報を見られる状態じゃないってことか。
ノートパソコンでもでもあれば話は別だけどな」
「俺達はあの場所から何も持って出なかった。機械なんてものは何も持ち出してない…と思う…」
断定ができない様子に、南郷はパソコン関係に対し本当に疎いのだと佐原は判断した。
同時に、森田が持つ参加者の動向情報に一定の信憑性を認める。
首輪が携帯電話のように電波で制御されているのであれば、位置の把握は難しくない。
GPSでも仕込んでおけば一発だ。
自分しか知らなかったはずの情報を知っていたということは、何らかの形で音声を盗聴している可能性が高い。
位置関係と音声の把握。それができるならば、森田はいわばこのゲームで神の目を持っているも同然だ。
死と隣り合わせの状況において、あれだけの自信があったのもそれならば頷ける。
「どうして森田はここを出て行ったんだ。さっきの電話は何だったんだ?」
「……俺も、よく分からない。ただ、森田の話じゃ、主催からじゃないかと…」
「主催?どうして主催が森田に?出て行ったってことは、呼び出されたのか?」
先程の電話が主催側からのものではないかとある程度予測していた佐原は、あえて何も知らないふりをした。
佐原の予想通り、南郷は素直に事情を説明してくれた。
「なぜ呼び出されたのか、森田も分からないといっていた。
だが、これはチャンスかもしれない。
それに、呼び出しを断ったら首輪を爆破すると脅されたようだ。
だから無視はできないと…」
「……チャンス…?」
「交渉するとか、事情を聞くとか、とにかく、行くしかないと言って、出て行った」
「あんたをここにおいてか?」
「一人で来るように指定されたらしい。この近くのギャンブルルームだ。
歩いてすぐだと言っていた。俺は、ついていってもよかったんだが。
どうせ、その間、ギャンブルルームには入れない。
部屋の外で立って待ってるのに比べたら、この中にいたほうが安全な気がした」
「忘れたのか。俺は銃を持ってるんだぜ。こっちが撃ってくるとは思わなかったのか」
「……え?……あ!」
言われて初めて気がついた、という顔で驚く南郷。
これまで自分が一度も撃たなかったからといって、絶対に発砲しないという保障はどこにもない。
考えたくもない話だが、暴発や、2度目の誤射という可能性もある。
銃器など扱ったことがないのだ。何が起きてもおかしくない。
南郷の甘すぎる現実認識に溜息が漏れた。
もっとも、こんな男だからこそ、森田は遠藤よりも南郷を選んだのかもしれないが。
或いは他に、南郷を選んだ理由があるとしたら?
命の危険に晒され続けた佐原は、目の前にある事実を素直に受け止めることが難しくなっていた。
森田に対する得体の知れない恐怖。
損得抜きの善意など信じられないという打算的な側面が、佐原の中で燻る猜疑心を煽る。
誰かを疑う事は、苦しいだけだ。誰も信じられなければ、一人で孤立するしかない。
だが自分はこれまで、誰かを心底信じることができただろうか。
この島に来るより、遥か以前。
コンビニでバイトをしていた頃から、誰かを心の底から信頼したことなどなかった。
表面だけのつきあい。薄っぺらい人間関係。それが当たり前の世界だった。
無償の善意などあるわけがない。
それは鉄骨渡りという死のゲームに直面した時点で嫌という程悟ったはずだ。
究極まで突き詰めれば、信頼できるのは自分だけ。
遠藤ではなく、南郷と共に行動する森田の行動が打算ではないと誰が保障できる?
「……なあ、南郷。もしかしたら森田は、主催の手先なんじゃないか?」
「森田が…?まさか」
「考えて見れば、参加者の動向を確認できるソフトなんて、そんな便利なモンをもってること自体がおかしいだろ」
「だけどあいつは、遠藤より俺を選ぶようなお人よしだ…」
「それが演技だとしたら…?」
「演技…?」
「遠藤には自分の正体がバレそうになった。だから別れて、あんたと一緒にいる。
俺が言うのも何だが、あんたはいかにも善良そうだからな。一緒にいるだけで、カモフラージュになる」
一度疑い始めると、きりがない。
分かっていたつもりだが、佐原は膨らんでいく疑惑という名の妄想を否定することができなかった。
「馬鹿な…。大体、そんなことして、あいつに何の得があるっていうんだ」
「……まあ、そうだな。確かに…」
仮に森田が主催者と繋がっている存在だとして、
その意義は何かと問われると、咄嗟に連想できるものは何もない。
殺人を快楽とする狂人が、『神の目』を駆使して密かに参加者を殺して回っているのか?
だとすれば、遠藤と別れてきたといったが、当の遠藤は既に死んでいるかもしれない。
佐原は自分の想像に、手足の先から体温が奪われ、冷えていくのを感じた。
「……そ、そういえば、あんたは、遠藤と森田が別れるところを見てたんだろう。
物騒な雰囲気にならなかったのか?……その、……殴り合いとか……?」
「いや、俺は森田に言われて、先に建物を出ているように言われたから…、話し合いだったのか、喧嘩をしたのかもよく分からないんだ」
南郷の言葉は、遠藤の生存を保証するものではなかった。
むしろ疑いを抱き始めている佐原にとっては、死亡の裏付けのように感じられた。
もしも森田が殺人者ならば、自分はターゲットとしてロックオンされたも同然だ。
早くここから逃げなければ、戻ってきた森田に遠からず殺される。
たとえ逃げても森田が参加者の動向を把握できる以上、完全に逃げ切ることはできない。
「いやいや、待てよ…」
佐原はぼそりと、独り言を呟いた。
そもそもなぜ、森田は自分を獲物に選んだのだ?
南郷はカモフラージュとしてしばらくは生かしておくとして、
遠藤の次に自分がターゲットになった理由は何だ。
単純に、もっとも近場にいたから、という理由ならば問題はない。
無差別の快楽殺人ならば、他のターゲットが現れれば当面の殺意からは逃れられる。
だがそこに、無差別ではない、何らの事情があったとしたら?
仮に遠藤が既に死んでいるとすれば、そこにも意味が隠されているかもしれない。
そういえばあの男は、参加者の選出を手伝ったと言っていなかったか。
全参加者の顔と名前を知っている。その上、森田の近くにいたおかげで参加者の動向を知る事が出来た。
つまり遠藤は、ゲームの真相に近づきすぎた。その気になれば優勝も夢ではない。
――――「粛清」
ひとつの単語が、佐原の脳裏を過ぎる。
ゲームを深く知りすぎたが故の粛清。遠藤があっさりと優勝しては面白くないと感じた主催者の意向が働き、殺された。
帝愛が主催ならば、それは十分にありうる話だと佐原は思った。
命をかけたレースを笑いながら観戦しているような連中の親玉だ。
ゲームを盛り上げるために、不必要な存在を刈り取るくらいは平然とやるだろう。
だとすれば次に自分が狙われた理由は、何だ…?
主催の意思に反した行動など、自分はこれまで一度もとったことがない。
どこかで自分の姿を眺めていた人間がいるならば、
仲間を誤射した挙句に、錯乱して逃げ出した姿など、愉快以外のなにものでもなかったはずだ。
あえて存在を削除される可能性をあげるならば…、……首輪のシステムに気づいた点だ。
首輪は電波で制御されている。圏外に入れば起爆から逃れることができるかもしれない。
先程の自分の思いつきは、まさに天啓とも言うべき閃きだった。
それを言葉として発していなかったか?
自分では気がつかないうちに、独り言として呟いていたら?
首輪には十中八九、盗聴機能が備わっている。
喉元に装着している道具だけに、小さな音でも拾う可能性はある。
問題のある発言はしていない。
記憶の中では独り言など発していないはずだが、確信はもてなかった。
万が一、自分が首輪の秘密に迫った発言をしており、森田がそれに気がつき粛清を目論んでいるとしたら?
――――殺される。
恐怖で冷えた指先が、自分の意思とは無関係に震えた。
震えは指先だけにとどまらず、足先、膝、肩と広がり、ついには歯の根があわずガチガチと鳴った。
「どうした。…具合でも悪いのか?」
「…い、…いや、何でもない…」
突然震えはじめた佐原の様子を不審に思い、南郷が声をかけてきた。
佐原は室内に南郷がいることを思い出し、少しだけ落ち着いた。
すべては自分の想像に過ぎない。
壮大な妄想を繰り広げた挙句、勝手に怯えているだけかもしれないのだ。
とはいえ、森田を警戒するにこしたことはない。
南郷が見ている前では何事もおきないだろうが、二人きりになるのは危険だ。
この場から一目散に逃げ出したとしても、主催に目をつけられているかもしれない以上、生き延びるための道は限られている。
森田が主催と繋がる殺し屋であるか否か、見極める必要がある。
場合によっては南郷に真実を知らせ、二人で森田を排除する。
自分が生き残る方法は、それしか残されていない。
人を殺すのはごめんだ。誰だって、望んで殺人者になりたいとは思わない。
だとしても、自分が殺される間際になって、死から逃れたいと望むことの何が悪い?
自分自身の命を守るための反撃は、罪ではない。
「正当防衛」という言葉が裁判でも罷り通っているのが、その証拠だ。
実際に引き金をひけるかどうかは、その場になってみなければ分からない。
ショッピングモールでの出来事のように、何も出来ず逃げ出してしまうかもしれない。
それでも佐原は、内心で覚悟を決めた。
定時放送では、死者の名前が発表される。
森田が殺人者か否か、遠藤の生死で判別すればいい。
「……なあ、南郷。次の定時放送まで、一緒にいないか。
森田がどんな奴か、自分なりに話して判断しようと思う」
「…あ、ああ。かまわない。むしろ歓迎だ」
「よかった。じゃあ早速だが、禁止エリアを教えてくれないか。さっきも言ったが、慌てていたせいで聞き逃しちまってるんだ」
「そういうことなら、俺でも出来るな!」
やっと出来ることが見つかったとばかりに、南郷はそそくさと荷物から地図を取り出した。
第一回放送で告げられた禁止エリアを聞きながら、佐原は迫りくる恐怖とともに、こみ上げてくる吐き気を必死に堪えていた。
[[猜疑と疑惑(後編)]]
**猜疑と疑惑(前編) ◆mkl7MVVdlA氏
「佐原。いるんだろう。出て来てくれ。
……いや、俺たちが信頼できないなら無理に姿を現さなくてもいい。
とにかく、俺の声が聞こえる場所にいてくれ。
お前が出てくるまで、俺たちはフロントを動かない」
温泉旅館の内部に入った森田は、南郷を連れてフロント中央に立ち、声をはり上げた。
佐原以外の人間、それも殺人に加担しているような輩が潜んでいた場合、それは自殺行為に等しい。
森田が遠藤と別れる間際に確認した限りでは周辺に他の人間がいなかったとはいえ、可能性はゼロではない。
それでもあえて自分の居場所を知らせたのは、佐原を悪戯に刺激しないためだ。
佐原は今、過剰な程のストレスに晒されている。拳銃の誤射、それによる誤解、裏切り。
それらの心理的な瑕疵に加えて、常時、命を狙われ続けるという尋常ではない圧迫感。
殺意という見えない恐怖に、喉をぎりぎりと締め上げられているはずだ。
生死の境界線に立たされる苦しさを、森田は嫌という程知っている。
人間の精神はそれほど丈夫にできていない。長時間恐怖に晒されすぎると、感覚が麻痺してくる。
戦場に駆り出された兵士が殺人を躊躇わなくなるように、時間が経てば経つ程に島内で殺人者は増加する。
自分が殺されると分かっていても、手元にある拳銃の引き金を引かずにいられる人間など稀有に等しい。
森田の脳裏には、神威ビルでの惨劇があった。
人間は、きっかけさえあれば実に容易く人間を殺す。
だからこそ、佐原との接触を急ぐ必要があった。
森田は何度か「自分はフロントにいる」「声が聞こえる場所にいてくれ」という意味の発言を繰り返した後、佐原の姿が見えぬままに語りだした。
「遠藤とは別れてきた。あいつは頭がキレるが、信用はできない。だから決別してきた。
今ここにいるのは、俺と、南郷の二人だけだ。
こっちは丸腰。武器になるような物は何も持っちゃいない。
自己申告じゃ信用できないかもしれないが、さっき遠藤がお前に何と言ったか思い出してくれ。
あいつは俺たちが丸腰だと言った。武器を持つお前に、丸腰の俺たちを殺せ、とも。
遠藤が言っていた通り、俺たちは武器を所持していない。
俺たちは、佐原、お前と組みたい。
あの時、あえて選択を回避することで、殺人に乗らなかったお前と。
……そう考えて、ここまで来た」
室内からの応答はない。聴覚を研ぎ澄ませても、物音ひとつ拾うことはできなかった。
感じるのは自分の声の余韻と、南郷の気配。南郷には、念のために玄関側を見張って貰っていた。
完全に背を預ける形だが、背後から刺される心配はない。
そういう男だからこそ、森田は、一見して何の役にも立たないと思った南郷を選び、遠藤を捨てたのだ。
「お前が俺たちと組む利点をあげようと思う。
どこかで気になることがあったら、質問してくれ。
さっき確かめたんだが、電話を使って外部に連絡を取ることはできない。
だが、電話機に電源は入っている。つまり、内線は生きているんだ。
フロントに電話をしてくれれば、会話はできると思う」
森田はゆっくりと歩き、フロント内部に入った。
佐原に向かって説明したとおり、館内の内線電話を示すランプは密やかに点灯していた。
通路の端に設置された非常灯の明かりがわずかに室内を照らしている。
「――お前が俺たちと合流すれば、第一に、人数が増える。
こいつは単純なようで意外と重要だ。一人きりじゃまともに寝ることもできない。
定時放送があるだけじゃない。寝てる間に襲われる可能性があるからな。
その点、人数が多ければ見張りを立てて交代で体を休めることができる。
そして俺たちは殺し合いに乗っていない。
人を殺してまで、自分が生き残ろうとは思っちゃいないってわけだ。
つまり、身を預けて眠っても安全。もっとも、この点に関しちゃ、互いに信用するしかないがね」
全体的に薄ぼんやりとした闇の中で、森田は手元に一冊の手帳を取り出した。
ショッピングモールで採取したデータは、人物ごとにまとめてある。
森田は手帳のページを捲り、佐原に関する項目を視線でたどった。
「俺はこの、非道な殺人ゲームを否定する。だからといって黙って殺されるのを待つわけじゃない。
この島からの生還を目指す。そのための道具がここにある。
俺はゲーム参加者のこれまでの動向を握ってる。
こいつを有効に使えば、有効な情報を持っている連中や、強力な武器を持っている人間と接触、連合が可能だ。
……どうしてそんなことができるかって?
初期配布の道具が参加者全員の動向を閲覧できるソフトだったからさ」
自分に与えられた道具が本物であることを証明するためには、佐原が自分たちに喋っていない新たな情報を提示する必要がある。
先程の佐原は遠藤に誘導され、重要な項目は殆ど自ら口にしていたが、それでも幾つか、細かな内容が残されていた。
「佐原。お前と板倉の最初の接触は、話し合いなんていう穏やかなものじゃなかった。
板倉は毒を持っていた。そいつで脅されたはずだ。
合流してから身を潜めていたのは、すぐ近くのホテルの上階。
お前が誤って拳銃を発射してしまった時刻は、夕方。
――――分かるか。俺たちはお前の行動を知ることができた。
そして、板倉はもう死んでる。一条という男の手によって殺されているんだ。
板倉が死んだ以上、お前の誤射を知る者はいない。板倉が復讐を仕掛けてくる事もない。
そして俺達は、あれが間違いだった事を知っている」
そこまで一気に話しきったところで、森田は一度、大きく息をついた。
板倉が毒を所持していたことは知っているが、それで佐原を直接的に脅していたかどうかは不明だ。
全ては会話記録からの推測に過ぎない。あくまでも条件を重ねあわせた上での想像でしかない。
とはいえ、これまでに森田が得てきた「板倉」という男の人物像から推し量れば可能性は低くない。
むしろこの程度の推測が当たらぬ程度では、数時間にわたって行動記録を観察し続けた意味がない。
「さっきも言ったとおり、俺達は敵じゃない。
殺し合いに乗っていない連中を集めて、このゲームを破綻させたい。
可能であれば、合流してほしい」
いつの間にか、手帳を持つ森田の手は大量の汗で濡れていた。
緊張すると顔ではなく手に出る癖は、昔から変わっていない。
「…………」
無言で待つ時間は、想像以上に長く感じられた。
ここで佐原を味方につけられなければ、自分は結局、それだけの男だという事だ。
かつて行動をともにしていた平井銀二のように、他人を安心させるだけの能力も、懐の広さもない。
「森田、俺からも言わせてくれ」
森田が佐原からの返事を諦めかけた時、
旅館の玄関口を見張っていた南郷が、建物に入って初めてまともに口を開いた。
「佐原。俺は……あんたと同じだ。誰も殺したくない。殺す度胸なんてまるでない。
だからって死ぬのは嫌だ。どうにかして生きて帰りたいと思っている。
できるなら、一刻も早くこんな地獄から逃げ出したい。
ここにきてから後悔の連続だ。
今でも、こいつは何かの冗談で、悪い夢でも見てるんじゃないかと思う。
だけどここは現実で、俺は実際に殺されかけた。
……森田は、こいつは悪い奴じゃない。単純な、損得で動く奴じゃないんだ。
その証拠に、こんな、何の役にも立たない俺と、遠藤って男を比べて、俺を選んでくれた」
「南郷…」
「いいんだ。俺は結局、何の役にも立ってない。それくらいは分かってるさ。
だからせめてこれぐらい、言わせてくれ」
薄暗い室内で、南郷が笑う気配がした。
佐原から不安を取り除くどころか、南郷に勇気付けられている自分に気がついた森田は、無意識のうちに張り詰めていた肩の力を抜いた。
場の雰囲気が緩み、森田の中に落ち着きと余裕が生まれる。
掌を湿らせていた汗が、少しずつ引いていく。
こちらが気を昂ぶらせていては、対話する相手が落ち着くはずがない。
安心感を与えるためには、まず自分が落ち着くことだ。
交渉の基本を思い出した森田が、仕切りなおすために手帳を上着のポケットに収めた瞬間、フロント内部の電話が鳴り響いた。
佐原が話し合いに応じてくれたのかと思い、森田が電話に手を伸ばす。
フロントには、電話をかけてきた部屋の番号を示す機能が備わっていた。
各部屋の設備がどうなっているのかは不明だが、全ての親元となるフロントでは、通話状況の把握ができるらしい。
電話機と一体型の液晶画面に表示されている部屋番号は「**9」。
森田は、フロントに張り出されている館内の見取り図に視線を向けた。
「――――?」
見落としか、見間違いか。
液晶に表示されている部屋番号は館内見取り図のどこにも表示されていなかった。
不審に思いながらも、受話器を握る。
「………ッ!」
白いプラスチックの受話器に触れた途端、静電気のような痺れが走った。
指先から始まり、背筋から脳天までをゾクゾクと走り抜ける悪寒。
それは、仲間が増える前向きな予感ではない。むしろもっと、不穏な何か。
この電話に出てはいけない。森田の中で本能的な何かが通話を拒否した。
この先には表現しようもない大きな危険が迫っている。
先の見えない、深い谷。それが目の前に口をあけて待っている。
その危うさが同時に、森田の心を奮い立たせた。
この谷を飛べるかどうかは自分の力の及ぶところではない。それは谷が決めること。
――――俺にできることは、ただ地を蹴り、身を宙に投げること!
跳べるか跳べないかはこの際問題ではない。
ただその跳ぼうとする行為、それこそが重要だ。
「……もしもし」
森田は受話器を握りしめ、耳に押し当てた。
暗い魔の淵に、自ら身を投げるように。
********
佐原はフロントに接した隣室の窓から、森田が出て行くのを確認した。
どこへ向かうのか、闇の中へと向かい走り去っていく。
壁には耳を接したまま、フロント側の様子を探る行為は怠らない。
森田が出て行った事が何かの演技でなければ、建物の中には南郷だけが残ったはずだ。
一体、森田の身に何が起こったのか。先刻の電話は何だったのか。
知るためには、南郷に接触するしかない。
佐原は意思を固めて、銃を両手に抱え、廊下に続く扉に手をかけた。
先程の電話は、自分がかけたわけではない。
内線電話の仕組みがどうなっているのか分からない以上、不用意に電話を使うのは躊躇われた。
カラオケやホテルでは、通話口で部屋番号を伝えずとも、フロント側でそれを判別する事が可能だ。
この建物の内線電話にも同様の機能が備わっているだろうと判断した。
森田の説得はそれなりに魅力的だった。
何より、禁止エリアを把握していない自分はどこかで情報を入手しなければならない。
連合するかどうかは別として、情報を得るだけならば、接触してもいいかもしれない。
そう考える程度には、森田と南郷に対し、警戒のハードルを下げていた。
森田が言ったとおり、一人きりでは行動が大きく制限されたままだ。
今の状態では、どこに隠れようと、安心して眠ることなどできそうにない。
睡魔と疲労は、恐怖という精神の異常な高揚をこえて、体のあちこちに泥のように絡み付いてくる。
安心できる居場所を手に入れたい。
それは佐原にとって、何より切実な願いでもあった。
まずは銃を構えたまま接触し、しばらく様子を見る。
一緒に行動して問題がないと判断した時は、先刻自分が思いついたアイデアを話す。
駄目だと思った時は、逃げればいい。
こちらは武器をもっているのだ。そう簡単に襲い掛かってはこないだろう。
深夜を過ぎて鈍りはじめた思考の中で、佐原が行動を起こそうとした間際。
フロントの電話が鳴った。もちろん、自分は電話をかけていない。
ならばこの館内に森田達や自分以外の誰かがいるのか?
予想外の状況に佐原はパニックを起こしかけた。
しかし、壁越しに聞こえてくる森田の声がこれまでになく慌てていたことが、逆に佐原の興奮を鎮めた。
旅館から出て行ったところを見ると、電話の相手は建物の外。
この建物へと外から電話をかけられるような人間など、限定されている。
恐らくは主催。もしくはそれにつながる人物からの連絡ではないか?
佐原は思案した末に、建物に残された南郷に接触することに決めた。
森田は遠藤に比べ誠実そうに見えたが、南郷はそれに輪をかけて善良そうだ。
先刻、森田に続いて語った南郷の言葉を聞いて確信した。
どこか得体の知れない強かさを感じさせる森田に比べ、南郷はどこにでもいるような一般人。
自分やカイジと一緒に鉄骨レースに参加した、石田のような人間だろう。
南郷とならば話してもいい。そう思い、フロントが見渡せる場所までやってきた。
「南郷、お前一人か…?」
「あ、ああ。森田は、外に出て行った」
「最初に言っておく。俺は、まだ森田って男を信用していない。だが、あんたとなら話してもいいと思ってる」
「ど、どうしてだ。俺なんか、……何もできないただの…」
「だからいいんだ」
両腕で構えていた銃口を、佐原はゆっくりとおろした。
図体こそ立派だが、南郷からは戦意が感じられない。むしろ武器を見て、怯えている。
どこにでもいるような、普通の人間の反応だ。そうだ、それが普通なのだ。
遠藤のように他人を撃てとそそのかしたり、森田のように平然と銃口に身を晒すような奴の方がどうかしている。
「俺は人を殺せない。殺す度胸もない。だからといって、主催に立ち向かう力もない。
ついでに言えば、ギャンブルの才能もない。
森田は何か考えがあるようだが、どこか底が知れない。
それがどうも、信用できないんだ。
……いや、信用はできるのかもしれない。だけど俺は、奴が怖い」
「怖い?森田が?」
「普通、こんな状況であそこまで堂々としていられるか?」
「そういう人間も、たまにはいるんじゃないか?」
「あんたにとっちゃ森田は頼もしい存在かもしれないが…。
俺にしてみたら、理解不能だ。まだ遠藤の方が分かりやすい。
森田って男は、こんな状況に慣れているか、神経がイカれてるかのどっちかだ」
「……佐原」
「俺は板倉を撃った後、混乱して、禁止エリアの放送を聞いていなかった。
それどころじゃなかったんだよ。
自分でもみっともないと思うが、それが普通の人間じゃないか。
あんたも話は全部聞いていただろう。俺の立場だったら、どうしていた?」
「何も、……何もできなかっただろう」
佐原と同じ状況に追い込まれた自分の姿を想像したのか、南郷が力なく首を振った。
その反応に満足した佐原は、銃を腕に抱えたまま、手近なソファに腰を下ろした。
「教えてくれ。あいつが参加者の動向を把握できるってのは本当なのか?」
「本当だ。どうなっているのか、仕組みはよく分からないが。
画面に情報が表示されて、そいつを手帳にメモしていた」
「画面?パソコンのディスプレイか?そういや、さっきもソフトがどうとか言ってたしな…」
「……すまない。そのあたりは詳しくない…。そこにある、その機械と同じような形の物だ」
そういって南郷が指差したのは、フロントに設置されているデスクトップのパソコンだった。
「なるほど。そうなると、今は情報を見られる状態じゃないってことか。
ノートパソコンでもでもあれば話は別だけどな」
「俺達はあの場所から何も持って出なかった。機械なんてものは何も持ち出してない…と思う…」
断定ができない様子に、南郷はパソコン関係に対し本当に疎いのだと佐原は判断した。
同時に、森田が持つ参加者の動向情報に一定の信憑性を認める。
首輪が携帯電話のように電波で制御されているのであれば、位置の把握は難しくない。
GPSでも仕込んでおけば一発だ。
自分しか知らなかったはずの情報を知っていたということは、何らかの形で音声を盗聴している可能性が高い。
位置関係と音声の把握。それができるならば、森田はいわばこのゲームで神の目を持っているも同然だ。
死と隣り合わせの状況において、あれだけの自信があったのもそれならば頷ける。
「どうして森田はここを出て行ったんだ。さっきの電話は何だったんだ?」
「……俺も、よく分からない。ただ、森田の話じゃ、主催からじゃないかと…」
「主催?どうして主催が森田に?出て行ったってことは、呼び出されたのか?」
先程の電話が主催側からのものではないかとある程度予測していた佐原は、あえて何も知らないふりをした。
佐原の予想通り、南郷は素直に事情を説明してくれた。
「なぜ呼び出されたのか、森田も分からないといっていた。
だが、これはチャンスかもしれない。
それに、呼び出しを断ったら首輪を爆破すると脅されたようだ。
だから無視はできないと…」
「……チャンス…?」
「交渉するとか、事情を聞くとか、とにかく、行くしかないと言って、出て行った」
「あんたをここにおいてか?」
「一人で来るように指定されたらしい。この近くのギャンブルルームだ。
歩いてすぐだと言っていた。俺は、ついていってもよかったんだが。
どうせ、その間、ギャンブルルームには入れない。
部屋の外で立って待ってるのに比べたら、この中にいたほうが安全な気がした」
「忘れたのか。俺は銃を持ってるんだぜ。こっちが撃ってくるとは思わなかったのか」
「……え?……あ!」
言われて初めて気がついた、という顔で驚く南郷。
これまで自分が一度も撃たなかったからといって、絶対に発砲しないという保障はどこにもない。
考えたくもない話だが、暴発や、2度目の誤射という可能性もある。
銃器など扱ったことがないのだ。何が起きてもおかしくない。
南郷の甘すぎる現実認識に溜息が漏れた。
もっとも、こんな男だからこそ、森田は遠藤よりも南郷を選んだのかもしれないが。
或いは他に、南郷を選んだ理由があるとしたら?
命の危険に晒され続けた佐原は、目の前にある事実を素直に受け止めることが難しくなっていた。
森田に対する得体の知れない恐怖。
損得抜きの善意など信じられないという打算的な側面が、佐原の中で燻る猜疑心を煽る。
誰かを疑う事は、苦しいだけだ。誰も信じられなければ、一人で孤立するしかない。
だが自分はこれまで、誰かを心底信じることができただろうか。
この島に来るより、遥か以前。
コンビニでバイトをしていた頃から、誰かを心の底から信頼したことなどなかった。
表面だけのつきあい。薄っぺらい人間関係。それが当たり前の世界だった。
無償の善意などあるわけがない。
それは鉄骨渡りという死のゲームに直面した時点で嫌という程悟ったはずだ。
究極まで突き詰めれば、信頼できるのは自分だけ。
遠藤ではなく、南郷と共に行動する森田の行動が打算ではないと誰が保障できる?
「……なあ、南郷。もしかしたら森田は、主催の手先なんじゃないか?」
「森田が…?まさか」
「考えて見れば、参加者の動向を確認できるソフトなんて、そんな便利なモンをもってること自体がおかしいだろ」
「だけどあいつは、遠藤より俺を選ぶようなお人よしだ…」
「それが演技だとしたら…?」
「演技…?」
「遠藤には自分の正体がバレそうになった。だから別れて、あんたと一緒にいる。
俺が言うのも何だが、あんたはいかにも善良そうだからな。一緒にいるだけで、カモフラージュになる」
一度疑い始めると、きりがない。
分かっていたつもりだが、佐原は膨らんでいく疑惑という名の妄想を否定することができなかった。
「馬鹿な…。大体、そんなことして、あいつに何の得があるっていうんだ」
「……まあ、そうだな。確かに…」
仮に森田が主催者と繋がっている存在だとして、
その意義は何かと問われると、咄嗟に連想できるものは何もない。
殺人を快楽とする狂人が、『神の目』を駆使して密かに参加者を殺して回っているのか?
だとすれば、遠藤と別れてきたといったが、当の遠藤は既に死んでいるかもしれない。
佐原は自分の想像に、手足の先から体温が奪われ、冷えていくのを感じた。
「……そ、そういえば、あんたは、遠藤と森田が別れるところを見てたんだろう。
物騒な雰囲気にならなかったのか?……その、……殴り合いとか……?」
「いや、俺は森田に言われて、先に建物を出ているように言われたから…、話し合いだったのか、喧嘩をしたのかもよく分からないんだ」
南郷の言葉は、遠藤の生存を保証するものではなかった。
むしろ疑いを抱き始めている佐原にとっては、死亡の裏付けのように感じられた。
もしも森田が殺人者ならば、自分はターゲットとしてロックオンされたも同然だ。
早くここから逃げなければ、戻ってきた森田に遠からず殺される。
たとえ逃げても森田が参加者の動向を把握できる以上、完全に逃げ切ることはできない。
「いやいや、待てよ…」
佐原はぼそりと、独り言を呟いた。
そもそもなぜ、森田は自分を獲物に選んだのだ?
南郷はカモフラージュとしてしばらくは生かしておくとして、
遠藤の次に自分がターゲットになった理由は何だ。
単純に、もっとも近場にいたから、という理由ならば問題はない。
無差別の快楽殺人ならば、他のターゲットが現れれば当面の殺意からは逃れられる。
だがそこに、無差別ではない、何らの事情があったとしたら?
仮に遠藤が既に死んでいるとすれば、そこにも意味が隠されているかもしれない。
そういえばあの男は、参加者の選出を手伝ったと言っていなかったか。
全参加者の顔と名前を知っている。その上、森田の近くにいたおかげで参加者の動向を知る事が出来た。
つまり遠藤は、ゲームの真相に近づきすぎた。その気になれば優勝も夢ではない。
――――「粛清」
ひとつの単語が、佐原の脳裏を過ぎる。
ゲームを深く知りすぎたが故の粛清。遠藤があっさりと優勝しては面白くないと感じた主催者の意向が働き、殺された。
帝愛が主催ならば、それは十分にありうる話だと佐原は思った。
命をかけたレースを笑いながら観戦しているような連中の親玉だ。
ゲームを盛り上げるために、不必要な存在を刈り取るくらいは平然とやるだろう。
だとすれば次に自分が狙われた理由は、何だ…?
主催の意思に反した行動など、自分はこれまで一度もとったことがない。
どこかで自分の姿を眺めていた人間がいるならば、
仲間を誤射した挙句に、錯乱して逃げ出した姿など、愉快以外のなにものでもなかったはずだ。
あえて存在を削除される可能性をあげるならば…、……首輪のシステムに気づいた点だ。
首輪は電波で制御されている。圏外に入れば起爆から逃れることができるかもしれない。
先程の自分の思いつきは、まさに天啓とも言うべき閃きだった。
それを言葉として発していなかったか?
自分では気がつかないうちに、独り言として呟いていたら?
首輪には十中八九、盗聴機能が備わっている。
喉元に装着している道具だけに、小さな音でも拾う可能性はある。
問題のある発言はしていない。
記憶の中では独り言など発していないはずだが、確信はもてなかった。
万が一、自分が首輪の秘密に迫った発言をしており、森田がそれに気がつき粛清を目論んでいるとしたら?
――――殺される。
恐怖で冷えた指先が、自分の意思とは無関係に震えた。
震えは指先だけにとどまらず、足先、膝、肩と広がり、ついには歯の根があわずガチガチと鳴った。
「どうした。…具合でも悪いのか?」
「…い、…いや、何でもない…」
突然震えはじめた佐原の様子を不審に思い、南郷が声をかけてきた。
佐原は室内に南郷がいることを思い出し、少しだけ落ち着いた。
すべては自分の想像に過ぎない。
壮大な妄想を繰り広げた挙句、勝手に怯えているだけかもしれないのだ。
とはいえ、森田を警戒するにこしたことはない。
南郷が見ている前では何事もおきないだろうが、二人きりになるのは危険だ。
この場から一目散に逃げ出したとしても、主催に目をつけられているかもしれない以上、生き延びるための道は限られている。
森田が主催と繋がる殺し屋であるか否か、見極める必要がある。
場合によっては南郷に真実を知らせ、二人で森田を排除する。
自分が生き残る方法は、それしか残されていない。
人を殺すのはごめんだ。誰だって、望んで殺人者になりたいとは思わない。
だとしても、自分が殺される間際になって、死から逃れたいと望むことの何が悪い?
自分自身の命を守るための反撃は、罪ではない。
「正当防衛」という言葉が裁判でも罷り通っているのが、その証拠だ。
実際に引き金をひけるかどうかは、その場になってみなければ分からない。
ショッピングモールでの出来事のように、何も出来ず逃げ出してしまうかもしれない。
それでも佐原は、内心で覚悟を決めた。
定時放送では、死者の名前が発表される。
森田が殺人者か否か、遠藤の生死で判別すればいい。
「……なあ、南郷。次の定時放送まで、一緒にいないか。
森田がどんな奴か、自分なりに話して判断しようと思う」
「…あ、ああ。かまわない。むしろ歓迎だ」
「よかった。じゃあ早速だが、禁止エリアを教えてくれないか。さっきも言ったが、慌てていたせいで聞き逃しちまってるんだ」
「そういうことなら、俺でも出来るな!」
やっと出来ることが見つかったとばかりに、南郷はそそくさと荷物から地図を取り出した。
第一回放送で告げられた禁止エリアを聞きながら、佐原は迫りくる恐怖とともに、こみ上げてくる吐き気を必死に堪えていた。
[[猜疑と疑惑(後編)]]
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