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「逆境の闘牌(中編)」(2011/10/29 (土) 09:55:34) の最新版変更点
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**逆境の闘牌(中編) ◆uBMOCQkEHY氏
アカギ達はギャンブルルームにたどり着くと、黒服に1600万円――4人で2時間分のチップを支払い、中に入った。
このギャンブルルームもまた、和也達が立てこもるギャンブルルームと同様、赤絨毯に、典麗な白磁器と、ラスベガスのカジノと美術館を足して二で割ったような内装となっている。
強いて言えば、和也達がいるギャンブルルームとの違いは、大きな窓が存在するか否かだろう。
ちなみに窓は分厚いカーテンによって外部からの干渉が遮断されている。
そんな瀟洒な雰囲気の中で、ギャンブルルームの中央を陣取る雀卓はどこか、場末の安っぽさを感じさせ、明らかに部屋の風景から浮いていた。
しかし、4人にとって、雀卓がどこにあろうと関係はない。
4人は黙ってその席に腰を下ろした。
平山はギャンブルルームの壁に掛けられたカーテンを横目にため息をつく。
(殺し合いから逃れるために命を賭けた勝負をする…本末転倒だよな…)
平山は考えていた。
兵藤和也という殺人鬼がこの近辺に潜んでいた時、どうやって逃げ出すかを。
自分達を含めた参加者の居場所は、ひろゆきから預かった首輪探知機で確認することはできる。
しかし、あくまで首輪を所持している者の位置を知るだけであって、その首輪が誰の物かまでは把握することはできない。
おそらく利根川の死体を発見した和也とそれに追随する者達は、平山達を捜索し、このギャンブルルーム周辺もうろつくであろう。
(万が一、窓から見える範囲に奴らがいれば、武器なんかを知ることもできるかもしれないが、そんな都合のいいことなんて起こるはずがない……)
この期に及んで、平山の思考は勝負にではなく、姿が見えぬ暗殺者に向けられていた。
点棒がマイナスにならなければ、助かることができる麻雀戦は自分の実力でも乗り切れる関門だが、暗殺者からの襲撃など、これまでの人生の中で、そんな経験は皆無なのだ。
対処の仕方など思い付くはずもない。
手元にある武器といえば、ひろゆきの日本刀とアカギが利根川から回収したデリンジャーくらい。
暗殺者である和也はアカギ達の殺害を嬉々として宣言した。
利根川がすでに殺されているか、捕まっているか――アカギが利根川から武器を奪っていることを認知した上で。
裏返せば、デリンジャー程度であれば、動じる必要がない――それ以上の武器、武力を持ち合わせているという自信の表れであろう。
平山の集中力が麻雀戦から離れてしまうのは至極当然のことであり、精神的に追い込まれた人間であれば、誰しもそう考える。
しかし、一般人であれば許される姿勢も、賭け事の世界で生きるギャンブラーにとっては酷く致命的であった。
ギャンブルとは絶望の断崖を飛び越えるようなものである。
谷の底は見えず、悲鳴のような風が吹き荒れ、挑戦者の心を震え上がらせる。
それでも、その湧きあがる恐怖を押さえながら、強固な精神で谷を飛び越える。
その時、初めて他のギャンブラーたちと同じ土俵に立つことができるのだ。
しかし、今の平山は本人も意識していないが、逃げ腰の姿勢――暗殺者に対して、いかにして戦うかではなく、いかにして逃げるか――が根底にわだかまっていた。
全ての恐怖をかなぐり捨てるどころか、恐怖が本人の足枷となりつつある。
勝負への集中力の散漫さ、恐怖による委縮は、のちに平山自身を窮地に追い込んでいくこととなる。
場所決めの結果、東家:市川、南家:平山、西家:ひろゆき、北家:アカギでスタートとなった。
ゲームの準備が整ったところで、市川が皆に質す。
「ここで、もう一度、ルールを確認するぞ……」
ルール
・時間は2時間。(2時間ギリギリまで勝負は可能ではあるが、市川と打つ時は捨て牌を読みあげなければならないなどのロスタイムを考慮して、おそらく東風戦までと思われる)
・時間終了時、アカギと市川、点棒の少なかった方の首輪が爆破。
・今回はあくまでもアカギと市川の戦いである。故に、ひろゆきと平山は仮に4人の中で最下位となったとしても首輪は爆発しない。
・そのかわり、一種のペナルティとして、ひろゆきと平山は勝負終了時、点棒がマイナスであった場合、首輪が爆破する。
・イカサマがばれた場合も首輪爆破。(その点は黒服が監視)
・市川が盲目であることを考慮して、打牌は随一宣言する。
・裏ドラあり。
・点棒は各自25000点。
「……これで異存はないか……」
市川の言葉に対して、誰一人微動だにしない。
それは全員からの了解の返答であった。
「そうか……では始めるとするか……」
かくして、今ここに、バトルロワイアルと別の、雀士としての死闘が、火蓋を切って落とされた。
東一局。ドラ2萬。親市川。
6巡目。
「6索…リーチ…」
市川はここで6索を捨て、リーチを賭ける。
(何……?)
平山は市川の河を覗き込む。
市川の河は
東 白 7萬 3萬 9索 6索(リーチ)
東一局6巡目でリーチ。それは序盤にしてはあまりにも早すぎると言ってもよい。
その早すぎるリーチは何処か生き急ぎ過ぎている印象さえあり、不可解さが拭えない。
(だが、この勝負は時間が余りにも限られている……序盤で安目で上がって、点棒を少しでも稼ぐ……そんなところか……)
そう考えながら、平山は自身の手牌を見てほくそ笑む。
2萬 3萬 4萬 6萬 7萬 8萬 8萬 2筒 3筒 4筒 2索 3索 3索 発
テンパイ。ツモによっては――4索をツモれば、三色同順にもなる好配列なのだ。
序盤でこのような高目の役を作れることは稀である。
麻雀の経験がある者ならよく分かることだが、明らかに不要な牌を捨て切るのが、だいたい6巡目辺りである。
その6巡目で高目の役のテンパイまで漕ぎ着けるのは、強運以外の何物でもない。
(まだ時間的にも余裕はある……このまま、三色を…!)
平山は勝利の手応えを感じながら、発を捨てた。
そう、今の平山には運を掴んだ者特有の勢いが存在していた。
そして、その勢いは更なるツモを引き寄せることとなる。
7巡目。
(こ…これはっ……!)
平山はその指に掴む牌を見て、抑えきれない心の高揚に相好を崩す。
平山が掴んだツモは、喉から手が出るほど欲しがっていた4索。
(これで三色同順のテンパイっ……リーチをかけてあがれば、7700点っ……!)
痺れるような歓喜が心の芯を震え上がらせる。
序盤で7700点を取れば、頭一つどころか、安全圏。
命が保障されたようなものだ。
ぜひとも、3索を捨てて、5萬、8萬待ちのリーチをかけたい。
ここで問題があるとすれば、市川のリーチぐらいだろう。
もう一度、市川の河を確認する。
東 白 7萬 3萬 9索 6索(リーチ) 南
リーチ時に市川は6索を捨てた。
索子――これから平山が捨てようとしている3索は危険牌ではないのか。
しかし、平山は不敵な笑みで頭を振る。
(いや、3索はおそらく…安全牌だっ!)
なぜ、平山がこのような考えに至ったのか。
3・6はスジのペアだからである。
スジ――両面待ちの時、現れる2種類の待ち牌を指す。
そのペアは1・4、4・7、2・5、5・8、3・6、6・9の6種類。
市川が捨てた6索――3・6で簡単に説明する。
仮に、今のリーチで、市川が4索・5索を抱え、3索・6索の両面待ちで構えていたとする。
しかし、市川は6索を捨ててしまった。
つまり、3索・6索が和了牌であるにもかかわらず、和了になる6索は自分の河に存在する――フリテンとなってしまうのである。
フリテンはロンアガリが不可能であるため、同様に、平山が市川の待ち牌である3索を捨てても市川はその3索でアガルことができない。
麻雀に心得がある者からすれば、自らフリテンを生み出すなど愚の骨頂。
故に、3索は安全牌の可能性が高いのだ。
勿論、これはあくまで市川が両面待ちをしているという前提の読みであり、100%正しい読みとは言えない。
しかし、平山には3索を安全牌だと結論付けるもう一つの要因があった。
市川が前巡に9索を捨てているのだ。
9索から6索の捨て方は以下のような手牌を有していた際に起こりやすい。
6索 6索 7索 9索
仮に6索を引けば、6索の刻子、8索を引けば、7索・8索・9索の順子と6索の雀頭が完成する。
自由に且つ、広く作れる並びである。
市川はリーチ直前までこの抱え方で待っていたのだろう。
進むにつれて、どうしても索子を捨てなければならない状況が生まれてしまった。
そこで、この形の中で形を崩しても痛手になりにくい9索を捨てる。
その次の巡で、何らかの牌を引き、テンパイが完成。
5索・8索の両面待ちを狙って、6索を捨てた。
もし、この仮説が正しければ、おそらく市川の待ちは5索・8索。
3索が安全牌なのは明らか。
(この牌は通るっ!俺はこれで7700点をもぎ取るっ……!)
「打3索、リーチ!」
平山は3索とリーチ棒を掴み、卓に叩きつけた。
必勝のリーチ。
パンと、小気味よい牌の音が卓に響く。
その音は平山の自信に満ちた勇みを如実に表わしていた。
そう、平山は約束された勝利に酔いきっていた。
しかし、平山は卓に座った時から、察するべきだった。
目の前に座る男達はいずれも裏社会で伝説を築いてきた男達であることを。
彼らは賭博に対して、鋭敏な能力を持ち合わせている。
その能力を強いて一言で表すとすれば、“一撃必殺”。
勝負相手を仕留めるその強襲は、まさに修羅場を知り尽くした猛虎の攻撃そのものであり、隙が存在する平山は餌も同然であった。
ここで、猛虎の一人がとうとう獲物に飛びかかる。
「こんなに早く引っ掛かってくれるとはなぁ……」
市川はひときわ冷淡に宣言する。
“ロン”と――。
市川の手牌がパタパタと倒されていく。
そこから現れたのは――。
2萬 2萬 5筒 6筒 7筒 1索 2索 4索 5索 6索 7索 8索 9索
リーチ、一気通貫、ドラ2。
親満貫のため、12000点。
これで平山の点棒、13000点が確定してしまった。
「嘘だろ…」
平山の顔面がみるみる色を失っていく。
優位どころか、ものの見事な最下位。
始まって30分も経っていないにもかかわらず、トップとの差は24000点。
とてもではないが、この大きな差を覆すのは至難の業である。
(ククク……嘆かわしいものだな……)
市川は盲目故、平山がどのような表情で頭を抱えているかは分からない。
しかし、彼が発する絶望は空気を伝って、感じることができる。
市川が9索・6索捨ては無論、待ちが5索・8索であるとミスリードさせるためである。
市川はたったの6巡目でリーチをかけた。
誰しも、こう考えるはずである。
手牌を組みかえられる時間はまだ、十分にある。
単騎などという自分の首を絞めるような待ちをするはずがない。
早々にリーチをして、待ち牌を固定したのは、広い待ちをしているからだろう。
両面待ちのような――。
麻雀において、基本の待ちは単騎待ち、ペンチャン待ち、カンチャン待ち、シャンポン待ち、両面待ちの5種類があるが、単騎待ち、ペンチャン待ち、カンチャン待ち、シャンポン待ちは和了牌が1枚であるため、各牌4枚ずつ存在する麻雀のルール上、待ち牌は最大4枚である。
(厳密に言うと、シャンポン待ちは和了牌2枚である。しかし、シャンポン待ちを成立させるには同じ牌2枚を2組抱えている必要があるため、結局待ち牌は4枚となってしまう)
それに対して、連続した2枚の牌の両側を待つ両面待ちは和了牌が2枚のため、待ち牌は最大8枚。
他の待ちと比較しても、場に出る確率は実に高い。
早期に単騎待ちでリーチをするはずがないという思い込みと9索・6索捨ての流れ。
これだけでも、市川の単騎待ちであった3索が安全牌であるというブラフを成立させるには十分である。
しかし、市川は狡猾だった。
より3索を場に出す確率を上げるために、リーチの際に6索を捨てたのだ――3・6のスジの法則で推理することを予測して――。
6索を捨てた以上、スジのペアである3索が和了牌であるはずがない。
言うなれば、3索は他家が捨てた牌である現物も同然であった。
3索は2重の意味での安全牌であったのだ。
(誰しも欲するのは『安心』……
現物があれば現物を、無ければもっともセーフティーに感じる牌を吐き出す…)
安心を奪う、もしくは安心を目の前にぶら下げることで、相手を誘惑し、自身が望む牌を振り込ませる。
市川が得意とする戦術『素人殺し』。
平山は市川が作りだした虚像の安全を読み取り、見事に引っ掛かってしまった。
(『安心』こそ毒…!博打を打つ人間がその『甘さ』を追うようになったらもう終わり…
わしらはそれを肝に命じているが、素人はいつもその誘惑に負ける…!
強打して自爆する素人などまれ…
大抵は『安心』という重りを体に巻きつけ溺死する……!)
あらゆる表情を欠落させて戦慄く平山に、市川は冷酷に笑いかける。
「裏ドラはどうかの……」
市川の指が、山の方へゆっくり動いていく。
「う…裏ドラっ……!」
平山はハッと顔を上げる。
もし、裏ドラがあった場合、点数はハネ満――18000点となる。
ハネ満になれば、平山の点棒は7000点。
いつマイナスに転じてもおかしくはない状況となる。
(た…頼む…!う…裏ドラだけはっ…!)
すがるような思いで、平山は祈る。
しかし、運命というものは時に残酷なものであり、その人間の蜘蛛の糸のような期待を断ち切ってしまうことがある。
まるで、苦悩にのた打ち回る姿が滑稽だと嘲笑するかのように――。
市川の指が牌をめくる。裏ドラ表示牌は――
「……4筒…」
ルール上、ドラ表示牌の次位牌(数字が1つ大きい牌)がドラとなる。
裏ドラでも同様のルールが適用される。
つまり、裏ドラは5筒。市川は1枚持っているため、
「は…ハネ満……」
平山は口を半開きにしたまま、呆然自失する。
東1局で崖っ縁に立たされてしまった。
しかも、勝負はまだ1時間半以上あるのだ。
その1時間半もの間、残り7000点のみで生き残ることなどできるのか。
「お…俺は……」
平山の心は見通しのつかない不安と敗北感に塗りつぶされていた。
その後、アカギがツモアガリをし、ようやく東1局終了。
この時点で点棒は
市川: 41400
アカギ:28200
ひろゆき:24200
平山:6200
平山は今や、手負いの草食動物と言っても過言ではない。
しかし、市川にとっては、平山を含めた参加者の実力を測るための小手調べにしかすぎない。
彼らの実力、特に平山の実力を知った猛獣は、止めを刺せんと言わんばかりに、東2局で、その牙の威力を更に見せつける。
東2局。親平山。ドラ北。
自分が親である以上、何としても挽回したいというのが平山の本音である。
しかし、市川はその浅はかな考えを見越していた。
「6萬…リーチ…」
5巡目において、市川が再び、最速のリーチをかけたのだ。
(またか…)
平山は市川に気付かれないように舌打ちをする。
市川のリーチは、踏めば身体が原型を残さないほどにちぎれ飛んでしまう地雷のようなもの。
その破壊力は東1局で嫌というほど理解している。
ちなみに、今の平山の手牌は
1萬 1萬 2萬 3萬 4萬 5萬 1筒 2筒 3筒 7筒 8筒 9筒 1索
平和、牌の伸びによってはチャンタに転ずることも可能な配列である。
しかし――
(市川のリーチはとにかく警戒してもしたりないっ……!万が一の時は形を崩してでも……!)
今の平山は先程のハネ満直撃のせいで、完全に弱腰となっていた。
かつて、浦部戦で、浦部のハネ満を恐れたあまり、現物を切ってテンパイを崩してしまった時のように――。
平山は安全牌であることを祈りながら、山からツモを引いた。
その牌は――
(9索っ……!)
平山は市川を含め、全員の河を凝視する。
市川
南 西 白 5萬 6萬(リーチ)
アカギ
1索 西 発 9索
ひろゆき
東 1索 9索 東
(よりにもよってか……)
6巡目故、市川のアタリ牌を知るためのヒントは余りにも少ない。
しかし、あえて市川の河を素直に読むとすれば、待ちを作りやすい5萬 6萬を捨て、また、ヤオ九牌(1、9の数牌)がないことから、
字牌か1・9を含んだ面子で揃えるチャンタの可能性が高い。
本来であれば、平山は1索もしくは9索のどちらかを捨てる予定であった。
東1局の市川の戦い方を見れば、危険牌はブラフの可能性もある。
しかし、1索、9索を捨てるわけにもいかない。
今、アカギ、ひろゆきがそれぞれ1索、9索を捨てている――地獄待ちを仕掛けるかもしれないからだ。
地獄待ちとは目的の牌がすでに打牌などで2枚出ている状態での単騎待ちのことである。
仮に、今回の1索・9索のように、白が場に2枚出ていたとする。
字牌は国士無双を除いては、2枚で雀頭にするか、3枚で刻子にするしか使い道がない。
そのため、白を持っている人間は白を活用することを諦め、それを捨てる。
その心理を逆手に取ったのが、地獄待ちである。
1索・9索は数牌であり、順子という組み合わせの余地がある分、字牌に比べて、地獄待ちの成立は難しい。
普通の人間なら、数牌の地獄待ちの可能性はあまり考慮しない。
しかし、相手は人の思考の裏をかく様な戦術を繰り出す市川なのだ。
“数牌の地獄待ちなどするはずがない”という心理を逆手にとるのは可能性として否定できない。
(1索、9索は捨てられねぇ……)
平山に東1局でのハネ満の恐怖が蘇る。
ここで万が一、市川に振り込めば、マイナスはほぼ確定だろう。
(ここは…意地でも逃げるっ…!)
散々迷った挙句、平山は市川が4巡目に捨てた牌――5萬を捨てて、その場を凌いでしまった。
その後、アカギ、ひろゆき共に、市川に合わせるように、南、5萬を打牌。
6巡目、8筒を捨てた市川に合わせて、平山は8筒を処分。
このように平山はその場の流れに身を任せ、牌を切っていった。
7巡目になると、平山の手牌はボロボロになっていた。
1萬 1萬 2萬 3萬 4萬 1筒 2筒 3筒 7筒 9筒 1索 3索 9索
ここまで崩れると、テンパイに持っていくには時間がかかる。
否、すでに平山は和了るどころか、いかに市川から逃げ切るか、それが本題となってしまっていた。
乱れた牌はまるでその心中を投影するもの――今の平山の精神そのものであった。
8巡目。
5巡目、6巡目、7巡目は市川の現物という確実な安全牌で持ちこたえた。
しかし、見苦しい防衛もここでとうとう終止符を打たれることとなる。
市川のアタリ牌の可能性が高いヤオ九牌の一つである1筒をツモしたからだ。
平山は再度、全員の河を見る。
市川
南 西 白 5萬 6萬(リーチ) 8筒 南
アカギ
1索 西 発 9索 南 西
ひろゆき
東 1索 9索 東 5萬 発
アカギもひろゆきも5巡目、6巡目共に、市川の現物を捨てていた。
アカギとひろゆきからでは新しい情報は望めない。
市川の8筒も、市川の手牌の中に、7筒・8筒・9筒の順子が含まれている可能性が低い程度の情報しかもたらしてくれない。
(くそっ…どれを捨てりゃあ…!)
平山の手牌は、
1萬 1萬 2萬 3萬 4萬 1筒 2筒 3筒 7筒 9筒 1索 3索 9索
平山の手牌でチャンタ成立上、不要な牌は4萬のみである。
(ここは…4萬しかないだろう……)
平山は首を絞められていくような圧迫感を抱きながらも、特に自分の推理に疑問を抱くことなく、4萬を捨てた。
そう、平山とって、4萬打牌は安全牌を捨てるような感覚であった。
それが獰猛さを滾らせている野獣の罠とも知らずに――。
「ロン…!」
嬉々と言い放つ、市川のしゃがれた声。
「ま…まさかっ……」
平山に痺れるような冷気が一撫でする。
東1局で味わった、崩れ落ちるかのような絶望感が平山の精神を蝕んでいく。
気がつくと、卓の下に隠れる足が恐怖で、生まれたての小鹿のように震えていた。
市川は平山の反応など意に介せず、倒牌する。
2萬 3萬 4筒 5筒 6筒 2索 2索 5索 6索 7索 北 北 北
リーチ、ファン牌、ドラ3。1萬、4萬待ち。
実は市川の役はチャンタではなかった。
市川のこの局での強みはドラであったのだ。
ファン牌自体はそれほど高い役ではない。
しかし、ドラ3ともなれば、話は別だ。
満貫8000点。
現在、6200点の平山は-1800点――ゲームが終了すれば、自動的に首輪が爆発する。
「そ…そんな……」
大地が固さを失って崩れていくような目眩が平山の上体を揺らす。
奈落の底に引きずり落とされるような感覚を覚えながら、ここでようやく平山は市川の意図を察した。
自分は市川の栄養供給の役割だったのだと。
この戦いはアカギと市川、最終的にどちらの点棒が高いかどうかで決まる。
市川はこの卓の中で、一番素直な牌を打つ平山から点棒を稼いで、アカギより優位に立とうとしていたのだ。
市川はひろゆきと平山に対して、ハコテンなしという特殊な制約をつけた。
表の目的は、アカギとの純粋な一騎打ちの勝負を妨害されたくないためであろう。
しかし、その裏には彼らから点棒を無限大に搾取するという狙いが存在していた。
(市川の目的に……すぐに気付くべきだったんだっ…!)
その意図を知り、後悔した所でもう遅い。
ハコテンなしである以上、これからも市川から点棒は搾取され続けることに変わりはない。
市川から点棒を絞れるだけ絞られる。
そして、点棒がマイナスのまま、時間切れ、首輪爆破。
見せしめの少年の死、天の死、利根川の死の記憶が、精神の奥から破裂し、平山の心をどす黒く染め上げる。
タイヤが破裂したかのような爆発音。
まるで締め損なった蛇口のように迸る鮮血。
鼻孔に漂う生臭い血臭。
人間は誰しも死を恐れる。
それは人間が『生の欲望』を強く抱いているからであり、生の欲望を忘却できない以上、その反面として、死の恐怖が精神の中に存在する。
だからこそ、人は自己防衛として、自分の死や痛みに繋がることを考えないようにする。
このゲームの中で平山もまた、その恐怖を考えないように努めてきた。
見せしめの少年の死や利根川、天の死を目の当たりにしても。
自分の死を重ねながらも、あくまで他人の死であると“無意識に”言い聞かせることによって――。
そうやって、心の平安を保つためにいじらしい努力を続けてきた平山が『死』の直面に耐えきれるはずもない。
「俺は…俺は…!」
約束された死刑台への道。
あまりにも無情すぎる現実に、平山の瞳から涙がこぼれようとした瞬間だった。
「いや…頭ハネです……」
「えっ…」
全員が顔を上げ、声の主――ひろゆきを刮目する。
これまで沈黙を貫いてきたひろゆきが動き出したのだ。
ひろゆきは無表情のまま、静かに自身の手牌を白日の元に晒す。
5萬 6萬 7萬 8萬 9萬 4筒 4筒 7筒 8筒 9筒 中 中 中
ファン牌。1300点。
安目中の安目での和了である。
「もういい加減にしてくださいよ…市川さん…」
ひろゆきは市川を見据え、低く抑えたような声で呟く。
「言っておきますが、俺も貴方と同じようにアカギと戦うために、このゲームで生き延びてきた……!
そして、やっと会えた……!
それにもかかわらず、勝負の権利を掻っ攫われた……」
ひろゆきは椅子から立ち上がり、ゆっくり腕を動かす。そして――
「突然現れた貴方にですよっ!!!!」
怒声を上げ、市川を指差したのだ。
白刃のように鋭い眼差しは、もし、それが文字通り白刃であれば市川をばっさり切り捨てていただろう。
「“アンタ”は妥協するかのように俺を勝負に加えたっ…!
だが、その実はアカギから点棒を奪えなかった時のための保険の役割でしかないっ!」
怒りのままに直言するひろゆきは、この卓を制圧しようという野心に満ちた賭博師だった。
その賭博師の怒りがとうとう臨界点に達してしまった。
抑えきれない激情を吐き出すかのように、拳をガンと勢いよく卓に叩きつける。
「俺はアンタには食われないっ!!
この和了は俺からの宣戦布告だっ!!!」
「おい、お前……!」
ひろゆきの形相に畏怖を覚えたのか、黒服が止めに入ろうとする。
ひろゆきは冷めた瞳で黒服を睨みつける。
「ああ…分かっていますよ…ギャンブルルームでは暴力禁止ってことくらい……」
“俺もそこまで馬鹿じゃありませんから…”と付け加え、ひろゆきは卓にいる者達を一瞥し、席についた。
ひろゆきの気迫に、ギャンブルルーム内は一時、しんと静まり返る。
あまりにも淀んだ空気は場の雰囲気を白けさせた。
その雰囲気のまま、東3局へ進む。
東3局は市川へのフリコミを恐れた平山が安目のツモアガリをすることで呆気なく幕が閉じた。
しかし、それはあくまでも平山にとって現状維持でしかなかった。
東4局。ドラ9萬。親アカギ。
現時点での持ち点は、
市川:40600
アカギ:27400
ひろゆき:24900
平山:7100
この時点で、時間は残り30分を切った。
ギャンブルを延長することができない以上、おそらくゲームはここで終了だろう。
ひろゆきはそう考えながら、自身の手牌を見た。
2萬 3萬 4萬 2筒 2筒 4筒 6筒 7筒 8筒 2索 4索 西 中
2・3・4の三色が見える悪くない手である。
現在のひろゆきの点棒は24900点。
3倍満以上の直撃がない限り、安全圏をキープすることができる。
先程の宣言の手前、市川へのフリコミを避けるためにも、その動向には注視しなければならない。
大まかな戦略を立てた上で、アカギを一見する。
アカギと市川の点数差は13200点。
ツモで満貫、もしくはロンでハネ満以上でない限り、アカギが市川に勝利することはない。
(時間上、この東4局が最終戦……どう出る……アカギ……)
平山も自分の配牌を確認する。
5萬 9萬 2筒 4筒 4筒 4筒 8筒 9筒 9筒 1索 2索 3索 9索
ドラを一つ抱えていること、4筒の刻子、9筒の対子、1索・2索・3索の順子、悪い手ではない。
しかし――
(ここはマイナスにならないように、ひたすら守りに徹する…それが無難な選択…だが……)
「ほう……」
市川は手牌を指で確かめる。
1萬 1萬 3萬 5萬 6萬 1筒 1筒 3筒 7索 7索 8索 東 西
市川は確信していた。
アカギはこの局で仕掛けてくるだろうと。
かつて麻雀戦でどこまでも市川に迫り続け、負かした男である。
そんな男が、残り時間が差し迫る中で、勝利を諦めるわけがない。
(ここからがお前の本領発揮というところか……)
ひろゆきも市川もアカギがこの局で何らかのアクションを起こすと考えていた。
その予感は3巡目にて、早くも的中する。
3巡目。
「発…ポンっ…!」
アカギは平山が捨てた発でポン、中を打牌したのだ。
カッと牌が卓の枠に当たる音が場の雰囲気を更に硬直させる。
ひろゆきも平山も一瞬で変わった空気の流れにグッと息を呑む。
そんな中、市川のみが口元を歪めて微笑する。
(やはり…ここで仕掛けるか……だが、ワシとの点数差、どうやって埋めるつもりだ……)
どのような手で攻めるのか。
どのように足掻くのか。
アカギの戦略に胸躍る昂揚を覚えながら、市川は山に手を伸ばす。
市川が手に入れたツモは6索。
現在の市川の手牌は
1萬 1萬 3萬 5萬 5萬 6萬 9萬 1筒 1筒 3筒 7索 7索 8索
アカギと市川の点数差は13200点。
これを覆すにはツモによる満貫、もしくはハネ満以上の点数が必要である。
もし、親満ツモを狙う場合、ドラ3を抱えた役、チャンタ三色ドラ1など、
ハネ満であれば、対々と三暗刻の複合ドラ2、対々と混老頭の複合ドラ2などの役も考えられる。
しかし、これらはあくまで配牌の際、大量のドラが手に入ったという前提である。
後がない1局で序盤からドラが2つも手に入ったという都合のよい展開は考えにくい。
何よりも市川は3巡目で、ドラ9萬を引いている。
9萬は残り3枚。(※市川は知らないが、平山がこの時点で9萬を一枚抱えている)
やはり、アカギが狙うのは役満だろう。
ポンが成立する役満は大三元、字一色、四喜和、清老頭、緑一色。
アカギは発をポンした直後、中を捨てている。
この時点で、三元牌の刻子を揃える大三元と1と9の数牌だけで上がる清老頭の可能性は消える。
また、索子を連続で捨てていることから、緑一色の可能性は薄い。
(残るは字一色と四喜和か……)
中を捨てたことが気になるが、可能性としてはそれくらいだろう。
(さて、どうやって、この局を楽しもうか……)
市川は各自の河を思い浮かべる。
アカギ
7筒 8索 2索 中
市川
北 西 東
平山
9索 5萬 (発)
ひろゆき
9索 西 ( )
(※( )はポンした際、飛ばされた順番を指す)
4巡目だが、この時点で平山とひろゆきは共に9索、アカギは8索を捨てている。
平山とひろゆきは7索・8索を持っておらず、アカギは字一色もしくは四喜和を集めている可能性が高い。
これらのことから、市川は6索7索7索8索の形から索子を伸ばすことができると予測する。
また、可能性としては低いがアカギがドラを集めている可能性も否定こそはできないため、9萬は当分の間抱えざるを得ない。
(9萬を活かしながら、索子を伸ばす……か……)
市川は方針を定め、3筒を捨てた。
平山とひろゆきも、市川同様、アカギの字一色・四喜和に警戒し、以後、アカギの現物を除いて、字牌は場に出さなくなった。
全員がアカギの動向に注目する中、8巡目、再び、動きが生まれた。
「打1筒……」
市川、6筒ツモ、1筒を切った。
この直後だった。
「1筒ポンっ…!打4索っ…!」
アカギはこの1筒をポンし、4索を捨てたのだ。
「えっ…」
これには全員が絶句した。
ギャンブルルームは沈黙に包まれているが、その不穏な空気はざわ…ざわ…と動揺が蠢く。
アカギは発と一筒をポンした――索子と発を揃える緑一色はもちろんだが、字牌を揃える字一色、風牌を3種類もしくは4種類集めなければならない四喜和の和了の否定――この卓にいた全員の予測を全否定したのだ。
「勝負を捨てたのか……」
平山は思わず、声を漏らす。
(随分と勝負に出たな……)
狼狽する平山とは対照的に、市川は冷静にアカギの手牌を分析する。
アカギの河
7筒 8索 2索 中 白 7索 7萬 中 4索
アカギは二つのポンによって、役満での和了を否定した。
誰しもこの状況ならば、平山のようにアカギの意図が分からず、言葉を失うのが普通だろう。
しかし、市川は誰よりも早く別の和了の可能性を見出していた。
(奴の役は混老対々ドラ2っ……!!)
混老対々は雀頭と4組の面子全てを1・9の数牌か字牌の刻子――老頭牌だけで揃える役である。
しかし、混老対々は4翻であり(場ゾロを加算すると6翻)、ハネ満8翻以上を成立させるには最低でもドラ2が必要である。
ここで市川は今の状況を整理する。
市川の手牌
3萬 5萬 5萬 6萬 9萬 1筒 6筒 6筒 6索 7索 7索 8索 8索
アカギの河
7筒 8索 2索 中 白 7索 7萬 中 4索
市川の河
北 西 東 3筒 1萬 白 1萬 (1筒)
平山の河
9索 5萬 (発) 2萬 8索 2索 2筒 ( )
ひろゆきの河
9索 西 ( ) 中 白 2筒 7萬 ( )
思い浮かべた上で、アカギが混老対々を成立させるために必要な牌が今、どれだけ場に出ているのか考える。
1萬:2枚(市川捨て牌2)
9萬:1枚(市川1)※市川は知らないが、平山が1枚抱えている
1筒:4枚(市川1、アカギ3枚)
9筒:0枚
1索:0枚
9索:2枚(ひろゆき捨て牌1、平山捨て牌1)
白 :2枚(ひろゆき捨て牌1、アカギ捨て牌1)
発 :3枚(アカギ3)
中 :3枚(ひろ捨て牌1、アカギ捨て牌2)
東 :1枚(市川捨て牌1)※しかし、アカギは見逃している
南 :0枚
西 :2枚(市川捨て牌1、ひろゆき捨て牌1)
北 :1枚(市川捨て牌1)※しかし、アカギは見逃している
ここから判断して、アカギが抱えている可能性が高い、もしくはアタリ牌は9萬・9筒・1索・9萬・9筒・9索・南のどれか。
混老対々は食い制限が存在しない。
迂闊に1・9牌や字牌を捨てれば、アカギはここぞとばかりに三度のポンをするだろう。
(ドラの9萬も含めて、アカギのアタリ牌の可能性がある牌は全て抱え込むのが無難……)
アカギと市川の点数差は13200点である。
このまま逃げ切れば、市川の勝利なのだ。
(勝つために…ここはベタオリだっ……!)
市川は守りに徹しようとした。
しかし、ここに来て初めて見せた、市川の受け身の姿勢を罵るかのような、無情な連鎖が立て続けに起こった。
9巡目1索、10巡目1萬、11巡目9筒と危険牌を引いてしまったのだ。
しかも、1索と9筒は生牌(場に1枚も出ていない牌)である。
(ここで余計なものをツモるとはな……!)
市川は苦々しく牌を握る。
しかし、それを嘆いた所で始まらない。
市川はそれらを抱えたまま、9巡目は3萬、10巡目、11巡目は共に5萬を捨てて、アカギへのフリコミを避けた。
当然のことだが、市川の牌はガタガタに崩れてしまうこととなる。
1萬 6萬 9萬 1筒 6筒 6筒 9筒 1索 6索 7索 7索 8索 8索
これは皮肉にも東2局での平山の戦術そのものであった。
市川は自嘲しつつも、自身に言い聞かす。
“逃げ切れば、勝てる勝負なのだ……”と。
そう、この勝負はアカギが欲する牌が場に出なければ、市川が勝つ勝負である。
ひろゆきと平山もまた、アカギに振り込まなければ、命を繋ぐことができる。
全員がそれを弁え、アカギの現物を切りを続ける。
これこそがこの最終局面において、アカギ以外の全員が取るべき戦略であった。
しかし、この11巡目において、その暗黙の了解を乱すものが現れた。
「打1索っ…!」
平山が1索を捨てたのだ。
(何を考えているんだっ……!)
市川は眉を顰める。
アカギに振り込んでしまうことで、平山の命がどうなろうと市川としてはどうでもよい。
しかし、これがアカギのアガリ牌であれば、アカギは親ハネ満18000点を得る――点数は逆転、アカギが勝利するのだ。
市川は今更ながら後悔する。
この勝負に不純物を紛れ込ませてしまったことを――。
幸い、アカギはこの1索を一瞥しつつ、見送った。
(通ったか……)
市川はホッと胸をなで下ろす。
この場は何とかしのぐことができた。
おそらく平山が1索を捨てたのは、よほど自身の役に繋がる牌をツモしたからなのだろう。
しかし、あの状況、場合によっては、アカギがロンすることさえあり得ていた。
(そう言えば、先程、あの平山という男…アカギが1筒をポンした時、“勝負を捨てたのか……”と呟いていたな…
混老対々ドラ2の可能性があるにもかかわらず…)
混老対々ドラ2の可能性を思い付かない程度の実力――東1局、東3局での評価も含めて、平山は少々麻雀で遊んだ経験がある程度でしかないと市川は結論付けている。
(初めから奴は拒むべきだったな……)
アカギの動向に注意することはもちろんだが、平山のように中途半端な実力の者の動向にも気をつけなければならない。
いくら自分がアカギへのフリコミに細心の注意を払おうとも、平山のような人間が市川の足を引っ張る――アカギに放銃する可能性はいくらでもありえるのだから。
12巡目。
市川は6萬をツモ。
やっと1・9牌の連続ツモから解放されて一息つく。
当然、6萬はツモ切りである。
平山はアカギのロン牌でないことに安心したのか、1索を再び切る。
ここで市川は平山に対して、ふっと疑問を抱く。
ツモ牌が卓に置かれる音、ほかの牌とすれる音から察して、どうやらこの二つの1索は平山の手出し(手牌から打牌すること)のようである。
(こいつはアカギが1・9索、字牌を集めていることを承知していたからこそ、今まで二つの1索を抱えていたとすれば……
この危険牌を捨てなければならない状況……おそらく奴はイーシャンテン……いや、テンパイかっ……!)
一方、ひろゆきはツモ切りの8萬。
先程からひろゆきはツモ切りを繰り返している。
おそらくすでにテンパイの状態なのだろう。
この場において、ひろゆきだけがアカギに振り込んでいない。
アカギのアタリ牌を避けながら、着実に役を作る。
市川はその堅実で且つ狡猾な打ち方に、ひろゆきの才能の鱗片を見た気がした。
13巡目。
市川、再び、6萬を引き、それをツモ切りする。
市川がほっとしたのも束の間、平山が今度は北を捨ててしまった。
(またか、この男はっ……!)
北は市川が1巡目で捨てて以降、場には出ていない。
(牌の擦れる音が聞こえなかった……ツモ切りかっ……!だが、いくらテンパイ、もしくはイーシャンテンという状況だからといって……)
もしも、アカギが平山の捨て牌で和了れば、親ハネ満で18000点。
それが直撃した平山の首輪は爆破。
市川はアカギの動きに耳をすます。
(動くのか……アカギ……!)
しかし、アカギは微動だにせず。
(見送ったか……)
市川は息をつくも、心の中では苛立ちが膨れ上がっていく。
(何を焦っている、平山という男は……)
14巡目。
現時点での各自の捨て牌
アカギ
7筒 8索 2索 中 白 7索 7萬 中 4索 7萬 4筒 2筒 6索
市川
北 西 東 3筒 1萬 白 1萬 (1筒) 3萬 5萬 5萬 6萬 6萬
平山
9索 5萬 (発) 2萬 8索 2索 2筒 ( ) 発 3索 1索 1索 北
ひろゆき
9索 西 ( ) 中 白 2筒 7萬 ( ) 7萬 4索 2萬 8萬 北
アカギ、中をツモ切りする。
それに対して、市川は8萬ツモ。
市川はどれを捨てるべきかと思案する。
市川の手牌
1萬 6萬 9萬 1筒 6筒 6筒 9筒 1索 6索 7索 7索 8索 8索
(ここは……8萬というところか……)
8萬は12巡目でひろゆきが捨てている。
混老対々ドラ2狙いのアカギは当然だが、テンパイの可能性が高い平山もこの8萬には反応しなかった――つまり、完璧な安全牌。
市川は8萬を握りながら思う。
(このまま、流局か……)
18巡目に到達した時、この局は流局となる。
残り4巡。
今頃になって、攻めの様子を見せ始めている平山を除いて、全員が守りに転じている。
(アカギは鳴きを繰り返してきた……あそこまで露骨に泣けば、全員がアカギの役に感付く……
アカギとて、自分のアタリ牌が場に出ないことは百も承知だろう……
今のアカギはツモ以外の勝利はありえない……
それは運に身を任せるということ……!)
市川という男を打ち負かした時のアカギは常に理を持って勝負をする少年であった。
13歳という若輩者でありながら、その攻めは常に相手の急所に狙い討ちする若獅子のようであり、王者の風格さえあった。
しかし、今のアカギはみえみえの闘牌、一貫した守りの姿勢。
涼やかでありながら、煉獄の炎を滾らせた若獅子の面影は鳴りをひそめていた。
(今までワシが抱き続けてきたアカギへの恐れは……ワシが勝手に膨らまし続けてきた妄想でしかなかったというわけか……)
長年恋焦がれてきた勝負が、このような締りがないもので終わってしまうことに不本意さを抱きながら、市川は8萬を捨てた。
この直後、平山が呟く。
「ロン……」
[[逆境の闘牌(後編)]]
**逆境の闘牌(中編) ◆uBMOCQkEHY氏
アカギ達はギャンブルルームにたどり着くと、黒服に1600万円――4人で2時間分のチップを支払い、中に入った。
このギャンブルルームもまた、和也達が立てこもるギャンブルルームと同様、赤絨毯に、典麗な白磁器と、ラスベガスのカジノと美術館を足して二で割ったような内装となっている。
強いて言えば、和也達がいるギャンブルルームとの違いは、大きな窓が存在するか否かだろう。
ちなみに窓は分厚いカーテンによって外部からの干渉が遮断されている。
そんな瀟洒な雰囲気の中で、ギャンブルルームの中央を陣取る雀卓はどこか、場末の安っぽさを感じさせ、明らかに部屋の風景から浮いていた。
しかし、4人にとって、雀卓がどこにあろうと関係はない。
4人は黙ってその席に腰を下ろした。
平山はギャンブルルームの壁に掛けられたカーテンを横目にため息をつく。
(殺し合いから逃れるために命を賭けた勝負をする…本末転倒だよな…)
平山は考えていた。
兵藤和也という殺人鬼がこの近辺に潜んでいた時、どうやって逃げ出すかを。
自分達を含めた参加者の居場所は、ひろゆきから預かった首輪探知機で確認することはできる。
しかし、あくまで首輪を所持している者の位置を知るだけであって、その首輪が誰の物かまでは把握することはできない。
おそらく利根川の死体を発見した和也とそれに追随する者達は、平山達を捜索し、このギャンブルルーム周辺もうろつくであろう。
(万が一、窓から見える範囲に奴らがいれば、武器なんかを知ることもできるかもしれないが、そんな都合のいいことなんて起こるはずがない……)
この期に及んで、平山の思考は勝負にではなく、姿が見えぬ暗殺者に向けられていた。
点棒がマイナスにならなければ、助かることができる麻雀戦は自分の実力でも乗り切れる関門だが、暗殺者からの襲撃など、これまでの人生の中で、そんな経験は皆無なのだ。
対処の仕方など思い付くはずもない。
手元にある武器といえば、ひろゆきの日本刀とアカギが利根川から回収したデリンジャーくらい。
暗殺者である和也はアカギ達の殺害を嬉々として宣言した。
利根川がすでに殺されているか、捕まっているか――アカギが利根川から武器を奪っていることを認知した上で。
裏返せば、デリンジャー程度であれば、動じる必要がない――それ以上の武器、武力を持ち合わせているという自信の表れであろう。
平山の集中力が麻雀戦から離れてしまうのは至極当然のことであり、精神的に追い込まれた人間であれば、誰しもそう考える。
しかし、一般人であれば許される姿勢も、賭け事の世界で生きるギャンブラーにとっては酷く致命的であった。
ギャンブルとは絶望の断崖を飛び越えるようなものである。
谷の底は見えず、悲鳴のような風が吹き荒れ、挑戦者の心を震え上がらせる。
それでも、その湧きあがる恐怖を押さえながら、強固な精神で谷を飛び越える。
その時、初めて他のギャンブラーたちと同じ土俵に立つことができるのだ。
しかし、今の平山は本人も意識していないが、逃げ腰の姿勢――暗殺者に対して、いかにして戦うかではなく、いかにして逃げるか――が根底にわだかまっていた。
全ての恐怖をかなぐり捨てるどころか、恐怖が本人の足枷となりつつある。
勝負への集中力の散漫さ、恐怖による委縮は、のちに平山自身を窮地に追い込んでいくこととなる。
場所決めの結果、東家:市川、南家:平山、西家:ひろゆき、北家:アカギでスタートとなった。
ゲームの準備が整ったところで、市川が皆に質す。
「ここで、もう一度、ルールを確認するぞ……」
ルール
・時間は2時間。(2時間ギリギリまで勝負は可能ではあるが、市川と打つ時は捨て牌を読みあげなければならないなどのロスタイムを考慮して、おそらく東風戦までと思われる)
・時間終了時、アカギと市川、点棒の少なかった方の首輪が爆破。
・今回はあくまでもアカギと市川の戦いである。故に、ひろゆきと平山は仮に4人の中で最下位となったとしても首輪は爆発しない。
・そのかわり、一種のペナルティとして、ひろゆきと平山は勝負終了時、点棒がマイナスであった場合、首輪が爆破する。
・イカサマがばれた場合も首輪爆破。(その点は黒服が監視)
・市川が盲目であることを考慮して、打牌は随一宣言する。
・裏ドラあり。
・点棒は各自25000点。
「……これで異存はないか……」
市川の言葉に対して、誰一人微動だにしない。
それは全員からの了解の返答であった。
「そうか……では始めるとするか……」
かくして、今ここに、バトルロワイアルと別の、雀士としての死闘が、火蓋を切った。
東一局。ドラ2萬。親市川。
6巡目。
「6索…リーチ…」
市川はここで6索を捨て、リーチを賭ける。
(何……?)
平山は市川の河を覗き込む。
市川の河は
東 白 7萬 3萬 9索 6索(リーチ)
東一局6巡目でリーチ。それは序盤にしてはあまりにも早すぎると言ってもよい。
その早すぎるリーチは何処か生き急ぎ過ぎている印象さえあり、不可解さが拭えない。
(だが、この勝負は時間が余りにも限られている……序盤で安目で上がって、点棒を少しでも稼ぐ……そんなところか……)
そう考えながら、平山は自身の手牌を見てほくそ笑む。
2萬 3萬 4萬 6萬 7萬 8萬 8萬 2筒 3筒 4筒 2索 3索 3索 発
テンパイ。ツモによっては――4索をツモれば、三色同順にもなる好配列なのだ。
序盤でこのような高目の役を作れることは稀である。
麻雀の経験がある者ならよく分かることだが、明らかに不要な牌を捨て切るのが、だいたい6巡目辺りである。
その6巡目で高目の役のテンパイまで漕ぎ着けるのは、強運以外の何物でもない。
(まだ時間的にも余裕はある……このまま、三色を…!)
平山は勝利の手応えを感じながら、発を捨てた。
そう、今の平山には運を掴んだ者特有の勢いが存在していた。
そして、その勢いは更なるツモを引き寄せることとなる。
7巡目。
(こ…これはっ……!)
平山はその指に掴む牌を見て、抑えきれない心の高揚に相好を崩す。
平山が掴んだツモは、喉から手が出るほど欲しがっていた4索。
(これで三色同順のテンパイっ……リーチをかけてあがれば、7700点っ……!)
痺れるような歓喜が心の芯を震え上がらせる。
序盤で7700点を取れば、頭一つどころか、安全圏。
命が保障されたようなものだ。
ぜひとも、3索を捨てて、5萬、8萬待ちのリーチをかけたい。
ここで問題があるとすれば、市川のリーチぐらいだろう。
もう一度、市川の河を確認する。
東 白 7萬 3萬 9索 6索(リーチ) 南
リーチ時に市川は6索を捨てた。
索子――これから平山が捨てようとしている3索は危険牌ではないのか。
しかし、平山は不敵な笑みで頭を振る。
(いや、3索はおそらく…安全牌だっ!)
なぜ、平山がこのような考えに至ったのか。
3・6はスジのペアだからである。
スジ――両面待ちの時、現れる2種類の待ち牌を指す。
そのペアは1・4、4・7、2・5、5・8、3・6、6・9の6種類。
市川が捨てた6索――3・6で簡単に説明する。
仮に、今のリーチで、市川が4索・5索を抱え、3索・6索の両面待ちで構えていたとする。
しかし、市川は6索を捨ててしまった。
つまり、3索・6索が和了牌であるにもかかわらず、和了になる6索は自分の河に存在する――フリテンとなってしまうのである。
フリテンはロンアガリが不可能であるため、同様に、平山が市川の待ち牌である3索を捨てても市川はその3索でアガルことができない。
麻雀に心得がある者からすれば、自らフリテンを生み出すなど愚の骨頂。
故に、3索は安全牌の可能性が高いのだ。
勿論、これはあくまで市川が両面待ちをしているという前提の読みであり、100%正しい読みとは言えない。
しかし、平山には3索を安全牌だと結論付けるもう一つの要因があった。
市川が前巡に9索を捨てているのだ。
9索から6索の捨て方は以下のような手牌を有していた際に起こりやすい。
6索 6索 7索 9索
仮に6索を引けば、6索の刻子、8索を引けば、7索・8索・9索の順子と6索の雀頭が完成する。
自由に且つ、広く作れる並びである。
市川はリーチ直前までこの抱え方で待っていたのだろう。
進むにつれて、どうしても索子を捨てなければならない状況が生まれてしまった。
そこで、この形の中で形を崩しても痛手になりにくい9索を捨てる。
その次の巡で、何らかの牌を引き、テンパイが完成。
5索・8索の両面待ちを狙って、6索を捨てた。
もし、この仮説が正しければ、おそらく市川の待ちは5索・8索。
3索が安全牌なのは明らか。
(この牌は通るっ!俺はこれで7700点をもぎ取るっ……!)
「打3索、リーチ!」
平山は3索とリーチ棒を掴み、卓に叩きつけた。
必勝のリーチ。
パンと、小気味よい牌の音が卓に響く。
その音は平山の自信に満ちた勇みを如実に表わしていた。
そう、平山は約束された勝利に酔いきっていた。
しかし、平山は卓に座った時から、察するべきだった。
目の前に座る男達はいずれも裏社会で伝説を築いてきた男達であることを。
彼らは賭博に対して、鋭敏な能力を持ち合わせている。
その能力を強いて一言で表すとすれば、“一撃必殺”。
勝負相手を仕留めるその強襲は、まさに修羅場を知り尽くした猛虎の攻撃そのものであり、隙が存在する平山は餌も同然であった。
ここで、猛虎の一人がとうとう獲物に飛びかかる。
「こんなに早く引っ掛かってくれるとはなぁ……」
市川はひときわ冷淡に宣言する。
“ロン”と――。
市川の手牌がパタパタと倒されていく。
そこから現れたのは――。
2萬 2萬 5筒 6筒 7筒 1索 2索 4索 5索 6索 7索 8索 9索
リーチ、一気通貫、ドラ2。
親満貫のため、12000点。
これで平山の点棒、13000点が確定してしまった。
「嘘だろ…」
平山の顔面がみるみる色を失っていく。
優位どころか、ものの見事な最下位。
始まって30分も経っていないにもかかわらず、トップとの差は24000点。
とてもではないが、この大きな差を覆すのは至難の業である。
(ククク……嘆かわしいものだな……)
市川は盲目故、平山がどのような表情で頭を抱えているかは分からない。
しかし、彼が発する絶望は空気を伝って、感じることができる。
市川が9索・6索捨ては無論、待ちが5索・8索であるとミスリードさせるためである。
市川はたったの6巡目でリーチをかけた。
誰しも、こう考えるはずである。
手牌を組みかえられる時間はまだ、十分にある。
単騎などという自分の首を絞めるような待ちをするはずがない。
早々にリーチをして、待ち牌を固定したのは、広い待ちをしているからだろう。
両面待ちのような――。
麻雀において、基本の待ちは単騎待ち、ペンチャン待ち、カンチャン待ち、シャンポン待ち、両面待ちの5種類があるが、単騎待ち、ペンチャン待ち、カンチャン待ち、シャンポン待ちは和了牌が1枚であるため、各牌4枚ずつ存在する麻雀のルール上、待ち牌は最大4枚である。
(厳密に言うと、シャンポン待ちは和了牌2枚である。しかし、シャンポン待ちを成立させるには同じ牌2枚を2組抱えている必要があるため、結局待ち牌は4枚となってしまう)
それに対して、連続した2枚の牌の両側を待つ両面待ちは和了牌が2枚のため、待ち牌は最大8枚。
他の待ちと比較しても、場に出る確率は実に高い。
早期に単騎待ちでリーチをするはずがないという思い込みと9索・6索捨ての流れ。
これだけでも、市川の単騎待ちであった3索が安全牌であるというブラフを成立させるには十分である。
しかし、市川は狡猾だった。
より3索を場に出す確率を上げるために、リーチの際に6索を捨てたのだ――3・6のスジの法則で推理することを予測して――。
6索を捨てた以上、スジのペアである3索が和了牌であるはずがない。
言うなれば、3索は他家が捨てた牌である現物も同然であった。
3索は2重の意味での安全牌であったのだ。
(誰しも欲するのは『安心』……
現物があれば現物を、無ければもっともセーフティーに感じる牌を吐き出す…)
安心を奪う、もしくは安心を目の前にぶら下げることで、相手を誘惑し、自身が望む牌を振り込ませる。
市川が得意とする戦術『素人殺し』。
平山は市川が作りだした虚像の安全を読み取り、見事に引っ掛かってしまった。
(『安心』こそ毒…!博打を打つ人間がその『甘さ』を追うようになったらもう終わり…
わしらはそれを肝に命じているが、素人はいつもその誘惑に負ける…!
強打して自爆する素人などまれ…
大抵は『安心』という重りを体に巻きつけ溺死する……!)
あらゆる表情を欠落させて戦慄く平山に、市川は冷酷に笑いかける。
「裏ドラはどうかの……」
市川の指が、山の方へゆっくり動いていく。
「う…裏ドラっ……!」
平山はハッと顔を上げる。
もし、裏ドラがあった場合、点数はハネ満――18000点となる。
ハネ満になれば、平山の点棒は7000点。
いつマイナスに転じてもおかしくはない状況となる。
(た…頼む…!う…裏ドラだけはっ…!)
すがるような思いで、平山は祈る。
しかし、運命というものは時に残酷なものであり、その人間の蜘蛛の糸のような期待を断ち切ってしまうことがある。
まるで、苦悩にのた打ち回る姿が滑稽だと嘲笑するかのように――。
市川の指が牌をめくる。裏ドラ表示牌は――
「……4筒…」
ルール上、ドラ表示牌の次位牌(数字が1つ大きい牌)がドラとなる。
裏ドラでも同様のルールが適用される。
つまり、裏ドラは5筒。市川は1枚持っているため、
「は…ハネ満……」
平山は口を半開きにしたまま、呆然自失する。
東1局で崖っ縁に立たされてしまった。
しかも、勝負はまだ1時間半以上あるのだ。
その1時間半もの間、残り7000点のみで生き残ることなどできるのか。
「お…俺は……」
平山の心は見通しのつかない不安と敗北感に塗りつぶされていた。
その後、アカギがツモアガリをし、ようやく東1局終了。
この時点で点棒は
市川: 41400
アカギ:28200
ひろゆき:24200
平山:6200
平山は今や、手負いの草食動物と言っても過言ではない。
しかし、市川にとっては、平山を含めた参加者の実力を測るための小手調べにしかすぎない。
彼らの実力、特に平山の実力を知った猛獣は、止めを刺せんと言わんばかりに、東2局で、その牙の威力を更に見せつける。
東2局。親平山。ドラ北。
自分が親である以上、何としても挽回したいというのが平山の本音である。
しかし、市川はその浅はかな考えを見越していた。
「6萬…リーチ…」
5巡目において、市川が再び、最速のリーチをかけたのだ。
(またか…)
平山は市川に気付かれないように舌打ちをする。
市川のリーチは、踏めば身体が原型を残さないほどにちぎれ飛んでしまう地雷のようなもの。
その破壊力は東1局で嫌というほど理解している。
ちなみに、今の平山の手牌は
1萬 1萬 2萬 3萬 4萬 5萬 1筒 2筒 3筒 7筒 8筒 9筒 1索
平和、牌の伸びによってはチャンタに転ずることも可能な配列である。
しかし――
(市川のリーチはとにかく警戒してもしたりないっ……!万が一の時は形を崩してでも……!)
今の平山は先程のハネ満直撃のせいで、完全に弱腰となっていた。
かつて、浦部戦で、浦部のハネ満を恐れたあまり、現物を切ってテンパイを崩してしまった時のように――。
平山は安全牌であることを祈りながら、山からツモを引いた。
その牌は――
(9索っ……!)
平山は市川を含め、全員の河を凝視する。
市川
南 西 白 5萬 6萬(リーチ)
アカギ
1索 西 発 9索
ひろゆき
東 1索 9索 東
(よりにもよってか……)
6巡目故、市川のアタリ牌を知るためのヒントは余りにも少ない。
しかし、あえて市川の河を素直に読むとすれば、待ちを作りやすい5萬 6萬を捨て、また、ヤオ九牌(1、9の数牌)がないことから、
字牌か1・9を含んだ面子で揃えるチャンタの可能性が高い。
本来であれば、平山は1索もしくは9索のどちらかを捨てる予定であった。
東1局の市川の戦い方を見れば、危険牌はブラフの可能性もある。
しかし、1索、9索を捨てるわけにもいかない。
今、アカギ、ひろゆきがそれぞれ1索、9索を捨てている――地獄待ちを仕掛けるかもしれないからだ。
地獄待ちとは目的の牌がすでに打牌などで2枚出ている状態での単騎待ちのことである。
仮に、今回の1索・9索のように、白が場に2枚出ていたとする。
字牌は国士無双を除いては、2枚で雀頭にするか、3枚で刻子にするしか使い道がない。
そのため、白を持っている人間は白を活用することを諦め、それを捨てる。
その心理を逆手に取ったのが、地獄待ちである。
1索・9索は数牌であり、順子という組み合わせの余地がある分、字牌に比べて、地獄待ちの成立は難しい。
普通の人間なら、数牌の地獄待ちの可能性はあまり考慮しない。
しかし、相手は人の思考の裏をかく様な戦術を繰り出す市川なのだ。
“数牌の地獄待ちなどするはずがない”という心理を逆手にとるのは可能性として否定できない。
(1索、9索は捨てられねぇ……)
平山に東1局でのハネ満の恐怖が蘇る。
ここで万が一、市川に振り込めば、マイナスはほぼ確定だろう。
(ここは…意地でも逃げるっ…!)
散々迷った挙句、平山は市川が4巡目に捨てた牌――5萬を捨てて、その場を凌いでしまった。
その後、アカギ、ひろゆき共に、市川に合わせるように、南、5萬を打牌。
6巡目、8筒を捨てた市川に合わせて、平山は8筒を処分。
このように平山はその場の流れに身を任せ、牌を切っていった。
7巡目になると、平山の手牌はボロボロになっていた。
1萬 1萬 2萬 3萬 4萬 1筒 2筒 3筒 7筒 9筒 1索 3索 9索
ここまで崩れると、テンパイに持っていくには時間がかかる。
否、すでに平山は和了るどころか、いかに市川から逃げ切るか、それが本題となってしまっていた。
乱れた牌はまるでその心中を投影するもの――今の平山の精神そのものであった。
8巡目。
5巡目、6巡目、7巡目は市川の現物という確実な安全牌で持ちこたえた。
しかし、見苦しい防衛もここでとうとう終止符を打たれることとなる。
市川のアタリ牌の可能性が高いヤオ九牌の一つである1筒をツモしたからだ。
平山は再度、全員の河を見る。
市川
南 西 白 5萬 6萬(リーチ) 8筒 南
アカギ
1索 西 発 9索 南 西
ひろゆき
東 1索 9索 東 5萬 発
アカギもひろゆきも5巡目、6巡目共に、市川の現物を捨てていた。
アカギとひろゆきからでは新しい情報は望めない。
市川の8筒も、市川の手牌の中に、7筒・8筒・9筒の順子が含まれている可能性が低い程度の情報しかもたらしてくれない。
(くそっ…どれを捨てりゃあ…!)
平山の手牌は、
1萬 1萬 2萬 3萬 4萬 1筒 2筒 3筒 7筒 9筒 1索 3索 9索
平山の手牌でチャンタ成立上、不要な牌は4萬のみである。
(ここは…4萬しかないだろう……)
平山は首を絞められていくような圧迫感を抱きながらも、特に自分の推理に疑問を抱くことなく、4萬を捨てた。
そう、平山とって、4萬打牌は安全牌を捨てるような感覚であった。
それが獰猛さを滾らせている野獣の罠とも知らずに――。
「ロン…!」
嬉々と言い放つ、市川のしゃがれた声。
「ま…まさかっ……」
平山に痺れるような冷気が一撫でする。
東1局で味わった、崩れ落ちるかのような絶望感が平山の精神を蝕んでいく。
気がつくと、卓の下に隠れる足が恐怖で、生まれたての小鹿のように震えていた。
市川は平山の反応など意に介せず、倒牌する。
2萬 3萬 4筒 5筒 6筒 2索 2索 5索 6索 7索 北 北 北
リーチ、ファン牌、ドラ3。1萬、4萬待ち。
実は市川の役はチャンタではなかった。
市川のこの局での強みはドラであったのだ。
ファン牌自体はそれほど高い役ではない。
しかし、ドラ3ともなれば、話は別だ。
満貫8000点。
現在、6200点の平山は-1800点――ゲームが終了すれば、自動的に首輪が爆発する。
「そ…そんな……」
大地が固さを失って崩れていくような目眩が平山の上体を揺らす。
奈落の底に引きずり落とされるような感覚を覚えながら、ここでようやく平山は市川の意図を察した。
自分は市川の栄養供給の役割だったのだと。
この戦いはアカギと市川、最終的にどちらの点棒が高いかどうかで決まる。
市川はこの卓の中で、一番素直な牌を打つ平山から点棒を稼いで、アカギより優位に立とうとしていたのだ。
市川はひろゆきと平山に対して、ハコテンなしという特殊な制約をつけた。
表の目的は、アカギとの純粋な一騎打ちの勝負を妨害されたくないためであろう。
しかし、その裏には彼らから点棒を無限大に搾取するという狙いが存在していた。
(市川の目的に……すぐに気付くべきだったんだっ…!)
その意図を知り、後悔した所でもう遅い。
ハコテンなしである以上、これからも市川から点棒は搾取され続けることに変わりはない。
市川から点棒を絞れるだけ絞られる。
そして、点棒がマイナスのまま、時間切れ、首輪爆破。
見せしめの少年の死、天の死、利根川の死の記憶が、精神の奥から破裂し、平山の心をどす黒く染め上げる。
タイヤが破裂したかのような爆発音。
まるで締め損なった蛇口のように迸る鮮血。
鼻孔に漂う生臭い血臭。
人間は誰しも死を恐れる。
それは人間が『生の欲望』を強く抱いているからであり、生の欲望を忘却できない以上、その反面として、死の恐怖が精神の中に存在する。
だからこそ、人は自己防衛として、自分の死や痛みに繋がることを考えないようにする。
このゲームの中で平山もまた、その恐怖を考えないように努めてきた。
見せしめの少年の死や利根川、天の死を目の当たりにしても。
自分の死を重ねながらも、あくまで他人の死であると“無意識に”言い聞かせることによって――。
そうやって、心の平安を保つためにいじらしい努力を続けてきた平山が『死』の直面に耐えきれるはずもない。
「俺は…俺は…!」
約束された死刑台への道。
あまりにも無情すぎる現実に、平山の瞳から涙がこぼれようとした瞬間だった。
「いや…頭ハネです……」
「えっ…」
全員が顔を上げ、声の主――ひろゆきを刮目する。
これまで沈黙を貫いてきたひろゆきが動き出したのだ。
ひろゆきは無表情のまま、静かに自身の手牌を白日の元に晒す。
5萬 6萬 7萬 8萬 9萬 4筒 4筒 7筒 8筒 9筒 中 中 中
ファン牌。1300点。
安目中の安目での和了である。
「もういい加減にしてくださいよ…市川さん…」
ひろゆきは市川を見据え、低く抑えたような声で呟く。
「言っておきますが、俺も貴方と同じようにアカギと戦うために、このゲームで生き延びてきた……!
そして、やっと会えた……!
それにもかかわらず、勝負の権利を掻っ攫われた……」
ひろゆきは椅子から立ち上がり、ゆっくり腕を動かす。そして――
「突然現れた貴方にですよっ!!!!」
怒声を上げ、市川を指差したのだ。
白刃のように鋭い眼差しは、もし、それが文字通り白刃であれば市川をばっさり切り捨てていただろう。
「“アンタ”は妥協するかのように俺を勝負に加えたっ…!
だが、その実はアカギから点棒を奪えなかった時のための保険の役割でしかないっ!」
怒りのままに直言するひろゆきは、この卓を制圧しようという野心に満ちた賭博師だった。
その賭博師の怒りがとうとう臨界点に達してしまった。
抑えきれない激情を吐き出すかのように、拳をガンと勢いよく卓に叩きつける。
「俺はアンタには食われないっ!!
この和了は俺からの宣戦布告だっ!!!」
「おい、お前……!」
ひろゆきの形相に畏怖を覚えたのか、黒服が止めに入ろうとする。
ひろゆきは冷めた瞳で黒服を睨みつける。
「ああ…分かっていますよ…ギャンブルルームでは暴力禁止ってことくらい……」
“俺もそこまで馬鹿じゃありませんから…”と付け加え、ひろゆきは卓にいる者達を一瞥し、席についた。
ひろゆきの気迫に、ギャンブルルーム内は一時、しんと静まり返る。
あまりにも淀んだ空気は場の雰囲気を白けさせた。
その雰囲気のまま、東3局へ進む。
東3局は市川へのフリコミを恐れた平山が安目のツモアガリをすることで呆気なく幕が閉じた。
しかし、それはあくまでも平山にとって現状維持でしかなかった。
東4局。ドラ9萬。親アカギ。
現時点での持ち点は、
市川:40600
アカギ:27400
ひろゆき:24900
平山:7100
この時点で、時間は残り30分を切った。
ギャンブルを延長することができない以上、おそらくゲームはここで終了だろう。
ひろゆきはそう考えながら、自身の手牌を見た。
2萬 3萬 4萬 2筒 2筒 4筒 6筒 7筒 8筒 2索 4索 西 中
2・3・4の三色が見える悪くない手である。
現在のひろゆきの点棒は24900点。
3倍満以上の直撃がない限り、安全圏をキープすることができる。
先程の宣言の手前、市川へのフリコミを避けるためにも、その動向には注視しなければならない。
大まかな戦略を立てた上で、アカギを一見する。
アカギと市川の点数差は13200点。
ツモで満貫、もしくはロンでハネ満以上でない限り、アカギが市川に勝利することはない。
(時間上、この東4局が最終戦……どう出る……アカギ……)
平山も自分の配牌を確認する。
5萬 9萬 2筒 4筒 4筒 4筒 8筒 9筒 9筒 1索 2索 3索 9索
ドラを一つ抱えていること、4筒の刻子、9筒の対子、1索・2索・3索の順子、悪い手ではない。
しかし――
(ここはマイナスにならないように、ひたすら守りに徹する…それが無難な選択…だが……)
「ほう……」
市川は手牌を指で確かめる。
1萬 1萬 3萬 5萬 6萬 1筒 1筒 3筒 7索 7索 8索 東 西
市川は確信していた。
アカギはこの局で仕掛けてくるだろうと。
かつて麻雀戦でどこまでも市川に迫り続け、負かした男である。
そんな男が、残り時間が差し迫る中で、勝利を諦めるわけがない。
(ここからがお前の本領発揮というところか……)
ひろゆきも市川もアカギがこの局で何らかのアクションを起こすと考えていた。
その予感は3巡目にて、早くも的中する。
3巡目。
「発…ポンっ…!」
アカギは平山が捨てた発でポン、中を打牌したのだ。
カッと牌が卓の枠に当たる音が場の雰囲気を更に硬直させる。
ひろゆきも平山も一瞬で変わった空気の流れにグッと息を呑む。
そんな中、市川のみが口元を歪めて微笑する。
(やはり…ここで仕掛けるか……だが、ワシとの点数差、どうやって埋めるつもりだ……)
どのような手で攻めるのか。
どのように足掻くのか。
アカギの戦略に胸躍る昂揚を覚えながら、市川は山に手を伸ばす。
市川が手に入れたツモは6索。
現在の市川の手牌は
1萬 1萬 3萬 5萬 5萬 6萬 9萬 1筒 1筒 3筒 7索 7索 8索
アカギと市川の点数差は13200点。
これを覆すにはツモによる満貫、もしくはハネ満以上の点数が必要である。
もし、親満ツモを狙う場合、ドラ3を抱えた役、チャンタ三色ドラ1など、
ハネ満であれば、対々と三暗刻の複合ドラ2、対々と混老頭の複合ドラ2などの役も考えられる。
しかし、これらはあくまで配牌の際、大量のドラが手に入ったという前提である。
後がない1局で序盤からドラが2つも手に入ったという都合のよい展開は考えにくい。
何よりも市川は3巡目で、ドラ9萬を引いている。
9萬は残り3枚。(※市川は知らないが、平山がこの時点で9萬を一枚抱えている)
やはり、アカギが狙うのは役満だろう。
ポンが成立する役満は大三元、字一色、四喜和、清老頭、緑一色。
アカギは発をポンした直後、中を捨てている。
この時点で、三元牌の刻子を揃える大三元と1と9の数牌だけで上がる清老頭の可能性は消える。
また、索子を連続で捨てていることから、緑一色の可能性は薄い。
(残るは字一色と四喜和か……)
中を捨てたことが気になるが、可能性としてはそれくらいだろう。
(さて、どうやって、この局を楽しもうか……)
市川は各自の河を思い浮かべる。
アカギ
7筒 8索 2索 中
市川
北 西 東
平山
9索 5萬 (発)
ひろゆき
9索 西 ( )
(※( )はポンした際、飛ばされた順番を指す)
4巡目だが、この時点で平山とひろゆきは共に9索、アカギは8索を捨てている。
平山とひろゆきは7索・8索を持っておらず、アカギは字一色もしくは四喜和を集めている可能性が高い。
これらのことから、市川は6索7索7索8索の形から索子を伸ばすことができると予測する。
また、可能性としては低いがアカギがドラを集めている可能性も否定こそはできないため、9萬は当分の間抱えざるを得ない。
(9萬を活かしながら、索子を伸ばす……か……)
市川は方針を定め、3筒を捨てた。
平山とひろゆきも、市川同様、アカギの字一色・四喜和に警戒し、以後、アカギの現物を除いて、字牌は場に出さなくなった。
全員がアカギの動向に注目する中、8巡目、再び、動きが生まれた。
「打1筒……」
市川、6筒ツモ、1筒を切った。
この直後だった。
「1筒ポンっ…!打4索っ…!」
アカギはこの1筒をポンし、4索を捨てたのだ。
「えっ…」
これには全員が絶句した。
ギャンブルルームは沈黙に包まれているが、その不穏な空気はざわ…ざわ…と動揺が蠢く。
アカギは発と一筒をポンした――索子と発を揃える緑一色はもちろんだが、字牌を揃える字一色、風牌を3種類もしくは4種類集めなければならない四喜和の和了の否定――この卓にいた全員の予測を全否定したのだ。
「勝負を捨てたのか……」
平山は思わず、声を漏らす。
(随分と勝負に出たな……)
狼狽する平山とは対照的に、市川は冷静にアカギの手牌を分析する。
アカギの河
7筒 8索 2索 中 白 7索 7萬 中 4索
アカギは二つのポンによって、役満での和了を否定した。
誰しもこの状況ならば、平山のようにアカギの意図が分からず、言葉を失うのが普通だろう。
しかし、市川は誰よりも早く別の和了の可能性を見出していた。
(奴の役は混老対々ドラ2っ……!!)
混老対々は雀頭と4組の面子全てを1・9の数牌か字牌の刻子――老頭牌だけで揃える役である。
しかし、混老対々は4翻であり(場ゾロを加算すると6翻)、ハネ満8翻以上を成立させるには最低でもドラ2が必要である。
ここで市川は今の状況を整理する。
市川の手牌
3萬 5萬 5萬 6萬 9萬 1筒 6筒 6筒 6索 7索 7索 8索 8索
アカギの河
7筒 8索 2索 中 白 7索 7萬 中 4索
市川の河
北 西 東 3筒 1萬 白 1萬 (1筒)
平山の河
9索 5萬 (発) 2萬 8索 2索 2筒 ( )
ひろゆきの河
9索 西 ( ) 中 白 2筒 7萬 ( )
思い浮かべた上で、アカギが混老対々を成立させるために必要な牌が今、どれだけ場に出ているのか考える。
1萬:2枚(市川捨て牌2)
9萬:1枚(市川1)※市川は知らないが、平山が1枚抱えている
1筒:4枚(市川1、アカギ3枚)
9筒:0枚
1索:0枚
9索:2枚(ひろゆき捨て牌1、平山捨て牌1)
白 :2枚(ひろゆき捨て牌1、アカギ捨て牌1)
発 :3枚(アカギ3)
中 :3枚(ひろ捨て牌1、アカギ捨て牌2)
東 :1枚(市川捨て牌1)※しかし、アカギは見逃している
南 :0枚
西 :2枚(市川捨て牌1、ひろゆき捨て牌1)
北 :1枚(市川捨て牌1)※しかし、アカギは見逃している
ここから判断して、アカギが抱えている可能性が高い、もしくはアタリ牌は9萬・9筒・1索・9萬・9筒・9索・南のどれか。
混老対々は食い制限が存在しない。
迂闊に1・9牌や字牌を捨てれば、アカギはここぞとばかりに三度のポンをするだろう。
(ドラの9萬も含めて、アカギのアタリ牌の可能性がある牌は全て抱え込むのが無難……)
アカギと市川の点数差は13200点である。
このまま逃げ切れば、市川の勝利なのだ。
(勝つために…ここはベタオリだっ……!)
市川は守りに徹しようとした。
しかし、ここに来て初めて見せた、市川の受け身の姿勢を罵るかのような、無情な連鎖が立て続けに起こった。
9巡目1索、10巡目1萬、11巡目9筒と危険牌を引いてしまったのだ。
しかも、1索と9筒は生牌(場に1枚も出ていない牌)である。
(ここで余計なものをツモるとはな……!)
市川は苦々しく牌を握る。
しかし、それを嘆いた所で始まらない。
市川はそれらを抱えたまま、9巡目は3萬、10巡目、11巡目は共に5萬を捨てて、アカギへのフリコミを避けた。
当然のことだが、市川の牌はガタガタに崩れてしまうこととなる。
1萬 6萬 9萬 1筒 6筒 6筒 9筒 1索 6索 7索 7索 8索 8索
これは皮肉にも東2局での平山の戦術そのものであった。
市川は自嘲しつつも、自身に言い聞かす。
“逃げ切れば、勝てる勝負なのだ……”と。
そう、この勝負はアカギが欲する牌が場に出なければ、市川が勝つ勝負である。
ひろゆきと平山もまた、アカギに振り込まなければ、命を繋ぐことができる。
全員がそれを弁え、アカギの現物を切りを続ける。
これこそがこの最終局面において、アカギ以外の全員が取るべき戦略であった。
しかし、この11巡目において、その暗黙の了解を乱すものが現れた。
「打1索っ…!」
平山が1索を捨てたのだ。
(何を考えているんだっ……!)
市川は眉を顰める。
アカギに振り込んでしまうことで、平山の命がどうなろうと市川としてはどうでもよい。
しかし、これがアカギのアガリ牌であれば、アカギは親ハネ満18000点を得る――点数は逆転、アカギが勝利するのだ。
市川は今更ながら後悔する。
この勝負に不純物を紛れ込ませてしまったことを――。
幸い、アカギはこの1索を一瞥しつつ、見送った。
(通ったか……)
市川はホッと胸をなで下ろす。
この場は何とかしのぐことができた。
おそらく平山が1索を捨てたのは、よほど自身の役に繋がる牌をツモしたからなのだろう。
しかし、あの状況、場合によっては、アカギがロンすることさえあり得ていた。
(そう言えば、先程、あの平山という男…アカギが1筒をポンした時、“勝負を捨てたのか……”と呟いていたな…
混老対々ドラ2の可能性があるにもかかわらず…)
混老対々ドラ2の可能性を思い付かない程度の実力――東1局、東3局での評価も含めて、平山は少々麻雀で遊んだ経験がある程度でしかないと市川は結論付けている。
(初めから奴は拒むべきだったな……)
アカギの動向に注意することはもちろんだが、平山のように中途半端な実力の者の動向にも気をつけなければならない。
いくら自分がアカギへのフリコミに細心の注意を払おうとも、平山のような人間が市川の足を引っ張る――アカギに放銃する可能性はいくらでもありえるのだから。
12巡目。
市川は6萬をツモ。
やっと1・9牌の連続ツモから解放されて一息つく。
当然、6萬はツモ切りである。
平山はアカギのロン牌でないことに安心したのか、1索を再び切る。
ここで市川は平山に対して、ふっと疑問を抱く。
ツモ牌が卓に置かれる音、ほかの牌とすれる音から察して、どうやらこの二つの1索は平山の手出し(手牌から打牌すること)のようである。
(こいつはアカギが1・9索、字牌を集めていることを承知していたからこそ、今まで二つの1索を抱えていたとすれば……
この危険牌を捨てなければならない状況……おそらく奴はイーシャンテン……いや、テンパイかっ……!)
一方、ひろゆきはツモ切りの8萬。
先程からひろゆきはツモ切りを繰り返している。
おそらくすでにテンパイの状態なのだろう。
この場において、ひろゆきだけがアカギに振り込んでいない。
アカギのアタリ牌を避けながら、着実に役を作る。
市川はその堅実で且つ狡猾な打ち方に、ひろゆきの才能の鱗片を見た気がした。
13巡目。
市川、再び、6萬を引き、それをツモ切りする。
市川がほっとしたのも束の間、平山が今度は北を捨ててしまった。
(またか、この男はっ……!)
北は市川が1巡目で捨てて以降、場には出ていない。
(牌の擦れる音が聞こえなかった……ツモ切りかっ……!だが、いくらテンパイ、もしくはイーシャンテンという状況だからといって……)
もしも、アカギが平山の捨て牌で和了れば、親ハネ満で18000点。
それが直撃した平山の首輪は爆破。
市川はアカギの動きに耳をすます。
(動くのか……アカギ……!)
しかし、アカギは微動だにせず。
(見送ったか……)
市川は息をつくも、心の中では苛立ちが膨れ上がっていく。
(何を焦っている、平山という男は……)
14巡目。
現時点での各自の捨て牌
アカギ
7筒 8索 2索 中 白 7索 7萬 中 4索 7萬 4筒 2筒 6索
市川
北 西 東 3筒 1萬 白 1萬 (1筒) 3萬 5萬 5萬 6萬 6萬
平山
9索 5萬 (発) 2萬 8索 2索 2筒 ( ) 発 3索 1索 1索 北
ひろゆき
9索 西 ( ) 中 白 2筒 7萬 ( ) 7萬 4索 2萬 8萬 北
アカギ、中をツモ切りする。
それに対して、市川は8萬ツモ。
市川はどれを捨てるべきかと思案する。
市川の手牌
1萬 6萬 9萬 1筒 6筒 6筒 9筒 1索 6索 7索 7索 8索 8索
(ここは……8萬というところか……)
8萬は12巡目でひろゆきが捨てている。
混老対々ドラ2狙いのアカギは当然だが、テンパイの可能性が高い平山もこの8萬には反応しなかった――つまり、完璧な安全牌。
市川は8萬を握りながら思う。
(このまま、流局か……)
18巡目に到達した時、この局は流局となる。
残り4巡。
今頃になって、攻めの様子を見せ始めている平山を除いて、全員が守りに転じている。
(アカギは鳴きを繰り返してきた……あそこまで露骨に泣けば、全員がアカギの役に感付く……
アカギとて、自分のアタリ牌が場に出ないことは百も承知だろう……
今のアカギはツモ以外の勝利はありえない……
それは運に身を任せるということ……!)
市川という男を打ち負かした時のアカギは常に理を持って勝負をする少年であった。
13歳という若輩者でありながら、その攻めは常に相手の急所に狙い討ちする若獅子のようであり、王者の風格さえあった。
しかし、今のアカギはみえみえの闘牌、一貫した守りの姿勢。
涼やかでありながら、煉獄の炎を滾らせた若獅子の面影は鳴りをひそめていた。
(今までワシが抱き続けてきたアカギへの恐れは……ワシが勝手に膨らまし続けてきた妄想でしかなかったというわけか……)
長年恋焦がれてきた勝負が、このような締りがないもので終わってしまうことに不本意さを抱きながら、市川は8萬を捨てた。
この直後、平山が呟く。
「ロン……」
[[逆境の闘牌(後編)]]
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