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英雄(前編) ◆uBMOCQkEHY氏


――――――英雄とは“自分自身であろう”と求めゆく者のことである。
                          オルテガ・イ・ガセット


涯は目を開けた。
鬱蒼と木々が茂る森だった。
闇の冷やかさを含んだ風が涯の頬を撫で、身体の熱を奪っていく。
月が雲で隠れているため、森の先は闇に溶け込んでいる。
しかし、周囲が見えずとも、直感的に涯は感じていた。ここは見覚えのある風景、かつて来たことがある場所だと――。

「いい風だ・・・」
聞き覚えのある声に、涯は反射的に振り返った。
再び、風が吹いた。
その風で雲に隠れていた月が顔を覗かせ、周囲を再び照らし出す。
月光がその声の主の輪郭をはっきり映し出した。

――あ・・・

声の主は今、そこにいるべき人間であり、そして、存在するはずのない人間だった。

――あ・・・赤松っ!

涯の目の前にいたのは田中沙織から涯を庇い、命を落とした赤松修平、その人であった。
赤松は思い出に耽るかのように、柔和な表情で遠くを見つめている。
赤松の腕には涯のYシャツが巻かれ、フォークできつく結び付けられていた。

――ここは・・・!

涯は周囲を見渡した。見たことがある風景のはずである。
ここは田中沙織と出会い、襲われた森の中なのだから・・・。
赤松の様子から察して、田中沙織を説得した後、彼女と別れ、休んでいた時とそっくりそのままの状況のようである。

――なぜ・・・?

涯の心臓が早鐘を打つ。
なぜ、赤松は生きているのか。
なぜ、あの場面に戻っているのか。
疑問が頭の中で理性を引っ掻きまわす。
涯はそれまで多くの修羅場をくぐり抜けており、ちょっとやそっとの困難では動じない少年である。
しかし、過去に戻ったという受け入れられない状況、そして、この先に待ち構えている田中沙織の襲撃、赤松の死。
これらの怒涛の惨劇、身が引き裂かれるような痛哭を瞬時に整理できるほど、少年の心は成熟しきっていなかった。

――オレは・・・オレは・・・

「涯君・・・」
涯を諭すように発せられた有情の一言。

――あ・・・

生前と何一つ変わることのない、囁きかけるかのような柔和な声色――赤松という男の性質を表わすかのような声色。
涯の乱れた鼓動が朝日に照らされた潮騒のように穏やかに静まっていく。
涯は冷静さを取り戻していった。
確かに今は理解しがたい状況ではある。
しかし、この状況をとりあえず理屈抜きで受け入れられる余裕が涯に生まれていた。

赤松は自分の一言が涯の混乱を収めたとは知らない。知らないまま、申し訳なさそうに俯いた。
「・・・さっきは・・・首を絞めてしまって悪かった・・・」

――赤松・・・どうして謝・・・
「勘違いなんだろ・・・」

涯は愕然とした。
涯が言わんとしていた言葉とは全くの別物のセリフ。涯は驚きのあまり己の口を手でふさごうとした。
しかし、腕が、指が、全く動かない。

――つまり・・・これは・・・

この瞬間、涯は悟った。
今、目の前にある景色は、現実ではなくて、記憶の断片。
記憶が再生されているだけで、目の前の赤松も、実際の赤松ではなく、記憶が映し出している場面の一コマでしかないと。
役者としての涯は一字一句間違えることなく、次のセリフを口にする。
「状況が状況だ・・・別に恨んではいない・・・
それに今のオレたちは利害が一致している・・・
そんな感情的な問題は関係を無駄にこじらせるだけだ・・・」
「そうか・・・」
あの時のあの場面の会話、仕草が、涯の意思とは関係なく、台本通りに淡々と再演される。
涯は不思議な感情に囚われていた。
表面の自分は記憶通りの行動を忠実に再現している。
しかし、内なる自分は映画でも見ているかのように、その場面を眺めている。
表面と内なる自分の間には厚い膜が貼っており、それが二つの自分をつなげる回路を遮断し、この舞台の中断を防いでいた。

無言と木々の擦れ合う音がその場を支配する。
場面を演じる涯は気恥ずかしそうに言葉を濁す。
「赤松・・・さっきは・・・その・・・」
この時の感情を涯は覚えている。
赤松に礼が言いたかった。
涯は人を殺めたという罪の意識に苛まれ、その罪に押し潰されそうになった。
殺人という手段を何の疑問も抱くことなく実行した事実もそうだが、
殺人という行為に対して、もっともらしい自己弁解を繰り返し、
その事実から目を逸らし続けた己の惰弱さが腹立たしかった。
つまり、涯は自分が許せなかった。
そんな自分を許しても構わないと悟らせたのが赤松だった。

もし、この考えに気付くことがなければ、涯は己の罪を否定するかのように、
多くの人間を傷付けていたに違いない。
その意味では赤松に感謝している。
しかし、赤松は少々お節介すぎた。
今でこそ、赤松の考えを受け入れてはいるが、
当時は思想を押しつけられたという嫌悪感を少なからず抱いていた。
他人に屈従することと意見を受け入れることの違いを理解しきれていない、少年らしい反発であった。
結果的に、この反発心が赤松に礼を言うタイミングを永遠に失わせてしまった。

――オレがあの場面で躊躇しなければ・・・

涯は当時の行動を後悔する。
しかし、涯が感謝の言葉を口にできなかったのにはもう一つ理由があった。

――田中沙織が・・・

涯がその言葉を口にしようとした瞬間、田中沙織が現れ、赤松の注意がそちらへ移ってしまったからだ。

「あれは・・・」
赤松の視線は涯から道路の先へ移動する。
まさに筋書き通りの行動。
このまま進めば、待ち受けているのは筋書き通りの惨劇――田中沙織が赤松にボウガンを放ち、そして、赤松は――




「ダメだっ!!!」
涯は目を開けた。
視界に飛び込んできたのは薄暗い天井だった。
「ここは・・・」
「随分・・・うなされていたようだな・・・」
涯はゆっくり身を起こし、声の方を振り返る。
目の前にいたのは赤松ではなく、沢田だった。
沢田は玄関の扉に寄りかかって涯を見つめている。
その手には暇つぶしのためなのか、標のメモ帳が握られていた。
涯は夢と同じように周囲を見回した。
青臭い畳にちゃぶ台、一昔前であれば、どこにでも見られそうな民家であり、
涯の横ではカイジと零がすやすやと寝息を立てている。

沢田は畳に腰を下ろし、涯にタオルを差し出した。
「とりあえず、汗を拭え・・・」
涯は黙ってそれを受け取ると、顔に押し付け、擦った。皿を拭くかのように無頓着に汗を拭う。
沢田はそんな涯を見据えながら呟いた。
「もしかして・・・赤松のこと・・・考えていたのか・・・」
涯の腕がぴたりと止まった。
涯の顔がみるみる渋る。
そこにあったのは心を見透かされたという“いたたまれない恥”の感情であった。
沢田は微苦笑を浮かべる。

「いや・・・丁度、オレが考えていたから・・・お前もかなって・・・」
本音を言えば、涯が寝言で赤松の名前を洩らしていたからこそ、知りえていた事柄である。
だが、それを大っぴらに公言してはならない。
涯と行動を共にして察したことであるが、涯は己のテリトリーの侵入に対して過敏に反応する嫌いがある。
特に赤松の事となれば、涯にとっては大変デリケートな部分に当たる。
偶然を装い、嘯いていた方が、涯本人にとっては精神的に楽に感じるはずであろう。
沢田は“不愉快にさせてしまったのであれば、すまない・・・”と詫びを口にすると、立ち上がり、玄関先に戻ろうとする。

「沢田さん・・・聞いてほしい・・・」
沢田は足を止めた。
涯は先程見た不思議な夢について、そして、己の内の中に蟠る後悔の念について語り始めた。
涯の口から刺繍の糸が解けるかのように説明がするすると紡がれていく。
涯の言葉は常に端的でかつ要領を得たものである。
しかし、同時に必要以上のことは表現しないため、時に機械的、無感覚さを感じることがある。
沢田が涯の感情の起伏を感じる時は、他人に強悍を見せつける怒りの感情を表わす時くらいだろう。
その涯が己の見た夢を――赤松に詫びたかったという弱さを含めて、胸の内を饒舌に語ったのだ。
沢田は涯の言葉に頷きながら、涯にとって赤松がいかに大きな存在であったのかを理解せずにはいられなかった。

涯は一通り話すと、自嘲を浮かべる。
「オレ・・・アイツに詫びたかった・・・礼を言いたかった・・・
だが、下らない見栄や意地のせいで永久に機会を失った・・・それに・・・」
「それに・・・」
涯は沢田から目を逸らし逡巡する。
しかし、黙っていた所でしょうがないと諦念したのか、沈んだ声を洩らした。
「あの時・・・オレがもっと早くに田中沙織の行動を察知していれば・・・
赤松は・・・死なずにすんだのかもしれない・・・」
「涯・・・」

涯の心は赤松に対する自責の念に駆られていた。
おそらく、涯はこれからもこの場面の夢を見て、その度に悔悟し続けるだろう。
今の涯に必要なのは、それを受け入れ、目標へ進む力だ。
「涯・・・面白いこと・・・教えてやろうか・・・」
沢田は涯に標のメモ帳を手渡す。
「このメモ帳・・・ちょっと目を通してみろ・・・」
涯は言われた通りに、メモ帳をペラペラと捲り、斜め読みの要領でページを追っていく。
涯はあることに気付いた。
メモの記述の大半はこのバトルロワイアルのヒントとなりそうな場所、人物についてである。
しかし、そのページの途中途中で目につくのは赤松の記述なのだ。
「これは・・・」
「おそらくだが・・・標は赤松もバトルロワイアルを潰すために必要なピースと捉えていた・・・
だから、ほかの記述と隔たりなくメモに書き記した・・・というところか・・・」

涯は黙って赤松の項目を拾っていった。
赤松には妻と二人の子供がいること。
“穴平建設”という会社で現場監督をしていること。
このような経歴的な話から、妻にこのゲームに参加することを明かさなかったことへの後悔、
もし、帰れたら、妻に詫びを言いたいという思いなど、内面的なことまで事細かに記されていた。
「赤松・・・」
ページが進むうちに赤松の別の面が見えてくる。
しかし、それは意外性に飛んだものではなく、予想通りの人柄を指し示すもの――あのお人よしの性質を証明するものであった。
そして、それを確固たるものとした記述が――

「このギャンブルに参加したのは・・・黒沢って男の治療費引き換えに・・・だと・・・」
この意外な理由にはさすがに涯も閉口する。
沢田は涯から一旦、メモを返してもらうと、別のページを開き、涯に再び渡した。
「そこのページを読んでもらえば分かるが・・・黒沢って男はヤンキーの襲撃からホームレスを守り、大けがを負った・・・
で・・・その治療には何千万もかかる・・・
赤松はな・・・こう考えたそうだ・・・
この男が回復するためなら、ギャンブルに身を投じるだけの価値がある・・・と・・・」
涯は沢田が開いてくれたページに目を通す。
標のメモは常に簡略的に且つ客観的に事象を記している。
標たちが首輪を手に入れた経緯を例にあげると、
“村岡、死体から首輪、赤松さんに渡す。目的は仲間になること”
という具合に。
勿論、この黒沢の箇所もその程度の箇条書きでしかない。
しかし、事柄だけを淡々と並べたメモの中で、赤松が黒沢に抱く畏敬の念の行はどこか抒情的であり、
他の項目と比較してもどこか異質な雰囲気を放っていた。
読み返せば読み返すほど、この文が赤松の声で聞こえてくる錯覚を覚える程に。

沢田は頭を掻きながら苦笑を浮かべた。
尊敬する男のためにギャンブルに参加する。
仮に殺し合いのゲームであった真実を知らされていなかったことを差し引いたとしても、
愚鈍すぎる選択としか言いようがない。
しかし、この愚鈍さは赤松修平らしい生き方であり、また、沢田が理想とする生き方でもあった。

沢田は苦笑を収め、話を続けた。
「で、ひでぇ話だが・・・その黒沢は・・・このゲームに参加しているっ・・・!」
ここで沢田は零のディバックから参加者名簿を取り出した。
涯はそれを受け取り、ページをめくる。
“黒沢”という名前はすぐに見つかった。
涯の脳裏に、実は同姓同名の別の人物ではないかという考えも過った。
しかし、赤松と同じ“穴平建設”に勤務しているという説明文を読んでその期待は簡単に吹き飛んでしまった。
沢田はかつて赤松が涯にしたように、諭すように語りかける。
「涯・・・赤松もな・・・お前と同じようにやり残したことがあって、多分、死んだことを後悔しているはずなんだ・・・
だから、お前が赤松のやり残したことを引き継ぐんだ・・・
あいつの代わりに家族に詫びること・・・田中沙織を脱出させること・・・黒沢という参加者を助けること・・・
そして、伝えていくんだ・・・お前が見た赤松修平の生き様・・・あいつの“侠”を・・・
それがお前のできる赤松への“礼”の示し方だ・・・!」

涯は呆然と沢田を見遣るも、やがて肩から力を抜き、頷いた。
「分かった・・・」
沢田は涯から張り詰めた負の感情がなくなったことを感じ取り、安堵を浮かべる。

――これで一先ず、悩みから解放されるだろう・・・

「ところでさ・・・」
涯の呟きに沢田は“どうした・・・?”と穏やかに尋ねる。
「黒沢って・・・どんな奴だろうな・・・」
「うーん・・・黒沢か・・・」
沢田は腕を組みながら、黒沢という人間像を考察する。
「なんだかスケールが大きそうで想像もつかないが・・・ここで一つ言えるとしたら・・・」
沢田はまるで赤松と目を合わしたかのようにクスッと笑いを洩らした。
「赤松にとって、黒沢って男は“英雄”だった・・・のかもな・・・」






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