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愚者(前編) ◆uBMOCQkEHY氏


「物騒だからとりあえず隠しておいたというところか……」
遠藤はダイナマイトと黒沢を見比べながら呟いた。
黒沢は赤松のゲーム参加の理由を知り号泣し続けていたが、疲れがピークに達してしまったのだろう。
そのまま泣き寝入りしてしまった。
ちなみに、沙織も黒沢の横に寄り添うように寝息を立てている。
遠藤は黒沢が寝ている間、何か武器になるものはないかと周辺を物色し、台所の床下収納からダイナマイトを見つけてしまったのだ。
「こいつさえなければ……」
治を殺すきっかけを生み出した元凶。
このダイナマイトを探そうと思わなければ――
あの場で治が目覚めなければ――
治が自分を襲わなければ――
「くそっ!」
遠藤は苛立ちを吐き捨てるかのように、床を叩いた。

なんとか冷静さと統率力で精神のバランスを保ってきた遠藤だが、黒沢と沙織が眠ってしまったことで、再び、自責の波が押し寄せてきてしまった。
治の人生を摘み取ってしまった罪悪感、喪失感は吐き気のように身体の奥から逆流し、遠藤を締め付ける。
遠藤は苦々しく自嘲した。
「そういえば……俺はあいつに言っていたな……」
遠藤はどうやってこのゲームで生き残るつもりなのかと佐原に尋ねたことを思い出した。

――ギャンブルルームで、棄権費用を稼ぐのか…?

――えっ…?

――対主催者として、ゲーム潰しを目論むつもりか?

――それも…ちょっと…

――じゃあ、参加者を殺して、棄権費用を稼ぐか、優勝を狙うかしかないな…

その後、遠藤は佐原の心構えを確認するために、近くにいる森田達を殺せるかどうか試してみた。
殺人に恐れをなした佐原はその場から逃げ出してしまうことになるのだが、今にして思えば、その判断は正しかった。
今の遠藤のように、呼吸を無理やり止められてしまったかのような懊悩を一生抱えてしまうくらいなら、
愚か者と嘲笑されても逃げた方が良かったのだ。
今なら、分かる。佐原の行為を嘲笑った当時の自分こそ――
「愚か者だよな……」

その時、遠藤はハッとあることに気付き、自分の時計に目を向けた。
長針が丁度12時を指している。
それを知らせるかのように動き出したものがある。
「来たか……」
動き出したのは一台のノートパソコン。
画面にはロード中の注意がはっきり映し出されている。
遠藤のノートパソコンは1時間おきに各参加者の最新の情報を受信するようにプログラムされている。
やや長いデータ受信が完了すると、遠藤はダイナマイトをディバックにしまい、キーボードを叩いた。
遠藤が真っ先に行うこと――己の身の安全の確保、自分のエリアであるC-4に他の参加者が侵入していないかどうか確認することである。
殺人の責め苦が心の中でわだかまっているとはいっても、生き残るための作業をつつがなくこなし続ける。
「本当に……俺は人間のクズだよな……」
治に対して詫びたいと心から思っているのか、自分自身を疑いたくなる。

「これは……」
遠藤の顔色が不穏に曇った。
「おいっ!起きろっ!黒沢っ!」
慌てた遠藤は黒沢の巨体と揺さぶる。
「ふ……ふぁ……?」
何が起きたのか理解できないまま、黒沢は冬眠から目覚めたクマのように寝ぼけ眼を擦りながら辺りを見渡す。
沙織もつられるように眼を覚ました。
「黒沢……」
殺し合いの場にいることを理解していないかのような黒沢の呑気さに、
呆れと馬鹿馬鹿しさが入り混じったような怒りが、遠藤の心に込み上がってきた。
八つ当たりでもするかのように、パソコンの画面を黒沢の顔面に押し付けた。
「これを見ろっ!しづかと仲根って奴がここに近づいているっ!あと……」
「何っ!仲根がっ!」
遠藤が全てを言い終わる前に黒沢はパソコンを奪い取り、食い入るように見つめる。
確かに画面上の地図には自分達がいる民家の近くに仲根としづかの存在を示すマークが表示されていた。
「本当だ……仲根が近くにいるっ……!」
赤松も含めて数多の人間が命を落としているこのゲーム内において、生きながらえていたことは奇跡以外の何物でもない。

「仲根……よく耐えたな……」
黒沢は写真に写る懐かしい友に話しかけるように、画面に向かって労いの言葉をかける。
喧嘩に強く、中学生にしては機転がきく仲根がいれば、鬼に金棒である。
「そうさ……仲根がいれば……!」
二人で戦えば、どんな奴が襲いかかろうと負けることはない。
美心や赤松のような犠牲者を減らすことができる。
闇の中で一筋の光明を見出したかのような深い喜びが黒沢の心を満たしていった。
「黒沢……」
希望を噛みしめる黒沢とは対照的に遠藤の表情は硬い。
「なぁ……話したいことがある……」
感情を殺したような重く低い声で、遠藤は語り始めた。




朝靄が立ち込める林の中。
決して平坦とは言えない雑草だらけの土地を仲根としづかは無言のまま突き進む。
休んでいないにもかかわらず生気がみなぎる仲根に対して、しづかの表情はどこか気だるい。
この道中で、しづかは仲根に何度も休もうと提案した。
しかし、仲根は“兄さんに会えば、ゆっくり休める”の一点張りで歩み続ける。
酷いと、“じゃあ、お前とはここで別れる”と言い放ち、あえて歩調をあげる時すらある。
その度に、しづかが“悪かった……”と折れて、仲根に従い続ける。
しづかはこの男に他者を労わるやさしさなど期待できないと悟り、少しでも体力を消耗しないように口を動かすことをやめた。

(それにしても、仲根の野郎……どうしてそんなにあの黒沢っておっさんに執着するんだ……?)
勿論、仲根が黒沢に魅せられた理由など知る由もない。
知る由もないが故に、しづかにとって今の仲根は怪しいカルト宗教にのめり込む信者そのものであった。
(宗教くさいと言えば、あいつ……さっき言っていたよな……“お前も……オレも救ってくれる……”って……あれって……)

――兄さんは高潔な男っ……!お前も……オレも救ってくれる……だから、大丈夫だ……行こう……。

黒沢の元へ向かう直前、仲根がしづかに漏らした言葉である。
それを口にした仲根の眼差しは夢を見るように呆けていながら、苛立ちに近い焦りも見せていた。
まるで、すぐに黒沢に会わなければ、己を失ってしまうかのような――。
このしづかの言い表わせられない漠然とした違和感は的を射ていた。

仲根は黒沢との脱出費用を稼ぐため、参加者を一人殺している。
その瞬間は主催者が掲げた逃げ道のないルールに対して、何一つ疑問に思わなかった。
それどころか、法律が施行された途端、それに粛々と従う国民のように、当たり前の如く受け入れていた。
しかし、時間が経つにつれ、仲根に一つの波が押し寄せてきた。
自分はとんでもないことを仕出かしてしまったのではないという認識が――。
その認識をもたらしたのは、自分の人生の重さと相手の命の軽さの差であった。
仲根は参加者――浦部の首を切った時、“ハムをスライスしているのではないのかと思ってしまうほどの”てごたえのなさに拍子抜けしてしまった。
命はナイフ一本で簡単に奪えてしまうほどに軽い。
しかし、同じ軽い命でも、自分の命――人生は奪われたくはない。
それは目の前に横たわる男も一緒だったのではないのか。

――俺は……取り返しのつかないことを……。

この時から仲根の心には罪の十字架が圧し掛かるようになってしまった。
仲根の心は重圧でぎりぎりと捻じりちぎられていった。
どうすれば、この痛みから解放されるのか。
仲根の出した結論は自分の命以上に価値のあるものを作ることであった。
その大義名分の対象となったのが、黒沢である。
黒沢を救うためには他の参加者を殺害してでも、棄権費用を稼がなければならない。
この殺人は起こるべくして起きてしまったことだ。
こうして、仲根は殺人の正当性を見出し、罪の重圧から解放された。
何かの拍子で、この正当性に疑問を抱く時もあるが、その度に“己の使命とは何か?”と自問自答し、理性を保ち続けている。
この仲根の思考は自身の思想のために時に無関係の人々まで巻き込んでしまうテロリズムに近く、
傍から見れば、相当歪んでいると言わざるをえない。
しづかが抱いた宗教臭さもここに起因している。

「なぁ……仲根……」
なぜ、黒沢に執着するのか。
しづかがその疑問を口にしようとした瞬間だった。
「あれだ……」
仲根の瞳が何かを捉えた。
「えっ……」
しづかも声につられて、遠くを見つめる。
林と靄の先にあったのは林を横切るようにアスファルトで舗装された人口の道、そして、くすんだ色の壁が特徴的な民家であった。
「あれが……お前の探していた民家なのか……」
仲根の話によれば、分かっているのはC-4の民家に黒沢がいるということだけである。
しかし、仲根が見つめた民家の隣にも他の民家が並んでいる。
立地的に入りやすそうな印象があるとはいえ、その民家に黒沢達が隠れているとは限らない。
もし、目の前の民家が別の民家であれば――
そこにいるのが黒沢ではなく、参加者全員の命を狙う危険な人物であったなら――
「本当にあれなのか……黒沢じゃなくて、もっとヤバい奴がいるんじゃねぇのか……!
今、霧が深いし、太陽もやっと昇ったばっかだしさ……もうちょっと待ってからでも……」
しかし、しづかの言葉はこれ以上続くことはなかった。
仲根の瞳がそれ以上しゃべれば、切り捨てると言わんばかりに鋭利な光を放っていたからだ。
「な…仲根……」
しづかはその威圧的な雰囲気に呑まれ、俯き黙る。
仲根はハッと我に帰り、しづかから目を逸らした。
「お前はここに残れ……俺は確認しに行く……」
仲根はしづかの返答も聞かずに駆け出してしまった。


仲根は足音を立てずに玄関に近づくと、僅かに開いた扉から中へ潜入した。
家の中はまだ、薄暗い。
廊下が奥まで伸びて、その先に扉がある。
仲根は懐からナイフを抜き、廊下に左足を置いた。
もし、この場にいるのが、黒沢以外の人間であり、殺意を持っていれば、すぐにその喉を切り裂く。
大雑把な戦略をたて、とりあえず“何となく気になる”奥の扉へ歩もうとした。
「えっ……」
仲根は嗅覚を疑った。
空気の中に血臭が混じっていたような気がしたのだ。
「どこだ……」
仲根はその臭いが左側の扉からであることに気付く。
「誰かいるのか……」
一種の好奇心に導かれるまま、仲根はその扉のドアノブに手を伸ばそうとしたその時だった。

「仲根……」
「えっ…」
仲根の心臓がドクンと大きく高鳴る。
それは長らく待ちわびた懐かしい声。
「兄さん……」
仲根は顔をあげ、廊下の奥を見つめる。
扉を半分開け、その隙間から黒沢は顔を覗かせていた。
扉の奥からの逆光で表情こそは分からない。
しかし、歴戦の武将を連想させるような恰幅のいい体格は間違いなく黒沢以外にありえなかった。
「兄さんっ!!!!」
歓喜の塊が込み上がる。
仲根はこれまで黒沢を救うために参加者からチップを奪った。傷付けた。そして、殺した。
あらゆる汚い手段を講じてきた。
しかし、それは黒沢のため、この瞬間のために心魂の全てを注ぎ込んできた結果なのだ。
仲根は再会の喜びを胸に抱き、黒沢の腕にガシリとしがみつく。
自分の汚い行為が無駄になってしまうのではないかという恐怖もあったが、そんな心配をする必要はない。
運命が、こうして仲根の努力に応えてくれたのだから。
「兄さんっ!やっぱり生きていたっ!良かったっ!良かっ……」
「なぁ……仲根……聞きたいことがある……」
黒沢の声は震えていた。
それは仲根のように歓喜の震えではなかった。
どこか冷たく、力がない。
失望や幻滅に近い負の感情の嘆声だ。
「に……兄さん……?」
仲根は恐る恐る顔をあげた。
黒沢は鼻と眼を赤くはらしながら泣いていた。
いかに今まで号泣していたか、顔を合わせたばかりの仲根でも一瞬で察することができる。
「どうしたんスか……兄さん……」
仲根は急速に乾いた喉を唾で誤魔化した。
この一線を越えてはいけないという予感が仲根に過る。
しかし、黒沢と自分の間に、そんな一線ありやしないという盲信めいた確信も存在する。
この場では予感が勝ってしまった。
「仲根……どうして人を殺しちまったんだ……」
仲根の頭の芯が激しく痺れた。
「どうして……知って……」
浦部の殺害場面を黒沢に見られたのか。
しかし、あの場には誰もいなかったことを仲根は念入りに確認している。
ではなぜ、知っているのか。
黒沢はそれを示すかのように、窓の下でうずくまっている男のパソコンを顎で指した。
「あいつのパソコンは一定の時間で参加者の情報を伝えてくれる……
それで知った……お前が人を殺したこと……行く先々でいろんな人間を襲っていたこと……窃盗をしたこと……全てが……」
「嘘だろ……」
そんな人の陰部を曝け出すような悪辣な支給品があってたまるかという憤りが腹から込み上がってくる。
しかし、考えてみれば、放送直後に出会った男――森田は参加者の情報を更新するフロッピーを持っていた。
それと似たような機能を持った支給品を別の人間が持ち合わせていた所で何ら不思議はない。
「そうか……兄さん……知っちまったんスか……」
名探偵に犯行を暴かれた犯人のように、仲根は事実を認め、肩を落とす。
黒沢に殺人を犯したことを知られるのは確かに辛い。
それでも伝えなければならないことがある。
「兄さん聞いてくれっ!!俺だって、こんなことをしたくはなかったっ!!!
俺は兄さんをこのゲームから助け出したかっただけだったんだっ!
このゲームは1億円を集めれば、脱出できるっ!しょうがなかったっ!!!」

“分かってくれっ!兄さんっ!”と、仲根は黒沢の腕を更に強く握る。
「仲根……」
黒沢は仲根の気迫に押され、後ずさりした。
「兄さん……」
仲根は己の罪を悔い改めるかのように俯いた。
しかし、その瞳には未だに剛毅な光があった。
仲根には一種の確信があったのだ。
黒沢は自分の行為――殺人に理解を示してくれる、という確信が――。
確かに殺人は世間的には許されるものではない。
しかし、このバトルロワイアルでは殺し合いが強要されている。
そうしなければ、生き残れない環境下にあるのだ。
生きるために、他にどんな選択ができるというのか。
それらの事情を考慮すれば、黒沢は仲根の禁忌を容認することは確実であった。
場合によっては労いの言葉をかけてくれるかもしれない。
そんな期待さえ持っていた。

(兄さん……一言でいい……“分かった”って……言ってくれっ!)
仲根は心から祈った。
しかし、黒沢から出た言葉は仲根が求めていたものではなかった。

「そんなの……俺は望んじゃいないっ!!!」
仲根の中で何かが大きくひび割れた。
「そ……そんな……」
理解できない。
どうして否定するのか。
当たり前だと思っていた常識が、価値観が、心の支えが、音を立てて崩れ、深い失意の谷へ落ちていく。
「兄さん……」
精神も涙腺も理性の瀬戸際まで追い込まれていた。
それでも仲根は涙を流すことはなかった。
殺人の正当性をまだ、信じていたからだ。
もう一度、きちんと経緯を説明すれば、今度は理解されるかもしれない。
「でも、1億円集めなければ脱出できないっ!!俺達は人を殺さなくちゃ生き残れなかったっ!!!!」
「だからと言って、人を殺していいわけないだろっ!!
一人1000万円支給されているっ!
脱出するには1憶円必要っ!
お前はそのために9人もの人間を殺すつもりだったのかっ!!!!!」
「そ……それは……」
仲根は言葉に窮した。
どんな時も弱者を救おうとしてきた黒沢である。
黒沢が殺人を否定するのは至極当然であった。
なぜ、それに気付かなかったのか。
あまりの惨めさに、嗚咽の前触れのように顔が歪み始めている。

黒沢は先程とは打って変わって落ち着いた口調で語り始めた。
「俺の同僚で……赤松って男もこのゲームに参加していた……」
「え……赤松って……」
仲根の記憶が正しければ、穴平建築で次期社長候補と噂されていたという男だ。
なぜ、突然、その男の話題を持ち出したのか。
黒沢の真意を知ろうと、仲根は黙って耳を傾ける。

「赤松はな……お前と同じように俺を救うためにゲームに参加していた……
あいつは……ここの参加者を一人でも多く救おうと……主催者を陥れるヒントを探し続けていた……
そして、涯っていう少年を庇って命を落とした……」
黒沢の声に嗚咽が混じりはじめる。
その震えを押さえながら、黒沢は話を続けた。
「今、生き残っている半分以上の人間が……赤松と同じような考えを抱いて、殺し合いに乗らずに脱出への糸口を探している……
やろうと思えば、皆で共同戦線を張れるんだ……お前はその選択を自らの手で狭めちまっていたんだっ…!だから……」
しかし、その続きが黒沢の喉から出ることはなかった。
止まらざるを得なかった。
「なぁ…兄さん……俺……」
仲根は一目で分かる程に、明らかな心身喪失に陥っていた。
口から漏れる言葉はうわ言のようにぎこちなく、眼はガラス玉のように虚ろであった。
そのくせ、口元は引き攣ったように笑っている。
仲根の表情は全てがちぐはぐだった。
「な……仲根……」
黒沢は決して仲根を責めているわけではなかった。
仲根に知ってもらいたかったのだ。
殺し合い以外の手段がこの島に散らばっていることを。
共に仲間を増やしていきたいという思いを。

しかし、絶対的な価値観を喪失した仲根にとって、理解できることと言えば、
“自分は赤松という男と違って、人を殺す選択をしてしまった”“黒沢から卑下された”“全ては無駄でしかなかった”という結果のみである。
黒沢の魂の訴えは、仲根に新しい価値観を見出させるどころか、
混乱と後悔と失望、あらゆる激情を焙り出し、叩きのめす方向に働いてしまっていた。




「仲根…人を殺していたのか……」
仲根と黒沢のやりとりをしづかは玄関の隙間から盗み聞いていた。
仲根が民家へ向かった後、心細さのあまり、距離を置きながらもそのままついて行っていたのだ。
「あいつも……一条と同じように……殺人者………」
信頼していた唯一の人物が、最も恨めしい男と同類であった。
当然、ショックは隠せない。
それでもしづかは首を横に振った。
「いや…仲根は違うっ……!!」
一条の場合、人を陥れる行為を楽しんでいた節がある。
しづかを徹底的に痛めつけた後、あえて見逃したのが、その証だ。
仲根も一条と同類であれば、森の中を彷徨っていたしづかを痛めつけた上でチップを奪うか、即刻殺害していただろう。
しかし、仲根はそのどちらも選択することはなかった。
それどころか、行動を共にしようと誘ってくれた。

「あいつ……どこか焦っていたな……」
おそらく仲根は殺人という行為に罪深さを感じ、苦しみ続けていた。
だからこそ、黒沢から許しを得て、罪悪感から解放されたかったのではないのだろうか。

「黒沢の脱出費用を集めるために人殺しちまったのに……
その結果が礼じゃなく、あの罵倒ってわけか……ひでえ話だよな……って、あれ……?」
ここでしづかの思考が止まった。
人間の肉体の腐敗を連想させる鉄の臭い――血の臭いを察したからだ。
「どうして……ここでそんな臭いが……」
勝広や板倉や天の死体の前で何度も嗅いだ、封印したい記憶の象徴。
臭いは玄関のすぐ近くにある扉からであった。
黒沢と仲根は台所の奥におり、しづかの存在に気付くことはないだろう。
しづかはゆっくりと身体をあげ、その扉へ歩み寄った。
無意識に安心を求めていた。
自分の近くに死体なんてない、血臭は自分が作り出した不安による幻だったという安心を。
しかし、一方では心の警告が悲鳴を上げていた。
扉の先を見るな。触れるな。
「えっ……」
この悲鳴に気付いた時、すでに扉は開いていた。
しづかは目を見開いた。
扉の先に待ち構えていたのは、
猛獣が暴れた後のように血飛沫に染まるリビングと脳漿を床に垂れ流す青年の死体――しづかの想像を越える地獄絵図だった。

「あああああああぁぁっっ!!!!!」


「えっ……」
民家にいた全員が新たな侵入者を察知した。
台所へ転がり込んできた侵入者――しづかは怯えた表情で仲根に縋った。
「しづか……ついてきていたのか……」
仲根は一時的に我に返り、とりあえずしづかの身体を支える。
「な…仲根……」
初めこそは取り乱していたしづかも、人のぬくもりを感じて落ち着きを取り戻したのだろう。
呼吸を整え、背筋を伸ばす。
「仲根……いいこと教えてやるよ……」
そう呟くや否や、言葉を荒げ、黒沢を指差した。
「その男は人を殺してやがるっ!!!!!!」
「何っ!!!」
仲根はしづかと黒沢を見比べながら絶句する。
黒沢も、突然、何を言い出すのかと言わんばかりの呆然とした表情でしづかを見つめている。
皆、しづかの発言に、思考と動きを止めてしまっていた。
力を持たないしづかにとって、この場を支配するチャンスだった。
しづかは畳みかけるように黒沢を責め立てた。

「そこの部屋に死体があった!!
部屋中血だらけでっ!こんな恐ろしいことができるのは体格のいいアンタぐらい……」
「俺は治を殺してなんかいない!!!」
しづかの推測を終えるよりも早く黒沢は否定してした。
「治は俺の仲間!誰が殺すものか!!!」
「じゃあ、何で死んだっ!!治って奴は!!!」
「そ……それは……」
黒沢は一瞬、気まずそうに表情を歪ませるも、意を決し、遠藤を指差した。
「こいつらしい……どういう経緯かはまだ、分からない……ただ、事故……らしい……」
「事故……だと……」

しづかは殺人の理由を話さない男と一緒に過ごすことができた黒沢の肝に呆れてしまった。
しかし、次の瞬間、しづかの口から飛び出したのは勝ち誇った哄笑だった。
「聞いたか!仲根!
こいつは人を殺したお前をなじっておきながら、自分は殺人犯と仲良くしていたんだとよ!!」
しづかの哄笑はさらに大きくなっていく。
「ガキとか立場の弱い奴に対してはでかい態度で綺麗ごとを並べる癖に、
自分に都合のいいものはどんなに汚いことを仕出かしても目を瞑っちまう!!
これが大人の本音って奴さ!お前が尊敬していた奴の正体さ!!!」
しづかの黒沢に対する暴言は罵りに近かった。
それは今まで裏切ってきた大人たちに対する彼女なりの復讐だったのかもしれない。

「兄さん……」
鬱憤を撒き散らすしづかに対して、仲根は縋るように黒沢を見つめる。
「な…仲根……」
黒沢は言葉を詰まらせる。
感情を吐き出し、事態を混乱させるしづかを力づくで止めるのは容易い。
しかし、それは黙らせただけにすぎない。
そんなことをすれば、しづかは更に言いがかりをつけてくるだろう。

「お…俺は……」
お前を悪く思っていない。
お前と一緒に戦いたい。
こんな簡単な思いをどうすれば仲根に理解してもらえるのか。

しづかの負の感情に引きずられないように踏ん張りながら、黒沢が口を開こうとした時だった。
「えぐ…えぐ……」
全員が声の方向を振り返る。
沙織が愚図りだしていた。
精神が退化した沙織もしづかの怒りに呑まれていた。
幼くなった沙織にとって、しづかの激憤は猛毒の如き、殺傷能力を秘めていた。
「ふぇ……ふぇ……びえぇぇぇぇ!!!!」
とうとう沙織は火がついたように身を震わせて泣きだした。
感情を表現できない赤子のむずかりそのものであり、べそは暴風雨のように渦となって部屋内に吹き荒れる。
「この女っ……!!」
しづかの中で、生理的に不快な感情が、湿ったウジ虫のように足元から這い上がってくる。
今までしづかは女の弱さを見せないように、虚勢を張り続けてきた。
しかし、目の前の女はどうだ。
泣きわめいて、“私を守ってください”と男たちに訴える。
精神が退化していることを知らないしづかからすれば、沙織の絶泣は媚売り以外の何物でもない。
我慢の限界だった。
しづかは全身の力を声帯に込めて罵倒する。
「黙れっ!!!黙れっ!!!黙れっ!!!このクソ女がっ!!!!!!!」
しづかは仲根の腕から抜け出すと、むき出しの感情のままに沙織の頬を蹴り飛ばした。
「えっ!」
その場に居合わせた全員がしづかの行動を理解した時、沙織はしたたかに床に叩きつけられていた。
「いい年した女が赤ん坊みてぇにピーピー泣きやがって!」
しづかは執拗に沙織の腹部を蹴り続ける。
沙織が号泣でしか感情を表現できないことと同じように、
苛立ちがピークに達したしづかは暴力という形でしか鬱憤を晴らすことができなくなっていた。
しづかもまた、沙織と同じように精神が擦りきれていたのだ。

「お…おい、やめろ!!!!」
黒沢と仲根が同時にしづかを押さえて止めに入る。
「離せっ!馬鹿野郎!!!!!」
しづかは捕獲された闘牛のように足掻き、仲根達の制止を振り切ろうとする。
「びえええええええええ!!!!!!!!」
しづかの罵声にシンクロするように沙織も泣きわめく。
否、泣き声というよりも、奇声――無秩序に発せられた、聴覚を狂わせる音であった。

「この媚売り女!!!!!!」
「びえええええええええ!!!!!!!!」
「やめろ!!!」
「ど…どうなってやがるんだ!!」
絶叫、悲鳴、怒罵――感情の叩きあい。
統率を失ってしまった集団は獣以下になり下がる。
あとは流れのまま転落していくしかない。
混乱の渦が洪水のような濁流に姿を変えようとした時だった。
「黙れっ!!!!!」
今まで黙っていた遠藤が窓を背に立ちあがると、天井に銃弾を一発放った。
「ひぃっ!!!!」
その場にいた全員が青ざめ、口を紡ぐ。
混乱の濁流はあっという間に静まりかえり、時間を切りだしたかのように、静寂が部屋の中を支配する。
全員が察した。
今、この場で最も力を持っている者は銃を持つこの男であることを。
「よし…黙ってくれたな……」
遠藤は口角を緩ませた。
遠藤の弾数は残り3弾。
貴重な弾を威嚇として使用するのは正直、避けたいところであるが、理性を失いかけた集団を黙らせるためにはやむを得ない。
「まずはお前ら、頭を冷やせ……。頭を冷やしたところで……情報交換だ……」







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