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空回り ◆uBMOCQkEHY氏


「ああ……どうしよう……」
しづかは輝く海を眺めながら、心の内を発露する。
順当な判断ならば、どこかでノートパソコンの充電器を探し出し、最新の情報を得るべきである。
しかし、しづかはそれよりも優先すべきことを知っていた。
「眠い……」
しづかは手の甲で目を擦る。
このゲームが始まってから一睡もしていなかった。
どこかに留まろうとするたびに戦闘に巻き込まれ、逃げて隠れてを繰り返し――気付いたら夜明けを迎えていた。
しづかの体力は当の昔にピークを越えていた。
足に関してはもはや感覚がない。
それでも、ここまで動いていられたのは誰かに殺されるかもしれないという恐怖感があったが故であった。
しかし、この場所ではその恐怖を感じる必要はない。
バッテリーが切れる前のパソコンの情報が正しければ、現在、このB-7エリアには参加者は一人もいなかった。
沙織の墓があるということは少し前に黒沢がいたようであるが、丁寧に埋葬した墓に再び戻ってくることは考えにくい。
「100%じゃないけど……安全だな……」
しづかはここで仮眠を取ることに決めた。
欲を言えば、墓の近くなんかではなく、ベッドのある場所で眠りたいが、その場所を探して歩けば、誰かに出くわす可能性がある。
それに、仮に誰かが近づいたとしても、墓の存在を薄気味悪がって、しづかを見つける前に退散するに違いない。
「こんな何もない辺鄙な場所に来たところで……メリットなんて何もありゃしないさ……」
しづかは辺りをきょろきょろ見渡す。
少し先に林と茂みがある。
しづかは茂みの中に身を隠すと横になった。
横になった途端、身体と思考が溶けていくような虚脱感が広がっていく。
茂みの葉がしづかの肌をちくちくとつつくが、疲労がたまっていたしづかからすれば、そのむず痒さも羽毛布団の肌触りように感じられる。
「誰も…来ないでくれ……よ……」
しづかはそう願いながら、眠りの底に沈んでいった。
その願いは聞き届けられないとも知らずに――。



話は少し前に戻る。
しづかがこの場所へ来る前、黒沢と仲根は二つの墓の前で手を合わせていた。
神妙な面持ちの黒沢に対して、仲根は目を半開きにして黒沢の横顔をチラチラと覗き見る。
墓の主は坂崎美心と田中沙織。
黒沢の説明によると、坂崎美心は最初に黒沢と同行していた女性らしい。
黒沢が美心の墓の隣に沙織も埋葬したいと話した時は、仲根はその場所の遠さから難色を示した。
しかし、沙織を殺害したのは自分自身である手前、主張を押し通すこともできなかった。
黒沢の意志を受け入れた一番の理由はそれであるが、二人を弔うことで、黒沢も気持ちを切り替えることができるという狙いも少なからずあった。
黒沢は沙織が死んでから憔悴した表情となり、言葉も減ってしまった。
しかし、埋葬という儀式で沙織の死は終わったことなのだと割り切ってくれれば、ゲームの棄権の手続きを行うことができるである。
そう考えた仲根は率先して埋葬を手伝った。
美心と沙織の墓に墓標となる枝を立てることを提案したのも仲根だった。
この崖に向かう途中のトイレで思い付いた仲根は枝を探し、黒沢に渡したのだ。
枝は左右に均等の長さで伸びており、十字架を連想させた。
それを見た黒沢は“これで少しはお墓らしくなるかな……”と微笑した。
この瞬間、仲根は黒沢の感情の変化に手応えを感じた。
沙織の死の悲しみから抜け出し始めている、と。
その後も、仲根は殊勝な態度と表情で、沙織の埋葬を手伝った。
しかし、当然ながら弔うつもりは毛頭なく、この儀式が早く終わることだけを願っていた。
黒沢はゆっくり顔をあげ、手を降ろす。
仲根はさっそく黒沢に声をかけた。
「なぁ……兄さん……棄権の件なんだけどさ……」
「二人を救えなかった……」
「えっ……」
黒沢から出てきた言葉に仲根は戸惑う。
黒沢の表情は埋葬前以上に疲労に満ちていた。
黒沢は糸が切れてしまったかのようにその場に座り込んでしまった。
「あの……兄さん……」
仲根は黒沢に声をかけようとする。
しかし、黒沢は遠くに視線を置いたまま微動だにしない。

「え……その……」
自分の存在が黒沢の中から消されているのではないかという恐怖が仲根の精神を浸食していく。
どうすれば自分の言葉に耳を傾けてくれるのか。
自分の存在を認知してくれるのか。
仲根が頭を抱えていた時だった。
「仲根……オレはな……」
黒沢は死に際の老人のような半開きの口を動かし始めた。
「初めは何が何だか分からないまま、美心さんとこの島を彷徨っていた……。
次第に彼女を守りたいって気持ちが芽生え始めた……。
その直後に、美心さんは殺された……」
黒沢は沙織の墓に掛けられている首輪に触れた。
「その後出会ったのが、沙織さんだ……。
オレは彼女とすごして、こんなゲームを考えた主催者達が全部悪いって気付いた……。
彼女をこんな目に合わせた奴らを倒したい、そして、美心さんの代わりに彼女を守りたいと思った……けど……」
黒沢の手は力なく地面についた。
「兄さん……」
仲根は申し訳なさそうに俯いた。
今、黒沢の心の中では沙織を失ってしまった悲しみが重くのしかかり、黒沢の心を潰そうとしている。
(オレ……兄さんの大切なものを奪ってしまった……)
黒沢から沙織を奪ってしまった行為は、仲根から黒沢を奪ってしまったことと同等の意味を持つ。
今更ながら、それを思い知った。
(オレが兄さんの立場なら……)
やるべきことは一つである。
仲根は黒沢の手を取り、自分のナイフを握らせた。
「兄さん……オレを殺してくれっ!!」
仲根は涙で咽び泣きながら、黒沢に訴えた。
もし、黒沢が誰かに殺されれば、仲根は相手にどんな理由があろうとも、地の果てまで追いかけ復讐を遂げるであろう。
ならば、黒沢にも復讐を遂げさせるべきだ。
仲根は棄権会場への道筋を佐原の言葉で知るまでは、黒沢を優勝させるために他者を殺害し、最後は自決すると決意していた。
今更、自分の命は惜しくない。
これが、仲根の導いた結論であった。

「な……何を言っているんだっ!」
抜け殻のようになってしまった黒沢も、さすがにこの申し出は無視できるはずもない。
思わず仲根の手を払いのけ、その身体を突き飛ばした。
「オレは誰にも死んでほしくないんだっ!!!」
熱い涙がつき走るように黒沢の目から流れ出た。
呆然とする仲根の肩を掴み、身を震わせて嗚咽する。
「オレはお前を恨んでいないっ……!死んでほしくないっ……!
ただ、考え方を改めてほしいっ……!
これ以上、命を奪うのはやめてくれっ……!自分のものも含めてだっ……!!」
「兄さん……でも、オレっ……」
黒沢の心からの懇願に居た堪れなくなった仲根は黒沢から顔を背き、幼子のようにしゃくり泣く。
「殺さなくちゃ……助からないんだっ……!
それ以外に助かる方法なんてないんだっ……!」
「いや、助かる方法はあるっ!主催者をた……」
――倒せば、皆、助かるんだ。
しかし、黒沢は全てを言い終わる前に口籠ってしまった。
主催者はバトルロワイアルという殺し合いをいとも容易く開催できる組織である。
しかも、その殺し合いに見合う武器を参加者に支給している。
参加者に支給できるのであれば、主催者自身も何らかの武器を所持していてもおかしくはない。
もし、反撃の狼煙をあげれば、向こうからそれ相応の制裁――銃器を用いた反撃、もしくは首輪爆破が待っているのは目に見えている。
妻子のいない自分は、最悪どうなったとしても構わないが、未来がある仲根を死地に赴かせるわけにはいかない。
何より、仲根の手をこれ以上汚させたくなかった。
黒沢は仲根の手にチップが入った袋を握らせた。
「これは沙織さんが持っていた1億円分のチップだ……お前は棄権しろ…!」
「兄さん……そんな……」
仲根はわなわなと唇を震わせながら、視線を手の中にある袋に落とす。
自分は助かるつもりはない。
黒沢の明確すぎる意志表示。
この世には自分の可愛さ故に、慣れ合いながら保身をはかろうとする大人達が大勢いる。
それに対して、黒沢は常に捨て身で現実と戦い、弱者がいれば、身を呈して守る。
自分の命を失うことになったとしても――。
まさに現在に蘇った侍。
仲根が惚れ込んだ男の生き様なのだ。
仲根はそれを噛みしめながら、袋を握り締める。
「兄さん……けどさ……」
黒沢はこのゲームで愛する女性を失い、金は全て他人に差し出した。
今や残されているのは命のみである。
仲根は黒沢と合流する前、参加者同士の乱戦の音を確認していた。
黒沢は残念ながら殺傷能力が高い武器を持ち合わせてはいない。
命を狙われれば、一方的に仕留められてしまうのは目に見えていた。
黒沢の意志を尊重すれば、その先に待ちかまえているのは“死”。
仲根は改めて決意を固める。
どこの誰よりも貴い意志を持つ男を、この世界から消してはいけないと。
たとえ、それが黒沢の意志を捻じ曲げる行為だとしても――。
「やっぱり…兄さんが棄権するべきだ……」
仲根はチップの袋を黒沢の手に返した。
「仲根……」
黒沢は意気消沈し、小さなため息をつく。
仲根はこれまで黒沢の棄権費用を稼ぐため、参加者達を襲ってきた。
方法は褒められたものではないが、それでも黒沢の身を案じての行為に変わりはない。
黒沢の生命を最優先に考えていた仲根が、いくら黒沢からの依願だといったところで、簡単に棄権手続に応じるはずがなかった。
ある程度予期していたこととはいえ、やはり失望は拭えなかった。

(あー……どうやって仲根を説得すりゃあいいんだ……)
黒沢は頭を掻きながら、逡巡する。
仲根から嫌われてしまうことを承知で、反論を力で押し込むという方法もある。
しかし、黒沢の先の不用意な発言によって、仲根の精神のバランスは大変不安定なものとなっている。
どこが仲根のデリケートな部分なのか。
それを選択した時、今の仲根がどう出るのか、まったく予想がつかなかった。
(オレ……苦手なんだよなぁ……こういうの……)
他人の機微に疎い黒沢にとって、仲根の心の禁忌を避けながら説得するというのは、目印のない地雷原で地雷を踏まずに進むことと同義であった。
(やっぱり、諭すように……だよな……。でも、どんな出だしをすりゃあいいっ……?)
黒沢は疲れた頭を全力で動かし、言葉を選ぶ。
しかし、その言葉が口より出るより先に次の一手を打ったのは仲根であった。
「兄さん……分かったよ……」
仲根は沙織のディバックを漁り始めると、ボーガンと矢、ヘルメットを取り出した。
ボーガンと矢を自分のディバックへ突っ込み、ヘルメットは頭に被る。
仲根は地面に置いていた改造木刀を担ぎ、黒沢の方を振り返った。
「兄さん……ちょっと“出かけてくる”っ……!」
そう言い残すと、仲根は突然、駆け出してしまった。
黒沢は仲根の背中と沙織のディバックを見比べる。
「えっ……えっ……ちょっと………………あ~~っ!!!」
黒沢はようやく勘付いた。
「仲根っ……あいつ、他の参加者を殺して、自分の棄権費用を稼ぐ気かっ!!」
一人分の棄権費用を譲り合うくらいなら、もう一人分の棄権費用を手に入れて二人で脱出すればいい。
標的を仕留めるため、沙織のディバックからボーガンと矢を持ち出した。
「オレは……オレは……そんなの望んじゃいねぇっ!!!」
仲根に自分の信念を理解してもらえないもどかしさを抱えたまま、黒沢は走り出した。



黒沢が自分の後を追い始めたことを確認すると、仲根は満足げに唇の端を吊り上げた。
「兄さん……オレの後を追いかけてくれよ……“ホテル”まで…!」
仲根は走りながら、視線を南西の方角へ――D-4のホテルの方向へ向けた。
黒沢は何があろうと棄権しない。
ならば、黒沢を棄権会場までおびき出して、無理やり棄権させればいい。
あえて、沙織のディバックをまるごとではなく、武器のみを出して駆けだしたのは体力の消耗を減らす目的もあるが、仲根がほかの参加者を襲おうしていると黒沢に明確に示すためであった。
その思惑通り、黒沢は仲根を止めようと必死に追いかけ始めた。
このまま二人で棄権会場までたどり着けば、1億円を持っている黒沢が棄権対象と見なされ、棄権させることができる。
(うまくいけば、兄さんを外へ逃がすことができる……けど……)
棄権会場は本当にD-4ホテルの地下で間違いないのだろうか。
ソースは佐原という参加者が白状した証言のみ。
確実なものとは言い難い。
しかし、黒沢を助かる可能性がある以上、この情報に縋らざるを得なかった。
「けど……もうここまで来たら、後には引けねぇっ……!」
仲根の視線は、道沿いに佇む公衆トイレを捉えた。
「あそこにあるマンホールならっ……!」
マンホールを見つけた時のやり取りが、仲根の脳裏に蘇る。
崖へ向かう途中、仲根と黒沢はトイレに立ち寄っていた。
仲根は黒沢より早々にトイレを済ませると、外に出た。
トイレは当然ながら、下水道へと繋がっている。
その近辺ならマンホールがあるに違いないと踏んだ仲根は、黒沢に気付かれないようにマンホールを探し始めた。
仲根の読み通り、マンホールはトイレの裏から発見された。
喜び勇んだ仲根がマンホールの取っ手を掴み、マンホールの蓋を持ちあげた瞬間だった。
“仲根、どこにいるんだー!”と、黒沢の声がトイレの表からこだました。
仲根は顔を強張らせ、動きを止めた。
埋葬が済んでいないにもかかわらず、棄権会場へのルートを確保しようとしていた。
黒沢の思惑に反する行動をしていることに、ばつの悪さを感じた仲根は、マンホールの蓋を少しずらして穴の上に置くと、黒沢の前に飛びだした。
黒沢と合流した仲根は咄嗟に、美心と沙織の墓標を探していたと説明。
墓標らしい体裁を繕えそうな枝を適当に見つけると、すぐにその場から離れた。
「そうだ……あと、もう少しだっ……!!」
仲根は再び、公衆トイレを見据えると、足に力を籠めた。
仲根の身体が更に加速する。
背筋は矢をつがえた弓のように反り、両腕と両足は垂直を維持したまま、力強く振り続ける。
それはかつて黒沢を追いかけた時に見せた、正しい走り方っ……!
今の仲根は人の形をした駿馬そのものであった。
仲根はマンホールまでたどり着くと、地下へ降りる際に邪魔になるであろう改造木刀ディバックに差し込み、代わりにコンパスとライターを出した。
蓋と穴の隙間から吐瀉物を彷彿とさせる下水道独特の饐えた空気が漂ってくる。
何が待ち構えているのか分からないという恐怖が、仲根の心を飲みこみかける。
しかし、仲根はぐっと唇を噛みしめ、自分に言い聞かせた。
(大丈夫だっ……!この先にあるんだっ……!希望がっ……!)
仲根はマンホールの蓋を払いのけると、自身の関心を恐怖ではなく、耳に集中させた。
“仲根、どこだっ!”という呼び声と、けたたましいほどに大地を蹴る足音が、すぐに仲根の耳に飛び込んできた。
「………来たっ!」
仲根は音を確認すると、梯子を伝い、マンホールの中へ降りていった。




「仲根は……ここから地下へ移動したのかっ…!!」
黒沢もマンホールの穴が開いていることに気付き、梯子を下っていった。
下に降りていくにつれ、穴の底から広がる闇が待ちかまえていたかのように黒沢の身体を黒く染めていく。
眼界から陽光が失われる直前で黒沢は気付いた。
「あ……ライト持っていないっ!!」
勢いだけでここまで来たが、地下へ辿りついた所で、ライトがなければ仲根を探すどころか、どこをどう進めばいいのかさえ分からない。
「一旦、墓へ戻った方が……」
黒沢は墓の前に置いてある沙織のディバックを思い出した。
「あのディバックの中にライトが入っていたかもっ……!」
そう考え、記憶を辿るも、思い付くのは複数の食料や筆記用具、女性には不釣り合いないかめしい武器しか思い出せない。
沙織のディバックを開けたのは沙織を埋葬する前、仲根に指摘され、1億円のチップを回収した時のみであった。
沙織を弔った後で中身を確認すればいいという楽天的な考えが仇となった。
「沙織さんのディバック、持ってくればよかった……」
今更ながら、黒沢は置いていってしまったことを後悔する。
「あ……そういえば……」
初めて沙織と出会った時、暗闇の中であったが、彼女はそういった類の道具を利用していなかった。
持っていない可能性が高い。
「暗いところを歩くなら、ライトを使うよな……あっ!!」
暗闇の中で動けないのは仲根も同じはずである。
それでもあえて逃亡ルートに地下道を選んだのは、周囲を照らすことができる支給品を持ち合わせているからではないのか。
もし、地下に降りて、その光明を見つけることができれば仲根の後を追うことができる。
マッチの炎のように小さな可能性ではあるが、賭けてみるべきである。
「行くしかないかっ!」
自分に言い聞かせるように意を決すると、黒沢は再び梯子を降りはじめた。
降りていく内に、梯子の不安定な足場とは違った硬質の床が黒沢の足底にぶつかった。
黒沢は慎重に降りて辺りを見渡した。
案の定、地下は目を塞がれてしまったかのような深い闇一色であった。
「明かりが……ないっ……!」
仲根の明かりを頼りに追いかけるという黒沢の戦術が根底から崩れていく。
仲根は黒沢から姿を晦まそうとして、この地下道へ逃げ込んだのだ。
あえて、明かりを点けるなどという居場所を知らせるような間抜けなことをするはずがない。
そもそも黒沢は仲根がマンホールの中に入っていった所を目撃すらしていない。
マンホールの蓋が開いていたのは、地下へ移動したと黒沢に思い込ませるためのミスリードだったのかもしれないのだ。
「オレって……圧倒的バカ……」
勝算のない無計画な賭けをした所で、勝てるわけがない。
「くっ~~~!!!!」
考えが行き届かない己の頭の悪さ、仲根に完全に撒かれてしまったという口惜しさから、黒沢は固く唇を噛みしめ、悔しがる。
「兄さん……」
霞むような声を黒沢は聞き逃さなかった。
黒沢は声がした方へ反射的に振り返る。
30メートルほど先から、淡い炎の光が怪しげに浮かび上がった。
「ひ……人魂っ……?」
黒沢は背筋を一瞬凍らせるも、目を凝らしその正体を見破った。
「な……仲根……」
炎に照らされていたのはライターを掲げる仲根の姿であった。
「お前…どうして……」
あえて居場所が割れるようなことをしたのか。
黒沢はそれを尋ねようと一歩踏み出す。
しかし、仲根は黒沢が追跡体制にいち早く気づき、黒沢から逃れるように、再び走りだした。
「あっ…!待てっ!!」
仲根を見失っては元も子も無い。
黒沢は一旦、問いの投げかけを諦め、追走を始めた。


暗く、湿った下水道の中、二人の駆ける足音が壁に反射し、こだまする。
二人は壁を伝いながら、走っていた。
仲根は走るたびにすぐに消える炎に悪戦苦闘しながらも、度々振り返り、黒沢の姿を確認。
追いつけそうで追いつけない――黒沢と一定の距離を保ち続けながら、先を急ぐ。
黒沢はそんな仲根の様子を見ながら、首を傾げた。
「やっぱり、おかしいよな……」
足を前に進ませるごとに、黒沢の疑念は膨らみを増していく。
初めに違和感を覚えたのはもちろん地下へ潜入した直後である。
その後も、仲根の腑に落ちない行動はどんどん増えていった。
例えば、ライターの明かりを絶やさないようにしている点だ。
ライターの炎は実際のところ、それほど遠くを照らすことができない。
見えるとしたら、手を伸ばして届く範囲ぐらいだろう。
下水道の中央には人一人分が寝そべるほどの幅の汚水を流すための水路があり、その両脇には水路より高めに設計された通路が伸びている。
黒沢と仲根は壁に沿うように、その通路を走っている。
仮に炎を消しても、壁に触れながら走れば、下水道の水路に落ちることはなく、姿を隠すことができる。
仲根が火を消さないのはそこまで考えが及んでいないだけなのか。
分かってはいても、暗闇に不安を覚えているからなのか。
それとも、あえて自分の位置を知らせようとしているからなのか。
そう言えば、仲根の目的は――。
突如、黒沢は“く……苦しいっ……!”と仲根の耳に届かんばかりのうめき声をあげて倒れた。


「に…兄さんっ!?」
悶え苦しむ黒沢の声に反応した仲根は、青ざめた表情で振り返る。
目に飛び込んだのは、胸を押さえながら横たわる黒沢の姿だった。
「そうだっ…!に…兄さんはっ……!」
黒沢はこのゲームに参加させられる直前まで昏睡状態の患者であった。
いくら多額の医療費を用いて回復していたとしても、本調子であるはずがない。
ましてや、ここは殺し合いのゲームの中。
命が狙われているというプレッシャー、親しい者が殺されたという傷心。
その全てが、弱っていた身体に追い打ちをかけていたとすれば――。
「兄さんっ!兄さんっ!!」
仲根は黒沢の所に駆け寄り、上体を持ちあげた。
親の死を目の当たりにした幼子のように取り乱しながら、その名前を呼び続ける。
熱にうなされているかのように乱れた呼吸、仲根の言葉への無反応、その全てが黒沢の容体の深刻さを物語っていた。
「兄さん……」
黒沢の身体を、衛生状態の悪い下水道から綺麗な空気に溢れた地上へ、すぐにでも移動させるべきである。
仲根は黒沢を抱き上げようとした。
しかし、腹周りに贅肉がついた中年の身体は、いくら通常の中学生より腕力がある仲根であったとしても、易々と持ちあがるものではなかった。
「くそっ……ならっ……!」
持ちあげるのがダメであれば、引っ張ればいい。
仲根は黒沢の肩に腕を回し、引きずろうとする。
しかし、“うぐぐっ……”と、黒沢から苦痛を訴える声が漏れた。
「に……兄さんっ!」
重度の病人である黒沢にとって、不自然な態勢にされた上、身体の一部に力が加わるのは苦痛以外の何物でもない。
却って、病状の悪化を招いてしまう可能性すらある。
「どうすりゃあいいんだっ……」
黒沢には多少我慢してもらってでも、梯子がある所まで引きずって戻るべきなのか。
しかし、仮に梯子の前まで戻ったところで、その先どうやって意識がない黒沢を背負ったまま、梯子を登ればいいのか。
自問自答を繰り返した末、仲根は悟った。
黒沢を地上まで移動させるのは不可能であると。
仲根は黒沢からディバックを外すと、黒沢の身体をゆっくり床に横たえた。
黒沢のディバックを枕の代わりに黒沢の頭の下に敷く。
仲根も自分のディバックを降ろし、黒沢の隣に座りこんだ。
今、仲根ができることは、黒沢を見守り、身体の回復を祈ることのみであった。
仲根はライターの炎で黒沢の顔を照らしながら、ぽつりぽつりと詫びる。
「兄さん、オレが悪かったっ……。オレ、兄さんを棄権させたくて……武器を持って逃げれば、棄権会場まで追いかけてくれるかと思って……」
なぜ、自分は黒沢の身体のことを何一つ考えず、黒沢の体力を削るような作戦を立てて実行してしまったのか。
自分の目的は黒沢を助けること。
黒沢の身体を尊重しなくて、それを成すことができるはずがないというのに。
「兄さん…すまないっ…」
悔恨、自責、憤り。
万感の思いが、仲根の心を蹂躙する。
それは涙として、ほとほとと仲根の目から零れ落ちた。
そんな心からの詫びも涙も、今の黒沢には届かない。
黒沢はこのまま息絶えてしまうのではないのか。
仲根にとって、その結末は黒沢から疎まれる以上の絶望であり、最悪のシナリオであった。
仲根は神に縋るように心願を口にする。
「兄さん……元気になってくれよ……」
「そこまで言うならな……」
前触れもなく、黒沢は俊敏に身体を起こすと、仲根のライターを握る腕を強く引っ張った。
「えっ……」
呆然自失の面持ちのまま、仲根は態勢を崩し、床へと吸い寄せられる。
黒沢はバネに弾かれたパチンコの玉の如き俊敏さで仲根の背後へ回り、その手足を押さえ込んだ。
仲根は黒沢の体重で床に叩きつけられる。
あっという間に、仲根の身体は床に押し付けられてしまった。
仲根は辛うじて動く頭を持ち上げ、黒沢の方を振り返る。
「び……病気で倒れたんじゃ……」
「ん……?何の事だか分からないな……」
ここでようやく仲根は気付いた。
「兄さん、騙したなっ!!!!」
「あのなあ……先に騙したのはそっちの方だろうが……」
黒沢は半ば呆れながら、指摘する。
「うっ……」
懺悔という名の暴露をしてしまった手前、仲根はそれに反論できるはずもなかった。
これ以上、黒沢に合わせる顔がない。
仲根は顔を床に押し付け、黙り込んでしまった。
痛みに耐えるような沈黙。
しかし、その沈黙の重みも、すぐに限界に達してしまったのか、仲根は胸にわだかまる疑問を口にする。
「あ…あの…兄さんはいつ頃から気付いていたんだ……」
「あ…ああ……いつ頃から……か……」
会話の糸口を見つけたことに黒沢は僅かな安堵を覚えつつも、流れの主導権を奪われないための条件を提示する。
「オレから逃げないって約束するなら説明するが……どうする……?」
「逃げない……」
「分かった……」
仲根の意志を改めて確認した黒沢は仲根から降りた。
仲根からディバックを奪われないようにするための配慮から、黒沢はあえてディバックを背負い、居住まいを正すように床に正座した。
黒沢から解放された仲根は自身のディバックを遠ざけ、黒沢に叛逆の意志を持っていないことを示しつつ、黒沢の礼に従い対座する。
「じゃあ、話すぞ……」
黒沢は仲根を傷付けないよう、言葉を選びながら精一杯さりげない口調で種明かしを始めた。



「そうか……兄さんは地下へ降りた時辺りから怪しく思っていたのか……」
仲根の呟きに対して、黒沢は無言で頷く。
「もし、お前がオレを棄権させるために地下道を走っているのであれば、オレの身に万が一のことが起こった時、お前は駆けつけてくれるはず……。
だから、心臓が悪くなった振りをして倒れたんだ……」
仲根は力ない苦笑を浮かべ、俯いた。
「初めはさ、上手くいくと思っていたんだ……兄さんがオレのことを何も疑いもせず、追いかけてくれて……。
棄権会場まで着いたら、1億円を所持している兄さんが自動的に棄権になるって……」
「あのさ、仲根…オレ、思うんだけどさ…」
そこで言葉を一旦区切り、黒沢は天井を睨んだ。
「お前の考えていた方法じゃ、さっきみたいに何らかの原因があって、オレが走るのをやめちまえば、お前をすぐに見失っちまうだろ……?
もし、お前の作戦を本当に成功させたかったら、あの時のオレの提案を受け入れて、自分が棄権すると一旦、宣言してさ……。
ただ、棄権会場まで行く自信がないからついてきてほしいって頼み込むっ……。
そうすりゃあ、お前とはぐれる心配もなかったし、何より、オレはお前のことを疑わなかった……」
「あ……う~ん……」
仲根は返事に困り、唸った。
どうもこの考えには一度も至ったことがなかったらしい。
仲根は自分の行動を顧みるように考え込んだ末、伺い知れない悲しみを含んだ眼差しで、寂しげに言葉を発する。

「もう遅いかもしれないけど……オレ、会場へ行ける自信がないんだ……。
だから、兄さん、会場前まで一緒に来てくれないかな……なんてな……」
「うん……もう遅いぞ……」
黒沢は仲根の冗談を軽くあしらいながら、思索する。
黒沢が出した作戦は落ち着いて考えれば誰でも思い付くことができたはずである。
しかし、仲根は終始、それを思い付くことはなかった。
以前、女の娘たちとのプールでのデートで、黒沢が周囲の女性に欲情し、エロスイムをしてしまった時も、仲根は機転を利かせた説明をし、場を収めたこともあった。
本来、仲根は頭の回転が速い少年なのだ。
その仲根が、偏狭な考えで行動するようになってしまった。
1秒でも早く棄権会場に到着し、黒沢を助けなければならないという焦りが、一時的にそうさせたに違いない。
ゲームから解放されれば、黒沢が良く知る仲根に戻るはず。
そう断定しようとする反面、黒沢には一つの考えが警告音のように脳裏に響き渡っていた。
仲根の精神はすでに歪んでしまい、もう元には戻らないと。

仲根はゲームが始まって早々、人を一人殺めている。
その後も、数多の人間を襲ってきた。
殺人というのは、物事を解決する上で最も安易な解決方法である。
殺害すれば、相手は二度と反撃や反論をすることはないのだから。
一度、この方法を覚えてしまった今、仲根は物事を解決するために、最善ではなく、その場で簡単に思いつく方法、しかも道徳を度外視する方法を選ぶようになってしまっているのかもしれない。
(そんなの人間の行動じゃないっ……!動物の行動だっ……!)
ほんの些細な不安が、胸のしこりを吸い込んで大きくなる。
(いや、あいつは人間だっ……!
今の仲根は少し精神が不安定になる時があるだけなんだっ……!
それ以外は正常っ……!
現に、オレとちゃんと会話をしているし、まともな受け答えをしているっ……。
そうだ、オレがちょっとした問題点を過度に気にし過ぎているだけなんだっ……!)
黒沢はどうにか建設的な方向へ思考を持っていこうとする。
しかし、黒沢が沙織への思いを語った時、仲根が自分を殺してくれと極端なことを口走っていたことが脳裏に過る。
黒沢が捗々しい事項をあげればあげるほど、それ以上に“仲根は狂っている”という不愉快な疑惑が、黒沢の願意を否定するかのように頭をもたげる。
(ただ……)
仲根の思考の変化が一時的にしろ、長期的にしろ、その原因は黒沢自身であった。
仲根は黒沢を救うため、人を殺した。
黒沢は仲根の行動と思考を叱責し、その罪の重さを焙り出した。
仲根の心は黒沢の言葉で大きな傷を負ってしまった。
(オレのせいだ……オレのせいで仲根は……)
黒沢は自分の軽率さを恨めしく思う。
これ以上、仲根の精神を傷付けるわけにはいかない。
仲根の罪を増やしてはならない。
(すでに取り返しがつかない後だとしても、仲根を棄権させてみせるっ……!
必ずだっ……!!)
黒沢は胸のポケットにしまってあるチップにそっと触れ、それを改めて誓った。

「なぁ、仲根、話があるんだ……」
黒沢は大地を踏みしめるように立ちあがった。
その力強さは仲根を説得しようという意志の強さであった。
しかし、思わず取ってしまった行動が間違いであったと気付いたのはその直後であった。
「うっ!」
電気に当てられたような、むず痒い痛みが爪先から脳天まで突き抜ける。
長時間正座をしていたせいで、足が痺れてしまったのだ。
(こ……これはマズイっ……!)
真面目な話をしたい手前、何が何でも足が痺れているということは仲根に知られたくない。
黒沢は足を大きく開き、感覚のない足で何とか身体のバランスを保とうとする。
残念ながら、関取が四股を踏もうとしているようにしか見えないのだが。
「えっと……兄さん……?」
仲根は黒沢の不可解な行動に戸惑いを隠せない。
「あ……あのな……仲根っ……」
黒沢は説明しようとするも、痛みに耐えるのに精一杯で声がまともに出ない。
「お……オレはっ……お……お前と……す……」
オレはお前とすぐにでも棄権会場へ行く。そして、お前を棄権させたいんだ。
この一言を言う前に、黒沢の身体の方が限界に達した。
バランスを取ることができず、前のめりに倒れてしまったのだ。
しかし、派手に転倒したのでは示しがつかない。
「ふんっ!!」
年長者の意地から、床に手をついて、どうにか身体を支える。
その姿は腰が上がりすぎた、下手くそな腕立て伏せの構えとしか表現の仕様がない。
(“お……オレはっ……お前と……す……”……?
もしかして、オレと相撲がとりたいのか……?
兄さんがそれを望むなら……)
四股を踏むイメージが先行してしまったためか、仲根は相撲の立会いの構えと受け取ってしまった。
仲根は黒沢と向かい合い腰を落とし、火傷しないようにライターの火を消した。
「ち……ちがっ……!」
なぜ、自分と同じように仲根も屈んでしまったのか。
仲根の心境は分からないが、明らかに変な方向へ進み始めている事だけは理解できた。
姿勢は格好悪いが、今話さなければ、話す機会はなくなってしまうかもしれない。
そう直感した黒沢は半ば自棄になって叫んだ。
「仲根っ!やっぱり棄権してくれっ!」
「嫌だっ!兄さんっ!」
それが勝負開始の合図であった。
仲根は黒沢に体当たりすると、まわしの要領で黒沢のズボンを掴み、引っ張る。
「え……え~っ!!」
黒沢は動揺のあまり、素っ頓狂な声をあげた。
黒沢には相撲という考えがない。
足が痺れている上、今の状況を把握できていない黒沢は手を床につけたまま、態勢を大きく崩してしまった。
「今だっ!!」
仲根は腕に力を込めて、後方へ押し出すように投げ飛ばした。
強豪力士の多くが得意とする、相撲の王道技――上手投げ。
相手の掴み方といい、投げ方といい、強烈且つ完璧な決まり手であった。
もし、大相撲本場所であれば、拍手と歓声、そして、座布団の舞で場内が湧いたことであろう。
「これが……若さか……」
何をどうすれば、ここまで突っ走れるのか。
黒沢は涙の雫をこぼしながら、汚水が流れる水路の中へ落ちていった。

「あっ……」
黒沢が水路に落ちた音で我に返った仲根はすぐにライターで水路を照らす。
ヘドロまみれの黒沢の姿がそこにあった。
汚水の底に溜まっていたヘドロを全身に浴びてしまっていた。
「に…兄さんっ!大丈夫かっ!?」
「だ…大丈夫なわけあるかっ!!」
打ち据えた腰の痛みを押さえながら、黒沢は立ち上がった。
足の痺れはいつの間にか吹っ飛んでいた。
幸い、水路と通路の高さの差は1メートル程度であり、黒沢は自力で通路に這い上がると、仲根に食ってかかった。
「なんで、投げ飛ばしたっ!!」
仲根は己の勘違いに気付き、気まずそうに尋ねる。
「兄さんこそ、相撲を取りたくて屈んだんじゃないのか……?」
「足が痺れたからだっ!」
黒沢は何度吐き出したか分からない、深いため息をつく。
なぜ、こうも意志疎通がうまくいかないのか。
体や顔からは魚や肉が腐ったような、猥雑な臭いが漂う。
(あぁ……この姿、どこかで見たことあるな……。
あれは全身う○こまみれになったう○こ男だっけ……?
いや……オレはヘドロまみれだから、ヘドロ男か……)
自分の身に起きたことが情けないあまり、黒沢は現実から逃げるように益体ないことを考えるが、それでも惨めな気持ちに変わりはない。
どこか悟ったような表情の黒沢を見つめながら、仲根はぽつりと漏らす。
「兄さん、一緒に地上に戻ろう……」
「ん……?それも悪くないが…どうしてそう思った……?」
黒沢は仲根の意図が分からず、首を傾げる。
仲根はそれに応えるかのように、言葉を続けた。
「ここはほかの人間に見つかりにくいって利点があるかもしれないけど、こんな汚い場所、長くいるべきじゃない……。
それに兄さんの悪臭は逆に敵に居場所を教えているようなもんだ……。
地上に戻って洗い流した方がいい……」
「あ……悪臭……」
黒沢は悪臭という単語に傷ついたが、自分の衣類の汚れを確認して、仲根の筋が通っていることを確認する。
「それにさ、オレも兄さんも走って体力が消耗している……。
さっき兄さんが倒れたのは演技だったけど、それが演技じゃなくなっちまうかもしれない……。
あと、オレも休んで頭冷やした方がいいと思うんだ……。
今のオレ、頭おかしいから……」
「仲根……“頭がおかしい”って……」
黒沢は仲根の言葉に緊張感が走る。
黒沢の表情が強張っていくのを感じた仲根は力のない苦笑を浮かべる。
「オレ……兄さんのためだと思って行動すればするほど、それは兄さんや他人にとっては不利益な行為でしかなくて……救いようのない状況になって……。
こんなこと、本当は嫌なのにさ……。
オレのせいで苦しむのは……いつも兄さんだ……。
休めば……少しはマシになるかもしれない……」
仲根の声は声というよりも息に近く、どこか途方に暮れていた。
「仲根……」
黒沢はここに来て漸く理解した。
仲根は狂ってなどいなかった。
殺人がいかに卑下される行為なのか、黒沢にとって疎ましい行為なのかを理解していた。
しかし、このゲームのルールが、そして、状況がそれを許さなかった。
殺人を犯してしまった以上、後には引き返せない。
頭の中では理屈として受け入れようとしていたが、その後の仲根に訪れるであろう未来――黒沢から拒絶される現実は、仲根にとって苦痛極まりないものであった。
黒沢から嫌われると分かっていても、嫌われたくない。
自分を否定するだろうが、否定してほしくない。
結果、時に強引に、時に遠回りに、目的の成功より、自分の精神が傷つかないことを優先した戦術を無意識に立てるようになっていった。
それが空回りへと繋がってしまった。
仲根が本当に救いたかったのは黒沢ではなく、罪の重みや自己否定に苦しむ自分自身だったのかもしれない。

「そうだな……休もうか……」
休息が仲根の抱える問題の解決に繋がるかどうかは分からない。
それでも、自分を変えようとする仲根の気持ちには応えてやるべきである。
「実はさ……美心さんの食料を持っている……
地上に出たら、二人で朝食をとらないか……!」
しかし、黒沢の前向きな提案に対して、仲根はそのディバックから気まずそうに目を逸らす。
「兄さん……そのディバック、ヘドロが滴っている……」
「なっ……」
黒沢は慌ててディバックの中を確認する。
ディバックの中の支給品はヘドロに汚染されていた。
パンに至ってはチョコレートパンのような茶色に変色している。
黒沢はそっとディバックを閉じた。
(何やっているんだ……オレ……)
仲根の叱責の件といい、足のしびれの件といい、“空回り”しているのは黒沢も同じであった。
年長者の威厳を見せつけたい。仲根から更に頼もしく思われたい。
無意識に信望を求めてしまう人間の欲深さ、そこから発生してしまう視野狭窄の恐ろしさを、黒沢は痛感せずにはいられなかった。

「そういえば、沙織さんのディバックの中に食料が入っていたと思う……。
どこかで身体を洗ってから……沙織さん達のお墓に戻ろう……」
“まぁ、それが妥当だよな……”と、仲根も顔を引きつらせながら、相槌を打つ。
「そう言えば、チップは無事か……?」
仲根は最重要事項のアイテムの安否に気付いた。
「無事なんだが……」
黒沢は懐からチップの袋を出す。
チップ自体は紛失していなかったが、黒沢と同じように黒々と濡れている。
仲根は怪訝な顔で、チップの袋を睨みつけた。
「それ、触れたくない……。兄さんが持っていてよ……」
黒沢は苦々しそうに膨れっ面をする。
「お前、チップの受け取りを拒否して、オレを棄権させようとしていないか……」
「ん……?何の事だか分からねぇな……」
仲根は小生意気な笑みを滲ませ、どこかで聞いたような返答をする。
「お前って奴は……」
黒沢は呆れつつも、自分が知る仲根が戻ってきてくれたような気がして、口元を綻ばせた。
黒沢と仲根は小言を言い合いながら、地上へ通じる梯子を目指して歩き始めた。


「う…う~ん……」
しづかは重い瞼をゆっくり開ける。
日光がしづかの視界をあっという間に白く染め上げていく。
「うっ…眩……しい……」
しづかは身体をよじり、直射日光を避ける。
自分はどれくらい寝ていたのだろうか。
「お…起きなくちゃ……」
頭では分かっているものの、身体は未だに蕩けてしまったかのように動かない。
感覚は未だに夢の中を漂っているようである。
周囲の雑草は青々とした光に満ち、潮の香りを含んだ風はしづかを慈しむようにその顔をやさしく撫でていく。
大草原の中で昼寝をするような心地よさ。
もう少しまどろみに身を委ねよう。
しづかがもう一度眠りにつこうとした瞬間だった。
「……だ……さあ……」
遠くからかすかに聞こえてくる人の声。
しづかの思考を一気に現実に引きずり戻す。
(私は殺されるかもしれないんだぞっ……!!)
しづかはコルトパイソンを握りしめると、急いで死角になるような奥の茂みのへ身を隠した。

(どこのどいつなんだ……こんな島の端に来るなんて……)
いくら銃器を持っているといっても、それを正確に扱えないであろうことはしづかも重々承知している。
だからこそ、戦闘は避けたかった。
(早くどこかにいっちまえっ!!)
しづかは気配を殺し、不審者が立ち去るのを今か今かと待ちわびる。
その声に聞き覚えがあると勘付くまでは。
「えっ……」
出してはならないと分かっていながらも、声を漏らさずにはいられない。
しづかはとっさに両手で口を塞ぎながら、ゆっくり顔をあげた。
崖の方へ向かってきていたのは黒沢と仲根であった。
しかも、楽しげに談笑をしながらである。
(おいおい……どういうことなんだよ……)
黒沢と仲根は仲違いしたのではないのか。
しづかが驚愕したのは、その睦まじさだけではなかった。
彼らの話の内容であった。

「兄さんの気持ちは分かるけどさ……。1億円が手に入ったんだから、食事が終わったら棄権してくれよ……」
「誰がするかっ……!それよりもお前がしろっ!」
「オレはしないっ……。それよりも兄さんが……」
「だから、オレは棄権しないっ……!」

(こいつら、1億円を譲り合っているのかよっ!!)
しづかは黒沢と仲根の頭の中を疑いたくなった。
1億円はこの島を脱出することができる唯一の手段。
この島にはしづかも含めて、その1億円を喉から手が出るほど欲した者達が大勢いた。
中にはそれを得るために命を賭け、絶命した者もいる。
人々が追い求め、恋焦がれてきた金をじゃれあいのような会話をしながら譲り合う。
しづかにとって黒沢と仲根の会話は、これまで血反吐を吐きながら努力してきた人達への冒涜に思えてならなかった。
(勝広のおっさんだって……板倉だって……皆、それを得るために戦ってきたんだぞっ……!)
命を落とした者達へのやるせなさ。
黒沢と仲根への嫉妬に近い苛立ち。
その全てが憤怒となって胸の奥から噴き出し、しづかの全身を駆け巡る。
(そんなにいらないんだったら……私がお前らから奪ってやるよっ……!!)
1億円があれば、棄権できる。
こんなクソッたれなゲームから解放される。
一条は棄権できないと言っていたが、あれは更なる不幸のどん底へ叩き落すための方便に違いない。
棄権場所はD-4のみではなく、実はギャンブルルームでも可能で、どこかのギャンブルルームで申告すれば、受理されるに決まっている。
しづかはそう自分に言い聞かせ意気込むも、その熱意を鈍らせる、ある事実に思い当たった。

(あいつら……どこで金を調達してきたんだ……)
しづかは心当たりが一つあった。
おそるおそる崖の方へ目を向ける。
瞳が捉えたのは沙織の墓であった。
(あいつら……1億円を得るために沙織を殺したんじゃ……)
それならば、沙織が死に、彼らが生きている理由も察することができる。
黒沢を助けたい仲根が、沙織を殺せば1億円が手に入ると黒沢に働きかけた。
二人で共謀し、沙織を殺害。
仲根、黒沢、沙織のチップを全部かき集めた結果、思惑通りに1億円に手が届いた。
仲根は黒沢に棄権するように促すが、それに対して黒沢は、今まで自分のために手を汚てくれた仲根に感謝し、仲根こそ棄権するに相応しいと考え、その権利を辞退。
二人の会話は、おそらくそんな流れの結果なのであろう。
なぜ、彼らがここに戻ってきたのかは分からない。
しかし、これだけは確実に言える。
二人は殺人への罪悪感を克服してしまった悪鬼の類に成り果ててしまったのだと。
1億円で足りなければ、標的を探し出し、2億円に増やせばいい。
そんな選択肢を容易に選べるからこそ、場違いなほどに能天気な会話ができるのだろう。
(私の武器はこれだけ……)
しづかは手の中にある、コルトパイソンを見つめる。
これで二人を仕留めることは難しいであろう。
しかし、運よく二人を倒せば、1億円――棄権費用が手に入る。
“運よく倒せれば”の話だが。

(何やっているんだ……私……)
多少のリスクを背負ってでも、ノートパソコンの充電器を探せば、こんな追いつめられた事態にならずに済んだ。
眠気という欲を満たすため、その欲を正当化できる都合のよい言い訳を繕い、偽りの安心に逃げ込んでいた。
しづかとしては深く考えていたつもりであったが、実のところ、最悪の可能性から目を背き、無意識の内に面倒事を避けようとしていただけに過ぎなかった。
物事が進んでいるように見えて、少しも進展していない、まさに“空回り”な状況。
そんな自分に憤りを覚えつつ、しづかはいつか呟いた言葉を再び、口にする。
「ああ……どうしよう……」


【B-7/崖沿い/午前】

【黒沢】
[状態]:健康 疲労
[道具]:不明支給品0~3 支給品一式×2 金属のシャベル 特殊カラースプレー(赤) レミントンM24の弾薬×15
[所持金]:1億200万円
[思考]:沙織を埋葬する 情報を集める 赤松や仲根に対する自責の念 仲根を棄権させたい
※ヘドロまみれの支給品等がどうなったか、黒沢は未だにヘドロ状態なのかは次の書き手さんにおまかせします。

【仲根秀平】
 [状態]:前頭部と顔面に殴打によるダメージ 鼻から少量の出血
 [道具]:カッターナイフ バタフライナイフ ライフジャケット グレネードランチャー ゴム弾×8 改造木刀 ダイナマイト3本 ヘルメット ボウガン ボウガンの矢(残り6本) ライター 支給品一式
 [所持金]:5000万円
 [思考]:黒沢を生還させる、その為なら何でもする

【しづか】
 [状態]:首元に切り傷(止血済み) 頭部、腹部に打撲 人間不信 神経衰弱 ホテルの従業員服着用(男性用)
 [道具]:支給品一式 参加者名簿 鎖鎌 ハサミ1本 カラーボール アカギからのメモ コルトパイソン357マグナム(残り3発) ノートパソコン(データインストール済/現在使用不可) CD-R(森田のフロッピーのデータ) 石田の首輪 手榴弾×1
 [所持金]:0円
 [思考]:誰も信用しない ゲームの主催者に対して激怒 一条を殺す
※このゲームに集められたのは、犯罪者ばかりだと認識しています。それ故、誰も信用しないと決意しています。
※和也に対して恐怖心を抱いています。
※利根川から渡されたカラーボールは、まだディバックの脇の小ポケットに入っています。
※ひろゆきが剣術の使い手と勘違いしております。
※森田の持っていたフロッピーのバックアップを取ってあったので、情報を受信することができます。 データ受信に3~5分ほどかかります。



162:出動 投下順 164:見敵必殺
時系列順
157:慟哭 黒沢
157:慟哭 仲根秀平
159:墓前 しづか




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