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**「万の神」のヨロズもカミも、カムナビも韓国語由来~李南教の日本語源流散歩25
神といえば韓国の人々は全知全能な唯一神を考える。
しかし日本の神はそうではない。全国に数十万もある神社に祭られる
神々はその領域により各々違う役割を果たしている。勉強ができるように
する学問の神、配偶者を求める縁結びの神、お金が儲かるようにする七福神、
火災予防の神、航路の守護神、豊作にする神、等とても多いが、このため、
日本人らはこれを「ヨロズノカミ」すなわち「多くの神々(マヌン シンドル)」という。
「ヨロズ(万)」という言葉を辞書でひいてみれば、「マン(万)の子供式表現」と
なっており、「ヨロズヤ(万屋)」といえば、「よろず屋(マンムルサン)」という意味だ。
「ヨロズ」という言葉は韓国語の「ヨロッ(多数)」という言葉に由来したもので、
「多数(ヨロッ)」すなわち「多い(マンダ)」という意味だ。
とにかく日本の神々は人間世界の職業ほど細分化されていて、その役割もまた
多様だ。ところで、この神々の中にも大王神がいる。その神を「スサノオノミコト」
(素盞鳴尊)といって、新羅からきたとされるため「シンラシン(新羅神)」とも言う。
島根県の出雲大社がその神を祭ったところで、陰暦10月には日本全国の神々が
ここに集まって会議をするという。そのため、日本は陰暦10月を「カンナズキ」
(無神月)すなわち、「神のいない月」という。したがって陰暦10月に神社に行って
祈る人は何も分からない馬鹿(村八部)として扱われる
史書を見れば「毎年陰暦10月には日本の神々が新羅神らを招へいして、
会議や歌舞を楽しんだ」とあり、毎年陰暦10月になれば偏西風が吹き、
新羅から船を出して1週間ほどでこちらの島根県近海に到着したという。
それで日本の神々は刈りいれが終わったこの時期に韓国の神々を招請して、
共に楽しんで交流したのではないかと言える。そして「神(シン)」を「カミ」と
いうのは、これは私たちの神話の「熊(コム)」に由来したもので
「コム⇒カム⇒カミ」に変化したのだ。
韓国では古代から神木を「カムナム」といって、昔は田舎に行けばカムナムに
縄を縛り付けて蒸し餅を入れて祈る風景がしばしば見られたが、このカムナムが
移転したのが日本の「カムナビ」(神奈備)で、これは「神霊が宿った山や森」を
示す言葉だ。
私は日本の神社の神々を調査してみてびっくりしたことは、これらはすべて
家系図を持っていて、彼らの故郷が伽揶、新羅、百済、高句麗と全部古代韓国
だという。どうして日本人たちは私たちの先祖を自分たちの神として祭っておいて、
祭祀を行って担ぐのだろうか?この点は次の機会に詳しく説明したい。
写真:慶一大総長・李南教(イ・ナムギョ)
ソース:(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩25]カミサマ(神様)
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=29420&yy=2009
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1246538386/
**両班(ヤンバン)と侍(侍)~イ・ナムギョの日本語源流散歩25(機械翻訳)
よく日本は'刃物の歴史'であり韓国は'筆の歴史'と話す。 刃物の主人公が'侍'ならば筆の主人公は'両班(ヤンバン)'とすることができる。 侍と両班(ヤンバン)は両国全部支配階層であり身分が高いという面では同じだが,その過程には厳格な差がある。
日本の侍は生まれる時からその身分が明確に決まるすなわち,大名(君主)や将軍家で生まれれば大名や将軍になって,無事家で生まれれば侍,平民や賎民は先祖代々その身分から抜け出すことはできない。 しかし私たちの両班(ヤンバン)は全く違う。私たちの両班(ヤンバン)制度は平民ならば誰も皆両班(ヤンバン)になることができることだ。 '過去試験'という制度があって誰でもこれに合格だけすれば両班(ヤンバン)になって,このような両班(ヤンバン)身分は息子と孫の3代まで続く。このように若干は民主的な方式を経て身分上昇の機会が与えられた韓国に比べて,日本侍はそのまま一族により身分が決定されたのだ。
韓国の人々が日本行って一番羨んでしょげるのは,このうどん屋は5代目80年になったとか,この陶磁器は14代目 400年になったとかという長い伝統に対して聞く時だ。私たちは私がした職業を子供孫に譲ることがきわめてまれなことなのに,日本は立派な大学を卒業して良い会社に通いながらもうどん屋の伝統を受け継ごうと職場を止めて帰郷する人々をたびたび見て,またそのようなエピソードが美談で時々新聞紙面を飾る。
',それで日本がこのように発展するようだ。なのでその分野の専門家になるほかはないだろう,ウドンを80年も作るとは! 本当に'といいながら皆が首を縦に振って感心班尊敬班で心までぴったりchop日が沈む。それと共に一方では私たちのトゥムジクソンオムヌン伝統と薄い文化に慨嘆までする。
両親がしてきたので嫌いでもそのまままねなければならないという日本式伝統は日本社会の歴史をまともに見抜かずにはそのまま限りなく長所にだけ見える。 日本史を見れば近代に至るまで厳格な君主制で,大名すなわち君主らが各々牛王国のように国を経営していた。大名らは独立採算制だったために,万一自分藩で塩焼く人がなければその塩を隣バンで高く買ってこなければならないので自給自足のために代々その職業を継承するようにした。したがって国民らに職業を変えられないように規制して,マンイルを反すれば死刑に処したし,逃亡でも打つならば賎民で転落するから国民らはそのことを継続するほかはなかった。 私たちのようにある程度職業移動が可能だった社会ではなかった。
[2009/06/24]
ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-25]両班(ヤンバン)と侍(侍)
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=28342&yy=2009
※この記事はexciteの機械翻訳で生成した記事です。内容が不正確な場合がありますので、ご了承ください。