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**人は生まれれば死ぬもの、天皇が死ねば「カクレル」~イ・ナムギョの日本語源流散歩49
日本は天皇が死んだ時は「死ぬ」と言わずに「かくれる」というが、この言葉は「天皇は死なずに、
身体を隠す」という意味を内包する。実はこれは韓国語「コクロジダ(転ぶ)」が原語で「ノモゾッタ(倒れた)」という言葉だ。
私たちは上の人が死ねば「帰る(ドラガダ)」というが、この言葉も実に語源をつき詰めれば「土に
帰る」という言葉で本来の家、すなわち「生まれる前の故郷に戻る」という意味だ。そのように見れ
ば今生きているこの世は「旅人」ということだ。
人は生まれれば死ぬものだが、ある者は死ぬ時とても苦しんで、たまに舌をかむこともある。ここ
で「クェロプタ(苦しい)」という日本語は「クルシイ」、「ケムルダ(噛む)」は「カム」であり、その意味
は韓日両国の差がない。
人は死ねばどうなるだろうか?韓国の人々はたいてい死ねば一番先に「死神がきて両腕を挟んで
連れて行く」と考える。そしてこの世とあの世の間の川を「チォムボン チォムボン」と渡っていくが、
膝程度までしかない川はそんなに深くもなくて霧がもうもうと立ちこめた川とのことだ。
ここに「チォムボン チォムボン」は日本語では「じゃぶんじゃぶん」であり、川の彼岸に先に行った
両親・親戚らがはやく来いと手をふり、それで閻魔の前に行って生前の悪業の報いの審判を受け
る。この時、自分を弁護してくれるのは自分の先祖の中で最も立派な方だという。ところで韓国語
には「生きて鎮川、死んで龍仁」という故事がある。これは昔、朝鮮時代にある人が鎮川(ジンチョ
ン)で生きて死んだ。しかし、死神が彼の寿命がまだ残っているのに間違って連れていったことに
気づき、慌てて送り返そうとしたが彼の死体はすでに葬儀をしてなくなっていた。しかたなくたった
今死んだばかりの龍仁(ヨンイン)の人の中にその魂を送り返した。
それで龍仁の人は死んで2日ぶりにまた生き返ったが、不思議なことに龍仁のことは何一つ知ら
ずに鎮川に行くとずっと言い張って家族らが止む得ず村のお偉方のところに連れていって裁いた
結果、この人の魂が鎮川の人ということが分かった。それで村のお偉方は「あなたは生きている間
は鎮川で暮らし、死んだら身体を龍仁に回してあげなさい」と判決を下してできた話が「生きて鎮
川、死んで龍仁」とのことだ。
とにかく生まれれば死ぬということは神様が決めた道理だ!私たちもみんな死ぬ時に備えてもう
少し善良に他人を助けて、そして熱心に充実して価値あるように生きよう。
ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩49]カクレル
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=52876&yy=2009