日本語源流散歩29


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「くだらない」は「百済ない」、クダラは奈良に比べて「大きな国」の意味~イ・ナムギョの日本語源流散歩29


日本古代史に最も影響を及ぼしたのは何といっても百済ということができる。日本書紀を見れば「百
済近肖古王405年に王仁博士が千字文と論語を持って日本へ渡り、聖明王552年に怒利斯致契が
仏教を初めて伝播した」となっている。

660年8月、百済泗沘(サビ)城が陥落して、663年6月白馬江(ペンマガン)の最後の決戦の時までの
3年間に数千の百済人が日本に渡ったが、彼らの大部分は知識階層だったという。これによって、新
しい農機具と土木技術、仏事、仏経、新医術である鍼術、古代国家を形成する律令体制など国家の
根幹を形成する大部分の百済文化が流入し、日本は新しい新文明の全盛期を謳歌することになる。

日本に渡った当時の百済人は非常に優遇され、百済の職位をそのまま認められて官僚や将軍など
に任命されたが、日本政府はこれらを受け入れるために行政組織を16官位から20官位に拡大改編
までした。当時、日本政府の要職の国防大臣や文部大臣など、すべて到来した百済人を任命したこと
で発生した言葉が「アマクダリ」(天下り)だ。これは「空から降りた人」という意味で、現在でも高級官僚
が退職して関連機関の幹部などに降りて行くことを「アマクダリ」という。その当時、日本の首都は滋賀
県近江であり、673年に飛鳥地方へ遷都し、また再び710年に「奈良」に移転する。この時から784年
までを「奈良時代」という。

「ナラ」という言葉は「ウリナラ(我が国)」の略語として、当時日本の首都であった場所を百済遊民らは
「ナラ」と呼び後に漢字をあてて「奈良」になった。百済遊民らは消えた祖国百済を「大きな国(コンナ
ラ)」といったが、この言葉が変わって「クンナラ→クダラ(百済)」になった。百済(ペクチェ)を「クダラ」と
呼ぶのはこれに起因する。

日本に渡った百済遊民は新羅(シンラ)を「シラギ」、高句麗(コグリョ)を「コクリ」と呼びながらも、百済
に対してだけは絶対に「ハクサイ」とせずに「大きな国」すなわち「クダラ」と呼んだことを見れば、彼ら
の執念がどれほど強かったかを察することができる。このような言葉に対する執着は、私たちの固有
な風習を見れば簡単に理解できる。

多くの兄弟がいる時、本家は先祖に対する祭事や全てのことを主管するから財産を全部譲られ、他
の兄弟より豊かで多くのことを内包する。したがって今、百済遊民らが生きている日本が「ナラ(国)」
ならば、百済は一番上の兄格の「大きな国(コンナラ)」という意味から出た言葉が「クダラ」だ。

「クダラナイ」という言葉は直訳すれば「百済にない」になる。言葉の意味は「つまらない」だ。「良くて立
派なものはみな百済にあるのに、これは百済にない。だから、つまらない」という言葉だ。


ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩29]くだらない>日本に渡っていった遊
民らが祖国百済を描いて'大きい国'(百済)といったところで由来
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