稲荷山蕎麦店繁盛記 六杯目(1)

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ご挨拶ってのは大事なもんで、これを忘れちゃぁ年が明けない、おまけにご近所様との友好も築けないってなもんでございます。おはようございます、こんにちは、こんばんは、みなさんも挨拶だけはきちぃっとしなけりゃいけません。 と、いうわけで 新年、あけましておめでとうございます。 今年もよろしくおねがいいたします。 遅くなりましたが、あっしからのご挨拶でございます。 さてさて、年が明けるっていうめでたい行事はどこでもおんなじ もちろんあすこの蕎麦屋でもおんなじなわけなんですが なにやら、他とは様子がちがうようで、ではでは、今年も参りましょう 「稲荷山蕎麦店繁盛記 五杯目 年越し蕎麦」 はぁじぃまりぃはぁじぃまぁりぃっと!! 年が明けるその夜、稲荷山蕎麦店は記録的な忙しさであった。 もともと、年の終わりは蕎麦で締めるという考えが人々の間では強く 毎年のように稲荷山蕎麦店はいつもより忙しくなるのだが、今年は、そこに歩という出前要因が加わりひっきりなしに店には注文の電話が殺到した。 二人きりしかいない厨房で、親方は黙々と蕎麦を作り続け、おなじく二代目大黒屋も黙々と天麩羅を揚げた。この日、ずんどう鍋二組分のつゆがなくなり、何百という数の天麩羅がからりと揚げられた。そのどれもが手抜きでなく、今年も終わりだねぇとほほが緩む味であった。親方がいうところによれば、この日、二代目大黒屋は初代大黒屋の元を離れたらしい。職人にしか分からないものもあるのだろう。しかしながらそれが悪いことではないということは、その天麩羅を食べた人々全員が証明している。 稲荷山の蕎麦が最高の状態で食べれたことには歩という存在も大きく貢献していた 今年から始まった出前の仕事であったが、歩は見事にそれをこなした。 昨日から降り続く雪により、道は少し走りにくかった。 しかしながら、歩は一滴もつゆを零すことなく、天カス一つ落とすことなく、暖かいままで、蕎麦を届けていった。踏み鳴らされていない雪道すら、足跡一つつけずに駆けていく。歩が「地走り小僧」と呼ばれるようになったのはこのときからである。 もちろん、店のほうの働きを忘れてはいけない。 蕎麦を作るのにも出前をするのにも、どっしりと店が構え、かつ円滑に回転していなければリズムが崩れてしまうからだ。その点においても、稲荷山蕎麦店はしっかりとしていた。「赤釣目」のお菊女将を筆頭に、日向向日葵、影縫夜見、二人の看板娘が共に店を切り盛りした。向日葵と夜見の、笑顔と無愛想、いうところのアメとムチ、天使と小悪魔たる対照的な接客が冴え渡った。向日葵にいたっては、ふだんぐっすり眠ってしまうお子様タイムを乗り越えての仕事ぶりは目を見張るものであり、どうやら夜更かしを覚えたようである。夜見は日ごろの活動時間であるので、例の如く、傍目にはわからないほどに生き生きとして、客に応対していた。今年も例年通りに「食ったらとっと家に帰って年を越せ」の名台詞は健在であった。 しかし、なによりも今年の稲荷山蕎麦店の年末を支えたのは女将であるお菊であろう。白い鉢巻を頭にぎゅっと巻いて、元気よく注文に応じるその姿は、見るものの体の内から気力を引っ張り出して尻を叩き、「あんた!しゃんとすんだよ!」と呼びかけるようであった。稲荷山蕎麦店の暖簾をくぐったものが、楽しげに家に帰っていくのは、夜が更けていっても、声量の落ちないその声が背中をトンと後押ししてくれるからである。「今年も世話になったね!」「来年もよろしくたのむよぅ!」 彼女の声は不思議とお客たちの背中だけでなく心もシャンとさせるのである。 総勢六名の従業員で戦のような年末を稲荷山蕎麦店は乗り切った。そこには、それぞれの頑張りとそしてみえないがしっかりとした絆からなる団結力があった。 しかし、そんな真面目な話はこれからまったくといって語られない、なぜなら客が誰もいなくなった、年明け直前の稲荷山蕎麦店から、本当のお話ははじまるからだ。 [[食休み!>稲荷山蕎麦店繁盛記]] [[次へ]]
ご挨拶ってのは大事なもんで、これを忘れちゃぁ年が明けない、おまけにご近所様との友好も築けないってなもんでございます。おはようございます、こんにちは、こんばんは、みなさんも挨拶だけはきちぃっとしなけりゃいけません。 と、いうわけで 新年、あけましておめでとうございます。 今年もよろしくおねがいいたします。 遅くなりましたが、あっしからのご挨拶でございます。 さてさて、年が明けるっていうめでたい行事はどこでもおんなじ もちろんあすこの蕎麦屋でもおんなじなわけなんですが なにやら、他とは様子がちがうようで、ではでは、今年も参りましょう 「稲荷山蕎麦店繁盛記 五杯目 年越し蕎麦」 はぁじぃまりぃはぁじぃまぁりぃっと!! 年が明けるその夜、稲荷山蕎麦店は記録的な忙しさであった。 もともと、年の終わりは蕎麦で締めるという考えが人々の間では強く 毎年のように稲荷山蕎麦店はいつもより忙しくなるのだが、今年は、そこに歩という出前要因が加わりひっきりなしに店には注文の電話が殺到した。 二人きりしかいない厨房で、親方は黙々と蕎麦を作り続け、おなじく二代目大黒屋も黙々と天麩羅を揚げた。この日、ずんどう鍋二組分のつゆがなくなり、何百という数の天麩羅がからりと揚げられた。そのどれもが手抜きでなく、今年も終わりだねぇとほほが緩む味であった。親方がいうところによれば、この日、二代目大黒屋は初代大黒屋の元を離れたらしい。職人にしか分からないものもあるのだろう。しかしながらそれが悪いことではないということは、その天麩羅を食べた人々全員が証明している。 稲荷山の蕎麦が最高の状態で食べれたことには歩という存在も大きく貢献していた 今年から始まった出前の仕事であったが、歩は見事にそれをこなした。 昨日から降り続く雪により、道は少し走りにくかった。 しかしながら、歩は一滴もつゆを零すことなく、天カス一つ落とすことなく、暖かいままで、蕎麦を届けていった。踏み鳴らされていない雪道すら、足跡一つつけずに駆けていく。歩が「地走り小僧」と呼ばれるようになったのはこのときからである。 もちろん、店のほうの働きを忘れてはいけない。 蕎麦を作るのにも出前をするのにも、どっしりと店が構え、かつ円滑に回転していなければリズムが崩れてしまうからだ。その点においても、稲荷山蕎麦店はしっかりとしていた。「赤釣目」のお菊女将を筆頭に、日向向日葵、影縫夜見、二人の看板娘が共に店を切り盛りした。向日葵と夜見の、笑顔と無愛想、いうところのアメとムチ、天使と小悪魔たる対照的な接客が冴え渡った。向日葵にいたっては、ふだんぐっすり眠ってしまうお子様タイムを乗り越えての仕事ぶりは目を見張るものであり、どうやら夜更かしを覚えたようである。夜見は日ごろの活動時間であるので、例の如く、傍目にはわからないほどに生き生きとして、客に応対していた。今年も例年通りに「食ったらとっと家に帰って年を越せ」の名台詞は健在であった。 しかし、なによりも今年の稲荷山蕎麦店の年末を支えたのは女将であるお菊であろう。白い鉢巻を頭にぎゅっと巻いて、元気よく注文に応じるその姿は、見るものの体の内から気力を引っ張り出して尻を叩き、「あんた!しゃんとすんだよ!」と呼びかけるようであった。稲荷山蕎麦店の暖簾をくぐったものが、楽しげに家に帰っていくのは、夜が更けていっても、声量の落ちないその声が背中をトンと後押ししてくれるからである。「今年も世話になったね!」「来年もよろしくたのむよぅ!」 彼女の声は不思議とお客たちの背中だけでなく心もシャンとさせるのである。 総勢六名の従業員で戦のような年末を稲荷山蕎麦店は乗り切った。そこには、それぞれの頑張りとそしてみえないがしっかりとした絆からなる団結力があった。 しかし、そんな真面目な話はこれからまったくといって語られない、なぜなら客が誰もいなくなった、年明け直前の稲荷山蕎麦店から、本当のお話ははじまるからだ。 [[食休み!>稲荷山蕎麦店繁盛記]] [[次へ>稲荷山蕎麦店繁盛記 六杯目(2)]]

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