稲荷山蕎麦店繁盛記 五杯目(1)


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あいやしばらく!じつにしばらくぅ!!
ひさびさに帰ってまいりました。ご無沙汰しておりますっ!
ん、ま、あっしのことは忘れちまってもかまいやせんが
まさかあの店のことは忘れちまってませんよね?
そうですそうです!そのお店!
さてさて今回のお話はぁ
駆けて駆けて駆け抜けて
熱い思いをお届けします!
駆けそばのお話でぇございますぅ!
え?字が違う。ままままま、そいつぁお話を聞いてくれなくっちゃぁ!
そう、話は夜の闇を一匹の物の怪が駆けるところからはじまります。

駆けそば

「?」
ただ、走っていた。
走って、走って、走って、走って、走って…
もう自分がなにから逃げているのか分からなくなるくらい走っていた。
そんなときだった。
そう、そんなときだったんだ、おいらの顔にあの紙が張り付いてきたのは!
「天まで駆け上れる方、求ム」
あ、これ、おいらのことだってそのとき思った。
どういうわけか、気がついたらもう、おいらはみんなの前にいたんだ。

「お菊」
「名前は?」
そうお菊が聞くと、狐面の青年は首をかしげてみせた。
「年は?」
同じくかしげる。
「どこの生まれだい?」
これも同じく
「性別は?」
「男」
「はい、じゃ合格」
「ええっ!」狐面が驚いて立ち上がる。
店の中の暖簾をくぐった奥の厨房のも少し奥。
一段上がった畳の上で行われていた面接は早々と終了した。
「いいんですか?それで?」さすがに早すぎたか大黒屋も苦笑している。
親方は黙って鍋とにらめっこしているが、口角がほんのり上がっていた。
鍋とのにらめっこに勝ち負けはないから笑ってんだねありゃとお菊は推測する。
「どうせ、形だけさね」
名簿を閉じて鉛筆をクルクル回しお菊はからっという。
「問題はいい仕事ができるかどうか、あたしがみたいのはそんだけさ」
「もっと聞かないんですか?」
合格といわれたのに不安そうな声をだすのは狐面だ。
一昨日の晩に月まで送って、やっとこ帰ってきたところを
「面接するよ」っと厨房の奥に引っ張り込んだのだ。
そこまでしといてあっさり「合格!」では不安になるのもしょうがない。
「ちょっと悩んだ顔ぐらいしたほうがよかったかね?」
でもそうすると皺が増えそうでね、あーやだやだとお菊は手をふる。
「そういうことじゃなくて」いいにくそうに狐面がちらっと厨房を見回した。
「なんにも分からないやつを働かせていいのかっていってるんです」
パチパチっと衣が鳴く。「真面目だねぇ」と歌うように大黒屋が呟いた。
「男らしいですね」親方が湯きりをしながらいう。
「ただ、私たちは貴方が人助けをしたことを知っています」
「人助け…」
「そ、あんたがいいやつだってことが分かりゃまずはそれでいいのさ、いろんなことは働いてりゃどんどん分かってくるんだから。で、働くの?働かないの?働きなよ?」
「強引だって」
「無理やりすぎやしませんか」
二人にそういわれて、お菊はけぇんけぇんっと笑った。

「向日葵」
白熱した論議が繰り広げられているのかな?
暖簾の奥を見ながら、向日葵はちょっと考えた。
暖簾に目は釘付けになりながらも、お茶を一滴もこぼすことなくテーブルに置く。
しかしそのテーブルには誰も座っていない。…あれ?
「ひまわりちゃーん、こっちこっち!」
「おっ!瞬間移動ですか!」

むろん、置き間違えただけのだが、向日葵は真剣な顔で今度教えてくださいねっと看板娘の所以たる満面の笑みをみせてとてとてとそのテーブルを離れた。
彼女が去った後は、陽だまりがかすかに残る。
お客は間違えられたというのになぜだか幸せな気分になってお茶をすすった。

「ひまわりちゃん、お水ください」
「はぁい、ただいまぁー」
「ひまわりさーん、天麩羅蕎麦二つね」
「かしこまりましたぁ」
お店の中をせかせかと歩きまわりながら、ちょこちょこお客さまの顔を見る。
今日もお客さん幸せそうなお顔してる
そうすると向日葵は自分もウキウキしてきて「どどーん」っと叫びだしたくなってくるのだ。いっちゃおうかなといつも思うのだが、果たして「どどーん」でぜんぶ気持ちを表せるのかどうかが分からなくていわない。
「ばばーん!かな?それともしゅばばばばーんかな?」
んー、ムツカシイ問題だ。
「…浮かれすぎ」
後ろから声がかかってびっくりする。
珍しく夜見ちゃんが一階に降りてきていた。
「夜見ちゃん、おっはよー」
「…うるさい。漢字に変換して。ほら、五月蝿い」
「百倍きつい言葉になったよ…」
朝から昼にかけての夜見ちゃんはとても元気がない。というか機嫌が悪い。
だからお店にでてくることはとってもまれなのだ。珍しい。
「どうしたの?早起きさんじゃないですか?」
ちょっと気をつけてひそひそ声で話しかける。
「…面接が気になったの」
「夜見ちゃんも!」
二人でちらりと暖簾をみる。動きはまだなさそうだ。
でも、暖簾は動かなかったのだけれど、入り口の扉がびしゃっと動いた。
「いらっしゃいませー」
「…静かに開けなさい」
そのお客様ははぁはぁと息を吐きながら、肩を揺らしている。
店中の客が驚いて箸をとめ、その新たな客を見つめる中で
向日葵は冷たいお茶を湯のみに注いで、そっと差し出した。
店内にあぁっと陽だまりが広がる。
お茶を差し出された珍客もお茶を飲んでにっこりと微笑み、そして思い出したように慌てた表情を作った。そして「追神爺さんが倒れた!」
その一言で店内が一気にざわめいた。
「ついにきたか!」「次はやっぱりそうか!」と声が上がる。
その中で「…お客様、うるさいを漢字に変換して…」
声が止む。夜見ちゃん強し!
「で…なに?」
「爺さんは、蕎麦を、暖かい蕎麦を食べたいと」
「てことは出前ですよね?」向日葵が首を傾げる。
「頼む!爺さん暖かい蕎麦を最後に食いてぇって」
やや大げさに男が腕を目にかざす「死んでも死にきれねぇって!」
「まかせときな!」店内を駆け巡るように声が響いた。
女将さんが腕を組んで厨房の暖簾の前に立っていた。
「女将さんかっこいい!!」大きな声で叫んでみる!
わぁっと歓声が上がった。
「…仲良しさん」夜見ちゃんが眠そうに呟いた。

「大黒屋」
外がなんだか騒がしい。女将さんがまたなんか始めたに違いない。
「二代目」親方が菜ばしで麺をつまんで呟く。
「はい」真剣な顔だ。自然と背筋が伸びる。
「これから、忙しくなる。気合いれろ」
なにがなんだか分からない。ただ…
菜ばしをくるっと回す。ふっと息をはく。
「任せてくださいよ」
美しき天麩羅たちの宴のはじまりだ。


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