稲荷山蕎麦店繁盛記 五杯目(2)


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さぁてさぁてやってまいりました!繁盛記ぃ!
駆け込んできた珍客に、気合をいれる厨房とくれば
なにかが起こらないわけはないってのは、このあっしにも分かること。
ついに狐面の初仕事ぉ!舞台は歓声溢れる稲荷山蕎麦店。
さぁさ、続きのぉはじまりぃはじまりぃ!

「狐面」

いったいなにが起こるんだろう?
歓声を体中にびしびし感じるし、期待のこもった視線もばしばし感じる。
なんだかとんでもないお店にきちゃったなぁと思いながら、実はものすごく楽しい気持ちになってきたのが自分でも分かった。体がうずうずしてきた。
「坊」女将さんの手が僕の頭にのっかる。そしてわしゃわしゃと撫でた。
「これからあんたの初仕事が始まるよ。やれるかい?」
「もちろん」
「いーい男だねぇ、あんた。まかせたよ」
まかせた。握りこぶしに力がはいる。まかせる、おいらに。まかせる。
「で、追神爺さんの注文は?」女将さんの声が人の合間を縫っていく。
そして返ってきた注文は
「天ぷらそば一つ」
「かしこまりました!」声が四つ上がった。
一つは女将さん、もう二つは奥にいる黄色い髪の女の子と(すごく小さいけれどはっきり聞こえた)その隣の目つきの悪い女の子。あと一つは、そう、気がつくとおいらも声をあげていたんだ。

「厨房」

そこには必要な音しか存在しない。
うどんを茹でる音、つゆを注ぐ音、海老をさばく音、野菜を切る音…
無駄な物は何一つ存在しない。それはそこにいるものの動きにも当てはまる。
それぞれの動きがもつ影響力を調理人たちは知っている。
だから彼らは最善の動きを心がける。
あくまでも心がけるだけだ。これを忘れてはならない。
彼らは完璧なものに近づこうとする。あくまでも近づこうとするだけ。
完璧になってはならない、進化し続けなければならない。
それでも親方という男の動きは完璧といってもよかった。
しかし真剣な顔でつゆの味見をする彼はそんなことなど考えていない。
天麩羅を揚げる大黒屋という男の動きは美しい。
昔からの常連はまだまだだと彼を見ていう、初代にはまだ追いつかないと。
そういいながらも彼らはそれでいいと思っている。
初代には初代の天麩羅の揚げ型があったように
二代目には二代目の揚げ型がある。
華麗に調理場を舞う二代目大黒屋には早くもその型ができつつあった。
調理場の時は流れる。積み重なることはあっても留まることはない。
蕎麦が茹であがる、芯の通った、歯ごたえのある蕎麦。
つゆを注ぐ。キラキラと光り輝くそれは乙女の涙のようだ。
天麩羅があがる、金色の衣を纏って、パチパチと歓声をあげる。
稲荷山蕎麦店、天麩羅蕎麦の完成であった。

「お菊」

「準備は万全だねぇ」
できあがった天麩羅蕎麦を満面の笑みを浮かべてお菊は受け取った。
準備だけはしてあった漆ぬりの岡持ちにそれを優しくいれてふたを下ろす。
なんだいなんだい、まるで昔っから決まってたみたいじゃないかい。
この岡持ちを買ってきたのはお菊の旦那、稲荷山蕎麦店の大将だった。
店ができてまだ間もないころ、こっそり店を抜け出した大将が買ってきたのだ。
「どうだいお菊、いい色だろぅ。こいつが駆けてるのをみんなが見るとする、そうするとだ、あの綺麗な岡持ちはどこのものなんだろうなぁって思ってついてったらウチの店に行き当たるって算段よう」
自信たっぷりにあの人はそういった。
そのとき稲荷山蕎麦店の従業員はお菊と大将と親方と初代大黒屋の四人と今よりも少なく、出前なんていけるほど人も余裕もなかった。「で、誰が出前にいくんだい」と聞くと案の定「そこだけが問題なんだよ」とあの人は頭をかきながら、笑ってごまかしたのだった。
それが今、こうして役に立っている。
あのときから時間は流れていたのに、岡持ちは堂々としていた。
むしろ時の流れが、貫禄を引き出したかのように。
「女将さん?」声をかけられてはっとした。
ふぅっと息をすって今の空気をめ一杯吸い込む。

「狐面」

「あんたが気をつけなきゃいけないことは三つ」
ぴっと三本、指を立てて女将さんがいう。
「冷まさない、こぼさない、道に迷わない。こんだけだ」
「けっこう難しいですよね」
「世の中にゃぁ難しくたってやらなきゃいけないことがある」
「なんとなく分かります」
「それは男でも女でも同じさ、坊、男見せてやりな」
「はい」
蕎麦が入ってる入れ物、岡持ちっていうやつが渡される。綺麗な入れ物だ、真っ赤な下地に銀色で「稲荷山蕎麦店」って店名が入っている。これが、おいらの仕事道具。
「いってきな」
「いってらっしゃい、新人君」
「クビにならないようにね」
みんなの声、おいらの初仕事
「いってきます!」
体が軽くなって気がつけば走り出していた。

「向日葵」

消えた。
ほんとにその言葉の通り、狐面のお兄さんと岡持ちが消えてしまった。
「夜見ちゃん、見た今の」
「…」寝てる。きっと朝早く起きて疲れちゃったにちがいない。
ほっぺたつつこうかなぁっと思っていると、突風がお店のなかで巻き起こった。
目を細めると、いつのまにか狐面のお兄ちゃんが立っている。
「もういってきたのかい!」
女将さんが細い目を頑張って大きくするぐらい驚いてる。あたしも驚いた。
「いや、そうじゃなくて」狐面のお兄ちゃんは恥ずかしそうに面をぽりぽりかくと「あの、出前先ってどこですか?」とぽつりといった。
クスッ
初めに笑ったのは誰だか分からないけど、それがきっかけでお店のなかに今度は笑いの突風が巻き起こった。もちろんあたしもしっかり巻き込まれて、声をあげて笑った。
「大物だなにいちゃん!」と声が上がる。
「夜見ちゃん、聞いた、今の」
「…」やっぱり寝てる。でも体が揺れてるのは……笑ってる?

「追神家」

何百年という歴史もつ名家、追神家。
町の北側にある追神亭はその一族が全員で住めるほどの大きさをもち
実際のところ追神一族のほとんどがその家で暮らしている。
家の周りには広大な庭が広がり、庭には池があり、池の先には森がある。
そのような広い広い土地を持ちながらも今日ばかりは
追神家の人々は全員小さい離れに身を寄せ合っていた。
追神家の長老、追神正念が病にふせっていたからである。
かかりつけの医者も匙を投げ手のほどこしようがないと首をふった。
どうしようもないと。
しかしながら追神家の人々は正念のもとを離れようとはしない。
ここに集まった人々の願いは一つ。
「どうか、天麩羅蕎麦を」
稲荷山蕎麦店には、さきほど一族の若いのが向かったはずだった。
店までは遠い、間に合うかどうか。
天麩羅蕎麦を食いたいといったとき、一族はみな今回ばかりはさすがに無理なんじゃないかと思った。いくらなんでも遠すぎる、間に合ったとしても冷めてしまっている、そんな蕎麦を食わせたら余計に酷くなるのではないか?
様々な言葉が飛び交い、議論がおきた。
だが、そのような危惧を吹き飛ばすかのように
庭に旋風が巻き起こった。
時間にして若いのが店へとでかけてから数分のこと。
「天麩羅蕎麦おまちぃ!」
奇跡が、おきた。

「狐面」

素晴らしい食いっぷりだ。
ほんとにこの爺さん病人なのか?
その疑いが失礼にならないほど、追神翁は元気に蕎麦を食った。
小気味よい音を立てて蕎麦をすすり、一気に海老天を尻尾のとこまでかぶりつき、喉を鳴らしながらつゆを飲み、器をからっぽにして、満面の笑みを浮かべた。
その様子にはもちろん周りの人も驚いていたけれど
不思議なのは、蕎麦を食ったあとのみんなの反応だった。
みんな期待のこもった眼差しで爺さんをみつめているのだ。
さっきまでの悲しそうな顔が嘘みたいに。
すると天麩羅蕎麦の幸せ効果に浸っていた追神翁は、はっと何かを思い出したような顔をすると、急に胸を押さえて苦しみだした。なにか喉に詰まったのかとおいらも慌てて駆け寄る。
それを医者さんが手で制して、そっと追神翁に顔を近づけた。
「…、はい、はい、分かりました」深刻な顔をして医者さんが顔をあげる。
「おかわりだそうです」
「へ?」
「おかわり」「おかわりだって!」「まさか、おかわりとは」
当然のごとく周りはざわめく、その中の「海老天でいいのか」という問いに答えるように、「な、なすぅ」と追神翁が呻いた。
「なすだ!」「なるほど」「なすときたか」
「というわけで」とさっきの医者さんがおいらをきっと見つめた。
「天麩羅蕎麦のおかわりをお願いしたい。今度はなすの天麩羅で」
なにがなんだかよくわからなかった。でも、言葉はすぐにでてくるもんだ。
「かしこまりました!」

「それから四往復後」

サトイモの天麩羅を食べおえ、また同じように翁は余韻に浸っている。
おいらはまたおかわりの注文がきてもいいように構えていた。
「狐くん」誰かがおいらのことを呼んだ。
「狐くん」人が多すぎて誰だか分からない。
「ご馳走様」それは翁の、うめき声以外の初めて聞く言葉だった。
わぁっと大きな歓声があがる。
今まで翁を心配そうに囲んでいた人たちがニコニコしながら飛び上がっている。
「勝った勝ったぁ!」と誰かがいう。勝った?
「すごいな君!」「やるじゃん狐くん」「足どうなってんの?」
それぞれがそれぞれの言葉を述べて、おいらと握手をしてそれぞれ帰っていく。
部屋には翁と医者さん、庭においらだけが残った。
「元気そうでなによりでした」医者さんも笑みを浮かべて立ち上がり、部屋を出て行く。
翁とおいらだけが残った。
「それにしてにも美味かったなぁ」翁がすくっと立ち上がり縁側へとやってくる。
白髪で白髭のお爺さん。お店の厨房にいたオヤカタさんより年をとっている。
「調子にのってさ、五杯も食べちゃったよ」
「食べちゃったよって、え?おいらまだよく分かってないんですけど、追神さんは病人じゃないんですか?」そんな気はしていましたけれど。
「病人だよ、足腰の悪い可哀想な年寄り」にっこり笑って翁はいう。
「屋敷からでることができなくてね、いちおう食事はでるんだけどさ」
おいらのことを手招きして呼びつけて、そっと「飽きちゃうんだ、これが」
「で、たまーに外のご飯が食べたくてさ、今回みたいにするわけ」
「病気のふりを?」
「そんなあくどいことしてないよー、みんなにはもうバレバレだもん」
「え、そうなんですか?」
「そうだよー?一族郎党みぃんな僕の嘘に付き合ってくれるわけ。といっても最近では僕が満足するかどうかっていう違う楽しみもできてるみたいだけど」
さっきの勝った勝った!っていうのがそれかもしれない。
「しかし、とんだ初仕事になっちゃったねぇ」
「知ってたんですか?」
「もちろん、今まで稲荷山蕎麦店には出前の人いなかったでしょう?」
なんでもお見通しというわけか。
「でも、よかったぁ」嬉しそうに翁が微笑んでおいらをみた。
「ずっとあそこのお蕎麦を食べたいと思ってたんだ。若い時分に食べたことはあったんだけど、それ以来ご無沙汰で。うんうん、やっぱり美味しかった、君のお陰だよ、きつねくん」
おいらのおかげ。涙がこぼれるのが分かった。
この狐面が唯一はずれなくていいことといえば、泣き顔を見られないことだ。
「狐君、名前は?」
「名前は…」
「ないのなら僕がつけてあげようか?」
「え?」
翁は袖からすっと筆を取り出して空中に走らせた。
文字が空中に浮かぶ。
「歩と書いてあゆむと読む」
「あゆむ?」
「足が速いのは君が歩くことができるからだ。それを忘れてはいけない」
「歩くこと」
「走ってばかりいると周りが見えなくなる。たまにはゆっくり歩むことも大事」
「歩む」
「千里の道も一歩からってね?気に入らない」
そのときおいらがなんて答えたか、わざわざいうことない。
それからの話だけど、お店に戻って「ご馳走様」を伝えると
お店の中でも喝采が起こった。どうやら翁の嘘はどこでも有名らしい。
翁のご馳走様をもらえた店は末永く繁盛するんだとか。
そのご利益があったかどうかはわからないけれど
おいらは今日も真っ赤な岡持ちをもってみんなに蕎麦を運んでる。
出前迅速超特急ってね。
ただご馳走様のどんぶりを回収しにいったあとは歩いてお店に帰っている。
「歩、今帰りか?」「歩ちゃんお疲れさまぁ、お茶でもどうだい?」
「歩ぅ!向日葵ちゃんによろしく伝えといてくれ」
なんでみんながおいらの名前を知ってるかって?
あの追神の爺さん曲者だ
いつの間にか、おいらの背中にしっかり書き残してやがったんだ。
「歩」の一文字をね。
千里の道も一歩から、夕焼けにそまる道を、今日もおいらは歩いている。

さぁさこれでご名答!
一杯のかけそばならぬ、一歩の駆けそばとは有名な話
これにて稲荷山蕎麦店「駆けそば」しまいにてございます!


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