イケメン半田健人

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&counter() -------- **2006年04月25日(火曜日) 2時、時間割に。NHK『シネマの扉』製作、テレコムスタッフ。映画『マイティ・ジョー』を語れというお仕事。リメイク映画、怪獣映画、ファミリー映画などの視点からいろいろ語り、ピーター・ジャクソン版『キング・コング』にも言及、リメイクの姿勢の違いなどを話し、同じ監督の『トレマーズ』のこともしゃべる。この番組、&bold(){&color(red){MCが半田健人だそうで}}、「仮面ライダー555ですね!」と言ったら「よくご存じですね」と驚かれた。いや、&bold(){&color(red){ただオタクなだけ}}です。 ------- **2006年05月24日(水曜日) 連日のNHK入りというのも珍しい。今日は昨日みたいに僕の顔をしらないADじゃなくって、ちゃんと玄関に担当者が待っていた。控え室で二人で用意されていた弁当を食べた。昆布巻きとか黄金イカみたいな、酒の肴ぽいものがものがおかずになっている、奇妙な弁当だったよ。まあ食べられたけれど。食べてる最中に司会の半田健人が挨拶に来た。&bold(){&color(red){さすがにハンサムだ}}。ディレクターがうれしそうに「仮面ライダー555ですよ」と紹介していたけど、本人はどう思っているんだろう。 打ち合わせ、高樹沙耶さんと。彼女は沖縄で泳いできたばかりということで真っ黒に日焼けしていた。台本はこのあいだ僕が打ち合わせでしゃべったことをほぼ、なぞっているだけのものなので楽だ。その打ち合せ最中に『トレマーズ』のことを話題に乗せたら、健人が(&bold(){&color(red){こう名前で書くとウォーホルぽい}})「自分もあの映画大好きで、四回くらいは見ていますよ」と言い出して、二人でちょっと盛り上がっちゃった。&bold(){&color(red){イケメン俳優と}}『トレマーズ』で盛り上がれるとは思わなかったな。 健人は本番中より休憩のときの方によくしゃべった。「今の映画には家族で楽しめるファミリー映画というのがない」と番組中で言ったら、休息のときに「それって歌謡曲にも言えますよね」と話しかけてきて、&bold(){&color(red){昭和と平成の歌謡曲の違い}}、なんて話をした。彼はこういうことに詳しいのがウリで(それってイケメン男優としてはどうなのかとも思うけど)『タモリ倶楽部』とかに出ているくらいだ。 「『愚か者』がレコ大とったときに、これはどうかと思った」んだそうだ。面白い。あまり彼に興味を持ったんで、本番中もめったに高樹沙耶の方を見ずに、健太の顔ばかり見ていた(&bold(){&color(red){ここらへんのゲイテイストもウォーホル風}})。後半は高樹さんが紹介するドキュメント映画『WATARIDORI』の紹介なんだけど、ちょっとでしゃばっていろいろ僕も発言した。まあ、そう頼まれていたかでもあるんだけど。最後のまとめで、また『マイティ・ジョー』のことを話すのだけど、これもちゃんと『WATARIDORI』のことにからめてコメントした。高樹さんには悪いけど&bold(){&color(red){まとめをさらっちゃったわけ}}。自分じゃ会心のコメント芸だったけど、スタジオの反応はどうだったかな。終わって出るときにオノがそっと「昨日のラジオに引き続き結論泥棒ですね!」と耳打ちしたのに&bold(){&color(red){笑っちゃったよ}}。こういう、何でもわかっちゃってるマネージャーは得がたいね。 メイク落として楽屋に入ろうとしたら、健人のマネージャーが僕に挨拶してきて、「今日は本当にありがとうございました、半田は昭和の歌謡曲とか大阪万博とかが好きで大変くわしいんで、もし何かありましたら」とか言って名刺をくれた。唐沢俊一・半田健人の昭和レトロ探訪、&bold(){&color(red){なんて本を作れば売れるかもしれないね}}。どこか、企画買わないかな?健人には「トレマーズみたいな映画撮るときには主演してよ」と言っておく。是非、と乗り気だったよ。こっちと入れ替わりみたいにスタジオに地井武男と有馬稲子が入っていた。『ためしてガッテン』の収録だったみたい。地井さんはまるで僕のことを前から知ってるみたいに「いやあ、おはよう。御苦労さま」と挨拶してきた。ああいう人というのは好かれるだろうね。 ------- **2006年06月17日(土曜日) 昨日の芝居の感想を書く。それくらいしか脳が動かない感じ。DVDでこのあいだ出た『シネマの扉』を見たり。首に肉がついているなあ、この頃と思い嫌になる。まあ外見はともかく、しゃべりはまずまず。特撮を私に好きに語らせれば、面白くなるのは当然だが。45分番組で私の担当は20分くらい。でも収録では 1時間半以上は回していたから、切られている発言の方が多いわけである。とは言い条、ちゃんと言うべきことは言っているように編集してくれていて、半田健人とも会話していて結構。 笑ったのは自分でしゃべって“これはカットだな”と思った発言が生かされていたことで、監督のロン・アンダーウッドがテレビの子供番組出身でしかし実は怪獣映画の大ファン、ということを説明し「こういう人はNHKにいっぱいいると思いますが……」と、つい、口走ってしまった。なにせ、その日、スタジオ入りしたとき、入り口近くに大きく『生物彗星 WoO』のポスターが貼ってあったものだから。これがそのまま残っていた。たぶんディレクターがこのセリフを聞いたときに、「あ、アイツとアイツとアイツと……」と、思い当たる顔がだだだーっ、と頭の中に浮かんだんではあるまいか。 ------- **2006年07月29日(土曜日) 3時、家を出て渋谷。仕事場でファックスなどチェック。Yくんの奥さんからハガキが届いている。筆まめだなあ。半田健人事務所からは昭和歌謡ライブのお知らせ。こういうことまでやっているのかと、その趣味人ぶりにちょっと驚く。 ------- **2006年09月16日(土曜日) そこから歩いて原宿クロコダイル。今日は陽射しも強く、ちょっと汗をかく。半田健人さんの事務所からお誘いが来た『半田健人が歌う“昭和見聞録”』ライブ。30分前に着いて待っていると、スタッフが私の姿を見かけて、どうぞ中へ、と案内してくれた。&bold(){&color(red){受付で入場料支払う}}。行きますという連絡を前々日くらいにしらのだが、すでに招待ワクがいっぱいになってしまっていたとか。仕事の関係でこういうライブはギリギリまで行けるかどうか、わからないのである。 本日はオールスタンディングということだったが、特別にマスコミ席を空けてくれる。隅の席で雑誌のインタビューを受けていた半田健人さんと挨拶。「今日はコアな曲ばかりなんで期待してください」と不敵に笑うところがなんとも。 (略 ライブの様子描写) 全曲かなりのアレンジをしていて(『雨』をウェスタン調で演奏するなど)、バンドの力量はさすが。その割には歌いかたは全部オリジナルそのままだな、とか思わないでもなかったが、しかし『美しすぎて』など、もともと顔が若い頃の野口五郎を彷彿とさせる顔立ちなので、&bold(){&color(red){似合いすぎ}}。坂本スミ子『幼い子供のように』をアンコールで(仕込みだろうけど)歌って、1時間でラスト。あれ、と思う。いやに短いライブだなあ。「大人の事情で」と言っていたが。まあ、スタンディングライブで二時間とかはお客もキツかろう。年齢層の高い客だし(実際気分を悪くして座り込んでいる女性がいた)。最後にファンから“投げキッス〜!”と声がかかって、キッスで退場。こういうレトロな演出も決まっている。 オノと二人でスタッフに挨拶して出て、感想いろいろ、&bold(){&color(red){半田健人と仕事するなら}}、という話しながら、銀座線で浅草まで。 ------- **2006年09月17日(日曜日) 日記つけ。思えば土曜はいろんなことがあったのだなあ。ちなみに半田健人くんはいま、新しいドラマの撮影に入っているそうだ。まだ発表できないとは言っていたが、監督が長谷部安春というと……アレか? 打ち合わせ中にクリクリに今夜の席(半田健人くんとの打ち合わせ)を予約。青山の『もくち』(井草鍋のところ)にしようと思ったのだが、間の極めて悪いことに、ゆうべ中居正広のブラックバラエティで紹介されてしまい、そのせいかどうかしらないが、今日の予約はずっと電話が話し中でつながらなかった。他にも連絡電話頻々。 半田くんとその事務所(ヒロックス・エンターテインメント)の人二人、それにイニャハラさん加え、食事しながら彼の昭和歌謡の話を聞く。22歳にしてその口から流れるようにほとばしるマニアックな歌謡知識に翻弄される。筒美京平史観に穴をあけたいとか、70年代歌謡の特殊性とか、&bold(){&color(red){トテモついていけず}}。もうそのオタク度とイケメンとのアンバランス性がすごい。彼に言わせると70年代歌謡とは「1971年から79年まで」なのだそうだ。「70年は入らないんですか」「70年は60年代でしょう」という、よく意味のわからない線引き(じゃ、71年から80年までが70年代歌謡なのでは?)が、&bold(){&color(red){いかにもマニアのこだわり}}であってよろしい。 天地真理がどうして人気があったのかわからない、というので紅白に天地真理が初出場したとき(72年)、演出で紅組全員が立ち上がり“真理ちゃーん!”と叫んだとき、美空ひばりだけが微笑みながらも立とうとしなかったというエピソードを紹介、それで週刊誌が一斉にひばり叩きを始めたという話で、「つまり、天地真理人気はそれまで長いこと日本を覆っていた60年代旧歌謡曲(の象徴たる美空ひばり)支配が崩れるという、その革命の象徴であるキャラクターだったということに拠るんですネ」などと解説。彼は百恵信者なので、よりいっそう、なんで天地真理が、という気持ちになるのかもしれぬ。百恵信仰が、“アイドルなのに作られた存在でない”という思想に支えられているということは、その前に“作られたアイドル”の存在が絶対必要なわけなのだが。あと、『恐怖の人間カラオケ』の話をしたら「そのレコード、ありますか?」と目を輝かせたので、今度収録の際に貸します、と約束しておく。 半田くんはあまり酒は飲めない(本当に最近の若い子には酒を飲まないのが多い)し、プロダクションの女性もそんなに飲まない。もっぱらアルコールはこちら側の人間が消費。それでも普段の三分の一くらいか。とにかく、リスナー置いてきぼりでいいから、むしろ置いてく方向で、とにかく濃い話をしていることがわかればいいから、と言っておく。 半田くんはいま、芝居の稽古中だそうだ。宮沢章夫の『鵺』だそうな。芝居ばなしもいろいろ聞く。私も最近は芝居づいているので、ちょっと話がはずむ。マネージャーさんから、コイツ(健人)は本当に真面目なやつなんで今後ともよろしく、と言われる。「今度何かご一緒に、とはよく言われるんですけど、本当にこんなにすぐ声かけていただいたのは初めてなんで」と。こっちも、いろいろ予定している企画に協力をお願いしておく。 11時半、出て金曜よろしく、と&bold(){&color(red){握手して}}別れる。ひさしぶりのクリクリだったが、食べたものの記憶がほとんどない。ほぼ、歌謡曲ばなしに&bold(){&color(red){力を出し切ってなんとか食らいついていた}}、という感じ。オノやイニャハラさんもそうだったんだろう。 ------- **2006年10月20日(金曜日) 10分遅れになるがTBS到着、さっそく半田健人くん、I井くんたちと打ち合わせ。最初にわざとくさく『銀河鉄道999』の話から入る。これは“ちゃんと今日、収録していますよ”という証明みたいなものであるが、しかし後から気がついたが、999で話が始まって、ゲストは555だったのである。そこを指摘すりゃよかったな。 で、後は王監督のソフトバンク留任、そこから756号ホームランの話になり、ピンクレディの『サウスポー』になり、という流れで、一気に半田ワールドへと。ここらは計算通り。 さあ、その後はもう半田くん独壇場、私も(ざっと下調べはしていたものの)&bold(){&color(red){ついていくのがやっと}}、海保アナに至っては完全においてきぼり。「僕は22歳だけど、心は昭和22年生まれ」とか言っていたが、“金髪女性が好き”という段階で、もうこれは確かに昭和22年生まれのオヤジがイケメンに生まれ変わって平成のこの世に迷い出てきたとしか思えない。思うに彼の親が、昭和22年生まれの男をどこかで殺した祟りとかなのではないか、などと考えてしまう。とにかく番組としては大盛り上がり、サブのみんなも大爆笑だった。以前、別のラジオで眞鍋かおりに「半田くんはしゃべらないといい男なのにねえ」と言われたというが、いや、いい男なんてのはどこにでもいる。こんなに濃く昭和歌謡を語れる22歳は世界に一人だ。眞鍋かおり、&bold(){&color(red){やっぱりオタがわかっていない}}。 俳優、とは言い条、こういうラジオやバラエティに慣れているらしく、こちらサイドの要求もすぐ理解して、それに合わせてくれる。先日の打ち合わせで大変に興味をしめした『恐怖の人間カラオケ』(案の定ウケてくれた)の後、半田くんに『S・O・S』で鼻歌カラオケやってもらい、「コーナー終るまで続けていてください」と手まねで指示すると、ホントにそのまま続けてやって、CMあけに、「そのままずっとやり続けていた、という風にやろう」と言うと、ちゃんとそのままやり続けていたようにエンディングに入り、しかも途中で、「……終りました」と、唐突に終わり報告(これはアドリブ)。売れる奴はことごとく、カンがいい。 終って、「楽しかったです、また呼んでください」と言ってもらったのはホッとした。マネージャーさんに、&bold(){&color(red){ちょっと思いついた企画を呈示}}。実現すれば面白い。舞台の稽古で今日はこれからダンスの特訓、という半田くんを送り出し、私たちも局を辞去。海保さんが「半田さん、しゃべっているとき目がマジなの!」と言っていた。 ------- **2006年10月22日(日曜日) それから『ポケット!』プロデューサーのI井くんから、半田健人さんの回は、実は収録時は出来が心配だったが、編集してみて凄まじく面白いものであったことに気がついた、というメール。I井くんの編集も、今回だけエンディング曲をピンクレディーに変えてしまったりというワルノリぶり結構。三回連続でこれだけテンションの高い内容にしてしまってかえって後が大変だが、何とか今年いっぱいはこのテンションを維持したい。はれつ氏からも半田健人絶賛のメール。 半田健人に関するネットの評判を見ると、「せっかくの二枚目なのに、もうあんな二の線に行くのはよした方がいい」という意見も根強いようだ。しかし、はっきり言ってすでにテレビ業界では二枚目は飽和状態にある。そこで何か、頭角を現すには、&bold(){&color(red){もはや“ヘンさ”というのも}}、かなり強いファクターになり得ると思っている。まして彼のヘンさはツクリではない、天然なのだ。いま、ものを“熱く”語れる若い人というのは貴重なのである。 ただ、何回か一緒の場にいて感じるのは、その趣味の性質からくる彼のきまじめさ、几帳面さである。そこが気になる。ブレイクする者に必須なのは、ある意味での“大ざっぱ”さや“いいかげんさ”なのである。意外なようだが、これは事実だ。 ------- **2006年11月02日(木曜日) この番組、中川翔子ちゃんの司会で、毎回ゲストを呼んでそのゲストの発案のいろんなものを作っていく、というコンセプトのものだそうな。じゃア紙芝居を、と思ったら、紙芝居は前回にもうやられていた。じゃあ、と次のアイデアを考えるが、向うが私の日記を読んでいて、なかなか面白げな企画を出してくれる。すぐノって、「あ、いいねえ、じゃアこうやって、ああやって、あの人連れてきて、そこでこうで」と、オチとその先までだだーっと話すと、向うも大ノリ。なんとマネージャー氏、「半田健人を出しましょう」と言う。アレ、お芝居の稽古があるンじゃなかったの? と訊くと、ちょうどその収録日だけ空いているそうだ。なんとも気前のいいことだが、かなりこないだのラジオが気に入ってくれているらしい。 ロビーで半田健人くんとマネージャーNさん、ディレクターUさん、司会役の鉄平くん(コメディアン)などと打ち合わせ。&bold(){&color(red){半田くんのノリがかなりいい}}。やがてメイン司会の中川翔子ちゃんも来る。マイクロに乗って、最初の撮影場所の戸越に向かう。私はマイクロバスが好きで、これに乗って現場に向かうと思うだけでワクワクしてしまう。 ざっと打ち合わせ、すぐ2階のスタジオに入って撮影。上の階では『ミナミの帝王』の録音をやっている模様。まず、橋沢、渡辺、レイパー、半田が揃っているところに私がしょこたん、鉄平を連れていって、私のスタッフと言って紹介する。 それから打ち合わせのシーンになり、ラジオドラマの定番であるホラーミステリーを作ろうと提案。橋沢さんに、私が以前送った基本ストーリィ(もちろん、これはナイショ)にいろいろ周囲の人がわがままな要求をつけ加えていく。 それから半田くんが音楽をつける。これが“こういう風に”という注文にどんどんと応じていく。翔子ちゃんの目が尊敬のまなざしになっていった。しかも昭和歌謡の濃〜いうんちくつき。翔子ちゃんも今の歌謡曲がダメなのだそうだ。美男美女が熱く山口百恵と『漂流教室』について語り合う姿を見て、ちょっと得をした気分。それにしても中川翔子の好奇心と向上心、そして人からものを学ぼうという素直な姿勢には毎回感服。売れる子はやはり違うわ。半田くんもその意気込みをかったか、凄い提案をしょこたんにしていた。 そこらで弁当タイムで休息。半田、翔子ちゃん、私に渡辺さんも加わって、四人で昭和ばなしいろいろ。半田くん曰く“昭和40年代を語る場”を作りましょう、と。一方で鉄平くんはレイパーさんと、口マネ擬音の練習。今回の収録はとにかくリラックスして出来る。半田くん含めて、メンバーの大半が私の選定で、まったく友だちたちとワイワイやっているノリで作っていられるからだろう。みんなで記念写真撮影。しょこたんが「ブログに載せてもいいですか」と。オノ曰く「橋沢さんがしょこたんブログに登場する時代になったとは」 ------- **2006年11月16日(木曜日) 12時半、駅の方に向かったらI井D、イニャハラさんの二人にばったり出会う。オノと携帯で場所確認。今日の打ち合わせが三軒茶屋だったのは2時から、半田健人くんの出演している舞台『現代能楽集/鵺(NUE)』がシアタートラム(駅に隣接)で行われているので、それを観に行くため。 半田くんがこのあいだ、この作品の台本を読んで、これは僕のための戯曲だ、とのめり込んだ理由がわかった。そう、1970年代オタクの彼としては22歳にして、この50代の劇作家に易々と感情移入できるだろう。 1956年生まれ、50歳の宮沢章夫の個人的心証をほぼストレートに表出させたこの戯曲を、『夢の遊眠社』にいた上杉祥三(劇作家役)と、『天井桟敷』出身の若松武史(黒づくめの男役)の二人が、自分たちの演劇活動に重ね合わせて失われた演劇都市・新宿への思いを語るという二重構造、さらには劇中劇として(若き日の宮沢が熱中したであろう)清水邦夫の戯曲の一部分が演じられるという複雑な構成である。 2006年、ある意味活況を呈しているように見える演劇界に、時の帝を悩ませた鵺の鳴き声のように、本当にいまの演劇は活況なのか、と問いを投げかけようという宮沢のたくらみはよく理解できる。しかし、それが個人的な感傷や追憶を超えて、さまで70年代新宿に思いを(半田健人ほど)抱いていない観客にどこまでそれが伝わり得るか、となると、やや疑問としか言えない。“能”を現代演劇に換骨奪胎する、ということで、やや様式(現代演劇の)に足をとられすぎてしまったのではないか、そんな気がした。半田くんの出番も思ったほどなかったのがやや(“やや”が多い感想だが)、残念だった。 終ってロビーで待つうち、河出書房で私の本の担当をしてくれたSくんと遭遇。かなり痩せた。Nマネ来て、楽屋まで案内してもらい、半田くんと挨拶。劇中、彼がギリシアの哲学者のことをウィキペディアみたいにぺらぺらと語るシーンあり、彼の知人曰く「あそこ、普段の半田みたいだったよね。哲学者を筒美京平に変えれば」と。呵呵。 ------- **2006年11月19日(日曜日) 5時になって、資料そろえてロフトプラスワンへ。楽屋に入って少しさいとうさんと話す。半田くんとの“昭和40年代の会”の話をしたら、ぜひウチで結成式を!とのことだった。 ------- **2006年11月21日(火曜日) 東武ホテルロビー、テレビ東京年末鍋特番打ち合わせ。スタジオ撮りかと思ったら出先での収録になる。日本橋の鍋料理屋さん。そこで鍋雑学を、と。一緒に行くのが森野熊八さんとテレ東のアナウンサー、あとまだ女性タレントが未定。この仕事は『ワナゴナ』のプロデューサーさんからいただいた仕事。『ワナゴナ』は&bold(){&color(red){半田健人くんの事務所(ヒロイックス)からいただいた仕事}}。半田健人くんの事務所とはNHK『シネマの扉』に出していただいたときにおつきあいが出来た。ひとつの仕事がもとでそれからどんどん発展していくというのはいいことであり、考えれば不思議な縁である。 ------- **2006年11月26日(日曜日) 11時くらいに一旦就寝、1時に『ワナゴナ』を見るために起きるが、何かやたら眠い。 橋沢さんの、マジな時計にらみ、渡辺さんの、クライマックスを中断しての生コマの面白さ、みんなの目の動き、現場のアドレナリン分泌の状況がよく伝わる。半田健人くんがまったく違和感なく唐沢組スタッフ、という形で出演しているのが不思議。中川翔子ちゃんも実に楽しげにやっていることがわかる。これは一回で終わらせるのが惜しい。結局、見たあともちょっと興奮状態で、また酒にいき、寝たのが3時過ぎ。 ------- **2006年11月26日(日曜日) 橋沢さんからメール、『ワナゴナ』の御礼。それとともに、大変なことが発覚したというメールも来た。なんと橋沢さん、『愛のソレア』で半田健人くんと共演していた! しかも、彼の高校の担任というかなり重い役である。現場で橋沢さんは鉄平くんと映画『カクト』で共演していた、と盛り上がっていたが、こう言っては鉄平くんに悪いが、思い出すなら半田くんとの共演を思い出しなさいよ。それにしても世界は狭い。世界にはホントは人間は100人くらいしかいない、という説をしみじみと思う。 ------- **2006年12月22日(金曜日) 今日はいつものスタジオの隣のスタジオで。と、いっても作りは全くと言っていいほど同じ。時間まで、打ち合わせ用小部屋(名称がなく、小部屋々々と言っている)で半田健人くんと打ち合わせ。青島幸男さんの話など。 半田くんの新曲『かっこいいブーガルー』(2日前発売)のプロモーション。こっちはクレージョーケンバンドのカバーであるが、半田君に「カバーってやってみたかったでしょ」と言うと、嬉しそうに「夢だったんですよ」と。そして、彼の作詞作曲になるB面(CDにB面というのもないが、あえてB面といいたい)の『新宿泪知らず』は、ロコツな昭和歌謡で、なりきりの歌い方が実にもう。半田くんの口から、バンド時代のかなり硬派なエピソードを聞くが、へえという感じ。あと、なかなか傑作な某の携帯電話の裏話も。 半田健人くんは最初に出演したときには、オタ的に、視線をブラさず一点を見つめてしゃべるような、一種の異様さが感じられたが、今回はちゃんと自分のテリトリーの都倉俊一を語りながら、ちゃんと相手(私や海保さん)と噛みあって会話が出来ている。すごい進歩。やはり売れるやつは一回ごとに進歩するものなんだな、と思う。 ------- **2007年01月24日(水曜日) オノからメール、やっと半田健人くんのマネージャーと連絡取れて、打ち合わせ日が決まったとのこと。さて、&bold(){&color(red){今年は後半に入ったあたりが凄いことになる}}。少し体を鍛えておかねば。 ------- **2007年02月02日(金曜日) 10時過ぎ、家を出て赤坂TBSまで。半田くん、マネージャーNさん。雑談で仮面ライダーのこと、昭和40年代のこと、大阪万博のことなど。これでもう、放送したって何にも違和感ない、というような濃い雑談になる。 で、収録開始。相変わらず半田くんの音楽ばなし濃いこと。持ってきた万博の時代のLPから、スクールメイツ版の『虹と雪のバラード』をかける。海保さんがお定まりで“22歳ですよね?”と訊いたら半田くん「今日はそれ、禁止で」と。私のは『アイフル大作戦』のエンディングで小川真由美『VIVA! アイフル』。ちゃんと半田くん、菊池俊輔もサーチ内にいれている。万博の太陽の塔あと見学、しましょうよと半田くんに言われる。その後、ポッドキャスティング。今日も最後が奇麗に決まった。 ------- **2007年02月09日(金曜日) ※ロフトプラスワン『昭和40年代を語る会』イベント 半田くん、今日は昭和40年風の襟の大きなワイシャツを着て登場。楽屋に河崎実監督が来訪、半田くんと昭和歌謡で盛り上がっていた。で、7時半、壇上に上がってトーク開始。早めに入ってきた半田君目当てのお客が前面の方を占めていて、周囲をいつものオタク客が包囲する、という面白い構成になっていた。 まず会の趣旨説明、それから昭和の風景がいま、急速に失われていっているという話、歌謡曲の話、昭和40年代は41年から、といった区切りの話、なぜ30年代がブームなのか(30年代は東京タワーというモニュメント、経済成長への入り口と、一直線の分かりやすいストーリィがあるが、40年代は渾沌としていて、100人いれば100人の40年代があるので逆に語りにくい)よいう話などが出るが、次第々々に中野監督のテンションが上がり、映画のテーマ曲に勝手に主題歌をつける話や、新宿の『さくらや』の旧バージョンのCMソングの話、それから発展して町の広告アナウンスの話、さらに地方CMの話と、どんどんマニアックな話題になってきて、会場はもう笑いの渦(周辺がまずドッと笑い、それにつられて中心が笑うという特殊な現象)だが、さすがにそういう話までは半田くんがついてこられず、今日一番お客を呼んだ人なのにも関わらず、最後は完全な聞き手になってしまっていた。『ポケット!』の二大人気ゲスト同士の新世代旧世代対決だったが、まず第一ラウンドは旧世代の中野監督の圧倒的勝利。ちょっと半田くんには気の毒なハンデ勝負だった。 半田くんたちは帰り、残りのメンツで『青葉』へ。 ------- **2007年02月27日(火曜日) 自室に戻り、晋遊舎原稿。書きながらときおりネットのぞく。11頃、仰天情報。万博会場跡に残る“太陽の塔”の内部見学ツアーが三月いっぱいで終了(現在ツアー申し込みはもう満杯)するので(内部を大々的に改装して再会の予定)、そのツアー終了と改装着工の間に&bold(){&color(red){私と半田健人で取材を}}入れられないか、と、丹青社(7月の秋葉原イベントの企画者)に申し入れていた。 &bold(){&color(red){7月イベント}}の目玉として、その時の取材の模様を上映しつつ、&bold(){&color(red){『70年代を語る会』の発足会を大々的にやろう}}という考えだった。すでにいろいろとマスコミが申し込みをしている中、挟み込むのは非常に難しく、一旦はNGだったのだが丹青社自体が万博に縁の深い会社なので、強力にプッシュしてくれたとみえ、一般ツアーでは許可されていない事項も許可してくれて、最良の取材が出来る見通しがたった。……は、いいのだが。何と、その許可日というのが3月9日。『アストロ劇団』の公演とまるかぶりである。うわっと頭を抱える。 ------- **2007年03月09日(金曜日) ※太陽の塔取材 &bold(){&color(Blue){※半田健人氏と取材、というハズですが何故かこの取材に参加したのは、唐沢俊一、オノと開田夫妻、エースデュースさんから派遣のあった撮影クルー、丹青社のSさん。主役のハズだった半田健人氏は参加せず。その内容は「撮影に関しては、お仕事絡みになるのでしばらくは封印。」という事で詳しくは書かれていません。}} ------- **2007年05月04日(金曜日) 2時間ドラマ収録を終えた高嶋ひとみちゃんからメール。そのドラマに半田健人が出ていて昭和ばなしでロケ中盛り上がったというのだからまあ、世間の狭さ。 ------- &bold(){&color(Blue){※7月頃に正式に『昭和40年代を語る会』発足イベントが行われ、大陽の塔を取材した映像が流れるハズだったのですが、それ以降日記には半田健人の名前は出てこなくなりました。そして「新UFO入門」事件が起こり、唐沢俊一先生の生活が激減していくのです。}} ------- **2008年04月09日(水曜日) ※テレビ朝日『ドスペ!』収録 &bold(){&color(red){半田健人くんにも久しぶりに}}。バーテンダー役で話にからむ、という台本だったが、すぐに中に混じる。楽屋でちょっとしんちゃんばなしをするが、さすがに、クレしんはそう詳しくなくても、昭和とか、動物がらみで知識もあるしいろいろ語れる。まったく、どういう頭のつくりをしているイケメンなのか(バーテンダーの衣装が実に合う)。 ------- **2008年04月22日(火曜日) ※『御利益』千秋楽 半田健人くんが宮沢章夫の芝居に参加したとき、顔合わせのまず最初に、宮沢章夫は「芝居というのはそこらへんで狂気を持たないとやっていけない」と言ったそうだ。もちろん、それじゃ食っていけない。 ------- **2008年08月13日(水曜日) 9月に収録の緊急特番。小倉智昭が司会で、また半田健人くんなどと一緒である。番組内容の打ち合わせ。いくつかエピソード披露したら笑ってくれて、いくぶんこの番組の企画に抱いていた不安、解消。 ------- **2008年09月04日(木曜日) ※『緊急対処の専門学校』特番収録 &bold(){&color(red){半田健人くんとはまた一緒}}、豪貴の息子がゴーオンジャーの映画を観て、レツタカのファンになったそうで、今度一緒に仕事をするそうなので写真を撮ってこさせる、と母が約束してしまったので、業界人としていささか恥ずかしいが楽屋に行き、写真を一緒に撮らせてもらう。 -------
&counter() -------- **2006年04月25日(火曜日) 2時、時間割に。NHK『シネマの扉』製作、テレコムスタッフ。映画『マイティ・ジョー』を語れというお仕事。リメイク映画、怪獣映画、ファミリー映画などの視点からいろいろ語り、ピーター・ジャクソン版『キング・コング』にも言及、リメイクの姿勢の違いなどを話し、同じ監督の『トレマーズ』のこともしゃべる。この番組、&bold(){&color(red){MCが半田健人だそうで}}、「仮面ライダー555ですね!」と言ったら「よくご存じですね」と驚かれた。いや、&bold(){&color(red){ただオタクなだけ}}です。 ------- **2006年05月24日(水曜日) 連日のNHK入りというのも珍しい。今日は昨日みたいに僕の顔をしらないADじゃなくって、ちゃんと玄関に担当者が待っていた。控え室で二人で用意されていた弁当を食べた。昆布巻きとか黄金イカみたいな、酒の肴ぽいものがものがおかずになっている、奇妙な弁当だったよ。まあ食べられたけれど。食べてる最中に司会の半田健人が挨拶に来た。&bold(){&color(red){さすがにハンサムだ}}。ディレクターがうれしそうに「仮面ライダー555ですよ」と紹介していたけど、本人はどう思っているんだろう。 打ち合わせ、高樹沙耶さんと。彼女は沖縄で泳いできたばかりということで真っ黒に日焼けしていた。台本はこのあいだ僕が打ち合わせでしゃべったことをほぼ、なぞっているだけのものなので楽だ。その打ち合せ最中に『トレマーズ』のことを話題に乗せたら、健人が(&bold(){&color(red){こう名前で書くとウォーホルぽい}})「自分もあの映画大好きで、四回くらいは見ていますよ」と言い出して、二人でちょっと盛り上がっちゃった。&bold(){&color(red){イケメン俳優と}}『トレマーズ』で盛り上がれるとは思わなかったな。 健人は本番中より休憩のときの方によくしゃべった。「今の映画には家族で楽しめるファミリー映画というのがない」と番組中で言ったら、休息のときに「それって歌謡曲にも言えますよね」と話しかけてきて、&bold(){&color(red){昭和と平成の歌謡曲の違い}}、なんて話をした。彼はこういうことに詳しいのがウリで(それってイケメン男優としてはどうなのかとも思うけど)『タモリ倶楽部』とかに出ているくらいだ。 「『愚か者』がレコ大とったときに、これはどうかと思った」んだそうだ。面白い。あまり彼に興味を持ったんで、本番中もめったに高樹沙耶の方を見ずに、健太の顔ばかり見ていた(&bold(){&color(red){ここらへんのゲイテイストもウォーホル風}})。後半は高樹さんが紹介するドキュメント映画『WATARIDORI』の紹介なんだけど、ちょっとでしゃばっていろいろ僕も発言した。まあ、そう頼まれていたかでもあるんだけど。最後のまとめで、また『マイティ・ジョー』のことを話すのだけど、これもちゃんと『WATARIDORI』のことにからめてコメントした。高樹さんには悪いけど&bold(){&color(red){まとめをさらっちゃったわけ}}。自分じゃ会心のコメント芸だったけど、スタジオの反応はどうだったかな。終わって出るときにオノがそっと「昨日のラジオに引き続き結論泥棒ですね!」と耳打ちしたのに&bold(){&color(red){笑っちゃったよ}}。こういう、何でもわかっちゃってるマネージャーは得がたいね。 メイク落として楽屋に入ろうとしたら、健人のマネージャーが僕に挨拶してきて、「今日は本当にありがとうございました、半田は昭和の歌謡曲とか大阪万博とかが好きで大変くわしいんで、もし何かありましたら」とか言って名刺をくれた。唐沢俊一・半田健人の昭和レトロ探訪、&bold(){&color(red){なんて本を作れば売れるかもしれないね}}。どこか、企画買わないかな?健人には「トレマーズみたいな映画撮るときには主演してよ」と言っておく。是非、と乗り気だったよ。こっちと入れ替わりみたいにスタジオに地井武男と有馬稲子が入っていた。『ためしてガッテン』の収録だったみたい。地井さんはまるで僕のことを前から知ってるみたいに「いやあ、おはよう。御苦労さま」と挨拶してきた。ああいう人というのは好かれるだろうね。 ------- **2006年06月17日(土曜日) 昨日の芝居の感想を書く。それくらいしか脳が動かない感じ。DVDでこのあいだ出た『シネマの扉』を見たり。首に肉がついているなあ、この頃と思い嫌になる。まあ外見はともかく、しゃべりはまずまず。特撮を私に好きに語らせれば、面白くなるのは当然だが。45分番組で私の担当は20分くらい。でも収録では 1時間半以上は回していたから、切られている発言の方が多いわけである。とは言い条、ちゃんと言うべきことは言っているように編集してくれていて、半田健人とも会話していて結構。 笑ったのは自分でしゃべって“これはカットだな”と思った発言が生かされていたことで、監督のロン・アンダーウッドがテレビの子供番組出身でしかし実は怪獣映画の大ファン、ということを説明し「こういう人はNHKにいっぱいいると思いますが……」と、つい、口走ってしまった。なにせ、その日、スタジオ入りしたとき、入り口近くに大きく『生物彗星 WoO』のポスターが貼ってあったものだから。これがそのまま残っていた。たぶんディレクターがこのセリフを聞いたときに、「あ、アイツとアイツとアイツと……」と、思い当たる顔がだだだーっ、と頭の中に浮かんだんではあるまいか。 ------- **2006年07月29日(土曜日) 3時、家を出て渋谷。仕事場でファックスなどチェック。Yくんの奥さんからハガキが届いている。筆まめだなあ。半田健人事務所からは昭和歌謡ライブのお知らせ。こういうことまでやっているのかと、その趣味人ぶりにちょっと驚く。 ------- **2006年09月16日(土曜日) そこから歩いて原宿クロコダイル。今日は陽射しも強く、ちょっと汗をかく。半田健人さんの事務所からお誘いが来た『半田健人が歌う“昭和見聞録”』ライブ。30分前に着いて待っていると、スタッフが私の姿を見かけて、どうぞ中へ、と案内してくれた。&bold(){&color(red){受付で入場料支払う}}。行きますという連絡を前々日くらいにしらのだが、すでに招待ワクがいっぱいになってしまっていたとか。仕事の関係でこういうライブはギリギリまで行けるかどうか、わからないのである。 本日はオールスタンディングということだったが、特別にマスコミ席を空けてくれる。隅の席で雑誌のインタビューを受けていた半田健人さんと挨拶。「今日はコアな曲ばかりなんで期待してください」と不敵に笑うところがなんとも。 (略 ライブの様子描写) 全曲かなりのアレンジをしていて(『雨』をウェスタン調で演奏するなど)、バンドの力量はさすが。その割には歌いかたは全部オリジナルそのままだな、とか思わないでもなかったが、しかし『美しすぎて』など、もともと顔が若い頃の野口五郎を彷彿とさせる顔立ちなので、&bold(){&color(red){似合いすぎ}}。坂本スミ子『幼い子供のように』をアンコールで(仕込みだろうけど)歌って、1時間でラスト。あれ、と思う。いやに短いライブだなあ。「大人の事情で」と言っていたが。まあ、スタンディングライブで二時間とかはお客もキツかろう。年齢層の高い客だし(実際気分を悪くして座り込んでいる女性がいた)。最後にファンから“投げキッス〜!”と声がかかって、キッスで退場。こういうレトロな演出も決まっている。 オノと二人でスタッフに挨拶して出て、感想いろいろ、&bold(){&color(red){半田健人と仕事するなら}}、という話しながら、銀座線で浅草まで。 ------- **2006年09月17日(日曜日) 日記つけ。思えば土曜はいろんなことがあったのだなあ。ちなみに半田健人くんはいま、新しいドラマの撮影に入っているそうだ。まだ発表できないとは言っていたが、監督が長谷部安春というと……アレか? 打ち合わせ中にクリクリに今夜の席(半田健人くんとの打ち合わせ)を予約。青山の『もくち』(井草鍋のところ)にしようと思ったのだが、間の極めて悪いことに、ゆうべ中居正広のブラックバラエティで紹介されてしまい、そのせいかどうかしらないが、今日の予約はずっと電話が話し中でつながらなかった。他にも連絡電話頻々。 半田くんとその事務所(ヒロックス・エンターテインメント)の人二人、それにイニャハラさん加え、食事しながら彼の昭和歌謡の話を聞く。22歳にしてその口から流れるようにほとばしるマニアックな歌謡知識に翻弄される。筒美京平史観に穴をあけたいとか、70年代歌謡の特殊性とか、&bold(){&color(red){トテモついていけず}}。もうそのオタク度とイケメンとのアンバランス性がすごい。彼に言わせると70年代歌謡とは「1971年から79年まで」なのだそうだ。「70年は入らないんですか」「70年は60年代でしょう」という、よく意味のわからない線引き(じゃ、71年から80年までが70年代歌謡なのでは?)が、&bold(){&color(red){いかにもマニアのこだわり}}であってよろしい。 天地真理がどうして人気があったのかわからない、というので紅白に天地真理が初出場したとき(72年)、演出で紅組全員が立ち上がり“真理ちゃーん!”と叫んだとき、美空ひばりだけが微笑みながらも立とうとしなかったというエピソードを紹介、それで週刊誌が一斉にひばり叩きを始めたという話で、「つまり、天地真理人気はそれまで長いこと日本を覆っていた60年代旧歌謡曲(の象徴たる美空ひばり)支配が崩れるという、その革命の象徴であるキャラクターだったということに拠るんですネ」などと解説。彼は百恵信者なので、よりいっそう、なんで天地真理が、という気持ちになるのかもしれぬ。百恵信仰が、“アイドルなのに作られた存在でない”という思想に支えられているということは、その前に“作られたアイドル”の存在が絶対必要なわけなのだが。あと、『恐怖の人間カラオケ』の話をしたら「そのレコード、ありますか?」と目を輝かせたので、今度収録の際に貸します、と約束しておく。 半田くんはあまり酒は飲めない(本当に最近の若い子には酒を飲まないのが多い)し、プロダクションの女性もそんなに飲まない。もっぱらアルコールはこちら側の人間が消費。それでも普段の三分の一くらいか。とにかく、リスナー置いてきぼりでいいから、むしろ置いてく方向で、とにかく濃い話をしていることがわかればいいから、と言っておく。 半田くんはいま、芝居の稽古中だそうだ。宮沢章夫の『鵺』だそうな。芝居ばなしもいろいろ聞く。私も最近は芝居づいているので、ちょっと話がはずむ。マネージャーさんから、コイツ(健人)は本当に真面目なやつなんで今後ともよろしく、と言われる。「今度何かご一緒に、とはよく言われるんですけど、本当にこんなにすぐ声かけていただいたのは初めてなんで」と。こっちも、いろいろ予定している企画に協力をお願いしておく。 11時半、出て金曜よろしく、と&bold(){&color(red){握手して}}別れる。ひさしぶりのクリクリだったが、食べたものの記憶がほとんどない。ほぼ、歌謡曲ばなしに&bold(){&color(red){力を出し切ってなんとか食らいついていた}}、という感じ。オノやイニャハラさんもそうだったんだろう。 ------- **2006年10月20日(金曜日) 10分遅れになるがTBS到着、さっそく半田健人くん、I井くんたちと打ち合わせ。最初にわざとくさく『銀河鉄道999』の話から入る。これは“ちゃんと今日、収録していますよ”という証明みたいなものであるが、しかし後から気がついたが、999で話が始まって、ゲストは555だったのである。そこを指摘すりゃよかったな。 で、後は王監督のソフトバンク留任、そこから756号ホームランの話になり、ピンクレディの『サウスポー』になり、という流れで、一気に半田ワールドへと。ここらは計算通り。 さあ、その後はもう半田くん独壇場、私も(ざっと下調べはしていたものの)&bold(){&color(red){ついていくのがやっと}}、海保アナに至っては完全においてきぼり。「僕は22歳だけど、心は昭和22年生まれ」とか言っていたが、“金髪女性が好き”という段階で、もうこれは確かに昭和22年生まれのオヤジがイケメンに生まれ変わって平成のこの世に迷い出てきたとしか思えない。思うに彼の親が、昭和22年生まれの男をどこかで殺した祟りとかなのではないか、などと考えてしまう。とにかく番組としては大盛り上がり、サブのみんなも大爆笑だった。以前、別のラジオで眞鍋かおりに「半田くんはしゃべらないといい男なのにねえ」と言われたというが、いや、いい男なんてのはどこにでもいる。こんなに濃く昭和歌謡を語れる22歳は世界に一人だ。眞鍋かおり、&bold(){&color(red){やっぱりオタがわかっていない}}。 俳優、とは言い条、こういうラジオやバラエティに慣れているらしく、こちらサイドの要求もすぐ理解して、それに合わせてくれる。先日の打ち合わせで大変に興味をしめした『恐怖の人間カラオケ』(案の定ウケてくれた)の後、半田くんに『S・O・S』で鼻歌カラオケやってもらい、「コーナー終るまで続けていてください」と手まねで指示すると、ホントにそのまま続けてやって、CMあけに、「そのままずっとやり続けていた、という風にやろう」と言うと、ちゃんとそのままやり続けていたようにエンディングに入り、しかも途中で、「……終りました」と、唐突に終わり報告(これはアドリブ)。売れる奴はことごとく、カンがいい。 終って、「楽しかったです、また呼んでください」と言ってもらったのはホッとした。マネージャーさんに、&bold(){&color(red){ちょっと思いついた企画を呈示}}。実現すれば面白い。舞台の稽古で今日はこれからダンスの特訓、という半田くんを送り出し、私たちも局を辞去。海保さんが「半田さん、しゃべっているとき目がマジなの!」と言っていた。 ------- **2006年10月22日(日曜日) それから『ポケット!』プロデューサーのI井くんから、半田健人さんの回は、実は収録時は出来が心配だったが、編集してみて凄まじく面白いものであったことに気がついた、というメール。I井くんの編集も、今回だけエンディング曲をピンクレディーに変えてしまったりというワルノリぶり結構。三回連続でこれだけテンションの高い内容にしてしまってかえって後が大変だが、何とか今年いっぱいはこのテンションを維持したい。はれつ氏からも半田健人絶賛のメール。 半田健人に関するネットの評判を見ると、「せっかくの二枚目なのに、もうあんな二の線に行くのはよした方がいい」という意見も根強いようだ。しかし、はっきり言ってすでにテレビ業界では二枚目は飽和状態にある。そこで何か、頭角を現すには、&bold(){&color(red){もはや“ヘンさ”というのも}}、かなり強いファクターになり得ると思っている。まして彼のヘンさはツクリではない、天然なのだ。いま、ものを“熱く”語れる若い人というのは貴重なのである。 ただ、何回か一緒の場にいて感じるのは、その趣味の性質からくる彼のきまじめさ、几帳面さである。そこが気になる。ブレイクする者に必須なのは、ある意味での“大ざっぱ”さや“いいかげんさ”なのである。意外なようだが、これは事実だ。 ------- **2006年11月02日(木曜日) この番組、中川翔子ちゃんの司会で、毎回ゲストを呼んでそのゲストの発案のいろんなものを作っていく、というコンセプトのものだそうな。じゃア紙芝居を、と思ったら、紙芝居は前回にもうやられていた。じゃあ、と次のアイデアを考えるが、向うが私の日記を読んでいて、なかなか面白げな企画を出してくれる。すぐノって、「あ、いいねえ、じゃアこうやって、ああやって、あの人連れてきて、そこでこうで」と、オチとその先までだだーっと話すと、向うも大ノリ。なんとマネージャー氏、「半田健人を出しましょう」と言う。アレ、お芝居の稽古があるンじゃなかったの? と訊くと、ちょうどその収録日だけ空いているそうだ。なんとも気前のいいことだが、かなりこないだのラジオが気に入ってくれているらしい。 ロビーで半田健人くんとマネージャーNさん、ディレクターUさん、司会役の鉄平くん(コメディアン)などと打ち合わせ。&bold(){&color(red){半田くんのノリがかなりいい}}。やがてメイン司会の中川翔子ちゃんも来る。マイクロに乗って、最初の撮影場所の戸越に向かう。私はマイクロバスが好きで、これに乗って現場に向かうと思うだけでワクワクしてしまう。 ざっと打ち合わせ、すぐ2階のスタジオに入って撮影。上の階では『ミナミの帝王』の録音をやっている模様。まず、橋沢、渡辺、レイパー、半田が揃っているところに私がしょこたん、鉄平を連れていって、私のスタッフと言って紹介する。 それから打ち合わせのシーンになり、ラジオドラマの定番であるホラーミステリーを作ろうと提案。橋沢さんに、私が以前送った基本ストーリィ(もちろん、これはナイショ)にいろいろ周囲の人がわがままな要求をつけ加えていく。 それから半田くんが音楽をつける。これが“こういう風に”という注文にどんどんと応じていく。翔子ちゃんの目が尊敬のまなざしになっていった。しかも昭和歌謡の濃〜いうんちくつき。翔子ちゃんも今の歌謡曲がダメなのだそうだ。美男美女が熱く山口百恵と『漂流教室』について語り合う姿を見て、ちょっと得をした気分。それにしても中川翔子の好奇心と向上心、そして人からものを学ぼうという素直な姿勢には毎回感服。売れる子はやはり違うわ。半田くんもその意気込みをかったか、凄い提案をしょこたんにしていた。 そこらで弁当タイムで休息。半田、翔子ちゃん、私に渡辺さんも加わって、四人で昭和ばなしいろいろ。半田くん曰く“昭和40年代を語る場”を作りましょう、と。一方で鉄平くんはレイパーさんと、口マネ擬音の練習。今回の収録はとにかくリラックスして出来る。半田くん含めて、メンバーの大半が私の選定で、まったく友だちたちとワイワイやっているノリで作っていられるからだろう。みんなで記念写真撮影。しょこたんが「ブログに載せてもいいですか」と。オノ曰く「橋沢さんがしょこたんブログに登場する時代になったとは」 ------- **2006年11月16日(木曜日) 12時半、駅の方に向かったらI井D、イニャハラさんの二人にばったり出会う。オノと携帯で場所確認。今日の打ち合わせが三軒茶屋だったのは2時から、半田健人くんの出演している舞台『現代能楽集/鵺(NUE)』がシアタートラム(駅に隣接)で行われているので、それを観に行くため。 半田くんがこのあいだ、この作品の台本を読んで、これは僕のための戯曲だ、とのめり込んだ理由がわかった。そう、1970年代オタクの彼としては22歳にして、この50代の劇作家に易々と感情移入できるだろう。 1956年生まれ、50歳の宮沢章夫の個人的心証をほぼストレートに表出させたこの戯曲を、『夢の遊眠社』にいた上杉祥三(劇作家役)と、『天井桟敷』出身の若松武史(黒づくめの男役)の二人が、自分たちの演劇活動に重ね合わせて失われた演劇都市・新宿への思いを語るという二重構造、さらには劇中劇として(若き日の宮沢が熱中したであろう)清水邦夫の戯曲の一部分が演じられるという複雑な構成である。 2006年、ある意味活況を呈しているように見える演劇界に、時の帝を悩ませた鵺の鳴き声のように、本当にいまの演劇は活況なのか、と問いを投げかけようという宮沢のたくらみはよく理解できる。しかし、それが個人的な感傷や追憶を超えて、さまで70年代新宿に思いを(半田健人ほど)抱いていない観客にどこまでそれが伝わり得るか、となると、やや疑問としか言えない。“能”を現代演劇に換骨奪胎する、ということで、やや様式(現代演劇の)に足をとられすぎてしまったのではないか、そんな気がした。半田くんの出番も思ったほどなかったのがやや(“やや”が多い感想だが)、残念だった。 終ってロビーで待つうち、河出書房で私の本の担当をしてくれたSくんと遭遇。かなり痩せた。Nマネ来て、楽屋まで案内してもらい、半田くんと挨拶。劇中、彼がギリシアの哲学者のことをウィキペディアみたいにぺらぺらと語るシーンあり、彼の知人曰く「あそこ、普段の半田みたいだったよね。哲学者を筒美京平に変えれば」と。呵呵。 ------- **2006年11月19日(日曜日) 5時になって、資料そろえてロフトプラスワンへ。楽屋に入って少しさいとうさんと話す。半田くんとの“昭和40年代の会”の話をしたら、ぜひウチで結成式を!とのことだった。 ------- **2006年11月21日(火曜日) 東武ホテルロビー、テレビ東京年末鍋特番打ち合わせ。スタジオ撮りかと思ったら出先での収録になる。日本橋の鍋料理屋さん。そこで鍋雑学を、と。一緒に行くのが森野熊八さんとテレ東のアナウンサー、あとまだ女性タレントが未定。この仕事は『ワナゴナ』のプロデューサーさんからいただいた仕事。『ワナゴナ』は&bold(){&color(red){半田健人くんの事務所(ヒロイックス)からいただいた仕事}}。半田健人くんの事務所とはNHK『シネマの扉』に出していただいたときにおつきあいが出来た。ひとつの仕事がもとでそれからどんどん発展していくというのはいいことであり、考えれば不思議な縁である。 ------- **2006年11月26日(日曜日) 11時くらいに一旦就寝、1時に『ワナゴナ』を見るために起きるが、何かやたら眠い。 橋沢さんの、マジな時計にらみ、渡辺さんの、クライマックスを中断しての生コマの面白さ、みんなの目の動き、現場のアドレナリン分泌の状況がよく伝わる。半田健人くんがまったく違和感なく唐沢組スタッフ、という形で出演しているのが不思議。中川翔子ちゃんも実に楽しげにやっていることがわかる。これは一回で終わらせるのが惜しい。結局、見たあともちょっと興奮状態で、また酒にいき、寝たのが3時過ぎ。 ------- **2006年11月26日(日曜日) 橋沢さんからメール、『ワナゴナ』の御礼。それとともに、大変なことが発覚したというメールも来た。なんと橋沢さん、『愛のソレア』で半田健人くんと共演していた! しかも、彼の高校の担任というかなり重い役である。現場で橋沢さんは鉄平くんと映画『カクト』で共演していた、と盛り上がっていたが、こう言っては鉄平くんに悪いが、思い出すなら半田くんとの共演を思い出しなさいよ。それにしても世界は狭い。世界にはホントは人間は100人くらいしかいない、という説をしみじみと思う。 ------- **2006年12月22日(金曜日) 今日はいつものスタジオの隣のスタジオで。と、いっても作りは全くと言っていいほど同じ。時間まで、打ち合わせ用小部屋(名称がなく、小部屋々々と言っている)で半田健人くんと打ち合わせ。青島幸男さんの話など。 半田くんの新曲『かっこいいブーガルー』(2日前発売)のプロモーション。こっちはクレージョーケンバンドのカバーであるが、半田君に「カバーってやってみたかったでしょ」と言うと、嬉しそうに「夢だったんですよ」と。そして、彼の作詞作曲になるB面(CDにB面というのもないが、あえてB面といいたい)の『新宿泪知らず』は、ロコツな昭和歌謡で、なりきりの歌い方が実にもう。半田くんの口から、バンド時代のかなり硬派なエピソードを聞くが、へえという感じ。あと、なかなか傑作な某の携帯電話の裏話も。 半田健人くんは最初に出演したときには、オタ的に、視線をブラさず一点を見つめてしゃべるような、一種の異様さが感じられたが、今回はちゃんと自分のテリトリーの都倉俊一を語りながら、ちゃんと相手(私や海保さん)と噛みあって会話が出来ている。すごい進歩。やはり売れるやつは一回ごとに進歩するものなんだな、と思う。 ------- **2007年01月24日(水曜日) オノからメール、やっと半田健人くんのマネージャーと連絡取れて、打ち合わせ日が決まったとのこと。さて、&bold(){&color(red){今年は後半に入ったあたりが凄いことになる}}。少し体を鍛えておかねば。 ------- **2007年02月02日(金曜日) 10時過ぎ、家を出て赤坂TBSまで。半田くん、マネージャーNさん。雑談で仮面ライダーのこと、昭和40年代のこと、大阪万博のことなど。これでもう、放送したって何にも違和感ない、というような濃い雑談になる。 で、収録開始。相変わらず半田くんの音楽ばなし濃いこと。持ってきた万博の時代のLPから、スクールメイツ版の『虹と雪のバラード』をかける。海保さんがお定まりで“22歳ですよね?”と訊いたら半田くん「今日はそれ、禁止で」と。私のは『アイフル大作戦』のエンディングで小川真由美『VIVA! アイフル』。ちゃんと半田くん、菊池俊輔もサーチ内にいれている。万博の太陽の塔あと見学、しましょうよと半田くんに言われる。その後、ポッドキャスティング。今日も最後が奇麗に決まった。 ------- **2007年02月09日(金曜日) ※ロフトプラスワン『昭和40年代を語る会』イベント 半田くん、今日は昭和40年風の襟の大きなワイシャツを着て登場。楽屋に河崎実監督が来訪、半田くんと昭和歌謡で盛り上がっていた。で、7時半、壇上に上がってトーク開始。早めに入ってきた半田君目当てのお客が前面の方を占めていて、周囲をいつものオタク客が包囲する、という面白い構成になっていた。 まず会の趣旨説明、それから昭和の風景がいま、急速に失われていっているという話、歌謡曲の話、昭和40年代は41年から、といった区切りの話、なぜ30年代がブームなのか(30年代は東京タワーというモニュメント、経済成長への入り口と、一直線の分かりやすいストーリィがあるが、40年代は渾沌としていて、100人いれば100人の40年代があるので逆に語りにくい)よいう話などが出るが、次第々々に中野監督のテンションが上がり、映画のテーマ曲に勝手に主題歌をつける話や、新宿の『さくらや』の旧バージョンのCMソングの話、それから発展して町の広告アナウンスの話、さらに地方CMの話と、どんどんマニアックな話題になってきて、会場はもう笑いの渦(周辺がまずドッと笑い、それにつられて中心が笑うという特殊な現象)だが、さすがにそういう話までは半田くんがついてこられず、今日一番お客を呼んだ人なのにも関わらず、最後は完全な聞き手になってしまっていた。『ポケット!』の二大人気ゲスト同士の新世代旧世代対決だったが、まず第一ラウンドは旧世代の中野監督の圧倒的勝利。ちょっと半田くんには気の毒なハンデ勝負だった。 半田くんたちは帰り、残りのメンツで『青葉』へ。 ------- **2007年02月27日(火曜日) 自室に戻り、晋遊舎原稿。書きながらときおりネットのぞく。11頃、仰天情報。万博会場跡に残る“太陽の塔”の内部見学ツアーが三月いっぱいで終了(現在ツアー申し込みはもう満杯)するので(内部を大々的に改装して再会の予定)、そのツアー終了と改装着工の間に&bold(){&color(red){私と半田健人で取材を}}入れられないか、と、丹青社(7月の秋葉原イベントの企画者)に申し入れていた。 &bold(){&color(red){7月イベント}}の目玉として、その時の取材の模様を上映しつつ、&bold(){&color(red){『70年代を語る会』の発足会を大々的にやろう}}という考えだった。すでにいろいろとマスコミが申し込みをしている中、挟み込むのは非常に難しく、一旦はNGだったのだが丹青社自体が万博に縁の深い会社なので、強力にプッシュしてくれたとみえ、一般ツアーでは許可されていない事項も許可してくれて、最良の取材が出来る見通しがたった。……は、いいのだが。何と、その許可日というのが3月9日。『アストロ劇団』の公演とまるかぶりである。うわっと頭を抱える。 ------- **2007年03月09日(金曜日) ※太陽の塔取材 &bold(){&color(Blue){※半田健人氏と取材、というハズですが何故かこの取材に参加したのは、唐沢俊一、オノと開田夫妻、エースデュースさんから派遣のあった撮影クルー、丹青社のSさん。主役のハズだった半田健人氏は参加せず。その内容は「撮影に関しては、お仕事絡みになるのでしばらくは封印。」という事で詳しくは書かれていません。}} ------- **2007年05月04日(金曜日) 2時間ドラマ収録を終えた高嶋ひとみちゃんからメール。そのドラマに半田健人が出ていて昭和ばなしでロケ中盛り上がったというのだからまあ、世間の狭さ。 ------- &bold(){&color(Blue){※7月頃に正式に『昭和40年代を語る会』発足イベントが行われ、大陽の塔を取材した映像が流れるハズだったのですが、それ以降日記には半田健人の名前は出てこなくなりました。そして「新UFO入門」事件が起こり、唐沢俊一先生の生活が激変していくのです。}} ------- **2008年04月09日(水曜日) ※テレビ朝日『ドスペ!』収録 &bold(){&color(red){半田健人くんにも久しぶりに}}。バーテンダー役で話にからむ、という台本だったが、すぐに中に混じる。楽屋でちょっとしんちゃんばなしをするが、さすがに、クレしんはそう詳しくなくても、昭和とか、動物がらみで知識もあるしいろいろ語れる。まったく、どういう頭のつくりをしているイケメンなのか(バーテンダーの衣装が実に合う)。 ------- **2008年04月22日(火曜日) ※『御利益』千秋楽 半田健人くんが宮沢章夫の芝居に参加したとき、顔合わせのまず最初に、宮沢章夫は「芝居というのはそこらへんで狂気を持たないとやっていけない」と言ったそうだ。もちろん、それじゃ食っていけない。 ------- **2008年08月13日(水曜日) 9月に収録の緊急特番。小倉智昭が司会で、また半田健人くんなどと一緒である。番組内容の打ち合わせ。いくつかエピソード披露したら笑ってくれて、いくぶんこの番組の企画に抱いていた不安、解消。 ------- **2008年09月04日(木曜日) ※『緊急対処の専門学校』特番収録 &bold(){&color(red){半田健人くんとはまた一緒}}、豪貴の息子がゴーオンジャーの映画を観て、レツタカのファンになったそうで、今度一緒に仕事をするそうなので写真を撮ってこさせる、と母が約束してしまったので、業界人としていささか恥ずかしいが楽屋に行き、写真を一緒に撮らせてもらう。 -------

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