伊藤君問題(1999〜2003)


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

-

  1. 伊藤君問題(1999〜2003)
  2. 伊藤君問題(2004〜 )

1999年 :: 10月 :: 04日(月曜日)

5時、ホームページのチェックに平塚くん来宅。目次ページにある、「 伊藤剛くん関係 」の部分を、「 伊藤剛氏関係 」に直す。かえってわざとくさいと思うが、こっちの弁護士はとにかく、神経にさわることはイケマセンという考えらしい。

1999年 :: 10月 :: 26日(火曜日)

あめぞう漫画(マンガ業界の噂話や感想の掲示板)に、“ 伊藤剛さんが亡くなったそうですが ”という書き込みがあってちょっと驚く。真相やいかに。

1999年 :: 10月 :: 27日(水曜日)

昨日の 伊藤くん死亡説はデマ とわかる。ヨカッタヨカッタ。

2000年 :: 01月 :: 12日(水曜日)

因果同士と言えば、 伊藤剛氏への謝罪文 、あれどうしましょう、と平塚くん。あ、もう掲載期間過ぎていたんだっけ。まあ、急にそこだけ削除するのもなんだから、リニューアル時に一緒ということで、と話す。鶴岡から、またぞろ彼があちこちの掲示板で私への罵倒を繰り返している、と報告がある(光文社に念書をとられている、というのは何のことだ?)。まあ、あれはリハビリの一種だと思うので、やらせておきなさい、と答えておく。過去を完全否定しないと次のステップに進めない一群の人がいるもの。ただ、非能率だよなあ。

2000年 :: 02月 :: 09日(水曜日)

眠田さんが 伊藤くん のHPが更新された、と言うので、帰ってから酔眼でのぞく。何か光文社の担当が私の異常性を伊藤くんに話した、とか書いてある。その内容は必要があれば公開するそうだが、これは私も読みたい読みたい。私のファンや鶴岡たちも喜ぶと思うので公開希望。・・・・・・しかし、こういう発言しているときが彼、一番イキイキしている。やはりみんな、人の悪口が好きなんだねえ。

2000年 :: 02月 :: 10日(木曜日)

昨日の日記に書いた 伊藤くん のHP、もう削除されていた。私の記述読んで見にいった人、残念でした。その件で光文社のS氏、それから担当のHさんと電話。S氏から実際のところを聞く。

2000年 :: 03月 :: 20日(月曜日)

BWPを読んだら、旅行中にまた 伊藤くん がらみでほんやら堂掲示板などで騒動が起きたようである。削除されてもう読めないようだが、内情知っている人からも某氏のパティオに情報入っていた。いろいろいじられてパンクしたらしい。かわいそうにとは思うが、もはや見てるだけ状態。僕は残酷なのかもしれません(笑)。

2000年 :: 03月 :: 31日(金曜日)

まったく、この出版不況がうらめしい。とはいえ、どこの出版社でもいま、唐沢俊一の名前は欲しいとこだろうし、今のうちにどんどんプロデュースはしておくべき。種は蒔くべきときに蒔いておくもの、なのだ。以前 伊藤くん に紹介した『鉱物マニア雑学ノート』は彼、どうしちゃったのか?

2000年 :: 04月 :: 06日(木曜日)

K氏としばらく話す。(略)三枝さんの話題、 伊藤くん の話題などでいろいろとディープな裏情報を聞く。

2000年 :: 04月 :: 14日(金曜日)

伊藤くん がほんやら堂掲示板で私の『B級学』を批判しているようだ。なんでも私がアカデミズムを目のカタキにするのが気に入らないらしい。それはかまわない。私もあえてアカデミズムに対して激語を飛ばしているわけだから、これに関してアカデミズム側から反論がくることは予想のうちである( 伊藤くん やほんやら堂はただのアカデミズムオタクであって、関係者ではないけどね)。しかし、マンガが大衆文化などではない、という 伊藤くん の論は、ナスは野菜でない、と強弁するようなもので、もし、それが証明できるのであればこれはこれまでの常識をくつがえす画期的な論となるはずだ。是非、そこをしっかり語ってほしい。なにしろ、当のアカデミズムが、マンガを大衆に根差したロウカルチャーであり、ハイカルチャーと対比することを前提として(ジャクリーヌ・ベルント等の著作を参照)、その距離が近いか遠いかということでカンカンガクガクやっている現状なのだから。椹木野衣によれば、純粋美術系の一部アーティストがプロレタリア芸術としてマンガという表現法を選択し、そこにおいて未来派からダダイズムに至るまでの方法論がマンガの中になだれこんだ、ということだが(私はその移行の段階でキッチュ化が発生した、と見るのだがこれは余談)その説をとる彼にして、マンガ=芸術論を自明のこととして語るのは「欺瞞的」と吐き捨てているのである。

 実は 伊藤くん からのB級学批判には秘かに期待していたところがあった。私のB級学はその性質上、戦後の貸本・赤本時代を現代のマンガ文化の起点とし、商業原理にのっとったキッチュ文化としての発展の面をマンガの本質とした視線から語られている。しかしながら、私自身本の中でも言っていることなのだが、マンガには確かにもうひとつ、そのアナーキーさがアートとしての前衛の部分に抵触している面があり、この二者はマンガを語る際の車軸の両輪として機能していかなくてはならない。ところが、アカデミズムが現在“スリ寄って”いるのはマンガの大衆芸術としての側面ばかりであって、心理学、哲学、フェミニズム、アートなどの各分野がマンガのヒサシを借りて己れの専門をその中で開陳しよう、というさもしい根性でしかない。その証拠に、現在のアカデミズム内部で、マンガそのものを研究している者がどれほどいるか。先に挙げた各分野の専門家が、“素材として”マンガを利用している例ばかりではないか。専門的に現代マンガを研究しようとした大塚英志は学外に出なければならなかったのであり、学生集めのために最近雨後のタケノコのように出来ている各大学のマンガ講座は、そのほとんどが呉智英から鶴岡法斎にいたるまでの、外部の講師をひっぱって来ざるを得ないでいるのだ。この状況下で、純粋に表現芸術学としての現代マンガの流れを 伊藤くん が語ったならば、それはおそらく日本でも数少ないアカデミックな正統マンガ論として成立する(そのようなアカデミズムであれば私は素直に頭を下げて聴講に行きたいと思う)と考えていたのである。

 さりながら、ほんやら堂掲示板とか『広告』などでなされた 伊藤くん のB級学批判は、ただ大衆文化的マンガ論を感情的に排除するだけであり、論理性に欠けた誤読と視野狭窄の産物にしかなっていない。アカデミズムに取り上げられただけでマンガがダメになる、と私の言ってもいないことを“正確に”引用しているようだが、その批判として語られている“おカミやアカデミズムに触れられたくらいでエネルギーを失うような作り手は、所詮、それまでのもの”が正論であるならば、大衆文化と定義されたくらいのことで低次のものにとどまってしまうような作り手はしょせんそれまでのものであろう。そもそも、大衆文化としてマンガを見ることがマンガを低く位置づ けること、などという決めつけは、それ自体、鼻持ちならない高慢な差別的思考であり、およそ大衆文化のルーティン性に“現代”を見出したポップ・アートのファンを自称する身にも似合わないと思うがどうだろうか。

 ほんやら堂のような人によくある特長だが、時代の先端にあるものにこだわっている人というのは案外、時代そのものを見渡す目を失っているようだ。大衆文化とアカデミズム批評との関連、という設問の答に平野啓一郎を持ち出す(平野の小説はどう考えても大衆文化を指向したものじゃなかんべえ)ようなトンチンカンだから何をか言わんやである。 伊藤くん
「1950年代からのマンガ論、マンガ評論のリスト中にマンガを非難したものが見あたらないから、マンガはアカデミズムから批判されてない」
 という意見など、まさにその“時代を見る目”の喪失を如実に表しているものだろう(見あたらない、というのがそもそも不思議で、教育学などの立場からマンガを難じた論文などいくらもあるのだが)。例えば60年代当時の児童文学者たちの言論記録などに目を通してみよう、というような目配りの発想がない。いや、現代マンガの代名詞的存在である手塚治虫が繰り返し々々、自分が識者からいじめられてきた経験を語っている、ということを、私はちゃんと自著の中に述べているのに、それを敢えて無視しているのは、彼の論の目的がマンガ大衆文化論を排するのではなく、唐沢俊一という個人を排することであるからだろう。こういう私的心情に目を曇らせている者に、冷静な批評などを求めても無理なのかもしれない。

 さて 伊藤くん 、批判や論駁を私は歓迎する。ただ、論には論で対抗してきてくれることがやはり望ましい。アカデミズムによって批評されることにより、よりよいマンガ状況がもたらされると言うならば、それはどのような状況であるのか。高い位置に置かれるマンガ文化とはそもそもどのようなカタチをとるものであるのか。それを君は具体的に示すことが出来るのか。大衆という用語を不可視な定義できない不安定な用語と決めつけているようだが、それではオルテガから始まる大衆社会研究における大衆の定義というのは否定されているのか。言葉尻をとらえた部分的批判でなしに、まず、君の想定するマンガとアカデミズムの親密な関係上におけるマンガ論を、ある程度まとまった形で発表するところからでないと、真摯な批評とは言えないのではないだろうか。かつて君の弟弟子だった男は、すでにマンガ論の著作を完成させ(その質がすぐれたものであるかどうかはまだ読んでないので保留するとして)、私とほぼ同じ論点の大衆文化理論で、アカデミズムの牙城の一角たる早稲田で講師になっているのである。ほんやら堂なんかでブイブイ言わせているうちに君、早い話、差をつけられてしまっているんだよ。

 ・・・・・・以上、“いつも唐沢は 伊藤剛 に対しアテコスリのようなことばかり書いている”と思われてもなんなので、珍しく正面から反論してみました。まあ、原稿書きのノルマを果たしたあとの筆休め。

2000年 :: 05月 :: 01日(月曜日)

1時、鶴岡来宅。先日のサイン会見舞いの礼。昼飯食いに出て、神山町で定食。そのあと喫茶店に入り、四方山ばなし。彼の取巻きのキチガイたちの話が面白い。こういうショッカーの怪人みたいな連中を率いて暴れまくっていればそのうち文壇を征服できるかもしれない。ただし、ファングループの中で小成する危険性はある。
「三年くらい前、岡田さんが“いま、サブカルの若手ライターで売り出しているのが鶴岡、オーピン、 伊藤くん で、一番先に消えそうなのが鶴岡”と言ってたのが発奮材 料になりましたよ」
 と言う。少しゃオトナになったか。『マンガロン』出して仕事、かなりやりやすくなったとのこと。モノカキの中には雑誌仕事だけやっていた方が効率がいい、単行本は時間ばかり食って金にならない、という説の連中もいるが、やはり一般的信用を得ようとするなら、単行本をコンスタントに出しているいないは雲泥の差。早い話が、大学の講師になるための資格は論文を書いたことがあるかどうか、なのだが、学外の人間の場合は著作をもってそれに代えられる、という規定がある。『ガラクタ解放戦線』などというフザケた著書であっても、それがあったればこそ彼は早稲田の講師に なれたのである。

2000年 :: 05月 :: 02日(火曜日)

永山薫氏の日記が更新され、以前私の日記で情報願いを出しておいた『美童記』についてのことが(はっきり唐沢の名は出さないものの)記されている。永山氏と私は業界情報に詳しい人ならご案内の通りケンカ状態にあるのだが、そんな相手のためにでも自分の知っている情報はちゃんと提供するというあたり、この世代の人は律儀であるなあと素直に感心。いや、実は私の方でも最初に書名を聞いたとき、これっきゃないよなあ、と思っていたものの、探索願いに“歴史書”とあったので、そっちの方を探していたのです。で、永山氏の書き込み見て、やっぱこれかな、と探索依頼者の女性ライターの電話に、“あれって、ひょっとしてマンガ?”と聞いたら、“あ、そうですそうです”と言うではないか。先にマンガと何故言わない。と、言うわけでピンポンでした。私の書庫ちゅうにもある筈だがタダ仕事でそこまでしてやる義務はない(ここらへん、私の世代の怠惰さだな)ので、早稲田のマンガ図書館を紹介してやる。とまれ、これで肩の荷が降りた。重ねて永山薫氏には感謝いたします。

 永山氏との争いの件については、最初に氏から苦情が来た、氏の文章からの引用の不正確さに関してはその非を私の方でも認め、すでに謝罪済みである。そのあと、氏が謝罪を要求してきた“一派”という用語の使用について(文中、 伊藤剛 くんを“永山一派”と表記した)は、私の文章用法の中においても辞書的な意味においても何ら侮蔑的意味合いを有する言辞ではないこと、私が 伊藤くん を現在永山氏の周辺グループに所属している者と認識していること自体は(いかに永山氏の認識と異なることがあろうとも)事実であること、表現法の幅については書き手の個性に委ねられるべきものであり、それが明らかな社会的不適当さを有する単語でない限り、他者の意思によって制限をそこに加えることは表現の自由を犯す行為であること、ましてや、その内容に対する永山氏の個人的不快表明を、直接私に対してのメールなり手紙なりでなく、発表媒体雑誌の誌面を使って行うなどということを一旦認めたら、雑誌における批評行為というものが成り立たなくなる(その規制事実をタテに、不快の表明を為にして執筆要求を行う輩が出てきた場合、雑誌作りが不可能になる)こと、そしてなに より、こちらからの個人的謝罪・事情説明などを一切拒否し、氏の反論に誌面を提供する以外の方法を認めない、という強硬主張が出版業界の常識を無視したものであること等にかんがみ、弁護士を通した以外の苦情は受け付けない、と言う状態に現在立 ちいっている。

 永山氏のこの態度と、編集部に繰り返し長時間の電話をかけてくるなどの表明法をいまだに私は非常識なものと考えて腹を立てていることは事実である。ただし、それはそれとして、永山氏の業績を認めていることも事実だし(なにしろ『Billy』のころからの読者だ)、私とは方法論が違うにせよ、表現の自由に対し永山氏が行っている意思表明行動の勇気には率直に尊敬の念を抱くものだ。上記の件以外(まあこれだけで十分だろうけど)で永山氏には何ら含むところはないことを、ことのついでに記しておく。

2000年 :: 05月 :: 05日(金曜日)

ネット回ろうとすると、ほんやら堂掲示板がサービス停止となっている。せっかく 伊藤くん の大衆論が聞けるかと思ったのに、どうした ことか。

2000年 :: 06月 :: 03日(土曜日)

鶴岡から電話。昨夜のロフトプラスワンのこと。大層な入りで、彼の個人スタッフのG氏と、ロフトの加藤くんが、“なにしろ彼のイベント、客が5人てときから見てますからねえ”“とうとうここまで来たんですねえ”としみじみ話をしていたというのに苦笑して“まるで俺がロフトどまりの男みたいじゃないですか” と言う。私は、今後も5人の会があってもいいと思う。要は、ファンが、話を聞きたくなったときにいつでも聞ける場を確保しておくことだ。タニグチリウイチの裏日本工業新聞にそのレポートが速攻で載っている。壇上で彼が 伊藤剛 系の悪口を言ったことをボカして書いていて(私の悪口言ったことはちゃんと書いてあるので不公平なのだが)、それを子供っぽいと思っているようだが、世の中のエッジというものは対立構造の中で最もシャープになる。と、いうより、対立しあわないもの同士の関係というのは見えてこないのが一般なのだ。タニグチ氏のようなカルチャーマニアならともかく、世間一般の人の目をマンガ評論などという、さしてニーズを求められていないものに向けるには、まず派手にケンカしてみせる、というのがひとつの手なのである。異なった立場の評論同士が、“クロスしなくても良いから並列される形で参照できる(『裏日本工業新聞』より)”ような環境というのは、一見理想的に見えて、実は評論業界を腐敗させやすくする。ヌカミソは時々かきまぜてやらねばならないのだよ。

2000年 :: 06月 :: 05日(月曜日)

K子から出版業界のヤバ話聞いてエキセンな笑い。石マニア流水凛子先生とミネラルフェアに行ってきて、 伊藤くん らしき人物を見かけたとか。

2000年 :: 07月 :: 22日(土曜日)

就寝前、ネットのぞき。ほんやら堂掲示板で 伊藤くん が私の名前に過剰反応(笑)。しかし、この発言がなければ私も本当に樋口氏の発言に(喜んで、だが)過剰反応していたかも知れず。一日待てないかなあ、この馬鹿くんは。

2000年 :: 08月 :: 12日(土曜日)コミケ

哭きの竜さんから 伊藤くん 本をいただく。表紙が傑作。最後の竜さんと 伊藤くん のメールのやりとりはまさに 伊藤くんエッセンス というものがぎっしりつまっていて、その、あの、なんというか(笑)、圧巻。竜さん、これを100部刷って刷りすぎではないかと案じていたが、みんなで“いや、これは300刷っても売れるよ!”とはげます。

伊藤くん 本、私のやおい本などはドリフトのところにも委託して、私がサインしやすいようにする。岡田斗司夫、哭きの竜さんに 伊藤くん本 をプレゼントされ、“イタくて俺、読めないよ” と言う。

2000年 :: 08月 :: 22日(火曜日)

全然チェックしてなかったが、永山薫氏が自分の日記で、哭きの竜さんの 伊藤くん 本における、自分の表現について大激怒しているという。“一匹狼”という呼称がいけなかったらしい。前に私に“一派”と言われて激怒して、今度は “一匹狼”で激怒するところを見ると、どうも“一”という数字がキライなんじゃないか、と思う。今度誰か、篠原一とか朝倉世界一とか一発貫太くんとかの話を氏の前でして試してみてはどうか。

2000年 :: 09月 :: 20日(水曜日)

哭きの竜さんから丁重なメール。コミケの 伊藤くん 本は本人からの抗議により、廃刊処分にしたとのこと。執筆者の皆様にはご迷惑を、ということだが私は別にかまわない。かなり激越な抗議だったようで、お気の毒とは思うが、様子を想うと苦笑。それにしてもまた、ずいぶん刊行からタイムラグのある抗議ではある。

2000年 :: 10月 :: 29日(日曜日)

BWP、哭きの竜さんの書き込みを読む。 伊藤剛 に怒鳴って怒鳴って怒鳴られた、とのこと。例の 『伊藤さんの物語』 の件で、である。要は彼のスタンスが唐沢寄りであったということが 伊藤氏 のカンにさわり、それを取材段階で竜氏が 伊藤氏 に告げていなかったのが問題、ということだろう。・・・・・・だが、私が(私はこの同人誌作成に依頼されて原稿を書いただけであり、一切タッチしていない)現物を見た限り、この同人誌のほとんどは、竜氏がそれ以前にBWPウェブで報告していた内容と(コメントも)ほぼ同じで、新しい見解などしめしていない。竜氏が同人誌を作る、という段階で、 伊藤氏 も彼の基本スタンスは知っていた筈だ。それを 伊藤氏 が確認して、竜氏 が“いや、この本は伊藤サイドの見解で作ります”と言っていたのなら話は別だが、そうでなければ、単なる自分の状況判断の甘さ以外の何物でもないではないか。何にせよ、部数一○○部の同人誌のことで、相手を怒鳴って怒鳴って怒鳴りまくる(まくれる)というその精神構造が、私には理解できない。彼の行動理念はすでにスミスやシンジくんからはるかへだたってしまった。こういう人物を一時とは言え身内扱いしていた自分の不明を恥じるばかりだ。竜氏の書き込みを見ると、ギリギリのところで踏みとどまっているとはいえ、かなりヤバそうな精神状態のように思える。それについて、私と竜氏の関係の度合から言って、これ以上踏み込むのは越権だろうが、すでに裁判によって和解という結果が出た件における第三者の感想に対し、ここまで 伊藤氏 が暴力的にその意見を封じようとするなら(これまでは氏が何を言おうとそれは氏の自由、と思っていたが)、そろそろ当事者の私が、私なりの見地から取材・総括した、『伊藤さんの物語』を発表しなければなるまい、と思う。

2000年 :: 11月 :: 11日(土曜日)

上記以外のメンバーも、裏々パティオのメンツが揃って、一行知識掲示板など、最近の話題で盛り上がる。某作家さんのことでシャレにならない情報も入る。ううむ。哭きの竜さんの件に関しては、ひえださんの最低教への 伊藤本 売り上げ喜捨、というカタチで、最後にキチンとシャレにしたのはよかった、とみんな、ひと安心。


2001年 :: 01月 :: 28日(日曜日)

ちと必要あってVAIOのことを調べていたら、ネットで“SONICFLOW楽しいコンテンツ大募集!”というサイトがあり、なんだかよく知らないがVAIO画面で流すCGアートのコンクールのようなことをやっていた。その入選作の中の「Earth Song」という作品の、CG制作者が 伊藤剛 、音楽の作曲が森卓也。同姓同名は珍しくないが、いきなりこの二つの名が並んで目に飛び込んでくるとビックリするですよ。


2001年 :: 03月 :: 02日(金曜日)

開店休業と言えば樋口ヒロユキ氏のほんやら堂掲示板、 伊藤氏 がいきなり沈黙して(させられて?)しまった後、その混乱の中心人物だった木棚という人と赤い稲妻という人が、なにか和気あいあいという感じでやりとりしているのがオカシイ。


2001年 :: 05月 :: 27日(日曜日)

會津八一記念館で『占領下の子ども文化<1945〜1949>展』最終日。こちらも、午前中にもかかわらず二十名近くの人が入っている。芳名帳をのぞいてみたら、小野耕世氏、會津信吾夫妻、赤田祐一氏などの名があった。
この展示については、 伊藤剛 氏がTINAMIXでかなり良質なレポートを行っているので、そちらを参照されたい。
(略)
ところで 伊藤氏 のレポートだが、展示の取材それ自体は良質なライター仕事として評価できるものの、この展示から得られる結論として“手塚治虫相対化”を挙げているのはちと早急に過ぎると思う。プランゲ文庫に納められているのは昭和20年から24年までの作品だが、手塚のデビューは昭和21年と検閲制度が始まってからのことであり、翌22年には『新宝島』で大ヒットをとばすとはいえ、いまだこの時期の手塚は大阪にとどまっている新進赤本作家という身分で、単行本の総数も3年で20册そこそこ、これは当時のマンガ家としては極めて少ない点数でしかない。この展示において手塚作品の比率が低いのは、赤本全盛時の出版点数から言っても当然のことなのだ。それを新見解と大仰に喧伝するのはマンガ史への不勉強というものだろう。

手塚治虫の存在を神格化せず、相対的に見よう、という提言そのものは決して見当違いのものではない。しかし、その考えを無闇にあらゆるところに当てはめると無理が生じる。真に手塚の相対化を必要とするのは、この後、手塚の影響を大きく受けて活躍しはじめるトキワ荘グループをはじめとする作家たちに、果して他の作家群からの影響はなかったのか、と視点を遡らせたときではないだろうか。


2001年 :: 07月 :: 10日(火曜日)

 最中にいろいろ電話。鶴岡から、仕事のことなどの煩悶いろいろ。彼も 伊藤くん などと同じく、今のライターに多い“世間がじゅうたん引いて迎えてくれる”幻想にまだとらわれている。


2001年 :: 08月 :: 01日(水曜日)

他にもちょっとネット散策。永山薫氏のサイト、 伊藤剛 くんのサイトは一年近く開店休業状態、東浩紀氏のML討論も中途半端に放り出されたまま、竹熊健太郎氏の奥さんのサイトもいろいろ噂を残して行方不明になり、大塚幸代さんの掲示板は“?”な状態。往時茫々、全て夢の如し。


2001年 :: 10月 :: 05日(金曜日)

電話、鶴岡から。芸論になる。世の中には足し算芸と引き算芸があり、引き算芸には引き算芸の売り方がある、というような話をする。足し算芸と引き算芸の人間が互いにその違いをわきまえずカミあおうとすると互いのいいところを打ち消し合って悲惨なことになるという話。足し算芸の中にも、ひっきりなしにゼロばかり足しているやつも多いねえ、と笑う。あと、 伊藤剛 くんのTINAMIXに載っていた写真の服装センスが昔と変わっていなくて懐かしかった、というような話。


2001年 :: 10月 :: 25日(木曜日)

電話、鶴岡から。早稲田の講義でのレポート提出率が無闇にいい話、山咲トオルがやたらにテレビに出ているという話など。そう言えば山咲くんと 伊藤剛 くんと、昔、三人で酒を飲んだことがあったな。まだ 伊藤くん がマンガ家デビューを目指していた時分で、いろいろと考えて考えすぎてなかなかデビュー出来ないでいる 伊藤くん と、なぁんにも考えないで自分の好きなものを描きなぐって持ち込んで即デビューしてしまった山咲くんの、話のカミ合わなさが非常に面白い席だった。 伊藤くん があそこで何かを学んでくれればよかったんだが。


2001年 :: 12月 :: 26日(水曜日)

小谷真理×山形浩生裁判の判決で、インターネットのホームページに謝罪文を掲載せよ、との、どこかで聞いたような判決。ネットの記事によると、“ネットでの謝罪文掲載を認めた判決は初めてとみられる”とのことで、私や岡田斗司夫の立場、 伊藤くん の立場はどこに、という感じだが、こちらは和解、向こうは判決という違いか。正直なところ、裁判というシステムはその問題に対する社会的興味を失わせてしまう(日本においては)ものであり、これが賢い選択であったとは思えない。他にすることもいろいろあるだろうに、という感じ。


2002年 :: 03月 :: 01日(金曜日)

 ネット某所で『コミックファン』新刊の、 伊藤剛 氏の文章がちょっと話題になっていた。彼はその中で、マンガのキャラクターは記号化された表現である故に痛みなどの身体感覚を直接読者に伝えることが出来ない、と論じている。そして、それを限界とする大塚英志の論に対し、
「身体感覚と感情移入の乖離。実はこれこそが、まんが表現の特性なのではないのだろうか」
 と、むしろその記号表現故の強みに筆を及ぼしている。この着眼点自体は私が『B級学』で論じていることとほぼ同じであるが、しかし、私がそれをマンガ家の技術の拙劣さが生んだ(半ば僥倖的)効果、としているのに対し、 伊藤氏 はそれを“まんが表現の特性”と、より踏み込んだ解釈をしている。そのどちらが正しいのか、ここではその検証は控えるが、気になったのは、 伊藤氏 がやや軽々に“特性”という言葉を用いていることだ。果して、身体の記号化はマンガ表現独自のものなのだろうか。 伊藤氏 はこの記号化の代表に手塚治虫を例にとる大塚英志氏の文章をひいて、そこに異義を差し挟むことなく、そのような表現を手塚のオリジナル(もしくは手塚を右総代とするマンガ独自の手法)としているが、キャラクターを記号的に描くことにより、身体感覚を欠損させ、その結果の表現をギャグに結び付ける手法は、マンガ(少なくとも手塚マンガ)より早くに、キーストン・コップスに代表される喜劇映画がすでに確立させていた手法ではないのか。チャップリンの衣装、キートンの無表情等は、いずれも生身の身体を記号化させる工夫である。大塚氏が例に引いている、高い崖から落っこちたキャラクターが地面にめり込んでも、次のシーンでは手や頭に包帯を巻いた姿で登場する程度ですみ、しかもその数コマ後ではすでにその形跡もとどめぬ無傷な姿になっている、という表現は、手塚治虫がその成長期に親しんだニコニコ大会などでの、スラップスティック喜劇から自作の中に取り入れたことは明らかと思える。さらにさかのぼって、痛みや悲しみといった感覚とキャラクターを乖離させ、痛みを伴う暴力描写を笑いとして描くという伝統は、多くの大衆演劇、そしてパンチ&ジュディの人形劇などにまでその源流を求めていかねばなるまい。少なくとも、キャラクターの記号化をマンガのみに可能だった特性、という言い切りは粗略の指摘をまぬがれ得ないものである。

  伊藤氏 や東浩紀氏の論考を読むたびに感じるじれったさは、彼らがマンガやオタクを語るとき、あまりにも視野を狭くとり、マンガやオタク文化が綿々と連続している大衆文化とその受容の形の、一バリエーションであるという認識に欠けることと、それら大衆文化に関する知識や造詣にあまりに乏しいことである。それだから、他の分野からの明確な影響であるものを特性と言い切り、過大(もしくは過小)評価してしまうような軽率な発言を往々にしてやらかすのである。彼らがそれに気がつかないのは、(『動物化するポストモダン』の批評でも見られた傾向だが)評価する側にもその知識が乏しい者がほとんどで、あきらかな彼らの誤謬を指摘できないという現状のなさけなさの現れに過ぎない。その方面に詳しい誰かが、一度お灸を据えてやらない限り、彼らはこのままだと(オタクアミーゴス会議室で先日誰かが指摘したように)本当の裸の王様になり果ててしまわないだろうか。それを懸念するのである。


2002年 :: 05月 :: 05日(日曜日)

ネット巡回、ひさびさにTINAMIXをのぞいてみたら秋まで休刊とあり。コミックファン休刊と合わせ、これで 伊藤くん の文章を読める場がまたなくなった。


2002年 :: 05月 :: 06日(月曜日)

あとは結尾を残すのみというところで一休みしていたら鶴岡から電話。テレビの仕事の話。またまた雑談。最近、吉田豪、大塚ギチとよく名前が並べられるが、いまいち実感がわかない様子。一番近くにいて競わなくてはいけないはずの 伊藤剛 が出てこないので、あぐねている感じもある。昨日の私の日記を見てかなり感ずるところはあった由。人気を取れる仕事と認められる仕事の違いなどを話す。たとえて言えば寄席では“小話その一、小話その二”でウケがとれるが、それでは独演会は開けない。


2002年 :: 05月 :: 13日(月曜日)

終わってしばらく雑談。押井守ばなしなど。岡田さんはOTCの井戸さんにオタアミのCDを作らないかと持ちかけているが、どんどん話が膨れ上がっていって、オタアミで映画を撮ろう、という話になる。岡田“プロデューサーは町山智浩でどうか、「借金は映画で返します」って”私“大神源太じゃあるまいし”。あとやはり盛り上がるのは 伊藤くん ばなし、オオツカユキヨさんばなしなど。そう言えば凄まじく久しぶりにのぞいたオオツカさんの掲示板での“オタク系の方は、自分でなんとかする前に、学校とか警察とか裁判とか、権力に頼る速度がはやいかも”発言。やはりあれで実感したのかね。


2002年 :: 07月 :: 12日(金曜日)

明日のSF大会に持っていくビデオ類をグチャグチャになっているビデオ棚から探し出す。目的のものは大体揃えたが、それと一緒に、非情にアブない集団がらみの、笑えるがアブないビデオも出てくる。当然というかなんというか、アブないものコレクターである奥平広康くんからもらったものである。見てそのアブなさに笑うと共に彼の消息が大変気になる。昔、飲み会の帰りに奥平くんと一緒のタクシーに乗った 伊藤剛 くんが、奥平くんのコレクターとしての根性の座り方に大感動し、後で
「もしボクが女性だったら、そのまま奥平くんの家に入り込んで彼に抱かれて、翌日から押し掛け女房になって、“いいのよ、あなたは自分の好きなことだけやってて。生活の面倒は私が全部みるから”と言ったと思います」
 とまで報告してきたものである。そういう、女ごころ(?)を痺れさす魅力も持っていた人物だったと思う(と、思い出モードなのは縁起悪いな)。


2002年 :: 09月 :: 11日(水曜日)

8時、家を出て、渋谷駅前、マークシティ内『銀座ライオン』。オタキング番頭・柳瀬直裕くん退社祝いの会。K子ももう来ていた。奥の正面に座った柳瀬くんの回りには、きれいどころがズラリ。岡田さん曰く“今日のために、ずっと昔に担当切れている編集者とか、いろいろ集めたんですよ”と。柳瀬くん自作という、オタキング十年の歩みという印刷物が配られる。大塚英志電話事件とか、 伊藤くん 裁判とか、いろ いろあった。どれもみな懐かしい。

世の中という大きな器を急激に変化させようとしても無理なので、自分の好きなことを、周囲の目を気にせず、自分の価値観に忠実に仕事していけば、自ずと世間の方で、自分の席を空けてくれるようになるものだ。 伊藤くん もそうだったし、東浩紀さんもそうだが、頭のいい若い人はとかく性急に世の中を変えようとして、人が言うことを聞いてくれないことにイラだちを感じて暴走しがちになる。も少しのんびりとやっているうちにモノゴトの本質は見えてくるよ、くらい な説教をしたんだったと思う。

日記 :: 2003年 :: 01月 :: 04日(土曜日)

帰京後の出版の梗概などをワープロでメモする。私はいまだにモバイルのパソコンを持っておらず(この実家では母のパソコンを使ってネットを覗いている)、通信には書院のモバイルを利用していて、これでメールのやりとりをしている。保存文書を見てみると、例の伊藤(バカ)裁判関係の頃のやりとりや、江下雅之がらみで塚原尚人から来たメールなどという文書が大量に保存されていた。懐かしくていろいろと読む。 伊藤くん がFコメの佐藤WAYAさんに出した、やたら居丈高な文体のメールなどに大笑いしてしまった。昼飯は元旦のあまりのビーフシチューをこれまたあまりのご飯にかけて、簡便ハヤシライス。


2003年 :: 01月 :: 15日(水曜日)

紀伊國屋から注文しておいた『網状言論F改』(東浩紀編、青土社)が届いたので読む。思いきり冒頭、本文が始まった最初の7頁に、
「男性も女性もほぼ同数のオタクがいると思われるが、女性のオタクはときに“やおい”と別の名前で呼ばれている」
 という文章があり、その先を読む気が萎える。……カン違いしないで欲しいが、私は東浩紀氏とかの本を読むとき、基本的に“好意的”に読もう、という姿勢をとっている。そうでないと、そもそも今の私に必要のある本ではない類のものなので、読む気が起きない。どうせ読むからには好意を持って、私の文筆活動の肥やしにしたいと思うので、褒めようと褒めようと思って読むのだが、何故か東氏は私にその著書をどうしても褒めさせてくれない。

しかし、呆れたことに東氏はこの本の著者たちの中ではまだ、マシな方である。彼はまだ、真摯にオタク問題に正面から取り組もうという意志を見せていたが、他の参加メンバーがひどい。斎藤環氏は精神分析、小谷真理氏はジェンダーといった自分の土俵でオタクを語ることに固執するばかりで、一般的なオタクについての、普通の読者の興味に立脚した議論は皆無と言っていい。 伊藤剛氏 に至っては完全な個人的ルサンチマンを一般論に敷衍しようとして闇雲に毒づいているだけである。“一般読者に届くような問題意識を持って”オタクを語ると東氏が前書きで言っているが、この本での討論者と問題意識を共有している一般人、いやオタクたちというのも、果たしてどれだけいるのだろうか? という点におき、首を大きく傾げざるを得ない。


2003年 :: 02月 :: 05日(水曜日)

などと考えていたら永瀬さんから電話。と学会1・5次会場確保しました、との連絡。ご母堂の看病で大変だろうに大幹部にこういう仕事を押しつけて申し訳ない。と学会は多士済々、論客はいくらもいるが、雑務仕事をするテカ(“手下”の意。兵隊とも言う)がいないところが欠点である。若い会員もたまに入ってくるのだが、 伊藤くん もそうだったし鶴岡もしかりで、最初から大物顔をして少しも新人らしい雑用をしようとせぬ。まあ、気働きが出来る人材ではどちらもなかったと思うが。あと、河出本の原稿の方針について、かなり具体的な話をしばらく。方向付けの大体のところが決まる。納得がいって永瀬氏も喜んでいた。編・監修らしい仕事をやったわけ。


2003年 :: 02月 :: 17日(月曜日)

本当はもう一冊、 伊藤剛くん の『鉱物マニア雑学ノート』の企画もプッシュして通したのだが、何故か彼が執筆しないまま流れてしまった。惜しいと思う


2003年 :: 02月 :: 28日(金曜日)

藤井くんに、“仕事場の片づけを手伝ってくれない?”と言って、K子に“マンガ家にそんなこと言っては失礼だ”と怒られた。考えてみればそうである。長年モノカキをやっている者の部屋の資料棚とかを片付けるのは、若いライターとかには資料収集や仕事場環境整備などの勉強になることで、役に立つ。芝崎くんや 伊藤剛くん などは、自分から、そういう場合は是非呼んでくださいと言ってきた。つい、そのデンで藤井くんにも気軽に頼んでしまったのだが、彼は別にモノカキになるわけではないから、単なる労働力としかみなさなかったことになる。悪いことをしたと反省。


2003年 :: 04月 :: 11日(金曜日)

オタキング番頭・柳瀬直裕くん退社祝いの会。K子ももう来ていた。奥の正面に座った柳瀬くんの回りには、きれいどころがズラリ。岡田さん曰く“今日のために、ずっと昔に担当切れている編集者とか、いろいろ集めたんですよ”と。柳瀬くん自作という、オタキング十年の歩みという印刷物が配られる。大塚英志電話事件とか、 伊藤くん 裁判とか、いろ いろあった。どれもみな懐かしい。

世の中という大きな器を急激に変化させようとしても無理なので、自分の好きなことを、周囲の目を気にせず、自分の価値観に忠実に仕事していけば、自ずと世間の方で、自分の席を空けてくれるようになるものだ。 伊藤くん もそうだったし、東浩紀さんもそうだが、頭のいい若い人はとかく性急に世の中を変えようとして、人が言うことを聞いてくれないことにイラだちを感じて暴走しがちになる。も少しのんびりとやっているうちにモノゴトの本質は見えてくるよ、くらい な説教をしたんだったと思う。


2003年 :: 12月 :: 30日(火曜日)

と学会の台車(これは他の荷物と一緒に宅配で送ってある)が集配所にあったのを、芝崎くんが機転をきかせて借りてきてくれた。実に役に立つ人である。思えば5年くらい前に鶴岡法斎、 伊藤剛 のコンビを手伝いにつれていったことがあったが、興奮してただあたりをうろつき回っていただけの鶴岡、会場に入るや否やさっさと自分の興味のあるブースの方を見に走っていってしまった伊藤と、あれほどものの役に立たぬ手伝いもなかったことであった。いかにもあの二人 らしいと言えばらしいが。
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。