トリビアの泉2

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  1. トリビアの泉1(2002年〜2003年)
  2. トリビアの泉2(2004年〜2007年)

2004年01月30日(金曜日)

5時半、家を出て新宿、埼京線で池袋。キオスクで東スポの見出しに大きく『「トリビアの泉」にやらせ発覚!』とあるので、それこそ“へぇ”と驚き、読んでみるが内容はいつもの東スポの法則(見出しが大きいものほど内容はゼロに近い)通り。というか、『ネッシー発見!』とかいう記事をかつて一面にした新聞がよくヒトサマのやらせを非難できるものだ、とその心臓に苦笑。

2004年04月10日(土曜日)

山田さん、若い女性を連れていて、次のビデオに出てもらう予定の泉さんという女優さんであるという。(略)脇でオタクの会話を聞いている泉さんに、私たち二人が笑いあったことを、いちいち交互に説明する。わかっていただろうか。それでも泉さん、“『トリビアの泉』が大好きで、そのスーパーバイザーの人がこうして目の前に座っているってだけで、何か信じられない気持ちです”と言う。うーむ、そんな女の子がいるってことが、私に は何か信じられない気持ちであるが。

2004年04月29日(木曜日)

と学会員で中国語の専門であるA先生から、昨日のトリビアの泉のネタについてツッコミあり。“中国にはにゃんにゃんという神様がいる”というトリビアであるが、中国語で“にゃん”は娘を意味する、という説明があった。正しくは娘(にゃん)は中国語で“お母さん、おっかさん”を意味し、それだから子供を授ける女神への親しみを込めた尊称になると。まことに尤も。スタッフにメールしようかと思ったが、これまでもそういう具申、ひとつも取り上げてくれたことがない番組だしなあ。あの番組のスーパーバイザーという肩書きは、“ネタ元”以上の意味を有 しないのである。

2004年05月13日(木曜日)

6時、時間割で二見書房Fくんと打ち合わせ、これも延び延びになっている『日本的ヒーロー論』の件。(略)『トリビアの泉』の話も出る。あの番組が最近ウスさも極まっているのは、視聴者の大部分(すでに7割以上?)が小学生だからである。小学生が、翌日の学校で自慢する番組、なのだ。したがって、“○○は……××である”の“○○は……”には、小学生に説明ナシでわかるものを入れねばならない。以前、と学会のメンバーにネタ出し協力をお願いしたことがあったが、まずほとんどのネタが濃すぎて使えないものであった。ゼロ戦を知らない、アインシュタインを知らない、『坊ちゃん』ですら読んだことがない、という連中相手に雑学番組を作れと言われているのである。自分が直接ネタを作る立場にいなくて本当によかったという感じですらある。

2004年06月02日(水曜日)

食べている最中『FRIDAY』Tくんから電話。トリビア系四コマ+エッセイの連載を6月半ばからここで始めるのであるが、そのプレで掲載したGWの『FRIDAYスペシャル』のページが、記事モノではアンケートトップだった由。本家トリビアはそろそろ下火っぽいが、まだこういう雑学系の記事は需要があるな、と実感する。そう言えば、はてなダイアリーのキーワードに入っている私の名前の肩書きが、最初は“雑学系のライター”だったのが、最近“カルト評論家”に訂正されたそうである。“雑学系のライター”の方が通りがいいと思うし、最近は確かにソッチ系の方での仕事の方が多いのだが。

2004年08月09日(月曜日)

電話一本、『トリビアの泉』に新たに配属されたスタッフから挨拶の電話。オープニングを今度作り直す件で、ちょっといろいろ打ち合わせ。

2004年09月09日(木曜日)

『トリビアの泉』、改変期で新担当決まり、挨拶メールが来る。ネタだし等、少しこれまでより深く関わらねばならぬ仕儀となりそう。とはいえこちらも忙しいので、なんとか向こうに働かせて楽をする方法を考える。

2004年09月19日(日曜日)

トリビアの 泉のスタッフから打ち合わせ日程についてまたメール。「とてもお忙しそうでいらっしゃいますね!」と。そうだよなあ、せめてあの単行本の印税の1パーセントでも貰えれば、こんな忙しくしなくても左団扇なのだが。

2004年09月22日(水曜日)

途中でおぐりゆかも合流。同人誌打ち合わせが終わったところで、引き続き『鈴木タイムラー』打ち合わせにかかる。コーナーの流れを説明、撮影日のこと、スタジオのこと、台本のこと、衣装のこと、プロフィールのこと、などについて。ギャラのことも。……しかし、土曜早朝番組のワンコーナーの出演でこんなに決めることがあるんだから、GTの番組のレギュラーなどが決まった際のメンドくささというのは言語に絶するんだろうな(トリビアは私はネタだし裏方なので楽なのだが)。とはいえ、たとえこんな時間帯のこんな小さなコーナーでも、“地上波でレギュラー持ったことがある”という経歴はあとで次の仕事のプロフィールに書くとき、なかなか威力を発揮する。

2005年01月01日

オープニングの言葉がアシモフからアリストテレスに変更
「全ての人間は生まれながらにして知ることを欲する」

2005年01月13日(木曜日)

雑談、講談社が私にトリビアの泉本の印税を一円も払っていないと聞いて、担当氏驚いていた。

2005年01月19日

トリビアの泉内で「ガセビアの沼」コーナー始まる

2005年05月18日(水曜日)

差し向かえは黒塗りのハイヤー。『トリビアの泉』は、打ち合わせにいくたびにタクシーこっちで拾っていく。『世界一受けたい授業』はタクシー差し向けてくれる。今回は特番の番宣役だけにハイヤー。

2005年05月20日(金曜日)

8時半、船山。明日K子たちが行くのだが、私は別件で行けないために、船山さんとの某企画の打ち合わせで。この店の常連さんという女性占い師さんに引き合わせら れる。彼女、中学生相手の塾講師もやっているのだが、「生徒の間で『トリビアの泉』の視聴率は100パーセントです」という。「教師の自己評価にはいいですよ。生徒が机の右端を叩く数を数えれば、今日の自分 の授業がどれだけ理解されたかが一目瞭然ですから」とのこと。また、アメリカにこのあいだ行ったとき、彼女が何か言ったらアメリカ人たちが「ソレ、“75ヘェ”ネ」などというのに仰天したという。向こうでも浸透しているようだ。

2006年01月18日(水曜日)

フジテレビから入金。
『トリビアの泉』のバイザー料だが、額がちょっといつもと違う。あれ、と思ったら、アメリカ放映分のものだった。へえ、ちゃんと入るんだとちょっと感心。こないだ春菊との電話で、彼女がアメリカ行ってテレビをつけたらトリビアをやっていた、という話になって感心されたので、「でも、あれ、私には一文にもならないんだよね」と言っていたが、これは訂正せねばなるまい。もっともまあ、かわいそうになるくらい微々たる額ではありますがね。

2006年03月30日(木曜日)

本日をもってニフティのパソコン通信サービスが終了。ホントウにわれわれの世代は何かが最初に立ち上がり市民権を得ていく勃興期と、それが次第に過去のものになり役割を終え消えていく終末期の二つを生きながらにたくさん見るものである。
なによりも、そのエフコメにおいて“あなたの一行知識募集”という企画をやらなかったら、たぶん『トンデモ一行知識の世界』も生まれず、したがって『トリビアの泉』にも関わらなかった(そもそも、この番組が生まれたかどうか)だろうことを思うと、ニフティの方に足を向けては寝られないかもしれない。今、重度のmixi中毒であるのも、システムがパソ通に似ている、ということが大きな魅力だからである。お世話になりました、という言葉が別れには一番ふさわしいだろう。

私も他の誰の席にも挨拶にはいかなかったが田中さんには挨拶。
「私、『クイズヘキサゴン』のナレーションやってて、スタッフが“同じような雑学番組なのに、トリビアになるととたんにグンと数字があがるんだよな”とくやしがってました」
と言う。

2006年06月09日(金曜日)

3時、時間割。東京スポーツM氏。
インタビューコラムであるが、もっと身近な、例えば芝居に出る話であるとか、パソコンの壊れた話とかをしようと思っていたのだが、「どうですか、トリビアブームなどで今後のお仕事は」と訊かれるのでつい、07年の団塊の世代引退問題とか、レトロブームの意義とか、お固い話になってしまう。1時間ほどで。面白い記事になるかなあ。

2006年07月28日(金曜日)

陳平さんの前に座らせられたjyamaさん、Tくんがカタマっているので、そっちに移動し、自己紹介のつもりで「小野栄一の甥でございまして」と言うが「だから何?」と言われる。脇にいたお客さんが「『トリビアの泉』のスーパーバイザーですよ」と紹介してくれた。そしたら「そりゃ凄い。小野栄一の甥なんて自己紹介よりよっぽどバリューがあるじゃない
と急に態度が変わった。

2006年09月27日

ゴールデン「トリビアの泉」レギュラー終了

2006年12月03日(日曜日)

侑生子ちゃんは京都の梵鐘の鋳造師の家の娘さんだそうで、なんと、『トリビアの泉』の最終回の鐘のトリビアは、彼女の家に取材が入ったそうである。京都造形大の院生でもあるそうで、ひとついま、温めている企画が形をなしたら、ぜひ、と言っておく。

2007年02月13日(火曜日)

『トリビアの泉』で捏造疑惑で笑う。弁護するわけじゃないがこの程度の演出で捏造と騒がれていてはテレビのバラエティを毎週々々放映することなど出来はしなくなる。イギリスのドキュメンタリー番組など、インタビューする相手が素人で話がうまく出来ない場合は、役者を雇ってその人の代わりをさせる。映像なんてものは、所詮、カメラを回してそれを再生する段階で真実とは全く違ったものになってくるのである。以前、ドキュメント映画で賞をとった映画監督に「いいドキュメントを撮る秘訣は?」と質問したことがあったが、即答で「演出すること。いい絵が偶然に撮れるのを待っていたら100年たっても映画が完成しない」と返ってきたことがあった。第一、あの番組はもっとすご(以下略)。

※日記内には多くの「トリビア」という言葉が搭乗しますが、フジテレビの番組とは直接関係ない物は排除させて頂きました。










最終更新:2010年02月26日 16:56
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