とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

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星に願いを



 七月七日は七夕である。
 天の川に分かたれて出会えなくなった織姫星と牽牛星が一年に一度だけ巡り会う、というのが七夕の骨子だが、元となった織姫と彦星が恋人同士ではなく夫婦と言う事を知らない人は意外と多い。
 そもそも本来の七夕は旧暦の立秋に相当し、七夕とはズバリ秋の季語だ。
 ゆえに、梅雨の時期である七月七日に七夕祭りを行っても、天の川はおろか星さえ見えないのは当然と言えよう。
 などと、どうでもいい豆知識をコンビニで立ち読みした雑誌で仕入れた御坂美琴は、彦星ならぬ『ツンツン頭のあの馬鹿』を探して街をさまよっていた。
 その途中でお呼びでない彦星、と言うか美琴に絡んできた不良(スキルアウト)を二、三人返り討ちにはしたが、
「……どいつもこいつもなーんか物足りないのよね。あの馬鹿みたいにヘンテコな一発芸とか持ってない訳?」
 お嬢様が呟くにしては恐ろしすぎる感想を漏らす美琴。
 無理もない。
 学園都市では能力こそが強さを決める絶対条件だ。
 美琴は七人しかいない超能力者(レベル5)の第三位で『超電磁砲(レールガン)』という通り名を持っている。群れて粋がる不良達では美琴に一矢報いるどころかかすり傷一つつけられない。
 下克上を目論む能力者達に格の違いをきっちり教えてやるのが超能力者の務めと嘯いてみても、ちょっかいを出してくる身の程知らずを毎度毎度雷撃の槍で追い払うのは正直面倒だった。
 これだけ探してもあの馬鹿は見つからないし今日はもう帰ろうかなぁと考えた所で、

 美琴の前方を巨大な竹笹が歩いている。

「……は? 何よあれ」
 良く見ると、竹笹を担いだ誰かが歩いていた。
 どこか疲れたようなその歩調と、どこか頼りなさげなその後ろ姿に美琴は見覚えがあった。
 美琴は全速力で走って竹笹の前に回り込むと、
「ようやく見つけたわよ。アンタ、今すぐ私と勝負しなさい!」
「うっだー……今日もまたビリビリ中学生かよ。……不幸だ」
 ツンツン頭の少年は心底うんざりした顔でがっくりと肩を落とす。
 たぶん学校帰りなのだろう。少年はもう片方の手に薄っぺらい学生鞄をぶら下げていた。
 美琴はそんな事お構いなしに両手を振り回してぎゃあーっ! と吼えると、
「だから私はビリビリ中学生じゃないって言ってんでしょーがっ! そのムカつく減らず口を塞いでやるから」
「あのなビリビリ。俺が担いでいるものが何だか分かるか?」
 少年は美琴の言葉を遮り、うんざりしたような顔で美琴を見る。
 美琴は振り回していた両手を降ろすと、
「何って、竹笹でしょ。やけに大きいけど」
 少年が担いでいた竹笹は、美琴のルームメイト・白井黒子が部屋に飾ったものより数段大きい。商店街の店頭で飾っても十分なサイズだろう。
 何故それをツンツン頭の少年が担いでいるのか。
 美琴は自分のこめかみに人差し指の先をつけてうーん、と唸ると、
「まさかそれ、そこの商店街からアンタが盗んできたとか?」
「んな事するかっ! これはな、クラスの皆が不幸な上条さんにプレゼントしてくれた、友情の竹笹なんだよ。これに願いの短冊をぶら下げて祈るんだ。『幸せになれますように』ってな」
「かみ、じょう……?」
 美琴はツンツン頭の少年の名前を知らなかった。
 美琴は少年に自分の名前を教えた事もなかった。
 つまり二人には友達になろうという気持ちがなく、街で互いの姿を見かければ少年は問答無用で逃げ出し、美琴は少年をどこまでも追いかけるという間柄だった。
 美琴は口の中で『かみじょう。かみじょう、ね。ふーん』と新鮮な響きのする単語を何度も繰り返すと、
「で、アンタ。私と勝負するの? しないの?」
 両手を腰に当てる。
 少年はやれやれ、と言った表情で、
「だから、何で俺がお前と勝負しなくちゃなんねーんだよ。お前、俺の担いでるものが竹笹だって答えたじゃねーか。今日はもうほっといてくれよ。俺はこれを飾りに行くんだからさ」
 七夕の神事は七月七日の午前一時から行うのが通例となっている。
 六日の夜に短冊を飾って祭りを始め、夜更けにピークを迎えるのだ。
 そんな事は美琴も知っているが、
「私とアンタと七夕にどんな関係があるって言うのよ」
「俺とお前にゃ何の関係もねえよ。でもな、この竹笹はクラスメートが俺にプレゼントしてくれたんだ。テメェは今ここで勝負を挑んで、俺が友達からもらった大事なプレゼントをテメェの電撃で真っ黒焦げにしても良心が咎めねえって言うのか?」
 めずらしく憤る少年に美琴は小さくため息をついて、
「それもそうね。わかったわ、今日は休戦って事にしてあげる」
「……このままずっと休戦してくれ。できるならもう二度と顔を合わせたくない」
「何か言った?」
「……ぃぇ」
 少年の呟きを凄みのある笑顔で封殺する。
 美琴は竹笹を担いで歩く少年の隣に並ぶと、
「で、アンタはその竹笹どうするつもり? 部屋に飾るにしてはいくら何でも大きすぎない?」
 学園都市で暮らす生徒は児童や一部の例外を除き、一人、もしくは二人で寮に入る。ごく稀に、あてがわれた寮に入ることなくどこかに部屋を借りたりパン屋の二階で下宿するなどといった物好きも存在するがそれは例外中の例外だ。
 かく言う美琴も常盤台中学の寮で暮らしている。二人部屋だが寝て起きるだけの部屋なのでそれほど広く感じない。隣を歩く少年がどれほどの広さの部屋に住んでいるか知る由もないが、美琴が使っている二〇八号室より狭いだろうと美琴は推測する。
 少年はうーん、と一声唸ったあと、
「俺が住んでる寮の近くに公園があんだよ。そこに置こうと思ってんだ。公園なら他のヤツらも短冊をぶら下げに来れるだろ? やっぱこういうお祭りはみんなでやらなきゃな。そうだ、ビリビリも短冊書いてくか?」
「だから私はビリビリじゃないっつーの! ……え? 短冊?」
「ああ」
 美琴は『偽善使い(フォックスワード)』と言う言葉を知らないが、少年はひどく優しい笑みを浮かべて、
「今日は休戦してんだから、俺とお前が一緒に七夕やったって良いじゃねえか」
「科学の街で神頼みなんて非科学的すぎるわよ」
 元々決着をつけるために少年を捜していたのに、その少年と戦えないのでは意味がない。
 美琴はじゃあね、と軽く手を振って少年とは逆方向に歩き出す。
 何となく無駄足を踏んだ気分だった。

「俺の右手はそこにあるだけで不幸を呼ぶんだ。ここが科学の街でもどうにもならない。だったら神頼みくらいしたって良いだろ?」

 少年の言葉に、美琴は足を止めて振り返る。
 美琴の能力は低能力者(レベル1)から血の滲むような努力の末に獲得したものだ。
 対する少年の右手(のうりょく)は美琴の電撃(ちから)を打ち消す。そしてその右手は時間割り(カリキュラム)によって開発されたものではなく、どうやら生まれつきの体質らしい。
 努力で積み上げたものを何の気なしに一瞬で打ち砕く少年が、美琴には気に入らなかった。
 だから事あるごとに美琴は少年を屈服させようとしていたのだが、どうも少年の事情は美琴の想像と少し異なるらしい。
 少年は美琴に背を向けたまま竹笹を担いでいる。
 少年の表情は美琴の立つ位置から読み取れないが、
 何の気なしに放たれた少年の言葉が、その時美琴にはやけに重く感じられた。
 少年は美琴を振り返ることなく再び歩き始める。
 美琴は無言で少年のあとをついて歩く。
 おそらくは、少年が歩みを止めるまで。

         ☆

 美琴と少年はとある公園にやってきた。
 少年はどっこいしょ、と肩から竹笹を降ろして、
「さて、どこにくくりつけっかな」
「くくりつけるって……アンタ、ロープとか持って来てんの?」
「そこんとこは抜かりねえぞ。ほれ」
 学生鞄の中から黄色と黒に彩られた工事現場用の標識ロープを取り出す。真新しいロープはおそらく竹笹と一緒に贈られたものだろう。
 その手回しの良さに感心すると同時に、『事前にこんなもん用意しておくなんて、コイツの友達ってよっぽどコイツの行動パターンを理解してんのね』と少年の交友関係を少しだけうらやましく思う美琴。
 少年は再び竹笹を担ぎ直すと、
「じゃあビリビリ、俺がロープでそこの木に竹笹をくくりつけてる間ちっと手を貸してくんねーか?」
「だから、何度も何度もビリビリ言うんじゃないわよ!!」
 叫ぶ美琴を無視して少年は公園の中央に植えられた木のそばへ。
 木と言っても大木ではなく、街路樹のように二脚の支柱で固定されている。この木が支えを必要とすることなく、人々に静かな木陰を提供するようになるまではまだまだ時間がかかるだろう。
 少年は支柱に標識ロープを引っかけて、
「んじゃビリビリ、悪りぃけどこの竹笹支えててくれ」
「ちょっと。アンタ女の子に力仕事させようって言うの?」
「女の子っつっても、これを抱えてちっとの間立ってるくらいはできんだろ? これそんなに重くねえし」
 美琴をナンパしようとした不良達は、美琴が『超電磁砲』と言う事を知ると掌を返したように愛想笑いを浮かべて逃げ出すか、あるいは数にものを言わせて襲いかかってきた。
 だが、目の前のツンツン頭の少年は美琴が『超電磁砲』だと言う事を知っても全く態度を変えなかった。まるでクラスメートか昔なじみのように声をかけ、飄々としている。
 よくよく考えてみれば、この少年のように美琴に接する知り合いは美琴にはいない。
 男である事も女である事も能力レベルさえも関係なく、ただそこにいる事だけが重要であると言うような、とても不思議な少年。
 美琴は少年に聞こえないよう小さくため息をついて、
「……早くしなさいよね」
 両手を伸ばし、竹笹を支柱に沿わせて立たせる。
 美琴は『何でこんな事をしてるんだろう』と思いつつ、悪い気はしない。
 些細な事でも、誰かと力を合わせて何かをするのは楽しい。
 美琴はもう少しだけこの時間が続くと良いなと願いながら、
「……まだ?」
「もう少し……ここをこうやって……できた!」
 よっしゃー完成だ、と少年が手を離した瞬間、

 ブチブチブチッ!! と。
 嫌な音を立てて竹笹を固定していたロープが千切れ飛ぶ。

「嘘だろ……って、うおぉぉおおおっ!」
 ツンツン頭の少年は一声叫ぶと地面に向かって倒れていく竹笹を両手で掴んで引き戻す。
 少年が一本釣りのような格好で竹笹を支えているのでかろうじて地に着く事は免れたが、そんな姿勢をいつまでも続けられる訳がない。
 美琴は少年の反対側から両手で竹笹を真っ直ぐ立つよう押し上げると、
「ほら、アンタはそのまま支えてなさい。私がロープを結び直してあげるから」
 少年は小首を傾げて、
「お前できんの?」
「こんなものに腕力は必要ないの。コツさえ知ってれば誰だってできるわよ」
 美琴はその場にしゃがみこんで千切れたロープを調べる。
 ロープは無理矢理手で引き千切ったかあるいは弾けたみたいに断面がバラバラだった。
 最初はどこかの能力者がロープにいたずらしたのかと思ったが、どうやらそれは見当違いだったようだ。
 ロープそのものは新品らしい。残った部分の手触りを確かめながらこれは一体どういう事なんだろうと美琴は一人考えて、

『俺の右手はそこにあるだけで不幸を呼ぶんだ。ここが科学の街でもどうにもならない。だったら神頼みくらいしたって良いだろ?』

 少年が呟いた、やけに重みがある言葉を思い出す。
 少年は日常茶飯事のように『不幸』という単語を口にする。
 美琴も少年と出くわす度に耳にするのでそれについては何となく覚えていた。
 これが、美琴の目の前で起きたこの現象こそが少年の語る『不幸』なのだろうか。
「……馬鹿馬鹿しい。そんな事ある訳ないじゃない。こんなの何かの偶然よ」
 美琴は呟くと、美琴は残ったロープの寄り合わせた部分を一旦ほどき、残った部分から長めのものを選んで編み込み一本のロープに仕立てていく。それが終わるとテントを張る時の要領でロープを支柱に結びつけ、竹笹の根元をぐるぐる巻いて支柱に固定した。
 美琴はパンパン、と両手を軽く払って、
「ほら、できたわよ」
「すげえなビリビリ。常盤台のお嬢様ってこんな事もできんのか」
「アンタが感動してるのは何となく伝わったけどいつまでもビリビリしつこいわよっ! 私の名前は御坂美琴って言うの!! この機会に覚えなさいよね」
「みさかみこと? ……ふーん。それはそうとビリビリ」
「たった今名前教えたじゃん!? 何でわざわざ言い直すのよ?」
「ほれ」
 ツンツン頭の少年は美琴の言葉を聞き流すと地面に放り出していた鞄の中から五色の短冊を取りだす。
 短冊にはあらかじめ頭の方に穴が開けられ、糸が通してある。
 少年は美琴の前に短冊を差し出し、
「お礼ってほどのもんじゃねーけど。七夕の願い事、これに書けよ。全部使って良いからさ」
「……、」
 美琴は黙って短冊を受け取った。
 少年は美琴のやや不満げな表情を見て、
「あれ? お前の願い事って五枚じゃ足りなかったか? 俺学校でたくさん短冊作ってきたからもっと必要ならやるぞ?」
「……そうじゃないわよ」
 かけて欲しいのはそんな言葉じゃない。
 美琴は一瞬そんな事を思い、即座に頭を横に振って否定する。
 下手に休戦などしてしまったせいか、何だか調子が狂う。
 手の中に残る五色の短冊から一枚を選ぶと少年からボールペンを借りて大きな字で、

『アンタを倒す』

「……あの。立派な心意気だとは思うけど、もう少しなんかないのか? ほら『彼氏が欲しい』とか『綺麗になりたい』とか年頃の女の子らしい願望があるんじゃないかと」
 美琴の短冊を見た少年がげんなりした声で告げる。
 美琴は少年にボールペンを返すと、
「神様に頼む事なんて特にないわね。アンタは私の実力でねじ伏せてみせる。今まではちょっと間が悪かったり私が本気を出してなかっただけ。これは私の決意表明みたいなもんよ」
「そっか。……まぁどうでも良いか」
 少年はボールペンを握りしめると短冊に向かって美琴と同じくらい大きな字で、

『幸せになりたい』

「……神頼みにしてはえらく抽象的ね。いもしない神様にお願いするんだからこの程度で良いんでしょうけど」
 少年の短冊を読んだ美琴は率直な感想を口にする。
 少年は美琴に『分かってねえな』と告げて、
「この『幸せ』ってヤツが一番難しいんだよ。例えば、たった今俺達の目の前でロープが切れただろ? これが不幸。でもここにはお前がいて、切れたロープをつなぎ合わせてくれた。これが幸運。けどな」
 少年は一度言葉を切って、
「俺は不幸の代償なしの幸運ってヤツを、まだ見た事がねーんだ」
 真剣な眼差しで告げる。
 美琴には少年の言葉の意味が分からなかった。
 そもそも美琴は幸運や不幸を気にしない。何もかもが努力の結果であると常日頃から考えている美琴にとって、自分の力の及ばぬ所で発生する幸運など成功要素に数えないし歯牙にもかけないのだ。
 美琴は幸不幸の考え方について少年と相容れる事はないだろうなと思いつつ、
「そのうち良い事あるわよ。その理論で行くと、私に負けたあとはとても幸運な出来事が起きるって事じゃないの?」
「お前にビリビリされる事前提の幸せなんて欲しくねーよ!」
 少年は両手で頭を抱えて『不幸だ』と呟きその場にうずくまる。

         ☆

 美琴が書いた短冊は、少年の短冊と一緒に笹の葉に結びつけられた。
 少年は鞄の中から何も書かれていない大量の短冊を取り出すと、木の枝にぶら下げる。同じようにボールペンを余り物の糸でつるして、
「よし、これでできあがり。これでここを通った人達も七夕に参加できんだろ」
「ねぇアンタ。そう言えばさっきこの短冊を学校で作ったとか言ってたけど」
 美琴は素朴な疑問を少年にぶつける。
 少年は自慢げに胸を張ると、
「ああ、授業中に内職したんだ。糸を通す時とか結構手間でな」
「……、」
 ツッコミどころ満載の発言に美琴は眉を顰める。
 この少年は美琴の友達ではないのだから、美琴がたしなめる義務はどこにもない。
 しかし友達ではないからと言う理由で聞かなかったふりをするのもどうかと思う。
(ここは私がビシッと言うべき……いやいや、コイツは私の敵なんだしコイツを倒せば私には何の関係もないわよ。……でもそう言うドライな割り切りって好きじゃないのよね)
 などと美琴が心の中で葛藤していると、
「んじゃビリビリ、ロープありがとな。もう遅いから気をつけて帰れよー」
 少年はひらひらと手を振ってさっさと離脱しようとする。
「ちょっと待ちなさいよアンタ! 短冊を授業中に作って……いやそうじゃなくて『気をつけて帰れよ』なんて言うくらいなら少しは私を気遣って寮まで送ってくれても……」
 ……逃げられた。
 少年は走って角を曲がり、姿が見えなくなった。
 美琴は一人竹笹の前に佇み、行き場を失った手を引っ込めて、
「……何だって言うのよ、もう」
 地団駄を踏んでも少年の耳には届かない。
 美琴は少年に置いて行かれたという軽い失望感と説明できない苛立ちを募らせて、
「何だって言うのよ……」
 自分自身に向かって呟く。

         ☆

 湿度は敵だ、と白井黒子は思う。
 特に夏の湿度は腹立たしいことこの上ない。
 白井の髪質は天然パーマ。所謂クセッ毛である。
 このクセッ毛は湿度を含むともわっと広がってしまい、人様にはお見せできないほどみっともない状態となる。
 それゆえ日々のトリートメントとお風呂上がりのドライヤー、念入りなブラッシング、そして月一度のストレートパーマ処理は絶対に欠かせないのだ。
 白井が長く伸ばした髪を人前では背中に垂らすことなくツインテールにしているのはそう言う理由があった。
 日本、特に白井の暮らす東京都西部は温暖湿潤気候に属し、この気候の特徴は湿度が高いことが挙げられる。
 だから夏の夜はできる限り窓を閉め、エアコンを除湿に切り替えておきたい所だがそれができない。
 白井のルームメイトにして敬愛する『お姉様』、御坂美琴が部屋の窓辺に飾った笹の葉をずっと眺めているからだ。
 美琴は自分の学習机の上で頬杖をついて微動だにしない。
 窓辺で初夏の夜風に揺れる笹の葉には、白井お手製の飾りと短冊がつけられている。
 笹にぶら下がった短冊のほとんどは白井が書いたもので、一つ一つを手に取ると『お姉様ああお姉様お姉様』とか『お姉様に悪い虫がつきませんように』だの『黒子の愛がお姉様に届きますように』と言った、あふれんばかりの白井の願い(と歪んだ愛)が込められている。
 白井は自分のベッドに腰掛け、風呂上がりの髪を丁寧に乾かすと何度もブラッシングしながら、
「お姉様? 先ほどからどうされましたの? ぼんやりなさっていらっしゃるようですけれども」
「……んー」
 何度呼びかけても美琴は上の空だった。
 美琴が帰ってきてから今までずっとこうなのだ。
 食事の時も、バスルームに入ってからも、そのあとも、ずっと美琴はぼんやりしている。
 白井は手にしたブラシをベッドの上に置くと、
「お姉様、何かお悩みがあるのでしたらどうぞ黒子に打ち明けてくださいまし。わたくしは若輩者なれど、お姉様のお力になりたいと常々思っていますのよ?」
「ねぇ黒子。……今夜の天気ってどうだったっけ」
 美琴は夜に向かって開け放たれた窓から視線を動かすことなく呟く。
 学園都市は超高度並列演算器(アブソリュートシミュレーター)『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』を人工衛星『おりひめI号』に乗せて打ち上げた。
 樹形図の設計者は地球を見下ろし、その演算能力をフルに駆使して学園都市の天気『予言』を行っている。予言、と呼ばれるほど樹形図の設計者による天気予報は正確で、何時何分何秒にどこにどれだけの雨が降るかまで精密に弾き出す。
 ゆえに、学園都市の人々は毎日必ず天気予報をチェックする。
 あてにならない『外』の天気予報など誰も見向きもしないが、樹形図の設計者による『予言』は絶対に外れることがないからだ。
 今日の天気は白井と一緒に美琴も確認していたはずだった。
 それを知っている白井は小首を傾げて、
「今夜の天気は曇りで、明日の午前五時三分に上空の雲は晴れますけれども……それがどうかしましたの?」
「……今日って七夕じゃない。天の川、見えないかなーって」
「この季節に日本で天の川を見ることができないのは、もはや風物詩のようなものですから」
 白井は苦笑する。
 天の川を見ることはかなわないと知っている本人が笹の葉を飾り付けたのだから、ここは笑うしかない。
 美琴は白井の言葉を笑うことなく、
「樹形図の設計者はおりひめI号に乗ってるのよね。何で『ひこぼしI号』はないんだろう。織姫は一人ぼっちで寂しくないのかな」
「……は? 今なんておっしゃいましたの?」
 白井には美琴の言葉が理解できない。
 美琴は頬杖をついたまま振り返らずに、
「幸せって、どうして演算できないのかしら」
「あの……お姉様? どうかなさいまして? 突然哲学的思考に走られるなんて何事ですの?」
 白井が言葉をかけても美琴は学習机の前から動かない。
 その目は夜風に揺れる短冊と笹の葉を飽きることなく見つめている。
 追い駆けては逃げられる度、美琴は心のどこかで少年との再会を心待ちにしていた。
 何しろ彼は美琴の全力をぶつけられるであろう数少ない相手だ。
 あっさりと終わってしまうのは面白くない。
 少なくとも今日まではそう思っていた。
 今日、『あの馬鹿』と会話をして、彼が不思議な右手を持つだけの不思議な少年ではないと言う事を美琴は知った。
 知ってしまった。
 知らなければ良かった。
 ツンツン頭の少年に置いてきぼりにされたあと、美琴はずっと考えていた。
 少年が望む『代償なき幸せ』とは何なのか。
 美琴が少年に勝てば、少年には不幸が待っている。
 その時、美琴はどうするのか。少年はどうなるのか。
 勝敗が決した時、二人のつながりはどう変わるのか。
 上空の天の川に雲がかかり決して晴れる事がないように、このまま決着がつかなければいい。そうすれば美琴は少年を『不幸』にしないですむ。
(……馬鹿馬鹿しい。何で私があの馬鹿に遠慮すんのよ。人が努力で積み上げたものを何の気なしに一瞬で打ち砕くあの馬鹿が気に入らないから勝負をつけるんじゃない。少し優しくされたから甘い事考えるなんておかしいわよ)
 美琴はただ、自分より強い人間がいるから挑みたい。そして超えたい。
 それだけだ。
 それだけのはずだった。
 この学園都市で巡り会ってしまった以上、あの少年とは決着をつけたい。
 でも、心のどこかでは終わりにしたくないという思いもくすぶっている。
 それは少年が浮かべた優しげな笑顔のせいか。
 楽しかった夕暮れ時のせいか。
 少年の血を吐くような『神頼みしたって良いだろ』という言葉のせいか。
 美琴の思いは少年の願いと共にあの場所で風に吹かれて揺れている。
 短冊には書けない、自分でもよく分からない胸の高鳴りと共に心の中で揺れている。
「……おりひめと、ひこぼし、か」
 その時、何の気なしに言葉が口をついて出た。
 七夕の物語に出てくる織姫は女性、彦星は男性だ。
 美琴は頭の中で自分を織姫、ツンツン頭の少年を彦星に置き換えて、
(……ちょ! 何考えてんのよ私! あの馬鹿が彦星とかだなんてある訳ないでしょ! だ、大体彦星って織姫の夫なのよ? アイツが私の旦那とかあり得ないあり得ない絶対あり得ない!! んな事考えちゃったら次からアイツの顔まともに見られないわよ!! アイツは敵、敵なの!! しっかりしなさい御坂美琴!!)
 窓の方を向いていて正解だったと美琴は思う。
 自分でも分かるくらい真っ赤になった顔を、背後にいる白井に見られずに済んだから。
 ぼんやりと考え事で時間をつぶしてしまったがそろそろ消灯の時刻だ。
 美琴は立ち上がり、窓を閉めようと木枠に手をかける。
 そこでふと後ろを振り返り、
「黒子。短冊余ってる? 余ってたら一枚欲しいんだけど」
 白井から短冊を受け取ったら、一言だけ書いておこうと美琴は思う。
『あの馬鹿と』
 その先の言葉は書かない。
 書かない方が楽しそうだ。
 あの少年とこの先どうなるかなんて分からないが、決着がついても付き合いは長くなりそうな気がする。
 そんな予感がするから先の言葉は書かずに願いを込めよう。
 そう考えると何となく気持ちが晴れたような気がして、
 美琴は窓を閉めながら、ガラスに映る自分に向かって微笑んだ。


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