プロイセン

プロシア Preußen Prussia

元来バルト海沿岸に居住したスラヴ系のプロイセン人よりその名が生じたが、13世紀ドイツ騎士団がこの地を征服しドイツ人の国を建てた。16世紀ホーエンツォレルン家のブランデンブルク選帝侯国と同君連合で結びついてブランデンブルク-プロイセンとなったが、1701年プロイセン公国が王国に昇格したため、ブランデンブルクを含め国全体がプロイセン王国と呼ばれるようになった。18世紀フリードリヒ2世(大王)の大にオーストリアからシュレージエンを奪うなどして大国としての地位を築き、19世紀にはプロイセン-オーストリア戦争に勝って小ドイツ主義的なドイツ統一を成し遂げた。ドイツ帝国内では指導的連邦国であり、ヴァイマル共和国でも中心的な連邦州であったが、第二次世界大戦後、連合国の命令で解体、消滅させられた。

(出典:山川『世界史小事典』613ページ)








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最終更新:2007年12月18日 15:56
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