「東寺」(2010/01/15 (金) 10:44:56) の最新版変更点
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&sizex(6){&bold(){教王護国寺(東寺)}}
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか
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&sizex(5){&color(red){概略}}
&bold(){教王護国寺}(きょうおうごこくじ)は、京都市南区九条町にある[[真言宗]]の寺院。一般には通称の&bold(){東寺}(とうじ)で知られる。山号は八幡山、本尊は[[薬師如来]]。2万3000点にのぼる寺宝を所有する屈指の大寺院。[[古都京都の文化財]]の一部として世界遺産に登録されている。
&sizex(5){&color(red){歴史}}
8世紀末、[[平安京]]の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」(さいじ)という2つの寺院の建立が計画された。これら2つの寺院は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院であった。このうち東寺は後に[[空海]]([[弘法大師>空海]])に下賜され、[[真言>真言宗]][[密教]]の根本道場として栄えた。[[弘法大師>空海]]に対する信仰の高まりとともに「[[お大師様>空海]]の寺」として庶民の信仰を集めるようになる。平安末期に一時衰退するも、[[神護寺]]再興の勧進を行った文覚上人によって再興に着手し、源頼朝や後白河法皇の支援によって復興された。中世以後は後宇多天皇、後醍醐天皇、[[足利尊氏>足利氏]]など、多くの為政者の援助を受けて栄えた。文明18年(1486)の火災で主要堂塔のほとんどを失うが、[[豊臣家>豊臣氏]]、[[徳川家>徳川氏]]などの援助により、金堂、五重塔などが再建されている。南大門、金堂、講堂、食堂(じきどう)が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままである。なお、羅城門を挟んで対称的な位置にあった西寺は早い時期に衰退し、現在は児童公園内に「史跡西寺跡」の碑があり、付近に西寺の寺名のみを継いだ小寺院が残るのみである。また、毎月21日の御影供(みえく、毎月21日の[[空海]]の命日に行う供養)の日には境内に骨董市が立ち、「弘法市」「弘法さん」として親しまれている。
&sizex(5){&color(red){伽藍}}
***金堂
現存の建物は慶長8年(1603)、[[豊臣秀頼>豊臣氏]]の寄進によって再建したもの。内部には広大な空間の中に本尊の[[薬師三尊>薬師如来]]像が安置されている。中尊は像高2.9mに達する巨像で、日本の仏教彫刻衰退期である桃山時代における佳作である。
***講堂
室町時代の延徳3年(1491)の再建。金堂が顕教系の[[薬師如来]]を本尊とするのに対し、講堂には[[大日如来]]をはじめとする21躯の[[密教]]彫像が所狭しと安置されている。諸仏は[[空海]]没後の承和6年(839)に完成しているが、全体の構想は[[空海]]によるもので、堂内中央には五仏([[五智如来>大日如来]])、堂内向かって右(東方)には五大菩薩、向かって左(西方)には[[五大明王>明王]]を安置するほか、堂内の東西端には梵天・帝釈天像、壇上四隅には[[四天王]]像を安置する。これら21躯の仏像のうち、五仏のすべてと五大菩薩の中尊、金剛波羅蜜多菩薩像は後補であり、残りの15躯が国宝に指定されている(五仏は重要文化財に指定)。
***食堂
[[空海]]没後、9世紀末から10世紀初めにかけて完成した。昭和5年(1930)の火災で焼失し、現在の建物はその後の再建。本尊の[[千手観音]]立像は火災で焼損したが、1960年代に修理され、現在は寺内の宝物館に安置されている。
***五重塔
京都のシンボルともなっている塔である。高さ54.8mで木造塔としては日本一の高さを誇る。創建は[[空海]]没後の9世紀末。初層内部の中央は直径1mもある檜の心柱が貫いている。これを[[大日如来]]に見立て、その四方を菩薩を脇侍にもつ如来が囲んでいる。現在の塔は5代目で、寛永21年(1644)に[[徳川家光>徳川氏]]の寄進で建てられた。
***大師堂(御影堂)
南北朝時代に建てられた住宅風の仏堂である。国宝指定の名称は「大師堂」だが、一般には御影堂と呼ばれている。この堂のある一画を西院といい、[[空海]]の住房跡とされている。康暦元年(1379)の火災による焼失後、その翌年に再建されたのが現存の建物である。ただし、堂の北半分は[[弘法大師>空海]]像を安置するために明徳元年(1390)に増築されたもの。堂の南側には[[空海]]の念持仏とされる国宝の[[不動明王]]坐像を安置する。厳重な秘仏で非公開であるが、日本の[[不動明王]]像としては最古の作例のひとつである。また堂の北側には国宝の[[弘法大師>空海]]坐像を安置する。この像は天福元年(1233)に[[運慶>慶派]]の四男[[康勝>慶派]]が制作したものである。この像は庶民の信仰を広く集めており、毎朝6時に「[[お大師様>空海]]」に朝食を捧げる「生身供(しょうじんく)」が執り行われ、多くの参拝者が集まる。
***灌頂院
伝法灌頂([[密教]]の奥義を師匠から弟子へ伝える儀式)、後七日御修法(ごしちにちのみしほ、正月の8日から14日までの間に、天皇の安泰を祈願する儀式)などの儀式を執り行うための堂で、内部には仏像は安置されていない。通常非公開。
***小子房
昭和9年(1934)、[[空海]]の千百年遠忌に再建された。もとは後宇多院の修行のためにつくられた建物だが、現在は迎賓館として使用されている。皇室からの使いを迎える「勅使の間」をはじめ「牡丹の間」「瓜の間」「雛鳥の間」「鷲の間」「枇杷の間」の全6室に、[[堂本印象]]筆の襖絵が飾られている。
***宝蔵
平安後期に建立された校倉造の倉庫で教王護国寺(東寺)の最古の建造物。宝物、経典を収蔵する。平安後期に2度も焼失し、建久9年(1198)に文覚上人によって再興された。通常非公開。
***八幡宮
明治元年(1868)に焼失後、1世紀以上を経た平成4年(1992)に再建。東寺の鎮守神である僧形八幡神像と女神像は日本の神像の最古作のひとつ。
***南大門
明治28年(1895)に[[蓮華王院>三十三間堂]]([[三十三間堂]])の西門を移築したもの。
***宝物館
もと[[平安京]]の羅城門楼上に安置されていたという兜跋[[毘沙門天>四天王]]像をはじめとした彫刻や絵画、工芸品など約5万点に及ぶ宝物を収蔵する。毎年春と秋に一般公開される。
&sizex(5){&color(red){主な塔頭}}
***観智院
教王護国寺(東寺)の塔頭寺院で、後宇多法皇の発願により建立。客殿は書院造で慶長11年(1606)の建立。本尊は[[五大虚空蔵菩薩>虚空蔵菩薩]]像。床の間には宮本武蔵筆と伝わる「鷲の図」が残る。
&sizex(5){&color(red){文化財}}
***国宝
金堂 五重塔 大師堂 蓮花門 観智院客殿 木造五大菩薩坐像(中尊像を除く四躯) 木造[[五大明王>明王]]像 木造梵天・帝釈天像 木造[[四天王]]立像 木造[[不動明王>明王]]坐像・天蓋 木造[[弘法大師>空海]]坐像 木造兜跋[[毘沙門天]]立像 木造僧形八幡神坐像・女神坐像 絹本著色真言七祖像 絹本著色五大尊像 絹本著色両界曼荼羅(伝・真言院曼荼羅) 十二天屏風 [[密教]]法具 海賦蒔絵袈裟箱 犍陀穀糸袈裟 紫檀塗螺鈿金銅装舎利輦 [[弘法大師>空海]]筆尺牘三通 [[弘法大師>空海]]請来目録 後宇多天皇宸翰東寺興隆条々事書御添状 東宝記
***重要文化財(建造物)
講堂 宝蔵 灌頂院 北大門 慶賀門 北総門 東大門(不開門) 南大門 五重小塔
***重要文化財(美術工芸品)
木造[[薬師如来]]及び両脇侍像 木造[[大日如来]]坐像 木造[[千手観音]]立像 木造[[地蔵菩薩]]立像 木造五大虚空蔵像 木造聖僧文殊坐像 聖僧文殊坐像 木造[[弘法大師>空海]]坐像 木造観音菩薩梵天・帝釈天立像 [[密教]]図像 紙本著色弘法大師行状絵詞 絹本著色[[十一面観音]]像 絹本著色不空羂索観音像 紙本墨画蘇悉地儀軌契印図 紙本墨画胎蔵曼荼羅略記 絹本著色両界曼荼羅図 [[弘法大師>空海]]遺告 絹本著色[[弘法大師>空海]]像 紙本墨書庄園敷地施入状 紙本墨書舎利奉請誡文 紙本墨書舎利奉請文 紙本墨書後醍醐天皇塔供養御願文 紙本墨書悉曇蔵 大仏頂陀羅尼 東寺文書 仏説灌頂経 本朝明匠略伝 宋版一切経 宋版大般若経 大般若経 東寺観智院聖教文書類 [[平安京]]古瓦
***史跡
教王護国寺(東寺)境内
&sizex(5){&color(red){拝観情報}}
住所 京都市南区九条町1
電話番号 075-691-3325
拝観時間 8:30~16:30(3/20~9/19は8:30~17:30)
拝観料 境内自由、伽藍拝観500円(3/20~5/25、9/20~11/25は宝物館と伽藍の共通800円)
アクセス JR京都駅より徒歩15分
駐車場 駐車場あり(2時間600円)
&sizex(5){&color(red){主な行事}}
1月1日 初詣 新春法要
1月1日~4日 五重塔初層特別公開
1月3日 修正会(牛王宝印授与)
1月8日~14日 後七日御修法(ごしちにちみしほ)
1月21日 初弘法
1月28日 護堂修正会
2月3日 節分会
2月15日 涅槃会
3月15日 春のお火焚き法要
春分の日を中心に7日間 春の彼岸会
4月21日 正御影供、灌頂院絵馬(朱馬)開帳
5月3日 稲荷還幸祭
6月15日 [[弘法大師>空海]]降誕会
8月12日 精霊会
8月13日~15日 盂蘭盆会
8月15日 万灯会
秋分の日を中心に7日間 秋の彼岸会
11月15日 秋のお火焚き法要
12月21日 終い弘法
毎日6時 生身供・舎利供
毎月1日 大般若供
4・5・7・9・10・12月の15日 布薩会
毎月20日 お逮夜
毎月21日 弘法市、御影供、八幡神護摩供
毎月第1日曜日 骨董市
&sizex(5){&color(red){その他}}
***京都検定出題
平成16年(2004)第1回京都検定3級出題
「東寺の正式名称は( )。空海は庶民のための学校( )を建立した。東寺の五重塔(中略)焼亡再建を繰り返し、現在は( )代目にあたる。(中略)文化財の多い寺として知られ、( )などの絵画をはじめ多数の国宝を有している。(中略)弘法大師の月命日である毎月( )に「弘法さん」と呼ばれる市が開かれ、大勢の人で賑わっている。」
平成16年(2004)第1回京都検定2級出題
「寺院とその塔頭について誤っているものを選びなさい。 (ア)東福寺・光明院 (イ)建仁寺・両足院 (ウ)相国寺・玉鳳院 (エ)東寺・観智院」
平成17年(2005)第2回京都検定3級出題
「東寺の五重塔は、現存する木造塔では最も高く、京都の景観的シンボルとなっているが、その総高は約何mか。」
平成17年(2005)第2回京都検定2級出題
「元は遠藤盛遠という武士で、東寺の再興に尽力した僧侶は誰か。」
「東寺に伝来する仏像のうち、かつては平安京の羅城門楼上に安置されていたと伝えられる仏像はなにか。」
&sizex(5){&color(red){リンク}}
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか
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&sizex(5){&color(red){概略}}
&bold(){教王護国寺}(きょうおうごこくじ)は、京都市南区九条町にある[[真言宗]]の寺院。一般には通称の&bold(){東寺}(とうじ)で知られる。山号は八幡山、本尊は[[薬師如来]]。2万3000点にのぼる寺宝を所有する屈指の大寺院。[[古都京都の文化財]]の一部として世界遺産に登録されている。
&sizex(5){&color(red){歴史}}
8世紀末、[[平安京]]の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」(さいじ)という2つの寺院の建立が計画された。これら2つの寺院は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院であった。このうち東寺は後に[[空海]]([[弘法大師>空海]])に下賜され、[[真言>真言宗]][[密教]]の根本道場として栄えた。[[弘法大師>空海]]に対する信仰の高まりとともに「[[お大師様>空海]]の寺」として庶民の信仰を集めるようになる。平安末期に一時衰退するも、[[神護寺]]再興の勧進を行った文覚上人によって再興に着手し、源頼朝や後白河法皇の支援によって復興された。中世以後は後宇多天皇、後醍醐天皇、[[足利尊氏>足利氏]]など、多くの為政者の援助を受けて栄えた。文明18年(1486)の火災で主要堂塔のほとんどを失うが、[[豊臣家>豊臣氏]]、[[徳川家>徳川氏]]などの援助により、金堂、五重塔などが再建されている。南大門、金堂、講堂、食堂(じきどう)が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままである。なお、羅城門を挟んで対称的な位置にあった西寺は早い時期に衰退し、現在は児童公園内に「史跡西寺跡」の碑があり、付近に西寺の寺名のみを継いだ小寺院が残るのみである。また、毎月21日の御影供(みえく、毎月21日の[[空海]]の命日に行う供養)の日には境内に骨董市が立ち、「弘法市」「弘法さん」として親しまれている。
&sizex(5){&color(red){伽藍}}
***金堂
現存の建物は慶長8年(1603)、[[豊臣秀頼>豊臣氏]]の寄進によって再建したもの。内部には広大な空間の中に本尊の[[薬師三尊>薬師如来]]像が安置されている。中尊は像高2.9mに達する巨像で、日本の仏教彫刻衰退期である桃山時代における佳作である。
***講堂
室町時代の延徳3年(1491)の再建。金堂が顕教系の[[薬師如来]]を本尊とするのに対し、講堂には[[大日如来]]をはじめとする21躯の[[密教]]彫像が所狭しと安置されている。諸仏は[[空海]]没後の承和6年(839)に完成しているが、全体の構想は[[空海]]によるもので、堂内中央には五仏([[五智如来>大日如来]])、堂内向かって右(東方)には五大菩薩、向かって左(西方)には[[五大明王>明王]]を安置するほか、堂内の東西端には梵天・帝釈天像、壇上四隅には[[四天王]]像を安置する。これら21躯の仏像のうち、五仏のすべてと五大菩薩の中尊、金剛波羅蜜多菩薩像は後補であり、残りの15躯が国宝に指定されている(五仏は重要文化財に指定)。
***食堂
[[空海]]没後、9世紀末から10世紀初めにかけて完成した。昭和5年(1930)の火災で焼失し、現在の建物はその後の再建。本尊の[[千手観音]]立像は火災で焼損したが、1960年代に修理され、現在は寺内の宝物館に安置されている。
***五重塔
京都のシンボルともなっている塔である。高さ54.8mで木造塔としては日本一の高さを誇る。創建は[[空海]]没後の9世紀末。初層内部の中央は直径1mもある檜の心柱が貫いている。これを[[大日如来]]に見立て、その四方を菩薩を脇侍にもつ如来が囲んでいる。現在の塔は5代目で、寛永21年(1644)に[[徳川家光>徳川氏]]の寄進で建てられた。
***大師堂(御影堂)
南北朝時代に建てられた住宅風の仏堂である。国宝指定の名称は「大師堂」だが、一般には御影堂と呼ばれている。この堂のある一画を西院といい、[[空海]]の住房跡とされている。康暦元年(1379)の火災による焼失後、その翌年に再建されたのが現存の建物である。ただし、堂の北半分は[[弘法大師>空海]]像を安置するために明徳元年(1390)に増築されたもの。堂の南側には[[空海]]の念持仏とされる国宝の[[不動明王]]坐像を安置する。厳重な秘仏で非公開であるが、日本の[[不動明王]]像としては最古の作例のひとつである。また堂の北側には国宝の[[弘法大師>空海]]坐像を安置する。この像は天福元年(1233)に[[運慶>慶派]]の四男[[康勝>慶派]]が制作したものである。この像は庶民の信仰を広く集めており、毎朝6時に「[[お大師様>空海]]」に朝食を捧げる「生身供(しょうじんく)」が執り行われ、多くの参拝者が集まる。
***灌頂院
伝法灌頂([[密教]]の奥義を師匠から弟子へ伝える儀式)、後七日御修法(ごしちにちのみしほ、正月の8日から14日までの間に、天皇の安泰を祈願する儀式)などの儀式を執り行うための堂で、内部には仏像は安置されていない。通常非公開。
***小子房
昭和9年(1934)、[[空海]]の千百年遠忌に再建された。もとは後宇多院の修行のためにつくられた建物だが、現在は迎賓館として使用されている。皇室からの使いを迎える「勅使の間」をはじめ「牡丹の間」「瓜の間」「雛鳥の間」「鷲の間」「枇杷の間」の全6室に、[[堂本印象]]筆の襖絵が飾られている。
***宝蔵
平安後期に建立された校倉造の倉庫で教王護国寺(東寺)の最古の建造物。宝物、経典を収蔵する。平安後期に2度も焼失し、建久9年(1198)に文覚上人によって再興された。通常非公開。
***八幡宮
明治元年(1868)に焼失後、1世紀以上を経た平成4年(1992)に再建。東寺の鎮守神である僧形八幡神像と女神像は日本の神像の最古作のひとつ。
***南大門
明治28年(1895)に[[蓮華王院>三十三間堂]]([[三十三間堂]])の西門を移築したもの。
***宝物館
もと[[平安京]]の羅城門楼上に安置されていたという兜跋[[毘沙門天>四天王]]像をはじめとした彫刻や絵画、工芸品など約5万点に及ぶ宝物を収蔵する。毎年春と秋に一般公開される。
&sizex(5){&color(red){主な塔頭}}
***観智院
教王護国寺(東寺)の塔頭寺院で、後宇多法皇の発願により建立。客殿は書院造で慶長11年(1606)の建立。本尊は[[五大虚空蔵菩薩>虚空蔵菩薩]]像。床の間には宮本武蔵筆と伝わる「鷲の図」が残る。
&sizex(5){&color(red){文化財}}
***国宝
金堂 五重塔 大師堂 蓮花門 観智院客殿 木造五大菩薩坐像(中尊像を除く四躯) 木造[[五大明王>明王]]像 木造梵天・帝釈天像 木造[[四天王]]立像 木造[[不動明王>明王]]坐像・天蓋 木造[[弘法大師>空海]]坐像 木造兜跋[[毘沙門天]]立像 木造僧形八幡神坐像・女神坐像 絹本著色真言七祖像 絹本著色五大尊像 絹本著色両界曼荼羅(伝・真言院曼荼羅) 十二天屏風 [[密教]]法具 海賦蒔絵袈裟箱 犍陀穀糸袈裟 紫檀塗螺鈿金銅装舎利輦 [[弘法大師>空海]]筆尺牘三通 [[弘法大師>空海]]請来目録 後宇多天皇宸翰東寺興隆条々事書御添状 東宝記
***重要文化財(建造物)
講堂 宝蔵 灌頂院 北大門 慶賀門 北総門 東大門(不開門) 南大門 五重小塔
***重要文化財(美術工芸品)
木造[[薬師如来]]及び両脇侍像 木造[[大日如来]]坐像 木造[[千手観音]]立像 木造[[地蔵菩薩]]立像 木造五大虚空蔵像 木造聖僧文殊坐像 聖僧文殊坐像 木造[[弘法大師>空海]]坐像 木造観音菩薩梵天・帝釈天立像 [[密教]]図像 紙本著色弘法大師行状絵詞 絹本著色[[十一面観音]]像 絹本著色不空羂索観音像 紙本墨画蘇悉地儀軌契印図 紙本墨画胎蔵曼荼羅略記 絹本著色両界曼荼羅図 [[弘法大師>空海]]遺告 絹本著色[[弘法大師>空海]]像 紙本墨書庄園敷地施入状 紙本墨書舎利奉請誡文 紙本墨書舎利奉請文 紙本墨書後醍醐天皇塔供養御願文 紙本墨書悉曇蔵 大仏頂陀羅尼 東寺文書 仏説灌頂経 本朝明匠略伝 宋版一切経 宋版大般若経 大般若経 東寺観智院聖教文書類 [[平安京]]古瓦
***史跡
教王護国寺(東寺)境内
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住所 京都市南区九条町1
電話番号 075-691-3325
拝観時間 8:30~16:30(3/20~9/19は8:30~17:30)
拝観料 境内自由、伽藍拝観500円(3/20~5/25、9/20~11/25は宝物館と伽藍の共通800円)
アクセス JR京都駅より徒歩15分
駐車場 駐車場あり(2時間600円)
&sizex(5){&color(red){主な行事}}
1月1日 初詣 新春法要
1月1日~4日 五重塔初層特別公開
1月3日 修正会(牛王宝印授与)
1月8日~14日 後七日御修法(ごしちにちみしほ)
1月21日 初弘法
1月28日 護堂修正会
2月3日 節分会
2月15日 涅槃会
3月15日 春のお火焚き法要
春分の日を中心に7日間 春の彼岸会
4月21日 正御影供、灌頂院絵馬(朱馬)開帳
5月3日 稲荷還幸祭
6月15日 [[弘法大師>空海]]降誕会
8月12日 精霊会
8月13日~15日 盂蘭盆会
8月15日 万灯会
秋分の日を中心に7日間 秋の彼岸会
11月15日 秋のお火焚き法要
12月21日 終い弘法
毎日6時 生身供・舎利供
毎月1日 大般若供
4・5・7・9・10・12月の15日 布薩会
毎月20日 お逮夜
毎月21日 弘法市、御影供、八幡神護摩供
毎月第1日曜日 骨董市
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***京都検定出題
平成16年(2004)第1回京都検定3級出題
「東寺の正式名称は( )。空海は庶民のための学校( )を建立した。東寺の五重塔(中略)焼亡再建を繰り返し、現在は( )代目にあたる。(中略)文化財の多い寺として知られ、( )などの絵画をはじめ多数の国宝を有している。(中略)弘法大師の月命日である毎月( )に「弘法さん」と呼ばれる市が開かれ、大勢の人で賑わっている。」
平成16年(2004)第1回京都検定2級出題
「寺院とその塔頭について誤っているものを選びなさい。 (ア)東福寺・光明院 (イ)建仁寺・両足院 (ウ)相国寺・玉鳳院 (エ)東寺・観智院」
平成17年(2005)第2回京都検定3級出題
「東寺の五重塔は、現存する木造塔では最も高く、京都の景観的シンボルとなっているが、その総高は約何mか。」
平成17年(2005)第2回京都検定2級出題
「元は遠藤盛遠という武士で、東寺の再興に尽力した僧侶は誰か。」
「東寺に伝来する仏像のうち、かつては平安京の羅城門楼上に安置されていたと伝えられる仏像はなにか。」
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教王護国寺(東寺)オフィシャル http://www.toji.or.jp/
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