「釈迦如来」(2008/08/21 (木) 12:01:43) の最新版変更点
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&sizex(6){&bold(){釈迦如来}}
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか
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&sizex(5){&color(red){概略}}
&bold(){釈迦如来}(しゃかにょらい)は、仏教の開祖である釈迦を仏(仏陀)として敬う呼び方。釈迦牟尼仏とも呼ばれる。数多い仏像の中でも唯一実在した人物をモチーフにしているため、他の仏像とは位置づけが異なる。[[小乗仏教]]では、釈迦牟尼仏は現世における唯一の仏とみなされている。従って、修行者が到達できる境地も阿羅漢止まりで、如来(仏=仏陀)にはなれないと考えられた。[[大乗仏教]]では、釈迦牟尼仏は十方(東南西北とその中間である四隅の八方と上下)三世(過去、未来、現在)の無量の諸仏の一仏で、現在の娑婆の仏である。
&sizex(5){&color(red){名称}}
釈迦(しゃか、シャーキャ)は釈迦牟尼(しゃかむに、シャーキャ・ムニ)の略で、釈迦牟尼世尊ともいい、略して釈尊(しゃくそん)とも呼ばれる。原語のシャーキャ・ムニは「釈迦族の聖者」の意味である。なお本名(俗名)はゴータマ・シッダールタ(瞿曇・悉達多、くどん・しったるた)と伝えられる。
&sizex(5){&color(red){像容}}
インドでは、はじめ蓮華・菩提樹・仏足石・法輪・仏塔などのシンボルで釈尊をあらわしたが、やがて仏像がつくられるようになった。釈迦の像はその一生にしたがって誕生・苦行・出山・成道・説法・涅槃像がつくられ、立体的な伝記を思わせる。一方日本では悟りを開いた釈迦が大衆に教えを説く像が多い。その場合、教説を転じて人々の迷いを破砕する転法輪印を結ぶが、普通は人々の迷いをのぞく施無畏印(せむいいん)と願いを叶える与願印(よがんいん)を結んでいる。また仏像配置の形式のひとつとして釈迦三尊像がある。日本では釈迦如来を中尊として、脇侍(きょうじ・わきじ)として向かって右に文殊菩薩、左に普賢菩薩を配置するのが一般的だが、文殊・普賢ではなく、薬王菩薩・薬上菩薩を配することがまれにある。薬王菩薩・薬上菩薩は兄弟の菩薩であるとされ、人々に良薬を与えて心身の病を癒したという。これ以外にも眷属として十大弟子や八部衆が周囲に配されている像もある。
&sizex(5){&color(red){日本における造像例}}
日本で造られた釈迦像は説法像に近いものが多く、仏としての釈迦の功徳をあらわす像が好まれたという。法隆寺金堂に安置されている釈迦三尊像の脇侍は寺伝では薬王菩薩・薬上菩薩と称している。なお、「一介の人間としての釈迦」を重視する[[臨済宗]]、曹洞宗、[[黄檗宗]]の禅宗各派では釈迦如来の脇侍として十大弟子の大迦葉尊者・阿難尊者を配することがある。またインドの優塡王(うてんおう)が釈尊を慕って刻ませたという像を写した中国の模像を、10世紀末に入宋した奝然(ちょうねん)が請来したという[[清凉寺]]の釈迦如来像は、頭髪を螺髪ではなく編んだ紐にし、衲衣のひだを波紋のように細かく表現している。この様な極めて異国的な様式を備える像を「[[清凉寺]]式釈迦像」と呼ぶ。
&sizex(5){&color(red){日本における代表的な釈迦如来像}}
***飛鳥時代(白鳳期)
奈良・法隆寺金堂三尊像 国宝
奈良・飛鳥寺本尊銅造坐像 重要文化財
東京・深大寺本尊銅造倚像 重要文化財
***奈良時代(天平期)
[[蟹満寺]]坐像 国宝
奈良・新薬師寺本尊坐像 国宝
奈良・東大寺誕生釈迦仏立像 国宝 ※現在は奈良国立博物館所蔵
***平安時代
[[清凉寺]]([[嵯峨釈迦堂>清凉寺]])本尊立像 国宝 ※北宋時代
奈良・法隆寺上御堂三尊像 国宝
奈良・室生寺金堂本尊立像 国宝
奈良・室生寺弥勒堂坐像 国宝
***鎌倉時代以降
[[大報恩寺>千本釈迦堂]]([[千本釈迦堂]])本尊坐像 重要文化財 [[行快>慶派]]作
[[二尊院]]本尊立像 重要文化財 春日作
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか
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&bold(){釈迦如来}(しゃかにょらい)は、仏教の開祖である釈迦を仏(仏陀)として敬う呼び方。釈迦牟尼仏とも呼ばれる。数多い仏像の中でも唯一実在した人物をモチーフにしているため、他の仏像とは位置づけが異なる。[[小乗仏教]]では、釈迦牟尼仏は現世における唯一の仏とみなされている。従って、修行者が到達できる境地も阿羅漢止まりで、如来(仏=仏陀)にはなれないと考えられた。[[大乗仏教]]では、釈迦牟尼仏は十方(東南西北とその中間である四隅の八方と上下)三世(過去、未来、現在)の無量の諸仏の一仏で、現在の娑婆の仏である。
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釈迦(しゃか、シャーキャ)は釈迦牟尼(しゃかむに、シャーキャ・ムニ)の略で、釈迦牟尼世尊ともいい、略して釈尊(しゃくそん)とも呼ばれる。原語のシャーキャ・ムニは「釈迦族の聖者」の意味である。なお本名(俗名)はゴータマ・シッダールタ(瞿曇・悉達多、くどん・しったるた)と伝えられる。
&sizex(5){&color(red){像容}}
インドでは、はじめ蓮華・菩提樹・仏足石・法輪・仏塔などのシンボルで釈尊をあらわしたが、やがて仏像がつくられるようになった。釈迦の像はその一生にしたがって誕生・苦行・出山・成道・説法・涅槃像がつくられ、立体的な伝記を思わせる。一方日本では悟りを開いた釈迦が大衆に教えを説く像が多い。その場合、教説を転じて人々の迷いを破砕する転法輪印を結ぶが、普通は人々の迷いをのぞく施無畏印(せむいいん)と願いを叶える与願印(よがんいん)を結んでいる。また仏像配置の形式のひとつとして釈迦三尊像がある。日本では釈迦如来を中尊として、脇侍(きょうじ・わきじ)として向かって右に文殊菩薩、左に普賢菩薩を配置するのが一般的だが、文殊・普賢ではなく、薬王菩薩・薬上菩薩を配することがまれにある。薬王菩薩・薬上菩薩は兄弟の菩薩であるとされ、人々に良薬を与えて心身の病を癒したという。これ以外にも眷属として十大弟子や八部衆が周囲に配されている像もある。
&sizex(5){&color(red){日本における造像例}}
日本で造られた釈迦像は説法像に近いものが多く、仏としての釈迦の功徳をあらわす像が好まれたという。法隆寺金堂に安置されている釈迦三尊像の脇侍は寺伝では薬王菩薩・薬上菩薩と称している。なお、「一介の人間としての釈迦」を重視する[[臨済宗]]、曹洞宗、[[黄檗宗]]の禅宗各派では釈迦如来の脇侍として十大弟子の大迦葉尊者・阿難尊者を配することがある。またインドの優塡王(うてんおう)が釈尊を慕って刻ませたという像を写した中国の模像を、10世紀末に入宋した奝然(ちょうねん)が請来したという[[清凉寺]]の釈迦如来像は、頭髪を螺髪ではなく編んだ紐にし、衲衣のひだを波紋のように細かく表現している。この様な極めて異国的な様式を備える像を「[[清凉寺]]式釈迦像」と呼ぶ。
&sizex(5){&color(red){日本における代表的な釈迦如来像}}
***飛鳥時代(白鳳期)
奈良・法隆寺金堂三尊像 国宝
奈良・飛鳥寺本尊銅造坐像 重要文化財
東京・深大寺本尊銅造倚像 重要文化財
***奈良時代(天平期)
[[蟹満寺]]坐像 国宝
奈良・新薬師寺本尊坐像 国宝
奈良・東大寺誕生釈迦仏立像 国宝 ※現在は奈良国立博物館所蔵
***平安時代
[[清凉寺]]([[嵯峨釈迦堂>清凉寺]])本尊立像 国宝 ※北宋時代
奈良・法隆寺上御堂三尊像 国宝
奈良・室生寺金堂本尊立像 国宝
奈良・室生寺弥勒堂坐像 国宝
***鎌倉時代以降
[[大報恩寺>千本釈迦堂]]([[千本釈迦堂]])本尊坐像 重要文化財 [[行快>慶派]]作
[[二尊院]]本尊立像 重要文化財 春日作
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