「声明」(2008/08/27 (水) 15:45:33) の最新版変更点
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか
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&sizex(5){&color(red){概略}}
&bold(){声明}(しょうみょう)は、日本の伝統音楽のひとつで、仏典に節をつけ儀礼に用いられる宗教音楽である。仏、菩薩、神々を賛美する歌曲として、僧侶によって詠われる。旧字体では&bold(){聲明}と書き、梵唄(ぼんばい)・梵匿(ぼんのく)とも呼ばれる。平安時代初期には[[最澄]]と[[空海]]がそれぞれ声明を伝えて、[[天台>天台宗]]声明・[[真言>真言宗]]声明の基となった。声明を唱えることは修行として重視され、大原で盛んに行われたため大原が声明の聖地となった。なお声明は日本の歌曲の原点として、今様や平家琵琶、謡曲、浄瑠璃、小唄、長唄、民謡など他の分野に影響を与えた。
&sizex(5){&color(red){天台声明}}
[[天台>天台宗]]声明は[[最澄]]が伝えたものが基礎となり、独自の展開をした。[[最澄]]以後は円仁や安然が興隆させた。声明は[[比叡山>延暦寺]]において師資相承されてきたが、9代目寂源上人が長和元年(1012)に声明専門道場として大原に[[勝林院]]を開いた。また良忍は天仁2年(1109)大原に[[来迎院]]を建立し、山号を中国の声明発祥の地にちなみ魚山(ぎょざん)とした。やがて[[来迎院]]と[[勝林院]]の2ヵ寺が大原流の魚山声明の道場として知られるようになった。[[融通念仏宗]]、[[浄土宗]]、[[浄土真宗]]の声明は、[[天台>天台宗]]声明の系統である。
&sizex(5){&color(red){真言声明}}
[[真言>真言宗]]声明は[[空海]]が伝えたものが基礎となり、現在に至っている。 声明が体系化されてきたのは真雅以降である。寛朝はなかでも中興の祖と呼ばれ、声明の作曲・整備につとめた。鎌倉時代までは多くの流派があったが、覚性法親王により四派(本相応院流・新相応院流・醍醐流・中川大進流)にまとめられた。しかし古義[[真言宗]]の声明は江戸時代にかけて衰微・廃絶し、本相応院流・新相応院流・醍醐流は明治中期ごろまでには廃絶した。現在では、智山声明([[智積院]])、豊山声明(長谷寺)、南山進流(高野山と京都の古義[[真言宗]]寺院)に分別される。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか
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&bold(){声明}(しょうみょう)は、日本の伝統音楽のひとつで、仏典に節をつけ儀礼に用いられる宗教音楽である。仏、菩薩、神々を賛美する歌曲として、僧侶によって詠われる。旧字体では&bold(){聲明}と書き、梵唄(ぼんばい)・梵匿(ぼんのく)とも呼ばれる。平安時代初期には[[最澄]]と[[空海]]がそれぞれ声明を伝えて、[[天台>天台宗]]声明・[[真言>真言宗]]声明の基となった。声明を唱えることは修行として重視され、[[大原]]で盛んに行われたため[[大原]]が声明の聖地となった。なお声明は日本の歌曲の原点として、今様や平家琵琶、謡曲、浄瑠璃、小唄、長唄、民謡など他の分野に影響を与えた。
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[[天台>天台宗]]声明は[[最澄]]が伝えたものが基礎となり、独自の展開をした。[[最澄]]以後は円仁や安然が興隆させた。声明は[[比叡山>延暦寺]]において師資相承されてきたが、9代目寂源上人が長和元年(1012)に声明専門道場として[[大原]]に[[勝林院]]を開いた。また良忍は天仁2年(1109)[[大原]]に[[来迎院]]を建立し、山号を中国の声明発祥の地にちなみ魚山(ぎょざん)とした。やがて[[来迎院]]と[[勝林院]]の2ヵ寺が[[大原]]流の魚山声明の道場として知られるようになった。[[融通念仏宗]]、[[浄土宗]]、[[浄土真宗]]の声明は、[[天台>天台宗]]声明の系統である。
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[[真言>真言宗]]声明は[[空海]]が伝えたものが基礎となり、現在に至っている。 声明が体系化されてきたのは真雅以降である。寛朝はなかでも中興の祖と呼ばれ、声明の作曲・整備につとめた。鎌倉時代までは多くの流派があったが、覚性法親王により四派(本相応院流・新相応院流・醍醐流・中川大進流)にまとめられた。しかし古義[[真言宗]]の声明は江戸時代にかけて衰微・廃絶し、本相応院流・新相応院流・醍醐流は明治中期ごろまでには廃絶した。現在では、智山声明([[智積院]])、豊山声明(長谷寺)、南山進流(高野山と京都の古義[[真言宗]]寺院)に分別される。
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