「寂光院」(2008/12/16 (火) 14:18:20) の最新版変更点
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&sizex(6){&bold(){寂光院}}
出典: 井上光貞『日本浄土教成立史の研究』(山川出版社・1956)、『日本歴史地名大系』27(平凡社・1979)、京都府教育庁文化財保護課編『京都府の近世社寺建築』(京都府教育委員会・1983)ほか
&ref(jyakkouin.jpg) &ref(jyakkouin2.jpg) &ref(jyakkouin3.jpg)
&sizex(5){&color(red){概略}}
&bold(){寂光院}(じゃっこういん)は、京都市左京区大原草生町にある[[天台宗]]の尼寺。山号は清香山、本尊は[[地蔵菩薩]]。寺伝では開基(創立者)を聖徳太子とする。平清盛の娘、建礼門院が平家滅亡後に隠棲した地として知られる。
&sizex(5){&color(red){歴史}}
推古天皇2年(594)に聖徳太子が父用明天皇の菩提を弔うために建立したとするが、無論当代史料にはみえず、伝説にすぎない。文治元年(1185)建礼門院平徳子がこの寂光院の傍らに庵をむすび、壇ノ浦で滅亡した平家一門と、子の安徳天皇の菩提を弔う日々を過ごした。建礼門院隠棲については、『平家物語』潅頂巻によると、文治元年(1185)5月1日に[[長楽寺]]にて剃髪し「大原山のおく、寂光院と申所こそ閑にさぶらへと申ければ」という女房のすすめに従い、9月に寂光院に庵を営んだことがみえる。その後、寂光院はいかなる変遷をたどったか史料にみえない。慶長8年(1603)に[[淀殿>豊臣氏]]が父母兄弟の菩提を弔うために再興して、本堂も整備された。近江国守山の西郷氏の女子が尼となって以来、尼僧が代々住職を務める。平成12年(2000)5月9日、不審火により本堂付近から出火、木造の本堂は全焼した。本堂は平成17年(2005)6月になってようやく再建され、[[地蔵菩薩]]は焼失したものをモデルに新たに作成。平成18年(2006)10月1日に新たに宝物殿が開館した。
&sizex(5){&color(red){伽藍}}
***本堂
入母屋造、檜皮葺の本堂は、[[淀殿>豊臣氏]]の命で片桐且元が慶長年間(1596~1615)に再興したものであったが、平成12年(2000)の不審火で焼失。この際、本尊の[[地蔵菩薩]]立像も焼損し、堂内にあった建礼門院の張り子像(建礼門院の手紙や写経を使用して作ったものという)も焼失。旧本尊である[[地蔵菩薩]]立像は、寛喜元年(1229)の作で、像高約2.5m。像内に3,000躯以上の[[地蔵菩薩]]の小像ほか、多くの納入品を納めていた。火災によって本像は焼損したが、像内納入品は無事で、現在も「木造[[地蔵菩薩]]立像(焼損)」の名称で、像内納入品ともども重要文化財に指定されている。なお、新本尊は美術院国宝修理所によって3年半をかけて制作されたもので、旧本尊を忠実に模している。
***建礼門院大原西陵
寂光院の背後にある五輪塔で、高倉天皇の中宮である建礼門院平徳子の御陵。建保元年(1213)12月19日に没して、寂光院の後ろの山に墳墓が築かれたという。
&sizex(5){&color(red){文化財}}
***国宝
なし
***重要文化財(建造物)
なし
***重要文化財(美術工芸品)
木造[[地蔵菩薩]]立像(焼損)
&sizex(5){&color(red){拝観情報}}
住所 京都市左京区大原草生町676
電話番号 075-744-2545
拝観時間 9:00~17:00(12月~2月9:00~16:30、正月三が日10:00~16:00)
拝観料 500円
アクセス 京都バス「大原」下車徒歩20分
駐車場 無料駐車場あり
&sizex(5){&color(red){主な行事}}
&sizex(5){&color(red){その他}}
***京都検定出題
平成15年(2003)第1回京都検定3級出題
「平家滅亡後、出家した建礼門院が隠棲したと『平家物語』に記される大原の寺院はどこか。」
&sizex(5){&color(red){リンク}}
寂光院オフィシャル http://www.jakkoin.jp/
----
#amazon(text,image,4473013618)
&sizex(6){&bold(){寂光院}}
出典: 井上光貞『日本浄土教成立史の研究』(山川出版社・1956)、『日本歴史地名大系』27(平凡社・1979)、京都府教育庁文化財保護課編『京都府の近世社寺建築』(京都府教育委員会・1983)ほか
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&sizex(5){&color(red){概略}}
&bold(){寂光院}(じゃっこういん)は、京都市左京区[[大原]]草生町にある[[天台宗]]の尼寺。山号は清香山、本尊は[[地蔵菩薩]]。寺伝では開基(創立者)を聖徳太子とする。平清盛の娘、建礼門院が平家滅亡後に隠棲した地として知られる。
&sizex(5){&color(red){歴史}}
推古天皇2年(594)に聖徳太子が父用明天皇の菩提を弔うために建立したとするが、無論当代史料にはみえず、伝説にすぎない。文治元年(1185)建礼門院平徳子がこの寂光院の傍らに庵をむすび、壇ノ浦で滅亡した平家一門と、子の安徳天皇の菩提を弔う日々を過ごした。建礼門院隠棲については、『平家物語』潅頂巻によると、文治元年(1185)5月1日に[[長楽寺]]にて剃髪し「[[大原]]山のおく、寂光院と申所こそ閑にさぶらへと申ければ」という女房のすすめに従い、9月に寂光院に庵を営んだことがみえる。その後、寂光院はいかなる変遷をたどったか史料にみえない。慶長8年(1603)に[[淀殿>豊臣氏]]が父母兄弟の菩提を弔うために再興して、本堂も整備された。近江国守山の西郷氏の女子が尼となって以来、尼僧が代々住職を務める。平成12年(2000)5月9日、不審火により本堂付近から出火、木造の本堂は全焼した。本堂は平成17年(2005)6月になってようやく再建され、[[地蔵菩薩]]は焼失したものをモデルに新たに作成。平成18年(2006)10月1日に新たに宝物殿が開館した。
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***本堂
入母屋造、檜皮葺の本堂は、[[淀殿>豊臣氏]]の命で片桐且元が慶長年間(1596~1615)に再興したものであったが、平成12年(2000)の不審火で焼失。この際、本尊の[[地蔵菩薩]]立像も焼損し、堂内にあった建礼門院の張り子像(建礼門院の手紙や写経を使用して作ったものという)も焼失。旧本尊である[[地蔵菩薩]]立像は、寛喜元年(1229)の作で、像高約2.5m。像内に3,000躯以上の[[地蔵菩薩]]の小像ほか、多くの納入品を納めていた。火災によって本像は焼損したが、像内納入品は無事で、現在も「木造[[地蔵菩薩]]立像(焼損)」の名称で、像内納入品ともども重要文化財に指定されている。なお、新本尊は美術院国宝修理所によって3年半をかけて制作されたもので、旧本尊を忠実に模している。
***建礼門院大原西陵
寂光院の背後にある五輪塔で、高倉天皇の中宮である建礼門院平徳子の御陵。建保元年(1213)12月19日に没して、寂光院の後ろの山に墳墓が築かれたという。
&sizex(5){&color(red){文化財}}
***国宝
なし
***重要文化財(建造物)
なし
***重要文化財(美術工芸品)
木造[[地蔵菩薩]]立像(焼損)
&sizex(5){&color(red){拝観情報}}
住所 京都市左京区大原草生町676
電話番号 075-744-2545
拝観時間 9:00~17:00(12月~2月9:00~16:30、正月三が日10:00~16:00)
拝観料 500円
アクセス 京都バス「大原」下車徒歩20分
駐車場 無料駐車場あり
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***京都検定出題
平成15年(2003)第1回京都検定3級出題
「平家滅亡後、出家した建礼門院が隠棲したと『平家物語』に記される大原の寺院はどこか。」
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寂光院オフィシャル http://www.jakkoin.jp/
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