「金閣寺」(2013/08/30 (金) 11:43:21) の最新版変更点
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&sizex(6){&bold(){鹿苑寺(金閣寺)}}
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか
&ref(kinkakuji.jpg)
&sizex(5){&color(red){概略}}
&bold(){鹿苑寺}(ろくおんじ)は、京都市北区にある[[臨済宗]][[相国寺]]派の寺院で[[相国寺]]の境外塔頭。通称&bold(){金閣寺}、山号は北山(ほくざん)。名は[[足利義満>足利氏]]の法名にちなむ。[[古都京都の文化財]]の一部として世界遺産に登録されている。
&sizex(5){&color(red){歴史}}
鎌倉時代に[[藤原公経>藤原氏]]([[西園寺公経>藤原氏]])が西園寺と邸宅を造って住んでいたという。この[[西園寺>藤原氏]]家の所有地を応永4年(1397)に、[[足利義満>足利氏]]が河内国の領地と交換に譲り受け、改築と新築によって一新した。この邸宅は「北山第」、また「北山殿」とも呼ばれた。邸宅とは言え、その規模は[[京都御所]]に匹敵し、政治中枢の全てが集約され、ここで一切の政務を行った。[[義満>足利氏]]はこの地を政治・外交の中心とするとともに、中国(明)との貿易によって最新の文化を取り入れ、公家文化と武家文化、仏教文化が調和した北山文化を花開かせる。舎利殿は華やかな北山文化の象徴的存在となった。その後、[[義満>足利氏]]は征夷大将軍を子の[[義持>足利氏]]に譲ったが、実権は手放さず、北山殿にあって政務を見た。[[義満>足利氏]]の死後、[[義持>足利氏]]によって北山殿は舎利殿を残して解体され、禅寺とされて鹿苑寺と名付けられた。[[応仁の乱]]では、西軍の陣となり建築物の多くを焼失する。
金閣は戦前から(旧)国宝に指定されていたが、昭和25年(1950)、徒弟・林承賢に放火されて炎上。林は炎の中で自殺を図った(未遂に終わる)。建物は全焼し、国宝の[[足利義満>足利氏]]像も焼失。この事件は三島由紀夫の小説「金閣寺」、水上勉の小説「五番町夕霧楼」の題材にもなっている。昭和30年(1955)に再建後、現在に至る。
&sizex(5){&color(red){伽藍}}
***金閣
漆地に金箔を押した三層の建造物で正式には「鹿苑寺舎利殿」。一層が公家風の寝殿造で法水院、二層が住宅風(俗説では武家造)で潮音洞、三層が禅宗様の仏殿風で究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれる。屋根は椹(さわら)の薄い板を何枚も重ねたこけら葺で、屋上には鳳凰が飾られている。一説では、一層が公家階級、二層が武士、三層は[[義満>足利氏]]を表しているのではないかという。
***庭園
金閣の前にある鏡湖池を中心とし、葦原島など大小の島々や、当時の諸大名がきそって石を献納してその名が付けられた畠山石や赤松石・細川石などの名石が配されている。[[西芳寺>苔寺]]([[苔寺]])庭園に影響を受けて作られた。西の衣笠山を借景とした[[池泉回遊式庭園]]で、国の[[特別名勝>名勝・特別名勝]]及び[[特別史跡>史跡・特別史跡]]に指定されている。
***方丈
江戸時代に再建された本堂。襖絵は[[狩野派]]一門の筆によるもので、仏間には本尊の[[聖観音]]像が安置されている。方丈庭園には後水尾天皇お手植えと言われる侘び助椿がある。また方丈北庭の枝ぶりが帆掛け舟の形になっている「陸舟の松」は、[[足利義満>足利氏]]のお手植えとも伝わる。[[善峯寺]]や[[宝泉院]]の松と並び、京都三名松のひとつに数えられている。通常は非公開。
***大書院
方丈北側に建つ。障壁画は[[伊藤若冲]]の作。「月夜の芭蕉図」「葡萄図」「鶏図」「松に鶴図」など独創的な障壁画が200年以上にわたって飾られていたが、昭和59年(1984)に[[相国寺]]の[[承天閣美術館>相国寺]]に移された。あとには現代日本画家の加藤東一による水墨画が平成5年(1993)に奉納された。通常は非公開。
***夕佳亭
江戸時代の茶道家、[[金森宗和]]が好んだ数寄屋造の茶席で、夕日に映える金閣がことによいと言うことから、夕佳亭(せっかてい)と名付けられた。正面の床柱は「難を転じる」という言葉に掛けて南天材を用いる。三角の棚は「萩の違棚」、中央の古木が「鶯宿梅」と呼ばれる。茶席の前の石灯籠と富士型の手水鉢は、[[足利義政>足利氏]]愛用と伝わる。平成9年(1997)に解体修理が行われた。
***不動堂
本尊は[[弘法大師>空海]]作と伝えられる石[[不動明王>明王]]像。首から上の願いごとを聞くとされ、特に眼病に効くという。
&sizex(5){&color(red){文化財}}
***国宝
なし
***重要文化財(建造物)
なし
***重要文化財(美術工芸品)
大書院障壁画(紙本墨画葡萄図・紙本墨画松鶴図・紙本墨画芭蕉図・紙本墨画鶏及び秋海棠図・紙本墨画竹図、[[伊藤若冲]]筆) 絹本著色[[足利義満>足利氏]]像(2幅) 絹本著色達磨図 子元祖元高峰顕日問答語 慈聖院并寿寧院遺誡
***特別名勝
鹿苑寺庭園
***特別史跡
鹿苑寺庭園
&sizex(5){&color(red){拝観情報}}
住所 京都市北区金閣寺町1
電話番号 075-461-0013
拝観時間 9:00~17:00
拝観料 400円
アクセス 市バス「金閣寺道」下車徒歩3分
駐車場 駐車場あり(300円)
&sizex(5){&color(red){主な行事}}
2月節分 不動堂開扉法要
8月16日 不動堂開扉法要
11月21日 開山忌
11月28日 不動堂お火焚き
&sizex(5){&color(red){その他}}
***京都検定出題
平成16年(2004)第1回京都検定2級出題
「金閣寺は(中略)鹿苑寺と称した。通称の金閣は( )のこと。( )に臨んで建ち(中略)境内には、金森宗和好みの茶席( )がある。」
平成17年(2005)第2回京都検定2級出題
「世界遺産に「古都京都の文化財」に登録されている寺社等は、文化財保護法に基づく国宝建造物もしくは特別名勝の庭園があるものに限られているが、国宝建造物がある寺院は次のうちどこか。 (ア)西芳寺 (イ)慈照寺(銀閣寺) (ウ)天龍寺 (エ)鹿苑寺(金閣寺)」
「足利義満の山荘(のちの鹿苑寺)に代表され、伝統的な公家文化と新興の武家文化の融合が特徴とされる文化の名称はなにか。」
&sizex(5){&color(red){リンク}}
鹿苑寺(金閣寺)オフィシャル http://www.shokoku-ji.or.jp/ (大本山相国寺)
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&sizex(6){&bold(){鹿苑寺(金閣寺)}}
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか
&ref(kinkakuji.jpg)
&sizex(5){&color(red){概略}}
&bold(){鹿苑寺}(ろくおんじ)は、京都市北区にある[[臨済宗]][[相国寺]]派の寺院で[[相国寺]]の境外塔頭。通称&bold(){金閣寺}、山号は北山(ほくざん)。名は[[足利義満>足利氏]]の法名にちなむ。[[古都京都の文化財]]の一部として世界遺産に登録されている。
&sizex(5){&color(red){歴史}}
鎌倉時代に[[藤原公経>藤原氏]]([[西園寺公経>藤原氏]])が西園寺と邸宅を造って住んでいたという。この[[西園寺>藤原氏]]家の所有地を応永4年(1397)に、[[足利義満>足利氏]]が河内国の領地と交換に譲り受け、改築と新築によって一新した。この邸宅は「北山第」、また「北山殿」とも呼ばれた。邸宅とは言え、その規模は[[京都御所]]に匹敵し、政治中枢の全てが集約され、ここで一切の政務を行った。[[義満>足利氏]]はこの地を政治・外交の中心とするとともに、中国(明)との貿易によって最新の文化を取り入れ、公家文化と武家文化、仏教文化が調和した北山文化を花開かせる。舎利殿は華やかな北山文化の象徴的存在となった。その後、[[義満>足利氏]]は征夷大将軍を子の[[義持>足利氏]]に譲ったが、実権は手放さず、北山殿にあって政務を見た。[[義満>足利氏]]の死後、[[義持>足利氏]]によって北山殿は舎利殿を残して解体され、禅寺とされて鹿苑寺と名付けられた。[[応仁の乱]]では、西軍の陣となり建築物の多くを焼失する。
金閣は戦前から(旧)国宝に指定されていたが、昭和25年(1950)、徒弟・林承賢に放火されて炎上。林は炎の中で自殺を図った(未遂に終わる)。建物は全焼し、国宝の[[足利義満>足利氏]]像も焼失。この事件は三島由紀夫の小説「金閣寺」、水上勉の小説「五番町夕霧楼」の題材にもなっている。昭和30年(1955)に再建後、現在に至る。
&sizex(5){&color(red){伽藍}}
***金閣
漆地に金箔を押した三層の建造物で正式には「鹿苑寺舎利殿」。一層が公家風の寝殿造で法水院、二層が住宅風(俗説では武家造)で潮音洞、三層が禅宗様の仏殿風で究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれる。屋根は椹(さわら)の薄い板を何枚も重ねたこけら葺で、屋上には鳳凰が飾られている。一説では、一層が公家階級、二層が武士、三層は[[義満>足利氏]]を表しているのではないかという。
***庭園
金閣の前にある鏡湖池を中心とし、葦原島など大小の島々や、当時の諸大名がきそって石を献納してその名が付けられた畠山石や赤松石・細川石などの名石が配されている。[[西芳寺>苔寺]]([[苔寺]])庭園に影響を受けて作られた。西の衣笠山を借景とした[[池泉回遊式庭園]]で、国の[[特別名勝>名勝・特別名勝]]及び[[特別史跡>史跡・特別史跡]]に指定されている。
***方丈
江戸時代に再建された本堂。襖絵は[[狩野派]]一門の筆によるもので、仏間には本尊の[[聖観音]]像が安置されている。方丈庭園には後水尾天皇お手植えと言われる侘び助椿がある。また方丈北庭の枝ぶりが帆掛け舟の形になっている「陸舟の松」は、[[足利義満>足利氏]]のお手植えとも伝わる。[[善峯寺]]や[[宝泉院]]の松と並び、京都三名松のひとつに数えられている。通常は非公開。
***大書院
方丈北側に建つ。障壁画は[[伊藤若冲]]の作。「月夜の芭蕉図」「葡萄図」「鶏図」「松に鶴図」など独創的な障壁画が200年以上にわたって飾られていたが、昭和59年(1984)に[[相国寺]]の[[承天閣美術館>相国寺]]に移された。あとには現代日本画家の加藤東一による水墨画が平成5年(1993)に奉納された。通常は非公開。
***夕佳亭
江戸時代の茶道家、[[金森宗和]]が好んだ数寄屋造の茶席で、夕日に映える金閣がことによいと言うことから、夕佳亭(せっかてい)と名付けられた。正面の床柱は「難を転じる」という言葉に掛けて南天材を用いる。三角の棚は「萩の違棚」、中央の古木が「鶯宿梅」と呼ばれる。茶席の前の石灯籠と富士型の手水鉢は、[[足利義政>足利氏]]愛用と伝わる。平成9年(1997)に解体修理が行われた。
***不動堂
本尊は[[弘法大師>空海]]作と伝えられる石[[不動明王>明王]]像。首から上の願いごとを聞くとされ、特に眼病に効くという。
&sizex(5){&color(red){文化財}}
***国宝
なし
***重要文化財(建造物)
なし
***重要文化財(美術工芸品)
大書院障壁画(紙本墨画葡萄図・紙本墨画松鶴図・紙本墨画芭蕉図・紙本墨画鶏及び秋海棠図・紙本墨画竹図、[[伊藤若冲]]筆) 絹本著色[[足利義満>足利氏]]像(2幅) 絹本著色達磨図 子元祖元高峰顕日問答語 慈聖院并寿寧院遺誡
***特別名勝
鹿苑寺庭園
***特別史跡
鹿苑寺庭園
&sizex(5){&color(red){拝観情報}}
住所 京都市北区金閣寺町1
電話番号 075-461-0013
拝観時間 9:00~17:00
拝観料 400円
アクセス 市バス「金閣寺道」下車徒歩3分
駐車場 駐車場あり(300円)
&sizex(5){&color(red){主な行事}}
2月節分 不動堂開扉法要
8月16日 不動堂開扉法要
11月21日 開山忌
11月28日 不動堂お火焚き
&sizex(5){&color(red){その他}}
***京都検定出題
平成16年(2004)第1回京都検定2級出題
「金閣寺は(中略)鹿苑寺と称した。通称の金閣は( )のこと。( )に臨んで建ち(中略)境内には、金森宗和好みの茶席( )がある。」
平成17年(2005)第2回京都検定2級出題
「世界遺産に「古都京都の文化財」に登録されている寺社等は、文化財保護法に基づく国宝建造物もしくは特別名勝の庭園があるものに限られているが、国宝建造物がある寺院は次のうちどこか。 (ア)西芳寺 (イ)慈照寺(銀閣寺) (ウ)天龍寺 (エ)鹿苑寺(金閣寺)」
「足利義満の山荘(のちの鹿苑寺)に代表され、伝統的な公家文化と新興の武家文化の融合が特徴とされる文化の名称はなにか。」
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鹿苑寺(金閣寺)オフィシャル http://www.shokoku-ji.jp/ (大本山相国寺)
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