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大日如来


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大日如来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、佐和隆研著『仏像図典(増補版)』(吉川弘文館・1990)


概略
大日如来 (だいにちにょらい)は両界曼荼羅の本尊で大乗仏教?における如来のひとつ。空海の開いた真言宗?において最高絶対的存在で、大毘盧遮那成仏神変加持経(大日経)の教主、毘盧遮那如来でもある。不動明王は大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであるとみなされている。

名称
サンスクリット語のマハー・ヴァイローチャナ(Maha Vairocana)の音訳のまま摩訶毘盧遮那となった。その光明が遍く照らすところから遍照如来とも呼ばれ、その智慧の光は日神(ひのかみ)の威力をはるかに上まわるところから、その意をとって大日如来と呼ばれるのが一般的。「大日」という漢訳は、インドの密教僧の善無畏とその弟子の一行の案出。なお大日如来の光明神・太陽神的性格は日本では日神の天照大神と習合し、本地垂迹説(日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として現れた権現であるとする考え)においては、天照大神の本地に大日如来があてられている。極端なものには「大日本国」を「大日の本国」と読み解く者すらあった。またキリスト教伝来の初期にザビエルはキリスト教をおける神を「大日」と訳したため、仏教の一派と解釈されたこともあった。

像容
起源的には古代イランの光明神アフラ・マズダーと近親関係をもち、初期の仏教では転輪聖王や阿修羅族の王として登場する。真言宗?の両部の大経、『大毘盧遮那成仏神変加持経(大日経)』と『金剛頂経』の教主であり、胎蔵界・金剛界両曼荼羅の主尊である。あらゆる仏・菩薩以下の諸神をも統括するとされた。他の如来と異なり、宝冠を戴き、紺髪は肩に垂れ、瓔珞(ようらく=金・銀・珠宝・真珠を紐で連ねた装身具で首や胸などにつける)・環釧(かんせ=指・臂の飾り)・天衣(てんね=体に絡ませる細長い布帛)をつけた菩薩の姿をとる。金剛界大日如来は智拳印(胸の前にあげてのばした左拳の人差指を右の拳をもって握る)、胎蔵界大日如来は法界定印(結踟趺坐の膝の上に左掌を仰けておきその上に右掌をかさね二大指の先を合せささえる)を結ぶ。なお左右拳反対の智拳印や左右掌上下逆の法界定印を結ぶ作例も稀にある。彫像の場合は塔内に五仏一具の像として作られたが、独尊としても多く遺されている。五仏は法界体性智を大日とし、順に大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智を具現するものとして五智如来ともいう。金剛界五仏は大日・阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就を、胎蔵界では大日・宝幢・開敷華王・無量寿・天鼓雷音をいう。

日本における造形例
空海は大同元年(806)の帰国に際して、師の恵果より授けられた両界曼荼羅を請来した。これは真言?密教?において正系の曼荼羅とされ、繰り返し写し継がれていく。その後請来された両界曼荼羅は失われたが、転写本として神護寺の高雄曼荼羅があり、この中尊が日本における現存最古の大日如来像ということになる。教王護国寺東寺)蔵の西院曼荼羅(伝真言院曼荼羅)は宗叡請来様といわれており、また円珍が唐より請来した園城寺(三井寺)蔵の五部心観も現図系とは異なる様式のものである。また空海は舎利奉安を目的とした塔とは異なる、塔自体が大日如来そのものであるとする多宝塔を造らせた。高野山金剛三昧院・石山寺の多宝塔がそれにあたる。彫像にも美術的優品が多く、金剛峯寺の金剛界大日如来像、広隆寺の胎蔵界大日如来像などが平安時代の代表作例である。

日本における代表的な大日如来像

平安時代

広隆寺像2躯  重要文化財
清水寺像  重要文化財
奈良・唐招提寺像  重要文化財
滋賀・石山寺像  重要文化財
滋賀・向源寺(渡岸寺観音堂)像  重要文化財
大阪・金剛寺像  重要文化財
和歌山・金剛峯寺(観学院・大会堂・西塔)像  重要文化財
和歌山・金剛三昧院多宝塔像  重要文化財
福井・円照寺像  重要文化財
大分・臼杵磨崖仏大日如来像  国宝

鎌倉時代以降

教王護国寺東寺)講堂像  重要文化財  康珍作
奈良・円成寺多宝塔像  国宝  運慶作 ※平安末期にあたる安元2年(1176年)の作だが、様式上こちらに分類した


そうだ 京都、行こう。


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