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恵心僧都


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恵心僧都(源信)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)ほか


概略
源信 (げんしん)は平安時代中期の天台宗?の僧で、延暦寺の横川(よかわ)にある恵心院で修行したため、 恵心僧都 (えしんそうず)、 横川僧都 (よかわそうず)とも呼ばれる。浄土真宗?が言うところの七高僧の一人で、鎌倉時代の浄土教?や民衆仏教に大きな影響を与えた。源信の作と伝わる仏像も数多い。天慶5年~寛仁元年(942~1017)

人物史
大和国(現奈良県)当麻生まれ。父は卜部氏、母は清原氏。父の死後、信仰心の篤い母の影響により9歳で延暦寺中興の祖である良源(元三大師)の門に入り、止観業、遮那業を学ぶ。学識豊かな論議の名手として知られ、15歳のとき、村上天皇により法華八講の講師のひとりに選ばれたが、母の教えに従って人目に立つことを避け、比叡山横川の恵心院に籠もる。その後は学問と念仏に没頭するようになった。43歳で執筆を開始したといわれる『往生要集』は、現世の悪や浄土の美、地獄の恐ろしいありさまを具体的に描きだし、浄行三昧念仏を唱えることにより人々に極楽浄土の往生をすすめるもので、念仏と極楽浄土の信仰を幅広い層に浸透させた。この浄土教?説は、同本浄七教史上において先駆をなすものであり、浄土教?が広まる基礎ともなった。寛弘元年(1004)に権少僧都となったが、翌年辞退。寛仁元年(1017)臨終にあたって阿弥陀如来像の手に結びつけた糸を手にして合掌し入滅した。『源氏物語』に登場する横川の僧都は、源信をモデルにしている。主な著作に『往生要集』『因明論疏四相違略注釈』『一乗要決』など。

その他

リンク


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