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夢窓疎石


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夢窓疎石(夢窓国師)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、『うちのお寺は臨済宗』(双葉社・1997)、『古寺巡礼京都「4 天龍寺」』(淡交社・1976)


概略
夢窓疎石 (むそうそせき)は鎌倉時代末~南北朝時代にかけての禅僧で、臨済宗?の黄金時代を築きあげた。造園芸術にも才能を発揮し、数々の名庭の設計でも知られる。後醍醐天皇をはじめとした七帝から、夢窓、正覚、心宗、普済、玄猷(げんにゅう)、仏統、大円国師と諡号され「七朝帝師」と称された。建治元年~観応2年(1275~1351)

人物史
伊勢国(現三重県)出身。はじめ密教?を学ぶが、のち禅に傾倒。京都の建仁寺、鎌倉の東勝寺、円覚寺、建長寺などに歴参し、求道行脚するなど修行に励んだ。後醍醐天皇の勅請を受け南禅寺住職となるも、南北朝の対立により後醍醐天皇は吉野へ追われ、その後は新政権の足利尊氏直義兄弟から帰依を受けた。また夢窓は門弟の養成に才能があり、無極志玄、春屋妙葩、義堂周信、絶海中津、龍湫周沢らを育成し、後の五山文学の興隆を生み出す基となった。天龍寺は、夢窓の進言により尊氏が後醍醐天皇の追善目的で開創したもので、造営資金の捻出のため天龍寺船による中国(元)との貿易も促進した。相国寺は、弟子の春屋妙葩が師である夢窓を開山とし、自分は二世となったものである。77歳で没。天龍寺の開山堂である臨川寺に墓地がある。著作に『夢中問答集』など。

作風と代表的な作品
夢窓疎石が作庭したとされる庭園は多いが、はっきりと特定できるものはあまりない。有名な天龍寺庭園や西芳寺苔寺)庭園についても夢窓が入山したときには既に庭園があり、それを改修したと推測されている。また池泉の形態や石組などに夢窓以前の古い形式が見られる事も多く、どの程度手を入れたかについても諸説ある。一般的に夢窓作といわれる庭園における作風は、鎌倉期(浄土式庭園?)から室町期(枯山水庭園)への過渡期であって、うまく両者の長所を融合させており、山水画の手法を取り入れて石組を表現しているものが多い。

天龍寺庭園  天龍寺
西芳寺庭園  西芳寺苔寺
永保寺庭園  岐阜・永保寺
瑞泉寺庭園  神奈川・瑞泉寺
恵林寺庭園  山梨・恵林寺

その他

京都検定出題

平成17年(2005)第2回京都検定1級出題
「天龍寺は(中略)足利尊氏が、後醍醐天皇の冥福を祈るため、(  )上皇の亀山殿の地に開創した。庭園は国の史跡・特別名勝で、近景の亀山や遠景の嵐山を借景とした池泉回遊式で(  )の作庭といわれている。」

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