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円山応挙


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円山応挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか


概略
円山応挙 (まるやまおうきょ)は江戸中期の画家で、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。応挙を祖とするこの一派は「円山四条派」と称され、現代にまでその系譜を引く京都画壇の源流となっている。享保18年~寛政7年(1733~1795)

人物史
丹波国穴太(現京都府亀岡市)の出身。農家の次男として生まれ、15歳のときに奉公に出た。いくつか奉公先を移ったのち、ビードロや玩具を扱う尾張屋で主人に見込まれ、狩野派(鶴澤派)の石田幽汀に学ぶかたわら、眼鏡絵(風景などを西洋画の線遠近法を応用して描き、これを「覗き眼鏡」という凸レンズを嵌めた箱を通して見ると立体的に見えるというもの)を描いて西洋画法を習得した。明和3年(1766)から応挙を名乗りはじめる。応挙の意は「銭舜挙(中国宋末~元初の画家)に応ずる」ということであり、中国の大家に劣らぬ水準の絵を描こうとする意が込められているという。35歳の時に園城寺(三井寺)円満院の祐常門主の知遇を得て、新しい絵画芸術に対して思考錯誤を繰り返した。応挙のアトリエは織田信長・信忠父子を祀る大雲院?で、方丈では多くの大型作品が生み出された。二条烏丸にあった大雲院?は昭和47年(1972)に円山公園の南側に移転している。墓所は太秦にある悟真寺。主な弟子に呉春や長沢芦雪らがいる。

作風と代表的な作品
応挙は「写生の祖」といわれ、目前の対象物を観察しながら描く写生を取り入れることで、それまでの画法を大きく変化させた。応挙画は、こうした写生の技術を基礎としつつも、日本絵画の伝統的な画題を扱い、装飾性豊かな画面を創造しているところが特色である。一例として根津美術館所蔵の「藤花図」を見ると、藤の幹や枝は輪郭線を用いず、付立て(1本の筆の全体に淡墨、先端の部分に濃墨を含ませて、一筆で濃淡を表現する)の技法で大胆に描き出す一方で、藤の花房は写実的かつ繊細に描かれ、全体としては琳派を思わせるような装飾性豊かな大画面をつくり出すことに成功している。卓越した画技と平明で親しみやすい画風から、三井家をはじめとする富裕な町人層に好まれた。

雪松図屏風  三井記念美術館所蔵  国宝
七難七福図巻  承天閣美術館所蔵  重要文化財
孔雀牡丹図  承天閣美術館所蔵  重要文化財
保津川図屏風  個人蔵  重要文化財
藤花図屏風  根津美術館所蔵  重要文化財
大乗寺障壁画(165面)  兵庫・大乗寺(応挙寺)所蔵  重要文化財
魞漁図  三時知恩寺?所蔵
杉戸絵  宝鏡寺?所蔵

その他

リンク
作品を収蔵する博物館・美術館
三井記念美術館オフィシャル  http://www.mitsui-museum.jp/
根津美術館オフィシャル  http://www.nezu-muse.or.jp/
大乗寺(応挙寺)オフィシャル  http://www.daijyoji.or.jp/


そうだ 京都、行こう。


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