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哲学の道


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哲学の道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか


概略
哲学の道 (てつがくのみち)は、北は慈照寺銀閣寺)の参道にある銀閣寺橋から、南は若王子神社?付近の若王子橋に至る約2kmの小径で、琵琶湖疏水?の分流に沿って続く。疏水?の両岸に植えられた桜や紅葉の美しさは見事であり、また夏には蛍が飛び交うことから、四季を通じて多くの観光客で賑わう。

歴史
明治23年(1890)に東山山麓に琵琶湖疏水?に続く分流が開通し、疏水?沿いに小径が造られた。もともと「思索の小径」と呼ばれていたが、大正時代に活躍した京都帝国大学の講師だった西田幾多郎、田邉元ら哲学者が好んで散策し、思索にふけったことなどから「哲学の道」や「哲学の小径」と呼ばれるようになった。また、疏水?より東の山際にある細い道が、ドイツのハイデルベルクの「哲学者の道」と地形がそっくりなため、元来の「哲学の道」だったが、それがいつの間にか疏水?べりの道がそう呼ばれるようになった、という説もある。哲学の道から法然院?へ上がる道の角には西田幾多郎の歌碑があり、「人は人吾はわれ也とにかくに吾行く道を吾行くなり」という西田の言葉が刻まれている。桜並木は日本画家の橋本関雪が、妻米子の提案によって桜の苗木を買い求め、大正11年(1922)ごろに植樹したもので「関雪桜」とも呼ばれる。橋本関雪は京都画壇の重鎮だった竹内栖鳳?の門下生で、大正5年(1916)にアトリエ兼居所として自ら設計した白沙村荘(現・橋本関雪記念館)を建てて移り住んだ。白沙村荘の庭園が造られる際に琵琶湖疏水?から水を引いた縁と謝礼の意味で、京都市に対して桜木を寄贈したという。昭和43年(1968)から地元住民の環境保全の声に応じて京都市によって整備され、京都の市電が廃止されたときに路面に敷かれていた御影石を移設して、哲学の道の石畳として再利用されたことによって現在の景観となった。西田らが歩いた大正当時はあぜ道のような景観であったという。付近には慈照寺銀閣寺)、法然院?安楽寺?禅林寺永観堂)、霊鑑寺?大豊神社?等、名所・旧跡も豊富で、春には約500本の桜のトンネルが、初夏にはゲンジボタルの乱舞が、そして秋には美しい紅葉が見られる。昭和61年(1986)には「日本の道百選」に選定された。

代表的な観光・観光施設

大文字山

標高466mの如意ヶ岳の中で、五山の送り火?で知られる大文字山は約30分の散策が楽しめる山である。 銀閣寺橋からの門前の道を左へ行くと登山コースがある。山頂からは京都の市街地が一望できる。

慈照寺(銀閣寺)・法然院・禅林寺(永観堂)

慈照寺銀閣寺)、法然院?禅林寺永観堂)を参照のこと。

橋本関雪記念館(白沙村荘)

橋本関雪の邸宅跡で、自身が設計し、土を盛って整地したという。大文字山を借景とする池泉回遊式庭園、大画室、茶室、持仏堂などがある。関雪の作品の他、関雪が収集した各国の古美術品を展示する。

観光情報
住所 京都府京都市左京区浄土寺石橋町~若王子町
アクセス 市バス「銀閣寺前」下車すぐ(銀閣寺橋あたり)、市バス「宮ノ前町」下車徒歩5分(若王子橋あたり)
駐車場 付近に私営駐車場あり

その他

京都検定出題

平成16年(2004)第1回京都検定3級出題
「日本画家(  )は、大正時代に銀閣寺近くに画室をかまえて「白沙村荘」と名づけた。」

平成17年(2005)第2回京都検定3級出題
「哲学の道沿いにある西田幾多郎の石碑周辺に植えられている桜を何というか。」

リンク
白沙村荘オフィシャル  http://www.kansetsu.or.jp/


そうだ 京都、行こう。


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