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三千院


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三千院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか


概略
三千院 (さんぜんいん)は、京都市左京区大原?にある天台宗?門跡?寺院。円融房、梨本門跡、梶井門跡などとも称する。青蓮院妙法院?曼殊院?毘沙門堂とともに、天台五門跡?のひとつに数えられている。山号は魚山(ぎょざん)、本尊は薬師如来、開基は最澄。境内の往生極楽院は元来別の寺院で12世紀から大原?の地にあったもの。明治4年(1871)に三千院の本坊が移転した際に、その境内に取り込まれた。

歴史
三千院は天台五門跡?の中でも最も歴史が古く、最澄が延暦7年(788)に延暦寺を開いた時に、東塔南谷に「円融房」を開創したのがその起源という。円融房のそばに大きな梨の木があったため、後に「梨本門跡」の別称が生まれた。当時、比叡山内の寺院の多くは、山麓の平地に「里坊」と呼ばれる拠点をもっていた。貞観2年(860)、清和天皇の命により、承雲和尚が比叡山麓の東坂本に円融房の里坊を設けて「円徳院」と称したという。円徳院には加持に用いる井戸(加持井)があったことから、のちに「梶井門跡」と称するようになったという。元永元年(1118)、堀河天皇第二皇子(第三皇子とも)の最雲法親王が入寺して以来、歴代の住持として皇室や摂関家の子弟が入寺した。歴史上名高い護良親王(後醍醐天皇の皇子)も入寺したことがある。最雲法親王が座主に任命された保元元年(1156)、大原?に梶井門跡の政所(まんどころ=管理事務所)が設置された。これは、大原?に住みついた念仏行者を取り締まり、大原?にそれ以前からあった来迎院?勝林院?などの寺院を管理するために設置されたものである。大原?は古くから貴人が隠棲する場として知られていた。文徳天皇の第一皇子、惟喬親王(これたかしんのう)が大原?に隠棲したことはよく知られ、『伊勢物語』にも言及されている。藤原氏?の権力が絶大であった当時、本来なら皇位を継ぐべき惟喬親王は、権力者藤原良房?の娘・明子が産んだ清和天皇に位を譲り、自らは出家して隠棲したのであった。大原?はまた、融通念仏?天台?声明が盛んに行われた場所として知られ、天台?声明を大成した聖応大師良忍も大原?に住んでいた。坂本の梶井門跡は貞永元年(1232)の火災をきっかけに洛中に移転。各地を転々とした後、元弘元年(1331)に船岡山の東麓の寺地に落ち着くも、応仁の乱で焼失。元禄11年(1698)、徳川綱吉から御車道広小路(現在の寺町通広小路あたり)に寺地を与えられ、以後梶井門跡はこの地にあった。今日の地名にも梶井町の名を残している。明治維新の際、昌仁法親王は還俗して新たに梨本宮家を起こし、仏像、仏具類は大原?の政所に送られて以後、ここが本坊となった。明治4年(1871)に梶井門跡の仏堂の名称「一念三千院」にちなみ、三千院と改称した。

伽藍
正門にあたる境内南側の朱雀門は常時閉じられており、西側の御殿門から入る。城郭を思わせる寺周囲の石垣、白い土塀、門構えなどは門跡?寺院の政所としての風格を示すもの。境内北側には客殿と宸殿が、南側には杉苔で覆われた庭園の中に往生極楽院が建っている。境内西側は一段高くなっており、金色不動堂や観音堂、紫陽花苑などがある。また三千院の境内は声明の音階から名付けられた呂川と律川に挟まれた場所にあり、「呂律がまわらない」の語源もこの声明の音階から。

客殿

慶長年間(1596~1615)に建て替えられた旧御所?の旧材を用いて建てられた。書院や円融坊(写経場)からなる。襖絵は下村観山・鈴木松年・竹内栖鳳?・望月玉泉・今尾景年?・菊池芳文ら近代京都画檀の巨匠の筆による。客殿前に広がる池泉観賞式庭園は聚碧園と呼ばれ、江戸時代の茶人金森宗和?の作庭と伝わる。池の水は音無滝より流れ出た律川から引いている。

宸殿

大正15年(1926)、宮中の行事であった御懺法講の儀式を行うために造られたもので、京都御所?の紫宸殿を模している。中の間には本尊の秘仏薬師如来像、西の間には救世観音半跏像、不動明王立像などを安置する。東の間には下村観山の障壁画がある。本尊は長い間公開されなかったが、平成14年(2002)9月8日~10月8日に特別開扉された。宸殿前に広がる雄大な庭園は有清園と呼ばれ、弁天池を中心に杉や檜などの立木が並んだ江戸期作庭の池泉回遊式庭園。池には鶴島、亀島、山畔を利用して三段式となった「細波(さざなみ)の滝」と呼ばれる滝を配している。

往生極楽院(阿弥陀堂)

三千院の歴史の源ともいえる簡素な御堂で、寺伝では恵心僧都と姉の安養尼が寛和2年(986)に建てたものと伝えられてきたが、実際は久安4年(1148)に藤原実衡?の妻である真如房尼という女性が、亡き夫の菩提を弔うために建立したものである。単層入母屋造、こけら葺。元和2年(1616年)に大幅な修復を受けており、現在の外観はほとんどが修復時のもの。内壁には金胎曼荼羅や二十五菩薩、雲中供養菩薩、宝相華などが極彩色で描かれている。天井は船底天井として、中尊の像高約2.3mの阿弥陀如来と脇侍の観音・勢至菩薩を堂内の空間一杯に安置している。阿弥陀三尊像は久安4年(1148)の作で、檜の寄木造。来迎印を結んだ阿弥陀如来が、観音菩薩、勢至菩薩と共に西方極楽浄土から迎えに来るという来迎様式で、両脇侍が大和坐という日本式の正座をしている点が特徴である。もとは重要文化財指定だったが平成14年(2002)に改めて国宝に指定された。また往生極楽院を取り囲む杉木立と苔の庭は瑠璃光庭と呼ばれ、杉苔のところどころから童地蔵が顔をのぞかせている。

金色不動堂

三千院の祈願道場として平成元年(1989)4月に建立された。本尊は智証大師作と伝えられる金色不動明王像。年に数回の法要時のみ開扉される。

観音堂

像高約3mの金色の観音像が安置されている。観音堂の横には二十五菩薩を配して補陀落浄土に模して造られた石庭、「二十五菩薩慈眼の庭」がある。

文化財

国宝

木造阿弥陀如来坐像及び両脇侍坐像(伝恵心僧都作)

重要文化財(建造物)

往生極楽院(阿弥陀堂) 

重要文化財(美術工芸品)

木造不動明王立像 木造救世観音半跏像 慈覚大師伝 四天王寺縁起残巻 古文孝経 性空上人伝記遺続集 帝王系図 三千院円融蔵典籍文書類  

拝観情報
住所 京都市左京区大原来迎院町540
電話番号 075-744-2531
拝観時間 8:30~17:00(12~2月は8:30~16:30)
拝観料 600円
アクセス 京都バス「大原」下車徒歩10分
駐車場 徒歩圏内(約3分~10分)に私営駐車場あり

主な行事

その他

京都検定出題

平成17年(2005)第2回京都検定3級出題
「皇族・貴族の師弟が入寺・継承した特定の寺院を門跡寺院と称したが、天台宗の三門跡といえば、青蓮院、妙法院と、もうひとつはどこか。」

リンク
三千院オフィシャル  http://www.sanzenin.or.jp/


そうだ 京都、行こう。


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