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如意輪観音


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如意輪観音
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、井上一稔著『日本の美術5 No.12 如意輪観音・馬頭観音』(至文堂・1992)ほか


概略
如意輪観音 (にょいりんかんのん)は、観音信仰の展開に伴って考えだされた変化観音で六観音のひとつ。持物の力を象徴した観音で、極めて密教?的性格が強い。奈良時代後期には二臂像が造立されたが、平安時代以後は六臂像が多くつくられた。

名称
梵語チンタマニチャクラ(チンタ=如意、マニ=宝珠、チャクラ=輪)。如意とは如意宝殊、輪は法輪を意味し、如意宝珠の三昧に住して法輪を転じ六道の衆生の苦を抜き利益を与えることを本誓とする菩薩である。日本語では「如意輪観音菩薩」や「如意輪観世音菩薩」など様々な呼び方があるが、重要文化財等の指定名称は「如意輪観音」となる。

像容
二臂や六臂、十臂、十二臂など変化に富むが、一般的なのは二臂と六臂で、特に六臂像が多い。六臂は六道救済の意味をあらわすとされ、如意宝珠や念珠、蓮華、輪宝を持つほか、左第一手を座上につき、右第一手を思惟相とし、右膝を立て両足裏を合せて坐る、いわゆる半跏の姿勢となっている。まれに立像の場合もある。

日本における造形例
二臂像は奈良時代に盛行した。二臂像の右手は施無畏、左手は膝上において与願印とし、左足を垂下して盤石上に坐す。しかし半跏坐で左足を垂下した像容のものを如意輪として伝え、また半跏思惟相の菩薩をしばしば如意輪の名で誤り伝えられることが多く、石山寺や龍蓋寺(岡寺)の像は如意輪観音像ではないとの説が今日有力視されている。平安時代には密教?伝来に伴って本格的に信仰されるようになり、請来された曼荼羅による六臂像が多く造られる。著名な作例が観心寺の如意輪観音坐像で、京都では醍醐寺の如意輪観音像が平安時代前期における代表作例である。また天台系では園城寺(三井寺)の木造如意輪観音坐像が平安前期を代表する。平安後期になると、如意輪観音は天皇の護持僧の行う修法として「三壇御主法」のひとつとして定着し、園城寺(三井寺)の不動法、教王護国寺東寺)の普賢延命法と並んで、延暦寺の如意輪法の修法するという原則ができる。また宮中において、十一面観音聖観音?とともに、如意輪観音も本尊とされ、天皇の守本尊のひとつとして信仰された。また聖徳太子信仰によって太子が観音とされ、院政期には如意輪観音が聖徳太子であるとされて信仰された。鎌倉時代に入ると、西大寺の叡尊が聖徳太子信仰の持ち主であったことから、西大寺流の影響によって如意輪観音像の作例が南北朝時代までに全国に広がった。また禅宗とも関わりを有して、松尾寺の如意輪観音図は一山一寧が賛をしたことでも名高い。また鎌倉時代末期になると神仏習合思想において天照大神・竹生島明神・龍女(弁財天)と習合した。

日本における代表的な如意輪観音像

平安時代

大阪・観心寺本尊坐像  国宝
醍醐寺坐像  重要文化財
広隆寺半跏像  重要文化財
善福寺本尊坐像  重要文化財
滋賀・園城寺(三井寺)坐像  重要文化財

鎌倉時代以降

大報恩寺千本釈迦堂)立像  重要文化財
隨心院?坐像  重要文化財
奈良・東大寺大仏殿坐像  重要文化財


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