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神護寺


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神護寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか


概略
神護寺 (じんごじ)は、京都市右京区高雄にある高野山真言宗?別格本山の寺院。山号を高雄山と号する。本尊は薬師如来、開基は和気清麻呂である。京都市街の北西、 愛宕山(924m)山系の高雄山の中腹に位置する山岳寺院で、清滝川に架かる高雄橋から長い参道を歩いた先の山中に金堂、多宝塔、大師堂などの堂宇が建つ。空海教王護国寺東寺)や高野山の経営に当たる前に一時住した寺であり、最澄もここで法華経の講義をしたことがある。秋には6万坪の山内全域が錦秋に彩られ、紅葉の名所として特に著名。高雄(高尾)の神護寺、槇尾の西明寺、栂尾の高山寺を合わせ「三尾」とも呼ばれる。

歴史
神護寺は「神願寺」と「高雄山寺」というふたつの寺院が天長元年(824)に合併してできた寺である。神願寺は、和気清麻呂により8世紀の末頃に建てられたが、その所在地については河内国、大和国など諸説ある。もうひとつの前身寺院である高雄山寺(または高雄寺)は、現在の神護寺の地に古くから存在した寺院である。創立の時期や事情については明確でない。伝承では、洛北の鷹峯に鎮座していた愛宕権現を愛宕山に移座した際に、他のいくつかの山岳寺院とともに建立されたという。高雄山寺の歴史上の初見は延暦21年(802)である。この年、和気氏の当主であった和気弘世(清麻呂の長男)は伯母に当たる和気広虫(法均尼)の三回忌を営むため、最澄を高雄山寺に招請し、最澄はここで法華会(法華経の講説)を行った。弘仁3年(812)には空海が高雄山寺に住し、ここで灌頂を行った。この時、灌頂を受けた者の氏名を書き付けた空海自筆の名簿(灌頂歴名)が現存し、そこにも「高雄山寺」の寺号が見られる。天長元年(824)の太政官符(『類聚国史』『類聚三代格』など所載)によれば、この年、神願寺と高雄山寺の寺地を「交換」し、寺号を「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」とし、この寺は定額寺(官が保護を与える一定数の私寺のこと)に列せられたという。寺地の交換が行われたのは、神願寺の所在する土地に「汚穢(けがれ)」があり、仏法の道場としてふさわしくなかったからとのことである。神護国祚真言寺とは「八幡神の加護により国家鎮護を祈念する真言の寺」という意味で、この寺が密教?寺院であることを明確に示している。神護寺は、空海の後、弟子の実慧(じちえ)や真済(しんぜい)が別当(住職)となって護持されたが、平安時代末期には衰退する。仁安3年(1168)、『平家物語』などで知られる武士出身の僧、文覚(もんがく)が神護寺に参詣した際、寺が荒れ果てていることを嘆き、再興の勧進を始めた。その後、後白河法皇や源頼朝らの援助を得て、寺の再興は進められた。文覚自身は罪を得て対馬(隠岐とする説もある)に流され、配流先で生涯を終えたが、神護寺の再興は弟子の上覚(上覚房行慈)によって完遂される。なお、鎌倉時代に華厳宗を復興し、高山寺を中興した僧・明恵(みょうえ)は上覚の甥で、やはり神護寺に住したことがあった。のちに応仁の乱によりほとんどの伽藍が焼失したため、現在の伽藍は江戸期以降のもの。

伽藍

楼門

参道の急な石段(およそ350段)を上りつめた先に建つ正門。寛永6年(1629)の建立とされる。

金堂

楼門を入って境内奥へ進み、右手の石段を上った先に建つ。入母屋造、本瓦葺の本格的な密教?仏堂であるが、建築年代は新しく、昭和9年(1934)に大阪の豪商山口玄洞の寄進で建てられたもの。 正面奥には須弥壇が設けられ、中央厨子内の本尊、薬師如来像を中心として、両側には脇侍の日光・月光菩薩像、さらにその左右に十二神将像と四天王像が安置されている。薬師如来像は像高約170cmの一木造。唇に朱を、眉、瞳などに墨を塗るほかは彩色などを施さない素木仕上げの像である。目を細めて沈鬱な表情と体躯のボリューム感は、威圧感を見る者に与える。図式的に整えられた衣文などに平安時代初期特有の様式が見られる。神護寺の前身寺院である神願寺または高雄山寺のいずれかにあった像と思われるが、どちらの寺に属していた像であるかについては定説がない。

毘沙門堂

金堂へと上る石段の下に建つ。金堂が建つ前はこの堂が金堂であり、本尊の薬師如来像もここに安置されていた。元和9年(1623)の建築。内部の厨子に平安時代作の毘沙門天立像を安置する。

五大堂

毘沙門堂の背後に建つ。元和9年(1623)の建築。五大明王像を祀る。

鐘楼

元和9年(1623)の再建とされる。楼造の鐘楼で、楼上に国宝の梵鐘がある。貞観17年(875)の鋳成で、橘広相(たちばなのひろみ、宇多天皇に仕えた学者)、菅原是善(菅原道真?の父親)、藤原敏行?(能書家・歌人)という時代を代表する3名の文化人による銘文が刻まれていることにより「三絶の鐘」とも呼ばれる。通常非公開。

大師堂

入母屋造、こけら葺の住宅風の仏堂で、三方に蔀戸を設ける。空海の住房であった「納涼房」を復興したもの。現存するものは桃山期の建築で、寺伝によれば細川忠興の寄進という。内部の厨子に正安4年(1302)作の弘法大師像を安置する。

多宝塔

金堂からさらに石段を上った高みに建つ。金堂と同様に昭和9年(1934)、山口玄洞の寄進で建てられたものである。内部の黒塗りの須弥壇に本尊五大虚空蔵菩薩?像を安置する。塔内向かって右から金剛虚空蔵(緑青)、蓮華虚空蔵(赤)、法界虚空蔵(白)、業用(ごうよう)虚空蔵(黒)、宝光虚空蔵(黄)の順に横一列に坐す。各像とも筒型の宝冠を被り、大きな胸飾りと腕臂釧(わんひせん)を付ける。本尊薬師如来像と同様に平安時代初期の作品だが、作風は穏やかで、技法も異なっている。基本的には一木造だが、表面には厚く乾漆を盛り上げ、彩色を行っている。伝統的な木心乾漆の技法を踏まえながら、新たな形像を展開させた真言?密教?系造像の典型として、また最古の五大虚空蔵菩薩?像の作例としても貴重。 通常は非公開。

文化財

国宝

木像薬師如来立像 木像五大虚空蔵菩薩?像 梵鐘 灌頂歴名(空海筆) 文覚四十五箇条起請文 絹本著色山水屏風 絹本著色釈迦如来像 紫綾金銀泥絵両界曼荼羅図 絹本著色伝源頼朝像・伝平重盛像・伝藤原光能?像(各幅伝藤原隆信?筆)

重要文化財(建造物)

大師堂

重要文化財(美術工芸品)

乾漆薬師如来坐像 板彫弘法大師像 木像毘沙門天立像 木像愛染明王坐像 木像日光・月光菩薩立像 絹本著色十二天像 絹本著色足利義持像(寺伝足利義満像) 絹本著色真言?八祖像 絹本著色真済僧正像 絹本著色文覚上人像 紙本墨書神護寺略記 紙本墨書神護寺絵図 紙本墨書後宇多天皇宸翰御寄進状ほか

伝源頼朝像、伝平重盛像、伝藤原光能?像の肖像画のモデルについては、寺の根本史料である『神護寺略記』の記述などをもとに源頼朝、平重盛、藤原光能?とされてきたが、確証がないため、国宝の指定名称にも「伝」の字が付されている。従来、12世紀頃の作品で、作者は似絵の名手・藤原隆信?とされてきたが、制作年代を鎌倉末期~南北朝時代まで下降させ、像主についても足利尊氏直義義詮ではないかとする説もある。 通常は公開されていないが、毎年5月1日から5日までの期間、宝物虫払行事として本坊の書院で公開される。

拝観情報
住所 京都市右京区梅ケ畑高雄町5
電話番号 075-861-1769
拝観時間 9:00~16:00
拝観料 500円
アクセス JRバス「山城高雄」下車徒歩20分
駐車場 参道(石段)上り口から徒歩圏内(5分)に私営駐車場あり

主な行事
1月1日 新年法要
1月8日 本尊供
1月21日 御影供
2月15日 涅槃会
3月20日 彼岸会
4月8日 仏生会
5月1日~5日 宝物虫払行事
5月4日 和気公祭典
6月15日 降誕会
7月21日 文覚上人忌
8月15日 盂蘭盆会
9月18日 性仁親王忌
9月23日 彼岸会
11月4日 和気公祭典

その他
「かわらけ投げ」とは、境内西の地蔵院から谷に向けて素焼きの円盤を投げて厄除けを祈願するもの。

京都検定出題

平成16年(2004)第1回京都検定3級出題
「我が国の肖像画史上の傑作とされている国宝「(伝)源頼朝像」を所蔵する寺院はどこか。」

リンク
神護寺オフィシャル  http://www7b.biglobe.ne.jp/~kosho/


そうだ 京都、行こう。


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