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高台寺


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高台寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、『高台寺の名宝』(鷲峰山高台寺朝日新聞社・1995)ほか


概略
高台寺 (こうだいじ)は京都市東山区下河原町にある臨済宗?建仁寺派の寺院で、正しくは高台寿聖禅寺と称する。山号は鷲峰山(じゅぶざん)、本尊は釈迦如来豊臣秀吉の正妻である妻北政所(出家して高台院)が、夫の菩提を弔うために開創した。禅宗寺院であるとともに、秀吉北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院である。

歴史
高台寺は康徳寺を前身とする。その間の事情は明らかでない。両者は創建年代等を異にするが、康徳寺は天正より慶長にかけて北政所が生母のために建立した曹洞宗の寺院であったらしい。寺町にあった康徳寺が東山に移転したのは慶長10年(1605)で、この日に北政所も康徳寺に移った。時の権力者、徳川家康北政所を手厚く扱い、配下の武士たちを高台寺の普請担当に任命したという。中でも普請掛・堀直政の働きは大きかったようで、高台寺の開山堂には直政の木像が祀られている。創建当時の高台寺の仏殿は、前述の康徳寺の堂を移築・改造したものであり、方丈、茶室などは伏見城から移築したものであった。また伏見城の化粧御殿が移築されて北政所の居所とされた。高台寺の西側にある塔頭の圓徳院がその跡で、北政所は没するまでここに住んだ。落慶は慶長11年(1606)。その後短期間に住僧が次々と入れ替わったが、寛永元年7月(1624)に臨済宗?寺院の建仁寺の三江紹益を中興開山に招聘し、曹洞宗から臨済宗?に改宗している。北政所の兄・木下家定は建仁寺及び三江紹益と関係が深かったことに因るという。なお、北政所は同年9月に没している。寛政元年(1789)には火災で小方丈・庫裏などを焼失。翌年より再建が開始され、弘化4年(1847)まで工事が続けられた。ところが文久3年(1863)に越前藩主松平春嶽が政事総裁として高台寺を営所に選び、それに不満をいだいた浪士によって放火されて焼失。明治18年(1865)には仏殿を、大正2年(1913)には鐘楼を焼失し、方丈のみが明治42年(1909)に再建されたが、旧観を復するには至っていない。近年には門前の高台寺道が石畳敷きに整備され、「ねねの道?」と呼ばれるようになった。

伽藍
創建当時存在した仏殿は焼失後再建されておらず、方丈が中心的な堂宇となっている。方丈の西に庫裏、北に書院があるが、いずれも創建当時のものではない。境内東側には偃月池・臥龍池という2つの池をもつ庭園が広がり、開山堂、霊屋、茶室などが建つ。

開山堂

慶長10年(1605)の建立で、入母屋造、本瓦葺。もと持仏堂で、創建以来の建物と伝え、秀吉所用の船材と北政所愛用の御所車の遺材を使用したといわれる。内部は総瓦敷で、金地に四季の草花を描いた格天井をもつ。中興開山三江和尚像と左右脇壇厨子に北政所の兄の木下家定夫婦と、高台寺の普請に尽力した堀直政の木像を安置している。

霊屋・臥龍楼

霊屋は秀吉北政所を祀る建物で、伏見城内の北政所の館を移築したもの。慶長10年(1605)の建立で、宝形造、檜皮葺。境内北東に位置し、龍の背に似ているところから名づけられた臥龍楼と呼ばれる石段が通じている。 須弥壇中央の階段上にある厨子には本尊の随求菩薩像が安置され、その左右の厨子内には北政所秀吉の坐像を安置する。須弥壇や厨子の扉はすべて黒漆塗で、厨子の扉には秋草、松竹など、須弥壇には楽器などの絢爛豪華な蒔絵が施されている。寺所蔵の北政所所用と伝える調度品類にも同じ様式の蒔絵が施されており、これらを「高台寺蒔絵」と称している。高台寺蒔絵の特色は、金の平蒔絵(文様部分の漆を盛り上げずに、平滑に仕上げたもの)を主体に秋草などの絵画的な文様を描くことである。建物は現在南面しているが、建立当初は西面していたことから移築されたと考えられており、また解体修理の際、勾欄・階段・框・長押などの普段見られない箇所から墨書が発見され、それによると位置関係が現建築に合わず、建材を切り縮めた形跡もあり、創建時から他建材を転用したものと確認された。

傘亭・時雨亭

傘亭は正式には安閑窟という茅葺の茶室で、内部天井は、竹の垂木で傘のように放射状に並べた化粧屋根で、全体の形が唐傘に似ている所からこの名がある。伏見城から移築したものとされ、千利休?の作、秀吉好みの茶室と伝えるが、実際には江戸時代初期の造営。時雨亭と土間廊下でつながる。昭和9年(1934)の台風で倒壊し、一部の古材の除いて新しいものに取り替えられている。
時雨亭もやはり傘亭と同様に伏見城からの移築とされ、千利休?の作、秀吉好みと伝えるが、実際には江戸時代初期の造営。2階建ての茅葺の茶室で貴族住宅の流れに属する夏専用の建物。昭和9年(1934)の台風で倒壊、修復されている。

庭園・観月台

庭園は開山堂の臥龍池、偃月池を中心とした池泉回遊式小堀遠州の作と伝わる。東庭と西庭とに2分され、広さは約4,620平方メートル(約1,400坪)。桃山時代を代表する庭園として国の名勝及び史跡に指定されている。偃月池の上に配された秀吉遺愛の観月台は伏見城の遺構と伝わる。仏殿と開山堂をつなぐ楼船廊の中央にあり、庭園を見晴らすためのもので、三方唐破風造、檜皮葺。

方丈

創建当初の方丈は、文禄の役後に伏見城の建物を移築したもの。庭園は典型的な禅宗の方丈前庭で、白砂としだれ桜が美しい。

遺芳庵

方丈の背後にある田舎屋風の茶室で、近世の茶人・灰屋紹益が夫人の吉野太夫?をしのんで建てたものという。吉野窓と呼ばれる壁一杯に開けられた丸窓が特色。

表門

切妻造、本瓦葺の薬医門で、加藤清正が築造し、もと伏見城にあった門を移したと伝える。元禄8年(1695)、享保7年(1722)、延享2年(1745)、宝暦12年(1762)、昭和23~25年(1948~1950)に修理されている。

主な塔頭

圓徳院

北政所が晩年を過ごした所であり、終焉の地ともなった。寛永9年、(1632)兄の木下家定とその次男の利房によって建仁寺の三江紹益を開山に木下家の菩提寺として開かれ、高台寺の塔頭とされた。長谷川等伯の筆と伝わる襖絵は、桐紋が散らされた襖に描かれた珍しいもので、等伯が住職の留守中に一気に描きあげてしまったという。国の名勝に指定されている北庭は、伏見城の北政所化粧御殿の前庭を移築したもの。

月真院

元和2年(1616)に北政所の従弟・久林玄昌が亀井豊前守の外護により建立。慶応3年(1867)には新選組を離脱して御陵衛士に任ぜられた伊東甲子太郎らが駐屯して「高台寺党」と称された。通常非公開。

岡林院

塔頭の中では最も古く、建立は慶長13年(1608)と伝えられる。本尊は延命地蔵菩薩?。緑に覆われた落ち着いた趣の庭園は、秋になると見事な紅葉に覆われる。通常非公開。

文化財

国宝

なし

重要文化財(建造物)

開山堂 霊屋 表門 傘亭(安閑窟)及び時雨亭 観月台

重要文化財(美術工芸品)

絹本著色十六羅漢像 絹本著色豊臣秀吉像(附 絹本著色高台院像・絹本著色小早川秀秋像・紙本墨書高台院消息) 蒔絵調度類(32種) 亀甲花菱文繍箔打掛 綴織鳥獣文陣羽織 梵鐘 紙本墨書豊臣秀吉消息(4月13日付) 紙本墨書豊臣秀吉消息(8月9日付) 紙本墨画山水図(伝長谷川等伯筆、圓徳院所蔵)

名勝

高台寺庭園 旧圓徳院庭園(圓徳院北庭)

史跡

高台寺庭園

拝観情報
住所 京都市東山区下河原町526
電話番号 075-561-9966(高台寺)、075-533-4064(月真院)、075-525-0101(圓徳院)、075-533-4064(岡林院)
拝観時間  9:00~17:00
拝観料  600円(高台寺と掌美術館)、500円(圓徳院)、900円(三ヶ所共通)
アクセス  市バス「東山安井」下車徒歩5分
駐車場  隣に霊山観音の駐車場あり(拝観者は60分無料)

主な行事

その他

ライトアップ・夜間拝観

春は3月中旬~5月上旬、夏は8月初旬~中旬、秋は10月下旬~12月初旬に行われる。

京都検定出題

平成16年(2004)第1回京都検定2級出題
「高台寺は豊臣秀吉の菩提を弔うため、妻の北政所が創建した寺院であるが、前身は北政所が生母のために建立した寺院である。その寺名は何というか。」
「高台寺の塔頭である圓徳院の庭園は(中略)層塔の笠を利用した珍しい形の手水鉢があるが何の手水鉢と呼ばれているか。」

平成17年(2005)第2回京都検定3級出題
「ねねの道とは、(  )の正室が高台寺で余生を送ったことにちなんで名づけられた。」

平成17年(2005)第2回京都検定2級出題
「傘亭とともに伏見城の遺構と伝えられる高台寺の茶室の名前は何か。」

リンク
高台寺オフィシャル  http://www.kodaiji.com/


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