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伏見稲荷大社
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伏見稲荷大社
出典: 『重要文化財伏見稲荷大社本殿修理工事報告書』(京都府教育庁文化財保護課・1960)、京都府教育庁文化財保護課編『京都府の近世社寺建築』(京都府教育委員会・1983)ほか
出典: 『重要文化財伏見稲荷大社本殿修理工事報告書』(京都府教育庁文化財保護課・1960)、京都府教育庁文化財保護課編『京都府の近世社寺建築』(京都府教育委員会・1983)ほか
概略
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は、京都市伏見区深草薮之内町にある神社で、稲荷神を祀る全国4万余の稲荷社の総本社。稲荷山の麓に本殿があり、山全体を神域とする。祭神は宇迦之御魂大神。旧社格は官幣大社。ご利益は五穀豊穰、商売繁盛など。
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は、京都市伏見区深草薮之内町にある神社で、稲荷神を祀る全国4万余の稲荷社の総本社。稲荷山の麓に本殿があり、山全体を神域とする。祭神は宇迦之御魂大神。旧社格は官幣大社。ご利益は五穀豊穰、商売繁盛など。
歴史
創建については『二十二社註式』によると和銅4年(711)のこととされる。『山城国風土記』には、秦公伊侶具(はたのきみのいろく)が餅を的としたところ、白鳥となって飛び立ち「伊祢奈利(いねなり=稲)」が生えたので、それを社の名としたという(餅が新たな稲を生むという、稲荷神の農耕神としての性格がみえる)。稲荷神は当初稲荷山の山頂三ヶ峰に鎮座していたが、永享10年(1438)に現在のように山上から現在地に移った。延久4年(1072)3月には後三条天皇の行幸があり、以降鎌倉時代にわたって歴代天皇が行幸する慣例となる。嘉禄2年(1226)、稲荷上中両社の御旅所の火災により神体が焼失。応仁2年(1468)には、西軍(応仁の乱の山名方)の兵が稲荷山でゲリラ活動を行う東軍(細川方)の盗賊骨皮道賢を攻撃して放火したため、社殿を尽く焼失した。その後、豊臣秀吉による伏見城と城下町の建築にともない、天正17年(1589)に諸殿が修復された。伏見街道沿いという立地もプラスに働いたとされるが、聚楽第を営んだ際にも稲荷社を勧請したところをみると、秀吉が稲荷神に深い崇敬をよせていたと考えられる。それまで畿内中心であった稲荷社への信仰は、この事により全国的な広がりを持つようになる。明治4年(1871)に官幣大社に列せられたが、戦後は国家管理を離れ、昭和21年(1946)に宗教法人伏見稲荷大社となった。社家には学者が多く、国学者の荷田春満も社家の出身である。境内には荷田春満の旧宅が保存されており、荷田春満を祭神とする東丸神社もある。
創建については『二十二社註式』によると和銅4年(711)のこととされる。『山城国風土記』には、秦公伊侶具(はたのきみのいろく)が餅を的としたところ、白鳥となって飛び立ち「伊祢奈利(いねなり=稲)」が生えたので、それを社の名としたという(餅が新たな稲を生むという、稲荷神の農耕神としての性格がみえる)。稲荷神は当初稲荷山の山頂三ヶ峰に鎮座していたが、永享10年(1438)に現在のように山上から現在地に移った。延久4年(1072)3月には後三条天皇の行幸があり、以降鎌倉時代にわたって歴代天皇が行幸する慣例となる。嘉禄2年(1226)、稲荷上中両社の御旅所の火災により神体が焼失。応仁2年(1468)には、西軍(応仁の乱の山名方)の兵が稲荷山でゲリラ活動を行う東軍(細川方)の盗賊骨皮道賢を攻撃して放火したため、社殿を尽く焼失した。その後、豊臣秀吉による伏見城と城下町の建築にともない、天正17年(1589)に諸殿が修復された。伏見街道沿いという立地もプラスに働いたとされるが、聚楽第を営んだ際にも稲荷社を勧請したところをみると、秀吉が稲荷神に深い崇敬をよせていたと考えられる。それまで畿内中心であった稲荷社への信仰は、この事により全国的な広がりを持つようになる。明治4年(1871)に官幣大社に列せられたが、戦後は国家管理を離れ、昭和21年(1946)に宗教法人伏見稲荷大社となった。社家には学者が多く、国学者の荷田春満も社家の出身である。境内には荷田春満の旧宅が保存されており、荷田春満を祭神とする東丸神社もある。
建築物
本殿
奥宮に対して下御殿と称される。五間社流造、檜皮葺で明応年間(1492~1501)に建立、天正17年(1589)に豊臣秀吉によって修復された。懸魚の金覆輪や垂木鼻の錺金具、前拝に付けられた蟇股等の意匠に桃山期の豪放な趣がある。文政2年(1819)、大正2年(1913)、昭和26年(1951)、昭和35年(1960)に修理されている。
外拝殿・内拝殿
外拝殿は天保11年(1840)の建立で、入母屋造、檜皮葺。垂木の菊の紋はかっての官幣大社の名残りである。軒先の灯籠には黄道十二宮の星座の意匠が施されている。内拝殿は入母屋造、銅板葺。昭和35年(1960)の本殿修復の際の唐破風向拝撤去の際に新造され、唐破風向拝が移された。
楼門
天正17年(1589年)、豊臣秀吉によって造営。秀吉の母、大政所の病気平癒祈願が成就すれば一万石奉加する、と記したいわゆる「命乞いの願文」が伝来する。昭和48年(1973)に行われた解体修理で、願文の年次と同じ「天正17年」の墨書が発見された。
御茶屋
17世紀前半の建立で、上部桟瓦葺、腰廻檜皮葺、入母屋造。社伝によれば、慶長11年(1606)に仙洞御所?にあった御茶屋を後水尾天皇より下賜されたという。寛永18年(1641)に禁中古御所?を拝領したものという説がある。明治22年(1889)までは楼門の南西にあったが、荒廃したため譲渡されて現在地に移転。大正15年(1926)に当社が購入した。通常非公開。
稲荷山と各社
標高232mで東山三十六峰の最南端の山。一の峰、二の峰、三の峰があり、三ヶ峰と通称される。神奈備(かんなび=森や丘、山などの神の憑る、社殿発生以前の神社の原初形態)の遺跡で、全山が稲荷信仰の対象となっている。奥の院・膝松さん・谺(こだま)の池・御膳池(御前谷)・おせき社・御剣社・御産場稲荷・大八島社があり、「お山巡り」と称して参詣する人で賑わう。
千本鳥居
稲荷山頂にかけての参拝路に約2万ともいわれる朱塗の鳥居が林立するが、特に本殿から奥社奉拝所への道筋にはトンネル状に夥しい鳥居が居並ぶ。
奥社奉拝所
本殿の東側、千本鳥居をぬけたところにあり、一般には「奥の院」の名で知られる三間社流造、檜皮葺の社殿。17世紀前半の建立。奉拝所の右側にある一対の石灯篭は「おもかる石」と呼ばれ、願い事を念じて石灯篭の空輪(頭)を持ち上げ、予想していたよりも軽ければ願い事が叶い、重ければ叶い難いという。
文化財
国宝
なし
重要文化財(建造物)
本殿 御茶屋
重要文化財(美術工芸品)
なし
史跡
荷田春満旧宅
拝観情報
住所 京都市伏見区深草薮ノ内町68
電話番号 075-641-7331
拝観時間 終日
拝観料 境内自由
アクセス JR奈良線「稲荷駅」下車すぐ
駐車場 無料駐車場あり(祭事により使用不可日あり)
住所 京都市伏見区深草薮ノ内町68
電話番号 075-641-7331
拝観時間 終日
拝観料 境内自由
アクセス JR奈良線「稲荷駅」下車すぐ
駐車場 無料駐車場あり(祭事により使用不可日あり)
主な祭事
1月1日 歳旦祭
1月5日 大山祭
1月成人の日 成年祭
1月12日 奉射祭
2月節分 節分祭
2月初午 初午大祭
4月1日 献花祭
4月8日に近い日曜日 産業祭
4月12日 水口播種祭
4月20日に近い日曜日 稲荷祭・神幸祭
4月下旬 稲荷祭・区内巡幸
5月3日 稲荷祭・還幸祭
6月10日 田植祭
6月30日 大祓式
7月土用入り後の日曜日もしくは祭日 本宮祭
10月体育の日の前々日・前日 講員大祭
10月24日 献茶祭
10月25日 抜穂祭
11月1日 献花祭
11月8日 火焚祭
11月8日 御神楽
11月23日 新嘗祭
12月31日 大祓式
1月1日 歳旦祭
1月5日 大山祭
1月成人の日 成年祭
1月12日 奉射祭
2月節分 節分祭
2月初午 初午大祭
4月1日 献花祭
4月8日に近い日曜日 産業祭
4月12日 水口播種祭
4月20日に近い日曜日 稲荷祭・神幸祭
4月下旬 稲荷祭・区内巡幸
5月3日 稲荷祭・還幸祭
6月10日 田植祭
6月30日 大祓式
7月土用入り後の日曜日もしくは祭日 本宮祭
10月体育の日の前々日・前日 講員大祭
10月24日 献茶祭
10月25日 抜穂祭
11月1日 献花祭
11月8日 火焚祭
11月8日 御神楽
11月23日 新嘗祭
12月31日 大祓式
その他
京都検定出題
平成16年(2004)第1回京都検定2級出題
「祭と行われる神社について誤っているものを選びなさい。 (ア)烏相撲・上賀茂神社 (イ)田植祭・伏見稲荷大社 (ウ)水祭・貴船神社 (エ)名月管弦祭・平安神宮」
「祭と行われる神社について誤っているものを選びなさい。 (ア)烏相撲・上賀茂神社 (イ)田植祭・伏見稲荷大社 (ウ)水祭・貴船神社 (エ)名月管弦祭・平安神宮」
平成17年(2005)第2回京都検定3級出題
「おくどさんの荒神棚には、布袋さんを並べる風習があるが、この布袋さんは( )をお参りしたときに買う。」
「京都の俗諺で、天候を表しているものはどれか。 (ア)稲荷詣に愛宕詣 (イ)白川夜船 (ウ)京の茶漬 (エ)鴨川の水、双六の賽、山法師」
「おくどさんの荒神棚には、布袋さんを並べる風習があるが、この布袋さんは( )をお参りしたときに買う。」
「京都の俗諺で、天候を表しているものはどれか。 (ア)稲荷詣に愛宕詣 (イ)白川夜船 (ウ)京の茶漬 (エ)鴨川の水、双六の賽、山法師」