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平等院


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平等院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか


概略
平等院 (びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏?ゆかりの寺院。山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来浄土宗?天台宗?を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は藤原頼通?、開山(初代住職)は明尊である。平安時代後期である11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを現在に伝え、古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。

歴史
京都南郊の宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる左大臣源融(みなもとのとおる)が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998)、関白藤原道長?の別荘「宇治殿」となったものである。道長?は万寿4年(1027)に没し、その子の関白藤原頼通?は永承7年(1052)に宇治殿を寺に改めた。これが平等院の始まりである。創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり、大日如来を本尊としていたが、天喜元年(1053)には、西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立された。また平等院には、鳳凰堂以外にも法華堂、多宝塔、五大堂、不動堂などの堂塔が建ち並んでいたのだが、建武3年(1336)の楠木正成と足利氏の軍勢による兵火をはじめ、度重なる災害により堂塔は廃絶し、鳳凰堂のみが奇跡的に災害をまぬがれて存続している。平安時代後期の京都では、平等院以外にも皇族・貴族による大規模寺院の建設が相次いでいた。藤原道長?は寛仁4年(1020)、無量寿院(のちの法成寺)を建立、また11世紀後半から12世紀にかけては白河天皇勅願の法勝寺を筆頭に、尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺、延勝寺のいわゆる「六勝寺」が現在の岡崎あたりに相次いで建立された。しかし、歴史書に名をとどめるこれらの大伽藍も今は跡形もなく、平安時代の貴族が建立した寺院が残存するという点で、平等院はかけがえのない存在となっている。
近年、庭園の発掘調査・復元、鳳凰堂堂内装飾のコンピュータグラフィックスによる再現などが行われている。平成13年(2001)にはそれまでの「宝物館」に代わり、「平等院ミュージアム鳳翔館」がオープンした。

伽藍

鳳凰堂(阿弥陀堂)

天喜元年(1053)の建立。庭園の池の中島に東向きに建つ。南北31.8m、東西41.5m、高さ13.6m。本尊阿弥陀如来像を安置する中堂、左右の翼廊、中堂背後の尾廊の計4棟が「平等院鳳凰堂」として国宝に指定されている。中堂は入母屋造、裳階付。正面中央の扉を開放すると、外からも本尊の顔が拝めるようになっている。阿弥陀如来の住する極楽浄土は西方にあると信じられており、池の東岸(あるいは寺の前を流れる宇治川の東岸)から、向かい岸(彼岸)の阿弥陀如来像を拝するように意図されていたと思われる。中堂の屋根上には一対の鳳凰像が据えられているが、現在屋根上にあるのは複製で、本物は取り外して別途保管されている。本尊を安置する須弥壇は螺鈿(らでん)や飾金具で装飾され、周囲の扉や壁は極彩色の絵画で飾られ、天井や柱にも彩色文様が施されていた。壁面には楽器を奏で、舞いを舞う姿の雲中供養菩薩像の浮き彫りがあり、本尊の頭上には精巧な透かし彫りの天蓋(てんがい)を吊る。現在、壁画は剥落が激しく、柱や天井の装飾は色あせ、須弥壇の螺鈿は脱落しているが、創建当時の堂内は、当時の貴族が思い描いた極楽のイメージを再現した、華麗なものであったと思われる。なお、全体の姿が翼を広げた鳳凰のようであることから「鳳凰堂」と呼ばれることとなったのは江戸時代からで、当初は「阿弥陀堂」あるいは単に「御堂」と呼ばれていた。
本尊の木造阿弥陀如来坐像は、大仏師定朝の確証がある唯一の作。定朝が制作した仏像はのちにことごとく失われ、晩年の作品である平等院像は、彼の作風を具体的に知ることのできる唯一の遺品として、きわめて貴重なもの。雲中供養菩薩像は、鳳凰堂中堂の長押上の壁を飾る浮き彫りの菩薩像。飛雲に乗り、阿弥陀如来とともに来迎する菩薩像を表わしたもので、琴、笛、琵琶、太鼓などの楽器を奏する像が多い。全部で52躯現存するが、うち51躯が国宝に指定されている(指定外の1躯は、国宝指定後に堂外から発見されたものといわれている)。本尊阿弥陀如来像と同様、天喜元年(1053)の作とされるが、補修はかなり多く、頭部が明治時代の修理で補作されているものと、像全体が鎌倉時代の補作であるものが各数躯ある。当初全部で何躯あったのかは定かでない。

観音堂

鎌倉時代前期に創建当時の本堂跡に再建された建造物で、寄棟造、本瓦葺。内部には法橋徳応作の二天像と平安時代作の不動明王像が祀られている。観音堂に隣には樹齢250年という有名な藤棚がある。

庭園

鳳凰堂を中心とし、その周りを阿字池が取り囲むような意匠の、平安末期の浄土思想?を具現化した典型的な浄土式庭園?である。近年の発掘調査に基づき、州浜状の護岸などが復元され、阿字池に反り橋が架け直された。国の名勝及び史跡に指定されている。

浄土院・最勝院

現在の平等院は、浄土宗?の浄土院と、天台宗?系の最勝院(ともに鳳凰堂の西側にある)というふたつの寺院が共同で管理している。浄土院は明応年間(1492~1501)、最勝院は承応3年(1654)の創始であり、平等院が両宗の共同管理となったのは、天和元年(1681)、寺社奉行の裁定によるものである。

鳳翔館

旧宝物館に代わって平成13年(2001)に開館したミュージアム。展示物は、梵鐘、雲中供養菩薩26躯、鳳凰一対などの国宝の文化財をはじめ、鬼瓦や土器など発掘調査の出土品など多数。最新のデジタル技術を用いた鳳凰堂内部の彩色の再現映像も閲覧できる。

扇の芝・源頼政供養塔・源頼政の墓

源頼政は平安末期の武将で、文武両道に長けた人物と伝わる。平家の専横を憎む後白河法皇の皇子・高倉宮以仁王(たかくらのみやもちひとおう)が平家追討の令旨を発するに及んで、頼政は宮と共に園城寺(三井寺)で挙兵する。追手から逃れて奈良へ向かうが宇治で捕捉され、戦いに敗れて平等院の境内に扇を敷いた上で自害したという。観音堂の傍らにある「扇の芝」は頼政が自害した跡といわれる場所で、扇型の芝生がある。また浄土院に頼政の供養塔、最勝院には墓が残る。

文化財

国宝

鳳凰堂 鳳凰堂中堂壁画 木像阿弥陀如来坐像(定朝作) 木像雲中供養菩薩像(現存52躯のうち51躯) 木像天蓋 梵鐘 金銅鳳凰 

重要文化財(建造物)

観音堂 浄土院養林庵書院

重要文化財(美術工芸品)

木像十一面観音立像

名勝

平等院庭園

史跡

平等院庭園

拝観情報
住所 京都府宇治市宇治蓮華116
電話番号 0774-21-2861
拝観時間 庭園 8:30~17:30(12月~2月9:00~16:30)、鳳翔館 9:00~17:00(12月~2月 9:00~16:00)、
         鳳凰堂 9:30~16:30(12月~2月 9:30~15:50)
拝観料 600円(庭園と鳳翔館)、鳳凰堂300円(変更の可能性あり)
アクセス JR奈良線「宇治駅」下車徒歩10分
駐車場 徒歩圏内(約1分)に私営駐車場あり(500円)

主な行事
1月1日 修正会
3月2日 関白頼通?
3月彼岸 春季彼岸会
5月26日 頼政忌
9月彼岸 秋季彼岸会
11月25日 十夜会
12月31日 除夜会

その他

京都検定出題

平成16年(2004)第1回京都検定2級出題
「永承7年(1052)、父である藤原道長の別荘、宇治殿を仏寺に改め、平等院としたのは誰か。」
「平等院の阿弥陀如来像(国宝)の作者は誰か。 (ア)運慶 (イ)定朝 (ウ)覚助 (エ)長勢」

平成17年(2005)第2回京都検定2級出題
「現世に極楽浄土を再現し、「極楽いぶかしくは宇治の御寺をいやまへ」ともいわれた平等院の本尊はなにか。」
「(京都府下に)現存する最古の木造建築物として国宝に指定されているのはどれか。 (ア)法界寺阿弥陀堂 (イ)平等院鳳凰堂 (ウ)大報恩寺本堂 (エ)醍醐寺五重塔」

リンク
平等院オフィシャル  http://www.byodoin.or.jp/


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