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仁和寺


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仁和寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか


概略
仁和寺 (にんなじ)は、京都府京都市右京区御室にある真言宗?御室派総本山の寺院。山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇である。皇室とゆかりの深い寺で、出家後の宇多法皇が住したことから「御室御所」の別名があり、桜の名所としても知られる。徒然草に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。

歴史
仁和寺は光孝天皇の勅願で仁和2年(886)に建て始められたが、同天皇は寺の完成を見ずに翌年死去した。遺志を引き継いだ宇多天皇によって、仁和4年(888)に落成し、年号をとって仁和寺と号した。宇多天皇は出家後、仁和寺伽藍の西南に御室と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、「御室御所」の別称がある。なお、御室の旧地には現在、「仁和寺御殿」と称される御所風の建築群が建つ。宇多天皇が入道親王として初代住職を務めて以来、歴代の住職を法親王(出家後に親王宣下を受けた皇子)などの皇族が務める、いわゆる「宮門跡寺院?」となった。平安中期から鎌倉初期には皇族や貴族の庇護を受けて最も栄えたが、応仁の乱の戦火により、ほとんどの伽藍が焼失した。その後、寛永年間(1624~1644)になってようやく、徳川家光の寄進により伽藍が整備された。また、寛永年間の皇居建て替えに伴い、旧皇居の紫宸殿、清涼殿、常御殿などが仁和寺に下賜され、境内に移築された。のちに本坊、宸殿などが明治期の火災で焼失したが、寛永中興時の伽藍を未だ数多く残す。慶応3年(1867)に第30世門跡?、純仁法親王が還俗したことで、宮門跡?としての歴史は終わった。
また御室に釜を築き「古清水」と呼ばれる色絵陶器を完成させた野々村仁清の号は、「仁」和寺と本名の「清」右衛門に因む。

伽藍

金堂

慶長18年(1613)に造営された京都御所?の紫宸殿を移築したもの。入母屋造、当初屋根は檜皮葺であったが、後に本瓦葺になった。そのほか仏堂として内部に須弥壇が設けられた以外は、大きな改変を受けずに現存する。最古の紫宸殿の遺構であり、平安時代の寝殿造の様式を今に伝える貴重な建造物。内部は通常非公開。

二王門

江戸初期に建立。入母屋造、本瓦葺の典型的な二階二重門。南禅寺三門、知恩院三門と並んで「京都三大門」のひとつに数えられる(諸説あり)。前2者が禅宗様なのに対し、二王門は純和様建築である。

五重塔

寛永21年(1644)に創建。各層の屋根の大きさがあまり変わらないのが特徴で、近世の建築様式の特色を示す。総高は約36m。

御影堂

金堂と同様に、京都御所?の清涼殿の古材を使用して寛永18年(1641)に建立された。檜皮葺。蔀戸や長押(なげし)の金具などに清涼殿時代の名残りが見られる。内部には弘法大師や宇多天皇などの御影が祀られている。

観音堂

江戸時代に建造。堂内には須弥壇が置かれ、十一面観音像のほか二十八部衆などが祀られている。現在は仁和寺に伝わる法流の伝授など、密教?儀式の伝承や修行道場として使用されている。内部は通常非公開。

御殿(宸殿・白書院・黒書院・霊明殿)

御殿は勅使門、宸殿、白書院、黒書院、霊明殿、白砂の南庭、池泉回遊式庭園の北庭で構成されている。江戸初期に宸殿として京都御所?の常御殿を下賜されたが、明治20年(1887)に焼失。大正にかけて御殿全体が新築された。
宸殿は御室御所址を代表する建物で、本来は門跡?の御座所だったが、現在は儀式や式典に使用されている。桃山様式を取り入れた本格的な書院造で3つの部屋より構成されている。南庭には左近の桜、右近の橘が、北庭には中央に心字の池がある。
白書院は対面所として使用された。三室の襖絵はすべて松を画題としており、昭和12年(1937)に福永晴帆により描かれたもの。
黒書院は花園にあった旧安井門跡?の寝殿を移築したもの。内部は5部屋に分かれており、襖絵は全て堂本印象によって描かれた。
御殿のもっとも北側にある霊明殿には、仁和寺の歴代門跡?の位牌が祀られている。本尊は秘仏薬師如来坐像。

飛濤亭・遼廓亭

ともに御殿北側の築山にある茶室で、通常は非公開である。
飛濤亭は江戸時代末期に光格天皇の好みで建てられた草庵風の茶席。四畳半の席に台目(だいめ=一畳の4分の3)の洞床がつけられており、南向きのため内部は明るい。また天皇ゆかりの茶室なので、通常の躙口(にじりぐち)ではなく、貴人口(きにんぐち)としている。
遼廓亭は江戸時代の画家、尾形光琳?の屋敷から移築された茶席。

文化財

国宝

金堂 木像阿弥陀如来像及び両脇侍像 木像薬師如来坐像 絹本著色孔雀明王像 宝相華蒔絵宝珠箱 三十帖冊子 宝相華迦陵頻迦蒔絵[土塞]冊子箱 新修本草 黄帝内経明堂・太素 医心方 高倉天皇宸翰御消息 後嵯峨天皇宸翰消息 御室相承記

重要文化財(建造物)

二王門 五重塔 御影堂 御影堂中門 観音堂 中門 鐘楼 経蔵 九所明神本殿 本坊表門 飛濤亭 遼廓亭

重要文化財(美術工芸品)

木像愛染明王坐像 木像文殊菩薩坐像 木像増長天多聞天像 木像吉祥天?立像 木像悉達太子坐像 紙本墨書別尊雑記ほか多数

木造阿弥陀三尊像は金堂に安置されていたが、現在は寺内の霊宝館に移されている。仁和4年(888)創建時の本尊とするのが通説だが、和様化の進んだ作風等から見て、仁和寺創建当時のものではなく、10世紀頃の作とする見方もある。木造薬師如来坐像は本坊北側にある霊明殿の秘仏本尊。昭和61年(1986)京都国立博物館の調査で初めて概要が明らかになり、国宝に指定された。康和5年(1103)、白河天皇の皇子覚行法親王の発願により仏師円勢と長円が造像したものである。本体の像高11cm、光背と台座を含めても24cmほどの白檀材の像で、光背には七仏薬師像と日光・月光菩薩、台座には前後左右各面に3躯ずつの十二神将を表わす。宝相華蒔絵宝珠箱(ほうそうげ まきえ ほうじゅばこ)は平安時代前期の漆工芸品。蒔絵の初期の遺品として貴重。三十帖冊子は、空海が唐から持ち帰った写経30冊で、一部に空海自筆を含む。宝相華迦陵頻伽蒔絵[土塞]冊子箱(ほうそうげかりょうびんが まきえ そく さっしばこ)は平安時代の漆工芸品。三十帖冊子を納入するために醍醐天皇の命で作られたという。高倉天皇宸翰消息は若くして死去した天皇18歳時の筆で、現存唯一の遺筆(「宸翰(しんかん)」は天皇の直筆、「消息」は手紙の意)。御室相承記は仁和寺の歴代法親王の記録。鎌倉時代の筆。

名勝

御室桜

史跡

仁和寺御所跡

拝観情報
住所 京都市右京区御室大内33
電話番号 075-461-1155
拝観時間 御殿9:00~16:30(受付終了16:00)、境内7:30~16:30
         霊宝館は春期 4/1~5月第4日曜日、秋期 10/1~11/23のみ公開
拝観料 境内自由(桜の花期は300円)、御殿500円、霊宝館500円(共通券800円)
アクセス 市バス「御室仁和寺」下車すぐ
駐車場 駐車場あり(500円)

主な行事
1月1日 修正会
1月6日 御室流華道生初式
1月7日 大般若会
1月21日 献米供(護符授与式)
2月節分の日 大般若転読法要(節分会)
2月15日 常楽会
2月下旬 土砂加持
3月彼岸 彼岸会
3月21日 正御影供
4月1日~5月第4日曜日 春季名宝展
4月8日 仏生会
4月18日 観音大祭
桜開花期 桜まつり
5月中旬 御室流華道全国挿花大会
5月下旬 大般若転読法要
6月15日 宗祖弘法大師降誕会
8月15日 盂蘭盆会
9月8日 御国忌
9月21日 彼岸会
10月1日~11月23日 秋季名宝展
11月中 仁和会会員物故者慰霊祭
12月1日 伝法灌頂

毎月21日 御影供
毎月28日 大黒天招福護摩供

その他

京都検定出題

平成17年(2005)第2回京都検定2級出題
「仁和寺の通称「御室」は、創建した天皇がのちに出家し、寺内に自らの御室(僧坊)を建立したことに由来するといわれるが、その天皇はだれか。」

平成17年(2005)第2回京都検定1級出題
「江戸初期、御室に釜を築き、古清水と呼ばれる色絵陶器を完成させたのは誰か。」

リンク
仁和寺オフィシャル  http://web.kyoto-inet.or.jp/org/ninnaji/


そうだ 京都、行こう。


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