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14話


《偽典・八戸のぶなが物語14》

5月の半ばになると、八戸は急に打ち込まれるような場面が増えた。
プロのスコアラーやコーチ、選手の眼力を甘く見てはいけない。その頃になると、八戸の微妙な癖が他球団に見抜かれだしたのだ。
八戸のジャイロボールはほとんど攻略不可能といえるほどの魔球である。だが、完璧ではなかった。何球かに一回の割合で死んだ球、いわゆる抜け球が混じってしまう。ライバルたちは、その抜け球を狙った。
また敵はその抜け球を誘発する努力も惜しまなかった。絶好球が来るまで、待球作戦を取るようになったのである。
2ストライクまでは見送り、そこからはファールでひたすら粘りまくる。八戸は極端に持ち球が少なかったので、
(なにしろ極論すれば八戸はこれまでジャイロボールのみで押えられたのだ)
プロの技術をもってすれば、打つことまでは無理でもカットすることはそれほど困難ではなかった。
またこの作戦には副産物的な効果もあった。まだ高校を出たばかりの八戸のぶながの肉体は体力的に充実しているとは言えず、見事なまでにこの作戦によってスタミナを奪われてしまったのである。
八戸は大崩れこそしなかったものの、開幕当初ほどの輝きを放てなくなってしまった。
5月末日。犬飼小次郎監督は八戸のぶながの1軍登録を抹消した。


…だが、八戸は2軍送りにはならなかった。八戸の先輩であり犬飼監督の実の弟である犬飼知三郎投手にマンツーマンでついて、彼の代名詞である魔球「ドックル」を学んでいたのである。
これは監督の指示だった。八戸のぶながは緩急をつけたピッチングを学べば飛躍的に伸びる。監督はそう考えたのだ。
兄からの頼みに知三郎投手も快く応じ、自分の商売道具ともいえる魔球を伝授してくれた。6月の間、八戸のぶながは1軍に帯同しながら一度も登板せず、ひたすらドックルの習得に努めた。
そして7月に入り、最初の試合。マウンドには帰ってきた八戸の姿があった。
彼の投球を見た観客は言葉を失った。それまで剛球一辺倒だった八戸の投球が、ドックルを加え変幻自在なそれへと進化を遂げていたのだ。
相手チームのバットは面白いように空を舞った。八戸は九回までただの一人も一塁を踏ませることはなかった。

八戸のぶながは入団1年目にしてノーヒットノーランを達成したのである。鮮烈にして完ぺきな復活劇だった。