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夜兎と範馬」(2008/08/16 (土) 22:59:08) の最新版変更点

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**夜兎と範馬 ◆6YD2p5BHYs 月明かりの下、少年は唐突に足を止めた。 「……あ、そうだ」 「何か忘れ物でもしたアルか?」 病院近くの、何の変哲もない民家の玄関先。そこから数歩踏み出したところで。 急に動きを止めた江戸川コナンに、神楽は怪訝そうな顔を向ける。 波乱万丈の大暴れの末、勇次郎も撒いた。シャワーも浴びて気分も一新した。 楽しく笑い合って、2人の絆もさりげなく確認しあった。 さあこれからだ、という時に、何を言い出すつもりなのだろう? と思っていると……。 「ごめん、ぼく、トイレいきたい。今のお家にちょっと戻ろう? ちょっとだけでいいから」 「なぁぁぁぁ!? おまえッ、よりにもよってこの流れで水差すネ? 嫌がらせアルか!?  てか便所くらい人がシャワー浴びてる間に済ませとけェェェ! こんガキがぁぁぁぁ!」 神楽が目を剥いて怒るのも無理はあるまい。 つい数分前までのシリアスな、大人顔負けの真面目な表情はどこへやら。 股のあたりを押さえてモジモジするその姿は、まるっきりただの子供。 声色すら幼い様子に戻って、潤んだ目で神楽を見上げる。 「でもぼく、漏れちゃうよ~。がまんできない~」 「男ならその辺で立ちションでもなんでもするネ!」 「いや、小さいほうじゃなくて、おっきい方。ウンコ漏れちゃうよ。  あ、あとついでだから、ぼくもシャワー浴びとこっかな。汗かいちゃったし」 「てめぇぇッ、都合のいい時だけガキに戻ってんじゃねぇぇぇ! てかワザとやってるだろそれ!  あれか?! ツッコミ不在の中で私に慣れないツッコミさせて芸風広げさせようっていう親切心か?!  余計なお世話だっつーかチャームポイントのエセ中国人喋りも吹っ飛んじまったじゃねーかコノヤロー!」 「お姉ちゃん、何言ってるの? ぼく子供だからよくわかんない」 「ダッシャァァァァァ!」 ゴッ。キレた神楽の膝蹴りが炸裂し、鈍い音が響く。コナンの小柄な身体が、小さく揺らぐ。 彼女はそして、半分KOされた状態のコナンを引き摺るようにして、出てきた家に逆戻りして……。 静かに、梟だけがそれを見ていた。 鈍く光る円盤を掴んだ一羽の梟だけが、それを見つめていた。          ※      ※      ※ 江戸川コナンは、考える―― 仮に、あの範馬勇次郎が殺人を犯したとしよう。 人殺しである。当然、事件になる。殺人事件だ。 だがそれは果たして、推理小説の題材となりうるであろうか? 探偵の出番がありうるであろうか? ……まず、無理だろう。 探偵に投げかけられるのは、大抵次のどちらかの問い。 「誰がやったか?」と、「どうやってやったか?」だ。 容疑者が複数いて1人に絞り込めず、探偵の知恵が求められる場合。 容疑者が複雑なトリックを用いていて、何をどうやってその犯行を行ったか分からない場合。 探偵小説の分類で言えば、「フーダニット(犯人探し)」と「ハウダニット(トリック破り)」。 この2つの問いこそ、探偵の知恵が最もよく現れる部分。 だが――範馬勇次郎の犯行においては、その2つは論じるまでもないのだ。 誰がそれをやった? ――範馬勇次郎だ。彼は逃げも隠れもしない。 どうやってそれをした? ――その、圧倒的な暴力で。彼は下らないトリックなど使いはしない。 かくして2つの問いは事件発覚と同時に解決され、探偵は警察の奮闘を観戦するだけの存在に成り下がる。 とはいえ……。江戸川コナンは考える。 探偵としての実体験以上に、推理小説を読み漁った経験の方から考える。 推理小説においては、もう1つのスタイルがある。 「ホワイダニット(動機の問題)」。何故それをやったのか、という問いかけ。 それを範馬勇次郎に当てはめるとしたら。 最初の大広間での、徳川光成とのやりとり。 始まって間もない頃、新八と共に出会った時の会話。 そして、ついさきほどの追いかけっこの時の態度や様子。 それらの情報から浮かび上がる、範馬勇次郎の「動機」―― それは現実の犯罪者には稀な、推理小説の中にこそ多い犯罪者類型。 「犯行そのものが目的」であるタイプだろう。 つまり。 彼は、闘争そのものを楽しみとし、生き甲斐とし、そして目的としている。 そう考えなければ、あの言動は説明がつかない。 圧倒的な暴力に裏付けされた、バトルジャンキー。戦わずには生きられない「生き物」。 そして戦いそのものを楽しみ、目的としながら、もう1つの目的――「自らの強さの証明」も意識している。 犯行自体を目的とする頭脳派犯罪者が、芸術的計画でもって自らの知性をアピールするのにも似た心理。 で、あるならば。誘導は可能だ。江戸川コナンはそう考える。 彼を繋ぎとめることの出来る鎖は、この世に存在しない。 コナンたちの世界の警察力をもってしても、範馬勇次郎は止められない。 けれど、この狂った殺し合いの場であればこそ、「ある一定の方向」に誘導することは出来る。 だから、コナンは。          ※      ※      ※ 再び明かりの灯った、病院近くの民家――その裏手。 小さな窓から這い出してくる、小柄な影があった。 彼はデイパックを先に窓の外に落とすと、狭い窓に身体を捻じ込むようにして抜け出す。 綺麗に着地を決めて、ほっと一息。 「悪ぃな、神楽……ここから先はちっとばかしデリケートな話なもんでな」 民家の中、待っているはずの仲間に対し、少年は小さく謝罪の言葉を漏らす。 トイレとシャワーを口実に民家に戻り、神楽に居間で待っているように言っておいて脱衣所の窓から脱出。 普段は不便の多い子供の身体だが、今回ばかりは役に立った。高校生の体格では窓から出られない。 窓の中からは、出しっぱなしのまま放置してきたシャワーの水音が今も聞こえてくる。 「しかし……おまえのせいで、計算がめちゃくちゃだぞ。どうしてくれんだよ」 コナンはそして、頭上を見上げる。 近くの電柱の上。住宅街ではあまり見かけることのない1羽の鳥が、じっと彼を見つめていた。 この梟こそば、全ての元凶。 先ほどまでの勇次郎との命がけの追いかけっこの原因であり…… 一旦民家から出ておきながら、再び民家の中に引き返した理由でもあり…… そして、こうして神楽を欺き、家の中に釘付けにしてでも忍び出なければならなくなった理由でもある。 コナンが睨みつけてみても、無表情のまま見返すばかり。 「……移動しよう。ここじゃ、ちとマズいからな」 通じなくて元々、とコナンが一声かけて歩き出すと、少し離れて梟もついてきた。 少し羽ばたいては次の電柱に止まり、コナンの移動を待ってまた羽ばたき。 まさか人間の言葉が分かるわけでもあるまいが、何らかの意志と意図は持っているのだろう。 梟の挙動を視界の隅に捕らえながら、病院から離れる方へ……川に沿って北へ歩を進める。 やがて広がる、雨上がりの濡れた地面。濡れた芝生。 昼間ならキャッチボールでもするのに適していそうな、河原の公園。 格好の場所を見つけたところで、頭上から「何か」が降ってくる。 それは――そう、どこか見覚えのある、1枚のディスク。 頭上を飛び去る梟が、去り際にずっと抱えていた「宝物」を落としていったのだ。 それを空中で見事にキャッチしたコナンは、その「贈り物」を片手に、小さく溜息をついて。 「スタンドDISCか……まあ、ねーよりはマシかもしれねえけど。  こんなもんがあっても、到底かないっこねーんだよなァ……あんただって、そう思うだろ?」 「…………」 「……で、頭は冷えたかい? 範馬勇次郎」 「……ああ」 小さく呟くコナンの背後に、鬼がいた。 凶悪な笑みを剥き出しにした鬼が、梟に導かれて来た鬼が、音もなく少年を見下ろしていた。 「少なくとも、貴様に俺の首輪を爆破する力などない、と分かる程度には冷えたぜ」          ※      ※      ※ 結局のところ――範馬勇次郎が「そのブラフ」を見抜いたのは、理屈ではなく経験だった。 友人の家に遊びに行く気軽さでホワイトハウスに殴りこみをかける彼は、既に知っている。 「指先1つで核ミサイルを発射できる人間」の纏う空気を知っている。 そして、そういう権限を持つ人間が、その矛先を自分に向けた時に発する殺意を知っている。 知っているからこそ、範馬勇次郎はここまで生き延びてこられた。 その経験と照らし合わせて……コナンの態度は、「腑に落ちない」。 もし彼が病院のテープレコーダ越しに言っていたように、本当に主催者側の人間だとしたら。 もし本当に、ボタン1つで範馬勇次郎を爆殺できる立場だったとしたら。 江戸川コナンの纏う空気は、もっと違うものになってなければおかしいのだ。          ※      ※      ※ 「……なるほどね。  まさかアメリカ合衆国大統領とアポなしで会える身分でいらっしゃるとは、思わなかったぜ」 「そうは言っても……まだお前の腹の底は読めてねぇんだがな」 コナンのからかうような口調に、勇次郎はやや平坦な声で答える。 表層上は落ち着いた……しかし、煮えたぎる怒りを奥底に押し留めているような空気。 いつその腕が振るわれ自分の命が刈り取られるか分からぬ緊張の中、それでも江戸川コナンは笑う。 冷や汗を浮かべながらも、それでも勇次郎に負けぬ好戦的な笑みを浮かべる。 こうして食いついてくれたことには、喜びを隠しきれない。 彼の思い描いていたいくつかのシナリオの中でも、かなり良い部類に数えられる展開だ。 「最初にネタバレしておくと、あのテープレコーダーに残したメッセージは全部嘘さ。  俺は主催者側の人間じゃあない。衛星から指示貰ってたりもしない。  もしもこの馬鹿げたゲームを『運営している側』の人間がここにいたら、ああ考えるだろうってだけのこと。  アンタみたいな強い奴を連れて来い、と誰かに頼まれた、ってのも真っ赤な嘘だ。  ただ……」 「ただ?」 「全部が全部、根も葉もない嘘ってわけじゃない」 たとえ勇次郎が殺したいくらいに怒っていたとしても、ここで問答無用で殺してしまうわけにはいかない。 飛びぬけた暴力が目に付くこの地上最強の生き物は、しかし決して愚かでも馬鹿でもない。 むしろ、相手の意図や狙いを見抜く眼力は、闘争においても必須の能力。情報収集もその範疇。 だから……コナンは十分過ぎる勝算を持って言葉を続ける。 少なくとも、話すべきことを語りきるまでは殺されない。その確信をもって、言葉を続ける。 「俺は、アンタを満足させられる『強い奴』の居場所を知ってるぜ。  そして、俺はアンタをそいつらの所に案内したいんだ」          ※      ※      ※ 江戸川コナンは、考える――今度は主催者側の事情を、考える。 ここに、首輪がある。 爆弾が仕込まれ、盗聴器が仕込まれ、おそらく参加者の現在位置を把握するための発信機が仕込まれ。 見ても触っても継ぎ目すら見つからず、容易なことでは外すこともままならぬであろう拘束具。 果たして、これを首尾よく参加者に嵌めたことで、主催者サイドは「もう安心」と考えるだろうか? 勇次郎のような規格外の強者を前にしても、「首輪をつけたからもう大丈夫」、と考えるだろうか? ……ありえない。それは、ありえない。 どんな超技術で作られた道具であっても、それが道具である以上、故障する危険はある。 ふとした拍子で機能しなくなる怖れもある。誤作動を起こす可能性もある。 組織が大きくなれば裏切り者も出るかもしれないし、そうなれば首輪の秘密も漏洩しかねない。 これだけ非人道的な『ゲーム』をしているのだ、主催者側からの脱落者もきっと出るはずなのだ―― 黒の組織から抜け出した、灰原哀(シェリー)のように。 ここまでの状況を見るに、この主催者側は「1つのミス」で全てが台無しになるような迂闊なことはしない。 首輪の存在に自信を持っていたとしても、「首輪が外れてしまった時」のことも必ず考えている。 最悪の場合、首輪のなくなった勇次郎やラオウが歯向かってくる可能性を、考慮している。 だから――必ず、あるはずなのだ。 規格外の強さを持つ参加者と戦うハメになっても勝てる、と思える程の「戦力」が、あるはずなのだ。 「つまり……俺やラオウ、アーカードにも匹敵する奴がいるってのか?!」 「ああ。間違いなく、いる。  それも、たぶん……強い奴が、1人か2人いるきりだ。あまり大人数になれば、組織がまとまらねーしな。  用心棒的な存在か、それとも組織のリーダー格なのかはまだ分かんねぇが……  勇次郎、アンタとまともにケンカしても勝てる、と『思ってる』奴が、絶対にいる。  そいつの『思い込み』が正しいかどうかは分からないが、すさまじく『強い』奴がきっといる」 もちろん、それは「戦力を持っている」というだけのこと。 主催者サイドは、その戦力を積極的に使う気もないのだろう。 そこから浮かび上がるその人物像は、一言で言ってみれば「陰険」。 それこそ、コナンが勇次郎に「演じてみせた」ような、参加者の奮闘と努力を高みから嘲笑う人格。 自身の絶対的優位を確信し、弱者同士で強さを競う姿を馬鹿にする、歪みまくった性格。 コナンは知る由もないが……それはまさに、「暗闇大使」と呼ばれる男の姿でもある。 仮に勇次郎が優勝したとして。果たして、その「戦力」と戦う機会が訪れるかどうか。 まず、無理だろう。 この殺し合いの場に連れてこられた時だって、勇次郎は戦って捻じ伏せられたわけではない。 その時と同様、戦う間もなく「かわされる」可能性が高い。 きっと勇次郎1人では、その主催者側の強者とまともに拳を交わすことすらできない。 「だけど……俺は探偵だ。こう見ても、数え切れないほどの難事件を解き明かしてきた探偵だ。  十分な時間と情報さえあれば、奴らの手の内、奴らの考えを見切れる自信はある。  その『主催者側の強者』を、俺たちと同じ高さにまで引きずり出す自信がある」 コナンは断言する。 勇次郎が己の暴力に絶大な自信を持っているように、コナンもまた自らの推理力に自信を持っている。 主催者側がいかに複雑な企みを企て、いかに常識外れな能力と技術を持っていたとしても…… 所詮は「犯罪者」に近い発想を持つ連中だ。知恵比べという一点において、名探偵が負ける道理がない。 いつだって最後には、「たったひとつの真実」は彼の手の中に納まるものなのだ。 ただ、ここが探偵の辛いところだが…… いかな名探偵であっても、推理の礎となる「情報」が足りなければ、真実に届くことができない。 そしてコナンはまだ、生き残っている全ての参加者と接触できているわけではない。 集めうる全ての情報を手にするところまでは、いっていない。 コナンたち「探偵」が負けるとしたら、一番ありうるのがこの部分。 重要な情報を握っている者の無為な死、あるいは、情報不足のままのタイムオーバーである。 だから、コナンは賭けに出た。 範馬勇次郎に接触し、命を賭けたギャンブルに出た。 彼をとことんまで挑発し、範馬勇次郎をも含めた全参加者を嘲笑う存在がいることも示唆し。 途中、梟の挙動に計算を狂わされ、神楽相手につまらないトリックを使う羽目にもなったが…… こういった駆け引きにおいては邪魔にしかならない彼女を遠ざけ、こうして勇次郎とサシで話す場を得て。 犯罪者のトリックを解き明かす時と同じ要領で、こうして自分の推理と企みを語っている。          ※      ※      ※ 「で……その探偵とやらは、この俺に何をさせる気だ?」 探偵の長い長い解説が終わり、勇次郎は問う。 回答次第によっては、ここでブチ殺す。そんな殺気を隠しもせずに問い掛ける。 ここまで話を聞いてもなお、勇次郎はコナンを快く思っていない。 ……それはそうだろう。悪名高い「悪鬼(オーガ)」相手に、あれだけナメた口をきいてくれた奴はそう居ない。 この上、さらに下らない「お願い」でもしてくるようなら……! そんな殺気を背に受け、しかしコナンは動じない。 目の前には、夜の川。 ルイズが流された川。ルイズがコナンを護るため、津村斗貴子もろともに飛び込んだ川。 いまはそこに飛び込む者もなく、静かに流れ続けている川。 コナンは背後の勇次郎を振り返らず、静かに川を眺めたまま答える。 「アンタは今まで通り、好きに動き回って好きにケンカを楽しんでくれればいい。  元々、アンタが俺の言う通りに動いてくれるとは思っちゃいないさ。  俺にはアンタを止める能力も権利もねーよ。ただ……」 「ただ?」 「ただ、倒した相手にトドメを刺すことだけは、勘弁してくれ。  いくら俺でも、死人からは情報を引き出せない。  情報を聞き出す余地さえ残してくれれば、あとは俺が勝手にやる」 江戸川コナンは、譲歩する。 殺人という最悪の事態を回避するために、暴力そのものは見逃す譲歩をする。 誰かを傷つけ、大怪我を負わせ、下手すれば後遺症すら残ってしまう可能性を、認めてしまう。 範馬勇次郎という天災にも等しい相手に、ここまでは譲歩してしまう。 その代わり、「殺さない」ことにプラスの意味を付加してみせる。 相手が死にさえしなければ、話を聞きだすことが出来る。情報を引き出す余地が残る。 それらの情報が回りまわって、勇次郎の首輪を外すことにも繋がるかもしれない。 主催者側にいる強者を、この舞台に引きずり出すことにも繋がるかもしれない。 最後の一撃を我慢することで、遠くない未来に、極上の闘争を楽しめるかもしれない――! きっと範馬勇次郎は、その誘惑には打ち勝てない。 コナンへの苛立ちも何もかも、その「新たなるご馳走」の前には些細なことになってしまうはず。 この提案を勇次郎が呑んでくれれば……「参加者のほぼ全員を」守ることができる。 僅かな「例外」を除き、守ることができる。 実のところ……コナンにはもう1つ「策」がある。 範馬勇次郎の「殺人」を止める、もう1つの「安全装置」を考えている。 ただ、こちらは条件が難しい。 タイミング良く、勇次郎がトドメを刺そうとする瞬間にコナン自身が居合わせなければ使えない。 だから、この段階で勇次郎が納得してくれるのなら、それが一番いいのだが……! 「……なるほどなァ。色々考えるモンだぜ。これで俺は迂闊に殺せなくなる……そういう狙いかよ」 「だけど、嘘は言ってないぜ。アンタも幸せ、俺も幸せ。みんな幸せになれる提案さ」 「クックック。ものは言いようだな。ま、小僧の言う通りだが」 勇次郎が笑う。朗らかに笑う。 ……おかしい。ここでその笑いは、ちょっとおかしい。コナンは逆に不安を覚える。 いくら理の通った説得を受けたからといって、この男はあっさり納得するような性格ではない。 であれば……まさか。コナンはハッとして振り返る。 範馬勇次郎は、コナンの方を見ていなかった。 彼が見ていたのは、電柱に止まってこちらを見つめる、あの梟。その真下。 ここまで慌てて走ってきたのか、荒い息をつきながら肩を上下させる、番傘を持った少女―― 「コナン……何してるネ!」 「小僧の言う通りだが――あの小娘は、喰っちまっていいんだろう?  今更お前の知らねェ話も持ってねェだろうし、何より馬鹿だ。  探偵さんの大好きな屁理屈で言えば、『生かしておく理由がねェ』」 勇次郎が、獰猛な笑みを剥き出しにする。底意地の悪い笑みを浮かべる。 それはコナンが最も怖れていた事態。さきほどの策で守れない数少ない「例外」。 勇次郎が興味を持つに足る戦闘力を示してしまった、怪力娘。 コナンと共に行動をしており、それはつまり、情報交換は既に十分済んでいると考えられる相手であり。 そもそも、主催側との知恵比べには役にも立ちそうにない頭の悪さを露呈してしまっている。 神楽は――神楽だけは、勇次郎にとって容赦なく殺してしまっていい相手。 勇次郎との接触において、最大の問題となる存在だった。          ※      ※      ※ 神楽は、怒っていた。 いつまでもシャワーから出てこないコナンに業を煮やし、扉を破壊し突入してみれば。 そこに残されていたのは、出しっぱなしのシャワーに開け放たれた窓、そしてコナンの置手紙。 曰く、神楽を騙して置いていくことを、申し訳なく思っていること。 曰く、あの梟がまた近くまで来ており、勇次郎に見つかる危険が高いこと。 曰く、自分1人なら彼をなんとかできる策があり、是非任せて欲しいこと。 曰く、ここから先はコナンの指示に従う必要はない、神楽が好きなように動いてくれていいこと―― その文面が、逆に神楽の心に火をつける。 「てめーにわざわざ言われなくてもなァ……こちとらとっくに『好きに動いてる』アルヨ!」 怒りのままに、巨大な拳銃を構えて引き金を引く。 それは何に対する怒りなのだろう? 神楽自身にも分からない。 無茶をしたコナンに対する怒りか。 無茶せざるを得ない状況を作った勇次郎に対しての怒りか。 それとも、そんな無茶をむざむざ見過ごしそうになった自分に対する怒りか。 ともかく勇次郎は敵だ。戦って勝てる気がしなくても――コナンのために、やるしかない! 「はははははッ! ヤル気は十分ってわけか、面白ェ!」 「ちょっ、神楽っ、どこ狙ってやがるっ! 俺まで一緒に殺す気かぁっ!?」 「ええい五月蝿いガキアル、どうせだから一緒にここで死ぬネ!」 自分でもどこまで本気か分からぬ軽口を叩きながら、勇次郎とコナンの間に銃弾を打ち込む。 悲鳴を上げながら、コナンが転がるように逃げる。高笑いを上げながら勇次郎が横っ飛びに飛びのく。 2人の距離が、離れる。 神楽が見つけた時、2人の間の距離は手を伸ばせば届きそうな程しかなかった。 コナンを護るためには、2人の中間、僅かな空間に弾を叩き込まねばならない。 慣れない銃。コナンの身体に1発でも掠れば命取りになりかねない威力の銃。 でもそうであればこそ、勇次郎も避けてくれる。2人の間に距離を作れる。 コナンが逃げる隙も、作れる。 「どこまで本気でてめぇはぁぁぁぁぁ!」 「私はいつも本気ネ!」 そう、神楽はいつだって本気。銃を乱射しながら、河原を駆ける。 ここまでの経緯も状況も分からないまま、たった1つの目的のために銃を撃ち、番傘を振るう。 神楽が戦うたった1つの理由、それは。 「私は本気で……みんなを護りたいネ!」          ※      ※      ※ 範馬勇次郎は――奇妙な既視感を覚えていた。 逃げるのではなく、積極的に向かってくる神楽の姿に、最初こそ期待したものの…… その攻撃はいずれも甘く、大振りなものばかり。 銃弾もはじめから当てる気が無いとしか思えず、傘で殴りかかってくる姿もいまいち殺気が足りず……。 パワーはある。スピードもある。タフネスもある。 銃の扱いも、剣代わりの番傘を振るう腕も、いずれも十分に一級品。ただの小娘の力ではない。 なのに、「何がなんでもコイツを倒す」という気迫が感じられない。これは一体何なのだろう。 そう考えて、すぐに気付く。 ああ……こいつは、この探偵を自称するガキを守ってるつもりなんだ、と。 範馬勇次郎を倒すことより、江戸川コナンがこの場を逃げられることを重視しているような、そんな攻撃だ。 まったく、見当違いにも程がある。 そもそもこのガキは、神楽に守ってもらおうなんて考えちゃいない。そもそも逃げる気なんてありはしない。 ほら、だから。流れ弾の届かぬ距離から、心配そうに見てるだけじゃないか。 大体、この程度の距離を稼いだからといって何にもならないのだ。 この程度では、勇次郎がちょっと本気を出せば意味がない。一呼吸の間に間を詰め命を奪える距離だ。 いつでも決着をつけられる状態の中…… 適当に避け、かわし、あしらいながら、勇次郎は考える。 この既視感は、いったい何だろうと。 ああ、そういえば……女と戦ったことは、数えるほどしか無かったか。 それが、「戦い」と呼べるのなら、だが。 銃を使う女としてまず思い出したのは、ベトナムで会ったジェーン。それから、誰かを護ると言えば……!          ※      ※      ※ 剣のように番傘を振り回す――当たらない。 番傘を振り回した勢いを利用しての回し蹴り――当たらない。 そのまま身を捻って左手の巨大な拳銃を撃つ――当たらない。 神楽の額に、汗が滲む。 その一撃一撃が、既に全力だ。今の彼女が繰り出せる最大最高の一撃。 なのに、勇次郎は……明らかに遊んでいる。 じゃれつく犬をからかうような態度で、神楽の攻撃もフェイントも何もかも、全部見切ってかわしている。 からかうようにかわすだけで、ほとんど攻撃らしい攻撃すらしない。 いくらなんでも、ここまで差があるなんて。傍で見守るコナンも、唖然とするしかない。 「技も未熟、駆け引きも未熟……心身共に、まだ成長途上。  だが、パワー・スピード共に一級のアスリートクラス。いや、既に下手な金メダリストよりも上か。  あと2、3年ってとこだな。まだまだ伸びる余地はある」 渾身の力を込めて振り下ろされた番傘が、何気なしに振るわれた掌に受け流され、虚しく地面を叩く。 軽い調子で繰り出された膝蹴り、しかしカウンター気味に入ったそれを腹部に喰らって、悶絶する。 必死の神楽。余裕たっぷりの勇次郎。 まるで、戦いにならない――絶望の影すらよぎり始めた、神楽とコナンに対し。 「そう、2、3年だ。それくらいすりゃ、身体も出来上がる。ちったぁ女らしくもなる。そしたら――」 勇次郎は、ニヤリと笑った。 ニヤリと笑って、とんでもないことを言い放った。 「俺のガキを産ませるのも、悪くない」          ※      ※      ※ [[後編>夜兎と範馬(後編)]] ----

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