繋がれざる鬼(アンチェイン) ◆6YD2p5BHYs



――そこは、薄暗い空間だった。
布張りの壁と天井。木組みの観客席。円形の舞台。頭上に張り巡らされた綱渡り用ロープや空中ブランコ。
巡業サーカスのテント……だろうか?
周囲を無人の観客席に取り囲まれた圧迫感は、東京ドームの地下闘技場を思い出させる。
何故こんな所に自分が居るのか。さっきまで居た『殺し合いの舞台』からいつの間に移動したのか。
その疑問に、しかし不安を覚えることもなく、男は悠然と周囲を見回す。

「……本来なら私は、前もってお前に言っておかねばならなかった」

深く響く重みのある声。常人なら威圧され身が竦んでしまうような、そんな声。
気配は一切無かった。まるで闇の中から滲み出てきたかのような感触。
だが男は動揺の色すら見せず、ゆっくり振り返る。
そこに居たのは――道化のような奇妙な仮面を被った、立派な体格の怪人物。
その奇妙な装束は、この舞台には似合いすぎる程に似合っている。
彼は男の反応を待たず、淡々と語る。

「私は、『それ』を飲む前に尋ねなければならなかった。お前の意志を確認せねばならなかった。

    『生きのびたいか、それともここで死んでいくか』、と」

「……ケッ。話が読めねぇぜ」
「本来なら、その『液体』は――その者の血は、生死の境にある者が飲むものだった。
 生死の境にある者が、究極の選択を前にして、己の意志で選び取るものだった。
 公平を期すために、予め言っておかねばならないことであった」

男の苛立ったような問いかけにも、仮面の人物の口調は変わらない。
仮面の人物は、懐から指先ほどの小さなビンを取り出す――その中に、既に液体はない。
微かに薔薇のような残り香が立つだけ。
諦めと落胆の混じった声で、宣告する。

「だがお前はもう『飲んでしまった』。問い掛ける間もなく、『飲んでしまった』。
 飲んでしまった以上、お前はこの先、人生の様々なものを諦めなければならない。

   お前は、『生命の水(アクア・ウイタエ)』のあやつり人形となるのだ。

 これから先、お前の人生は自動人形(オートマータ)との戦いに捧げられることになる。
 長き寿命と強き肉体の代償として、お前は自動人形への憎しみを背負うことになる――!」

それは、あまりに重過ぎる宣告。
過去、数多くの者が狂気と現実の狭間で悩み、苦しみ、のたうち回るハメになったその宣告を前に。
無数の人生が狂わされ、無数の涙と血を流すことになったその宣告を前に。

  男は、ただ哂った。
  傲岸不遜に、鼻先で哂い飛ばした。

「……ふッ。なるほどなァ。色んなこと考えるモンだぜ、弱っちィ連中ってのはよォ」

欠伸を噛み殺すような仕草。あまりに相手を馬鹿にした態度。
男はその場の重厚な雰囲気にまるで怖じることなく、平然と言い放つ。

「原理も理屈も、てんで分かりゃしねぇが……
 なんてこたァねェ、自分だけじゃ何もできねェ弱者が、『こんなモノ』でなんとかしようって腹かよ。
 あの悪魔(デモン)を名乗ったアイツも、所詮は『こんなモノ』の操り人形に過ぎなかったってわけか!
 ざまァねェな! お前も悪魔(デモン)も、あまりに弱ェ!
 あまりに哀れで、ツッコむ気にもならねぇよ! クハハハッ!」

数多の悲劇と哀しみの果てに辿り着いた「しろがね」たちの決意を、彼は哂う。
『生命の水』を介した記憶の伝達、それによって全て直感的に分かってしまった上で、なお哂う。
仮面の人物は、そんな男に対して、哀れみすら抱きつつ、

「……そうは言っても、お前は既に飲んでしまった。飲んでしまった以上は……」

  「 五 月 蝿 ェ 」

ガシッ。
それは、唐突に。
視界を塞ぐように、何かが仮面の人物の頭を鷲掴みにする。
男の右手だ。右手1本で、仮面もろとも無造作に頭を掴んでいる。いったいいつの間に距離を詰めていたのか。
仮面の人物も相当に立派な体格だ。だが男の体躯もそれに負けてはいない。
むしろ、その身から滲む迫力だけなら男の方が圧倒的。
丁度プロレス技のアイアンクローの要領。こうなってしまえば、逃げられるものではない。

「……俺の悪友に、ビスケット・オリバって奴がいてよォ。
 『Mr.アンチェイン』とか大層なアダ名で呼ばれてな、『誰にも繋がれない』ことを誇りにしてる奴だ」

世間話でもするかのように男が呟くが、仮面の人物はそれどころではない。
両手で男の腕を掴み、必死で引き剥がそうとする。必死に逃れようと足掻く。
男の方は右腕1本、対する仮面の人物は両腕を使っての抵抗。なのに全く外れる気配がない。
仮面の下から、声にならない悲鳴が漏れる。
男はニヤリと哂うと、さらに腕に力を込める。仮面と頭骨から嫌な軋みが響きはじめる。

「だが、あのオリバでさえ、他の誰にも繋がれねェんだ。
 この俺が――この『オーガ』が、お前らに大人しく繋がれていると思うか?!」

まるでその友人が乗り移ったかのような怪力。
男の、いや悪鬼(オーガ)の問いかけに、仮面の人物は答えられない。もう意味ある言葉を口にする余裕もない。
『生命の水』の意志、『生命の水』に溶けた老錬金術師の遺志、白銀(バイ・イン)の魂のカケラ。過去の幻影。
それが範馬勇次郎の圧倒的なパワーの前に、屈服させられようとしている。

もちろんここは「現実の空間」ではない。「しろがね」にならんとする者に覚悟を問うための、心の中の世界だ。
だから悪鬼(オーガ)の強靭な肉体も、白銀の老いた肉体も、本当は関係ない。
ただの力任せでは、この仮面の白銀をこうもあしらうことなど出来ないはずなのだ。
しかし――範馬勇次郎の最強たる所以は、その強固な確信。
『自分こそが最強』。
その事実に対する、微塵も揺るがぬ自信。
その事実に対する、執拗なる証明の意志。
彼が真に常人を越えているのは、まさにその部分。
地震すらも拳で止められると信じる、己自身への絶対的な信頼。
この場において仮面の人物を吊るし上げていたのは、まさにその意志の力によるものであった。
誰もが抵抗できないはずの洗脳をも、逆に捻じ伏せてしまう豪腕のような強烈な意志。

ピシッ。ピシッ。
万力のような締め付けに、仮面にヒビが入る。ヒビが広がっていく。
『生命の水』の中にある『白銀の存在そのもの』が砕かれていく。

「まぁ小物なりに、面白ェモンを作ったことは認めてやろう。
 すぐに傷が治って、調子もいい。この身体、遠慮なく使わせて貰うぜ」

範馬勇次郎は技術を否定しない。
その気になれば鞭打だって使える。消力(シャオリー)だって使える。琉球王家の秘伝・御殿手さえも使える。
長距離移動の必要に迫られた時には、自動車や飛行機だって使う。
技術なり、他人の能力なりを利用すること自体は、勇次郎の信じる強さの「哲学」には反しない。
必要となればそれらを駆使することを躊躇わない。それらを使って勝利することも厭わない。
勇次郎にとって譲れないこと、それは単に、「一番に信じるもの」が己の肉体であり、己の強さであることだけだ。
だから、彼はこの「しろがねの身体」を否定しない。こんなもの、手持ちのカードが1枚増えただけのことだ。
そして「その程度のこと」としか思っていないから。
仮面の人物の足が、地面から浮く。顔面を鷲掴みにされたまま、腕1本で吊り上げられる。

「だが――この俺からその代価を求めるには、ちィと弱過ぎたなァ? ええオイ?」

受け取っておいて、支払いは暴力任せに踏み倒す。範馬勇次郎というのは、そういう男だ。
自動車が必要になれば、誰かに運転させる。飛行機が必要なら、米軍基地に殴り込んで戦闘機を徴用する。
代償も見返りも与えない。最強である自分が求めているのだから、相手はそれを差し出すのが当然なのだ。
傲慢、といえば傲慢。
しかしその事実を面と向かって指摘できた人間など、指摘して無事で居られた人間など、1人として存在しない。
そして、『生命の水』に宿る過去の幻影である白銀も、また。

勇次郎の胴着が破ける。背中が露出する。凄まじいパワーが圧縮された筋肉が、ひとつの形を作り出す。
それは――鬼の貌。
腕1本で大柄な白銀の身体を吊り上げ、鬼が哂う。

「他人に力を与えておいて、他力本願とは……なんたる軟弱ッ!
  消 え う せ ぃ ! 」

グシャ。
あっけない音と共に、脳漿が飛び散る。鮮血が無人の観客席に降り注ぐ。
仮面と頭蓋骨がまとめて卵のように握りつぶされ、幻想上の白銀は、無人のテントの中、静かに崩れ落ちる。
刹那、世界が揺らぐ。幻影のサーカスが揺れる。
周囲を見回す勇次郎もろとも、全てが揺らぎ、掠れ、消えて、そして――


 ◇  ◆  ◇


……範馬勇次郎が顔を上げた時には、空は茜色に染まっていた。
うたた寝をしていたのだ、と気付いた彼は、軽く首を振って立ち上がる。

「……いけねェな。らしくもねェ夢見ちまった」

呟きながら、左手を開き、そして閉じる。
まだ完全とは言えないが、動く。少なくとも食事の時よりは格段に動くようになっている。
それを確認し、満足げにニヤリと笑う。

食事の後の、僅かな午睡――。
この殺し合いのゲームが始まって以来、実は勇次郎はロクに休みを取っていない。
常人離れした体力と気力を考えれば、1日や2日、飲まず喰わず眠らずで動き回ることは可能だったはずだ。
休んでいるヒマがあったら戦いたい、と、積極的に動き回っているはずだ。
それでも彼が、いや彼の肉体がここで『睡眠』を選んだのは、その身に受けた負傷のため。

どんな野生動物でも、その身に傷を負えば休息を図る。じっとして、眠って、回復を図る。
身体を動かすエネルギーを全て傷口の再生に回し、可能な限り短い時間での復帰を図る。
範馬勇次郎がここで僅かな時間とはいえ眠りを取ったのは、彼の類稀なる『野生』の一環だった。
常人ならば、休息を取る必要を理性で理解したところで、こんな無防備な場所で眠れるものではない。
自分の強さを確信していればこそ。異常があればすぐに飛び起きられる、頭抜けたカンのよさがあればこそ。

いくら『生命の水』が含まれた鳴海の血を飲んでいても。いくら腕の切り口が鏡のように綺麗だったとしても。
腕1本繋げるのは、容易なことではない。身体への負担は相当なものだ。
このタイミングで食事を取り、このタイミングで睡眠を取った勇次郎の判断は、まさに最適だった。
理屈ではなく、彼の野生と直感がその答えを導き出したのだ。

「さて……日が暮れたら、またコイツの出番だ……!」

勇次郎は荷物を担ぎなおし、これまでに会った強者たちを思い返す。
闘争を好む者たちは、花火が見えればまたきっと向こうから来てくれるだろう。
闘争を好まぬ者たちの中にも、花火と勇次郎の関係を知っている者がいる。仲間も増やしているかもしれない。
力に自信があれば、あえて勇次郎を倒すべく向かってきてくれるだろう。弱き者を悪鬼の牙から守るために。
どちらにしても、また極上の闘いを楽しむことが出来る。
夕陽に紅く染まった街を歩き出しながら、勇次郎は乱暴に頭を掻く。

「問題はどこで打ち上げるか。どこを戦いの場に選ぶか、だな。……ん?
 ケッ、白髪かよ。俺もヤキが回ったなァ。年は取りたくねェもんだ」

ピッ。
前髪に混じって1本だけ、たった1本だけ生えていた銀髪は無造作に引き抜かれて捨てられて。
それっきり、範馬勇次郎はそのことを忘れた。
自動人形(オートマータ)のことなど、思い出しもしなかった。

地上最強の生物を縛れる鎖など、この世には存在しない。
それがたとえ、錬金術最高の叡智と技術と、無数の涙と哀しみで織り成されていたとしても、だ――!


【D-3東部/1日目 夕方】
【範馬勇次郎@グラップラー刃牙】
[状態]闘争に餓えている 左腕回復中(一度切断されたが、生命の水の効果により自己治癒中)
[装備]ライター
[道具]支給品一式、打ち上げ花火2発
[思考] 基本:闘争を楽しみつつ優勝し主催者を殺す
1:戦うに値する参加者を捜す
2:日が暮れてから次の花火を打ち上げる。打ち上げるのにいい場所を探す。
3:首輪を外したい
[備考]
※自分の体力とスピードに若干の制限が加えられたことを感じ取りました。
※ラオウ・DIO・ケンシロウの全開バトルをその目で見ました。
※生命の水(アクア・ウィタエ)を摂取しました。少なくとも、自動人形への強い憎しみなどは今は無いようです。
 身体にどれ程の影響を与えるかは後の書き手さんに任せます。


159:殺人鬼は密かに笑う 投下順 161:夕闇に悪魔、慟哭す
159:殺人鬼は密かに笑う 時系列順 161:夕闇に悪魔、慟哭す
158:一瞬のからくりサーカス 範馬勇次郎 168:燃える決意――Resolution――