蜘蛛の糸~キラキラと輝くもの ◆MANGA/k/d.



 「ふふふ。分かっていないなあ、ナギちゃんは。
 いいかい。貧乳はステイタスなのだよ?」
 「ステイ…タス…?」
 こなたの言葉に、ナギは怪訝そうにそう返す。
 「いや、だが…その、お、男というモノはみな、こう…お、大きな…」
 言いつつ、自分の胸を見る。
 「それだよ、それ。
 その思考が良くないのだよ。
 人などというモノは十人十色千差万別。
 『皆がこう思っているに違いない』 という決めつけは、全ての判断を鈍らせるのだなぁ」
 ほほえむ、というよりは、むしろにやりという笑い。
 「そして、全ては変わり流転する。
 つまり、だ。
 変わることよりも変わらぬ事の価値、というものもそこには存在するのだ。
 ナギちゃんはいままさに、ツルペタジーニ・チッチャイコフスキー垂涎の、萌え萌えビジュアル。
 数年後にもそれを維持し続けるのであれば、まさにステイタスなのだよ」
 少し、ひるむ。
 「こ…」
 ようやく出たのは、吐息とも言葉ともつかぬ音。
 「こなたの言うことは、難しすぎるのだっ!」
 難しい、にも、色々な意味がある。
 「サムソン・ティーチャー曰く、『大人になったらわかりまーす』 だよ」
 大人になる、にも、色々とある。
 「いや、わたしは、大人になったら、やはりこう、もっとグラマーになるぞ。マリ…」
 言いかけて、淀んだ。
 『マリアのように』『みゆきのように』
 1日前であれば、気軽に言えたはずの言葉が、今は出てこない。
 暗い喫茶店の中、僅かな沈黙。
 「グラマーってのはよ」
 向かい合って座っていた二人の間に、野太い声が割ってはいる。
 「つまりは、俺みたいに、って事だな、嬢ちゃん」
 声同様に野太い体躯を揺らし、愚地独歩が笑った。
 少しの間。
 「いやいやいや…たしかに、ガチムチ萌えというジャンルも無くは無いけど…」
 「そ…それは嫌だ!」
 こなたとナギの二人が口々に否定する。
 脳裏に浮かぶのは、独歩の身体の上に乗った自分たちの顔。
 「そうかい? うちの少年部にでも入って鍛えれば、数年後には良い体になれるぜ?」
 再び、笑った。

 真っ暗な街の中、喫茶店の中にだけ明かりがともされている。
 こなたとナギの二人は隅の一角に座り、愚地独歩は手に首輪探知機を持って入り口の側に立ち、外の様子をうかがっている。
 外には黒王号が居るが、見ているのはそこでは無い。
 はす向かいの花屋の入り口。
 中には、承太郎と刃牙、そしてシェリスの遺体。そして、残された鳴海の腕が、テーブルクロスにくるまれ横たえられている。

 ◆◆◆

 DIOと鳴海が戦い、そして相打ちとなり果てた後、残ったパピヨン、こなた、ナギ、独歩の4人は、鳴海がアカギとした約束に従い、学校へと向かう方針を決めた。
 ナギとしてはハヤテとヒナギクを、こなたとしてはかがみとつかさを。
 それぞれに探したい、再会したい相手はいるが、とはいえ無目的に探し歩いて会える確率は低い。
 鳴海によれば、アカギも又、人を集めて学校へ向かうと言っていたという。
 ならば、彼らとアカギが合流しているかもしれない。
 その可能性に賭けるしかなかった。

 石となり砕け散った鳴海の遺体から、パピヨンは首輪を拾い上げ、それをしばし見つめてから自分のデバッグに納める。
 それから、残されている3人のデイバッグと、自分の持っていた余分を独歩に預けた。合計すると、10人分の支給品類を持っていることになるが、独歩にとってたいした量ではない。
 「首輪探知機を見せてくれ」
 言われて、背広のポケットに無造作に突っ込んでいたそれを取り出す。
 近くに6つ。彼ら4人と、鳴海、シェリスのものだ。
 「…刃牙、と、承太郎の死体は、喫茶店の前か」
 些か小さな声で、パピヨンが聞く。
 「ああ。まだ…そのままだ」
 「才賀勝、は?」
 「…喫茶店の手前…市役所の脇を5~600m程進んだ通り…だな。地図で言えば、DとEの境界辺り。近くにあの、逆十字号の残骸があるはずだから、まぁ目立つだろうがな」
 「…ふむ」
 少し上に視線を向けて、一呼吸置く。
 「あんた、あの二人をつれてまず喫茶店に行っててくれ。野暮用がある」
 そのまま、きびすを返そうとするパピヨンの腕が、す、と柔らかく大きな手に包み込まれた。
 「首輪なら、もう一個あるぜ」
 静かに、そう告げる。
 「承太郎、って男が、拾ってきておいたらしい。ナギ嬢ちゃんの話によるとな」
 お互いに、表情の読めぬ二人だ。
 黒い眼帯を着けた隻眼の大きな体躯の老人と、折れそうなほどに細く、青白く不健康そうな肌つやの顔をし、派手なバタフライマスクを付けた男。
 端から見ても、これほど異様な取り合わせもない。
 「サンプルは、多いに超したことは無い。
  既に2つあるとしても、さらに1つを取りに行くのはごく当然だ」
 きっぱりと言い切るパピヨンの声。
 視線が、絡み合う。
 その僅かな膠着を、先に破ったのは独歩だった。
 「…俺ぁ空手家だ。機械の事ァ解んねぇや。
 おめぇさんが必要だ、ってぇんなら、そりゃあ必要なんだろうよ」
 「ものわかりが良くて助かるね。ただの偽善者じゃあ無いようだな」
 パピヨンは、にんまりと口元に笑みを浮かべて言う。
 「だが、嬢ちゃんの遺体は、一旦つれてくぜ。
 やっぱ、野ざらしにゃあ出来ねぇからよ」
 瞬時に、口角が下がる。
 「…分かってるんじゃあ無いのか?」
 「解ってるぜ。だから言ってんだよ」
 独歩につかまれた腕を軽くふりほどこうとする。するが、柔らかいその握りは、ついと離れない。
 「さっき言ってた詳細名簿とかってんで知ってんだろうけどよ。
 俺ぁ空手家だ。そして、神心会100万の長だ。
 言ったって、たいしたもんじゃねぇ。
 ただ延々、この年ンなるまで人をぶっ叩いて、蹴り飛ばしてよ。
 どっちが強ェの何のと言って殴りっこし続けていただけだ。
 だからよ ―――」
 少し、止める。
 「だから何だ? 言っておくが、人型ホムンクルスのこの俺に、たかの知れた空手など通用しないぞ?」
 そう言うが、声に些か力がない。
 疲労もある。こなたを探して走り回り、些か体力を使いすぎていた。
 しかし ―――。
 「そうじゃ無ぇよ。ホルモンだかホスト部だかぁ、俺らの知った事じゃあねえよ。
 さっきも言ったが、俺ぁ機械の事なんざさっぱりだ。
 いいか、坊主。
 人間がぶっ壊れれば、何もない。無だ。ンな事ぁ解ってる。
 俺だって一度は死んだ身だしな。
 けど、生き残っている方は違う。
 そうだろ?」
 視線を、僅かにズラす。
 こなたと、ナギ。
 二人の少女が、少し不安げな面持ちでこちらを伺っている。
 「おめぇさんが、汚れ役をやろうってな解ってるよ。
 そのために、俺に嬢ちゃんらを託すってのも解ってる。
 だからよ」
 干涸らび、生命を吸い取られ枯れ果てたシェリスの死体。
 パピヨンの力で少しひねれば、その首は崩れ、首輪の回収も容易いだろう。
 だからこそ。
 「…ふん」
 大きく息を吐いた。
 「いいだろう。そっちは任せる。
 ひとまず喫茶店に行って、20…いや、30分だけ休んでろ。
 それまでに俺が戻らなかったら、先に学校に行け。後で合流する」
 「こいつは…いるか?」
 パピヨンの腕を放し、左手の首輪探知機を示す。
 「持ってろ。俺一人なら敵になど捕まらん。それと…そうだな、これを貰っておくか」
 手に取ったのは、一振りの剣。
 DIOの持っていたバッグに入っていたものだ。
 それを、背負ったデイバッグに突っ込みながら、
 「こなた! 蝶・天才の俺には色々と準備がいる! このお洒落センスのカケラもないおっさんと先に喫茶店に行ってろ!」
 そう言い放つ。
 「え…、パピ…ヨン…?」
 「さっきは細かく探さなかったが、喫茶店にもおやつがあったかもしれないな。適当に見繕っておいてくれ」
 翻って、立ち去ろうとするその肩を、再び独歩が引き留めた。
 「おーう、そう急くなって」
 またも、ふりほどけずに止まる。
 「ま、俺の知り合いがよ。こう言ってたわけよ。
 『強さとは、己の我が儘を貫き通す事』 だ、ってな」
 「…同意見だな。それが何だ?」
 「おう。その通りだ。
 けどな。そんな事ぁ良いんだよ。
 言い換えりゃ、なんつうか…そりゃ、強さの形だが…中身じゃあ無い。
 外側にあるモンだ」
 小鼻をかいて、独歩が続ける。
 「………」
 「付け加えりゃあよ。
 何を貫き、何を残すか。
 そっちの方が、重てぇんだよな。
 中身を置き忘れちまったその強さじゃあ、何も残せねぇし何も乗っかってこねぇ」
 「…説教でもする気か? 俺は貴様の門下生じゃあ無いぞ」
 不意に、両手を広げて、独歩がパピヨンを。
 抱きしめた。
 「善だの悪だの、偽善だの…。
 そういう理屈でモノ語るなぁ確かにガキの特権だ」
 「おい、待て…」
 流石のパピヨンが、面食らった。
 「男が語るのは、善悪じゃねぇ。『覚悟』、だ。
 …お前さん、天才なんだろ?
 きちんと、その天才の中身をぶら下げて、さっさと戻ってこいや」
 手を放し、肩をパンパンと叩き ――― 笑う。
 勢いに少しよろけるようにして、
 「間違えるな。俺はただの天才じゃない、蝶・天才だ。あんたこそ、迷子になるなよ」
 「バカにするねぃ。若い頃ぁアメリカで単身武者修行だってしてンだぜェ。
 見知らぬ街だって慣れっこだよ」
 再び、笑った。

◆◆◆

 まったく、ここに来てから慣れねぇ事ばっかりだぜ ―――。
 喫茶店の入り口近く。
 首輪探知機を手にしたまま仁王立ちする独歩が、心中独りごちる。
 独歩の人生は、パピヨンに言った通りに、「どっちかどんだけ強ぇかの殴りっこ」 の繰り返しだ。
 毎朝毎晩、ただひたすらに自分の身体を虐め、鍛え続け、武に捧げ続けた人生。
 神心会100万人の長、等と言うが、それでも彼らは皆、空手家だ。
 空手というもの選び、空手という生き方を選んだ者達のトップ。
 人型ホムンクルスや、吸血鬼、そして何より、闘う意志のない無力な子供…。
 前者二つは論外としても、そういった者達の中でのまとめ役の様な役割は、お世辞にも向いているとは思っていない。
 だからつい、慣れない説教めいたことも言うし、下らぬ冗談で場を和ませたりもする。
 その事が、――― 身体に合わないだぶついたスーツを来ているような ――― 違和感になる。
 太い指で、襟首を少しゆるめる。
 僅かに首を動かして、こなたとナギ達を見やる。
 二人の少女 (実際にはかなり年が離れているのだが、パっと見には同い年にも見える) は、落ち着いた様子でテーブルに着いている。
 勿論、内心は不安だろうし、立ち直っては居ないはずだ。
 それでも、二人はもう取り乱したりせずに居る。
 立て続けに集まった荷物は整理して、手元に置いておきたい必要な物とかさばるものにより分けておいた。
 危険と思える物は、とりあえず独歩が持つ。
 先のことを考えれば、何が有用かは分からない。
 とりあえず、多すぎる基本支給品等は一つに纏め、黒王号の鞍に結わえて運ぶつもりでいる。
 そして、こっそりと懐に収めた鉄の塊に手をやり、すまねえな、嬢ちゃん、と心の中で呟いた。


 シェリスと、そして、刃牙、承太郎の遺体。それと、鳴海の腕の代わりであった人形の腕は、喫茶店の奥にあったテーブルクロスにくるんで、向かいにあった花屋の中に安置しておいた。
 街中では埋める事は出来ないが、かといって野ざらしにする訳にもいかない。
 一人は顔が完全に破壊され、一人は胸に穴が空き、一人は完全に干涸らびたミイラの様相を示している。
 どれも、むごい有様だった。
 丁寧に清める時間もない。ただ布で巻いて、三人の遺体と、鳴海の腕を列べる。
 その周りに、ナギとこなたが花を敷き詰めた。
 ナギにとって、刃牙は承太郎の敵だ。
 こなたにとって、シェリスは短くはない時間を共にし、そして裏切って命を狙ってきた相手だ。
 それでも。
 彼らは四人の死を同等に悼んだ。ここには居ない、才賀勝の死も悼んだ。
 そして同時に、何処で果て、何時失われたかも解らぬ友人達の死も悼んだ。
 マリア。
 高良みゆき。
 それぞれに、かけがえのない二人の命を。

 花山の奴は…。
 独歩は二人の少女の姿を見ながら、少し考える。
 多分、立ったまま逝ったのだろう。
 地下闘技場での、息子、克己との試合を思い浮かべてそう考える。
 お前さんの死を悼むのは、悪いが後回しだ。
 全部ケリがついてから、ワイルド・ターキーでも手向けてやろう。
 そう思う。

 パピヨンの事を思い出す。
 あの男は、強い。
 ひょろ長い体躯と四肢に、青白い相貌は、地下闘技場で死闘を演じた天内悠を彷彿とさせるが、それとも違う。
 天内はああ見えても、柔軟で鍛え抜かれた肉体の持ち主だし、又相当な修練をも積んでいた。
 シェリスとの間に割って入ったあの動きは、確かに常人離れしていた。
 だがそれは、日々の肉体鍛錬や、武術の修練によるものではない。
 人生の全てを武に捧げてきた独歩には分かる。
 あの動きは、素人のものだ。
 尋常ではない身体能力を持ち、ある程度には場慣れをしている。戦いの経験もあるだろう。頭の回転も良さそうだから、駆け引きや戦略も使えるだろう。
 だが、それらをまだ、もてあましている。
 危ういと、独歩は思う。
 しかしその危うさは、経験や技術の不足だけにあるのではない。
 人体の真ん中を縦に通る線を、正中線という。
 脳天から金的まで、急所が揃った線であるが、同時に人体のバランスを保つ要でもある。
 この正中線を正しく保つことは武道の基本であり、またそれが出来ねば、軸がぶれ、どれだけの怪力無双でも、隙が出来る。
 軸がぶれること。それは、体だけのことではない。
 生き方、心構え、覚悟。
 そういうものにも言えることだ。
 鳴海には、それがあった。
 鳴海は激情型で、気分の浮き沈みの激しい方に思えたが、しかしその中にある軸は、常にぶれず安定をしていた。
 だからこそ、鳴海の激情は、隙ではなく力となる。
 常にぶれない、真っ直ぐな軸を持っているからこそ、鳴海は "強い"。
 勇次郎もそうだと言える。
 勇次郎のエゴに、ぶれはない。
 勇次郎の強さは、その驚異的な身体能力や、非道を厭わぬ残虐性にあるのではない。
 自らが最強者であると信じて疑わぬ自我の強さ、ぶれのなさにある。
 その軸がぶれたときに生まれる隙。それこそが、勇次郎の最大にして唯一とも言える弱点であり、だからこそ、地下闘技場での戦いの時に、独歩は勇次郎を一時的にも追いつめることが出来た。
 パピヨンの軸は、かなりいびつに歪んでいる。
 少なくとも独歩にはそう思える。
 ホムンクルスとかいうものが何か。それが機械であるとか薬物であるとか、そういう事は分からない。
 しかし何らかの外的手段で、おそらくは不意に得られた身体的能力。それを得るに至るまでの人生。
 そこに、大きな歪みがある。
 泉こなたを気にかけると同時に、一度敵対したシェリスに対して乾いた殺意を抱く。
 死者の首を切り落として首輪を得るのを厭わぬ決断力を持ちつつ、その姿を見られたくないと思う。
 同じ振る舞いでも、そこに覚悟があるかどうかにより、意味が変わる。
 理工学系のパピヨンとは別の意味で、独歩は現実主義者だ。
 人間は壊れるし、壊れて死ねば無に帰す。それらを、身体で識っている。

 死者を悼み送るのは、生者のためにすることだ。
 死をきちんと受け止め、生き残った者が次へと進む為に必要な儀礼だ。
 善悪ではない。覚悟だ。
 死者を ――― 特に、親しき者の死を ――― きちんと悼むことが出来ないと、人は容易く己を見失い、軸がぶれる。
 おそらくは、このゲームの中で、親しい者、守るべきはずの相手を失い、軸を失ってしまった者もいるであろう。ましてや、アナウンスでなされた 「ご褒美」 という言葉。
 己の心を見失わせ、軸を失わせる、嫌らしい餌。
 そこまでいかずとも、迷いは軸を揺らす。
 一時的であっても、その迷いは隙となり、ここではまさに命取りだ。
 それ以前に。
 ハナから軸がぶれているのならば、やはりそれも、危うさとなる。
 義憤と情熱であればそれは良い。強烈なエゴイズムならそれもそれでいい。
 軸のズレない意志と覚悟は、それだけで力となる。
 独歩はパピヨンの育ってきた環境を知らない。
 どこに生まれ、どう育ったか。
 何を望み、何を目指したか。
 それらを知りはしないし、それらをどうこう言う気もない。
 しかしおそらくはその中で。そしてその上でここに来て。
 パピヨンの歪な軸に、大きなぶれが存在しているであろう事を、独歩は感じ取っていた。
 自分以外を全て無価値と断ずるエゴ。勇次郎や、DIOの様なそれを持つのなら、それに徹していなければならない。
 自分以外にも大切なものを掲げて、慈しむ心。鳴海や、ナギ、こなたたちの様なそれを持つのなら、覚悟を持ってそれに徹する方が良い。
 過去に何をしてきたかは知らぬが、そこから逃げていては覚悟を持つのもままならない。
 そのパピヨンの危うさを、独歩は考える。


 一面の花の中に、純白の布に包まれた遺体が三体。人形の腕が一本。
 月明かりに照らし出される、静謐で厳かな空間。
 二人の少女は、そこに立ち続けている独歩を残し、先に喫茶店へと戻った。
 三人の内、ここに来る以前からの知り合いが居るのは独歩だけだ。
 二人ともその独歩の心情を、マリア、みゆきを失った自分たちに置き換えて捉え、そのお別れの邪魔にならぬようにと考えた。
 確かに独歩は、刃牙の死も悼んでいたが、今考えているのはそのことではなく、またここに一人残ったのもそのためではない。
 ナギとこなたに悟られぬよう。
 二人が立ち去ってからシェリスに巻き付けたテーブルクロスを僅かに開き、枯れ木のように干涸らびたシェリスの首をへし折って、首輪を外す。
 こいつも、パピヨンにきっちり渡してやろう。 

◆◆◆

 テーブルに着いているナギは、支給品の食料を少しずつ口に運ぶ。
 空腹は空腹だったが、食欲はない。
 それでも、半ば義務的に食べておく。
 これからの為にも、食べられるときに食べておく必要があると分かっているからだ。
 独歩も又、入り口付近で立ちながらも、山になっている支給品の食料からサンドイッチを取り食べている。
 こなたは既に数刻前に済ませていた為、飲み物を飲むだけだ。
 身体の痛みは、こなたから渡されたエンゼル御前の核鉄の力で、ずいぶん回復してきている。
 あとは、気力、精神力、意志の力 ――― そう言ったものだ。
 学校へと向かう。
 その行動方針に異論はない。
 ハヤテやヒナギクと会えるかもしれない。かもしれないが、所詮可能性に過ぎない。
 しかし同時に、このゲームに来て初めて会った男、JOJO、空条承太郎の事を思い出す。
 蝶変態のパピヨンとの一悶着の後、JOJOと二人で改めて決めた行動方針が、まずは大きな施設、学校へと行き仲間を探す、というものだった。
 それから、半日以上経つ。
 そのJOJOは命を落とし、再会したハヤテとも離ればなれになり、学校へ行くために変態のパピヨンをここで待っている。
 テーブルの上には、いくつかの荷物。
 自分が持つ分の基本支給品等は手元に戻した。
 それ以外の、多くなりすぎた荷物は一旦ひとまとめにしてある。
 かさばらず、すぐに使えそうな物は二人で分けた。
 こなたは、「スパイ映画の秘密道具みたいだ」 と、腕時計型麻酔銃を腕にはめた。それは小柄なこなたにあつらえたようにぴったりだった。
 あまりに凶悪そうな、扱えなさそうな物は、独歩が管理している。
 そういえば、と、ナギは纏められた支給品類に目をやる。
 まだ "紙"のままで、確認していないものがいくつかあったようだった。
 ちょっと確認しておこうかと思い、バッグの中をまさぐる。

 向かいに座っているこなたは、喫茶店にあったジュースをちびちび飲みながら、ナギの様子を眺めたり、たまに他愛のない話をして気を紛らわせたりしている。
 半ばヒキコモリな生活をしていて、趣味はゲームや漫画というナギとは趣味嗜好は合う。
 合うが、所々に齟齬もあった。
 こなたにとって常識レベルの作品をナギが知らなかったり、逆もある。
 フォローし切れていない、のでは無く、存在していない、のだ。
 同じようなタイトルのものも、細部で微妙な違いがあったりする。
 (違う世界の漫画かぁ…)
 普段なら些かわくわくするその事実も、こんな状況で現実に突きつけられると戸惑うしかない。
 何より、違う世界の漫画よりも、漫画以上にあり得ないと思えるものに溢れているのだ。
 こなたはパピヨンの事を思い出す。
 パピヨンが何をするために離れたか。
 こなたには分かっていた。
 独歩とのやりとりは、少し離れた位置でしていたために詳しくは聞こえていない。
 しかし、それでもおおよその見当はついた。
 パピヨンは、首輪の解析のためにはサンプルが必要だと言っていた。
 それも、出来れば数が欲しいと。
 数刻前、この場所で話をしていた才賀勝の顔が浮かぶ。
 自分より遙かに若い少年なのに、ずいぶんと大人びた印象があった。
 大人びていると言えばナギもそうなのだが、才賀勝のそれはナギの持つ早熟な知性によるものとは異なるように思えた。
 まさに、「漫画っぽい言い方」 をすれば、『いくつもの修羅場をくぐり抜けてきた男』 のそれ、だ。
 (人気キャラになるよね。優しくて真っ直ぐな少年で、悲運の生い立ちにもくじけずに、仲間を愛し、自分より遙かに強い敵にタチムカウ…)
 彼が主人公の作品があれば、きっと読者みんなに好かれるはずだと、そう思う。
 パピヨンが手にしていたのは、おそらく、剣だ。
 そして、それを使ってすることを、パピヨンは自分たちに見せたくなかったのだ。
 それが、こなたにも分かる。
 「人食いのホムンクルス」
 DIOの言葉が、再び脳裏をよぎる。
 パピヨンは違う。
 パピヨンは、DIOとは違う。
 繰り返し、自分に言い聞かせるかのように、こなたはその言葉を口の中で呟く。
 パピヨンは、あんな奴とは違う。
 DIOは…まさしくこなたがそれまで 「漫画の世界の存在」 と思っていた、『吐き気を催す邪悪』 そのものだと、そう思えた。
 鳴海の命と引き替えとはいえ、DIOが倒されたことは喜ばしいことなのだろうと思う。
 少なくともこれ以上は、みゆきや、シェリスの様に、DIOの犠牲となる者は居なくなるのだから。
 (これが漫画なら…)
 巨悪を倒した主人公達の、大団円が待っているだろう。
 それでもこなたは、これで仇を取ってやったと晴れやかな気分にはなれない。
 DIOのこと。シェリスのこと。パピヨンの事。みゆきの事…。
 やりきれない、名状しきれないわだかまりが心の奥に淀んで、静かに渦巻いているのが分かる。
 それはきっと ――― 目の前にいる小さな少女、ナギも同じだろう。
 そのやりきれなさを抱えたまま、それでも先へ進まねばならないのだ。
 (『しかしDIOは、我らマーダー四天王の中では一番の下っ端よ…!』 『な、なにー、お前等は…!?』 『し、知っているのか、パピヨン!?』 ってね…)
 頭の中にコマ割りごと思い浮かべて、少し笑った。
 そうだ、パピヨンの役割は、そっちの方だ。
 そうも思う。
 (それで、ネットで 「変態解説キャラ」 って言われるんだよな、うん。その方が…)
 しっくりくる。
 けれども。
 (本に……書いてあることなんて……。
 世の中全体の中のほんの一部だよ………パピヨン………)
 こなたが見て知っているパピヨンも、DIOの言った名簿に書かれているパピヨンも。
 どちらも、ほんの一部だ。

 不意に、何かが落ちる乾いた音がした。
 「あ」
 ナギが、小さく声を上げて下を覗き込む。
 どうやら支給品を纏めていたバッグから、ナギが誤って落としてしまったようだ。
 覗くと、ナプキンかメモか、何かの紙らしき白いものがひらひらと舞い落ちている。
 「これ―――」
 足下の方を見ると、折りたたみ式の小さな機械が開き、明るく光っているのが見える。
 携帯電話だ。これで誰かに電話できる? 家に ―――。
 考えて、それは無理だと打ち消すが、拾い上げようと伸ばす手が僅かに震えた。
 文字が見える。
 アミバ、と言う表示名と電話番号。
 手に取り、誰だろうかと考える間もなく、不意に聞こえた独歩の声に気を取られ、無意識にどこかを押してしまったように思う。
 「何だ、ありゃ…火事か…?」
 ナギと二人、その声の主へと視線を向けた。
 いつのまにか、風は止んでいた。

 ◆◆◆

 冷たい夜の闇を、ただゆらゆらと深海魚のように歩いている。
 無人の街路は、僅かな月明かりの他に光源はほとんど無い。
 手にしたライトはしかしともさずに、ただ闇そのものをまとい、歩を進める。
 パピヨンはいつになく、無表情な面持ちで人無き街を進んでいる。
 陰鬱だ、と評する者もいるだろうか。
 悩ましげな、と言い表す者もいるだろうか。
 それらどうともとれるし、またどれでも表せない。
 バタフライマスクの下にある白面は、あるいは水面に映る月影のようなものかもしれない。
 才賀勝の死体から首輪を回収する。
 単独行動の表向きの理由はそれだ。
 勿論、嘘ではない。
 首輪は必要だ。
 出来るだけ多い方が良い。
 空条承太郎が既に回収していたという一つと、石となり風に消えた鳴海の一つでは、些か心許ない。
 そうは言う。
 刃牙、シェリス、承太郎、そして、才賀勝。
 回収できるものがそこにあるのだから、それら全てを取っておいて構わない。
 そうも言う。
 しかし。
 一人、こなたたちと別行動をし、勝の死体から首輪を回収すると言う名目は、嘘ではないが、全てでもない。
 パピヨン自身、それは分かっている。

 死体の首を切り、回収するのは織り込み済みだ。
 が、しかし。
 それを見せたくはなかった。
 こなたたち ――― いや、こなたに見せたくは無かった。
 こなたであれば、「見るな」 と一言言っておけば済んだかもしれない。
 無闇な感傷に流されて、必要なこととそうでないことの区別がつかなくなることはないだろう。
 そうは思う。
 DIOの、あの一言が無ければ。
 「『人食いの怪物』ホムンクルス、パピヨン」