笑顔  ◆wivGPSoRoE



 曇天の雲の下、漠々たる闇と静寂が支配する中、男と女がにらみ合っていた。
 電柱に備えられた街灯が、ぼんやりと照らし、ディパックから転がりでたランタンが光を放っている。
 どこか冷え冷えとしたものを感じさせる周囲とは異なり、二人からは闘争の熱が発せられていた。

 "ルイズが私を許して、そして救ってと呼び掛けていた相手だ"

 女の言葉を何度も頭の中で反芻し、その意味を認識する。
 そのたびに、驚愕の風が覚悟の心の水面を揺らした。
(どういう意味だ? ルイズさんとこの女との間に一体何が……。
許せ、そして救えとは、どういうことなんだ? ルイズさん)
 何ゆえ、柊つかさを殺害しようとした悪鬼を救ってくれ、などとルイズが言ったのか。
 普段は波紋一つおきぬ覚悟の心の水面は、大きく揺らいでいた。
 わずかに、覚悟の構えが緩む。

 その隙をついて女が駆けた。猛禽の速度で突進してくる。

「臓物ぉぉ――ッ!!」
 槍から光が迸る。
(っく!)
 覚悟の体が発光。
「ブチ撒けろっっ!!」
 まさに間一髪。
 零式鉄球体内吸引により硬質化した覚悟の腕が、突き出された槍の腹を叩き、槍の軌道を逸らす。
 否――逸らしきれない。
 女と覚悟の体が猛速で交差。エネルギーの奔流が覚悟の脇腹をわずかにかすめ、ライダースーツが裂けた。
 覚悟が零式鉄球体内吸引により硬質化できるのは、肉体の5割6分。
 硬質化できぬ部分から血が飛び、闇の中に赤の飛沫が散った。

 ――浅い。

 寸毫たりとも表情を変えることなく覚悟は女を見据え続ける。
 元より、傷ごときで動きと心を鈍らせる男ではない。
 ひびの入った腕から走る痛み、今しがた受けた脇腹の裂傷。

 ――仔細なし。

 我が身は必勝の手段。ゆえに姿など、どう変わろうと問題なし。

 ――問題なのは。

 女の発した謎の言葉。
(この女を救ってくれというのがルイズさんの遺志であるなら、果たさねばならぬ)
 彼女の遺志であるなら、継がねばならない。自分には継ぐ義務がある。
 けれど、目の前の女とルイズの関係が、まったく分からない。
 ルイズの話していた二人の学友が、目の前の女なのか?

 ――さにあらず。

 ルイズから聞いた二人の学友と一致する身体的特徴は、皆無。
「再度問う!
 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールに関する情報一切。
制限時間――」
「うるさいな、君は」
 無機質な声が響いた。
「ギャンギャンと耳障りな声で吼えないでくれ。
まったく、そんなんだから、私やカズキまでが、『最近の若者は』と言われるんだ」
 どこか恍惚とした表情で、女が槍の穂先を舐める。
「なぁ、カズキ。やはりこいつみたいな下品な人間がいる世界は、私達にふさわしくない……。君もそう思わないか?」

 ――狂っている。

 銀の瞳に宿るは狂気。
 明らかに目の前の女は正気ではない。
(救ってくれとは……。
この女が罪を重ねる前に撃ち滅ぼして救済してくれと、そういうことなのか?)
 女の顔を伺う。
 意思の強さや凛とした佇まいを演出したであろうその顔は、無残に傷つき、焼け焦げ、目ばかりが爛々と光っている。
 女の眼光が鋭さを増した。
「っぁあっ!!」
 気合と共に女が飛び上がり、刃が覚悟の脳天めがけて高速で落下。
 半身で回避。
 女の着地と同時に刃が閃光となって閃き、横薙に軌道変化。
「直突!」
 覚悟の体が猛速で前へ突進し、女の間合いを簒奪。
 正拳が彗星となって女の胸に繰り出される。
 女が吹き飛んだ。鉄の地面と水平に飛んで壁に激突。

 ――不十分!

 打突の瞬間、女は後方に跳躍し、勢いを殺している。
 自分の攻撃より覚悟の拳が速いと判断しての咄嗟の回避行動。讃えるべき判断力、そして経験に裏打ちされた技。
 とはいえ、覚悟の拳は鋼鉄すら粉砕する。不完全だろうが、普通の人間ならこれで終わりだ。
 しかし、覚悟は構えをとかない。

 ――まだ、先がある。

 覚悟の見つめる先、
「キサマぁァ……」 
 怨嗟の声を上げながら、女が身を起こす。
「それほどの力を持ちながら、何故それを人のために使おうとせぬ!」
 人とは思えぬほどの強靭な肉体と、高い戦闘技術を持ちながら、何故、悪鬼に身を堕とすのか。
 女がピクリとわずかに身を震わせた。
「人の……ため。誰かの……ため……か……」
 風にのって女の独白が聞えてくる。
「カズキはいつも……そう……」
 俯むき、女がブツブツとなにやら呟いている。

 ――カズキ。

 二度に渡って口にされたその名前。
(男の名……おそらくは、友……恋人か?)

 ――まさか!?

 覚悟の中で思考が集約を始める。
 女が顔を上げた。射すくめるような視線。
「いたからっ! 纏わりつく奴らが、いたからっ!!」
 耳をつんざくような絶叫と共に、槍の穂先が覚悟の顔面めがけて殺到してくる。

 ――遠い。

 そこからでは届かない。
(怒りに囚われ、我を忘れたか?)

 "先方の武器分からぬ時は大砲の筒先と思うべし!"

 覚悟の思考を、零の教えが切り裂いた。体が反射的に回避行動を取る。
 その瞬間、女の槍が爆発的に伸張し、穂先が覚悟の顔面を掠めた。
(伸縮自在か!)
 驚きを感じつつ、続いて離たれた二連突きを冷静に回避。
 風圧で覚悟の髪が左右に揺れる。
「寄生虫どもめっ!! 私とカズキの邪魔をして! 命までっ!!」
 槍が一挙に引かれた。
「だからカズキは――」

 ――来る。

「私が守るっ!!」
 突きの中で最もかわしにくい胴突きが、高速で突き出される。
 しかしそれは覚悟の読みどおり。
 女の技は感情が前に出すぎているせいで、どこか粗い。
 一流同士の戦闘においては、致命的だ。
「ぬん!」
 半身でかわしつつ、硬質化させた肘を槍の腹に打ち落とす。
「重爆!」
 覚悟の左足が女の足に向かって弧を描く。
 視界の中で女が後方跳躍、そして足先に、空を切る感覚。
(未熟つ!)
 覚悟は己自身を叱責した。
 刀、手槍、長槍と、瞬時に変化する敵の間合いが測りづらいのは事実なれど、今の隙で決められぬとは何たるザマか。
 それよりまず何より、

 ――心に迷いを抱えたまま撃つとは、何事かっ!!

 揺れる心で放った攻撃が何故当たろう?
 覚悟は、その鋼の自制心を持って心の波を静めようとする。
 だが、女の言葉によって心の水面に発生した波は、静まるどころかその大きさを増すばかり。

 "たとえ、アナタからみて悪鬼だとしても、その者には何か守るべきものがあるかもしれないじゃないか"

 コナンの発した言葉もまた、覚悟の心を揺さぶる。
(あの女は、守ると口にした……。
なれど、あの口ぶりからしてカズキという男は既に死んでいる可能性が高い。
この女こそ、コナン少年が言っていた、悲しき悪鬼なのか?)
 思い起こせば、放送で呼ばれた名の中にカズキという男の名があった気がする。
「お前の望みは、カズキという男の蘇らせることなのか?」
 覚悟の問いかけに、女は嘲笑で応じた。
「はっ! アイツも、お前も、同じことを言う!
そうだっ! 私はカズキを生き返らせる!! どんなことを、してもだっ!」
 女が再度突進してくる。
 喉元に迫る槍をかわしつつ、
「他者の屍の山の上で蘇ったところで――」
「カズキは喜ばない? カズキが悲しむだけだ? だからこんなことをはやめろ?
ハっ! アハハハハ! おんなじだっ! 聞いたか、カズキ!? まったく、独創性に欠ける奴らだ!!」
 女の唇が半月を描いた。
「さぁ、次はなんといって私を、改心させてくれるんだっ? ええ!?
受けいれるしかない、か? あなたの気持ちは痛いほど分かる、か? 
フッフフ……フハハハ、アハハハっ!!」
 狂気の笑みを浮かべて女が笑う。
 ひとしきり笑い続けた後、女は唐突に、笑うのをやめた。
「うざったいんだよ、お前らみんな」
 冷え冷えとした声は、地獄の底の冷たさを感じさせた。
「私と彼は一心同体だ。カズキの死ぬ時が私の死ぬ時。私が死ぬ時がカズキの死ぬ時。
そう誓い合ったんだ……」
 覚悟は愕然とした。
(それほどまでに誓い合った仲であったのか)
 目の前の女は、カズキという男を心から愛していたのだ。

 ――喪失の悲しみで狂ってしまうほどに。

 女の身の上を思えば、悲しみが込み上げる。
 好き合った二人を修羅地獄に叩きこんだ悪鬼共への怒りもつのる。
 だが、だがしかし――
 零の時のように、女の悲しみを知り、同じ涙を流そうという気には、なれない。
 心の底から、女を許そうという気にはなれない。
 原因は分かっている。
 女の心にあるのが、喪失の悲しみと恋人の理不尽な死に対する怒りだけではないからだ。
 女の心には妄執がある。女の心は歪んでいる。捻れ曲がっている。
 それに――
 この女はルイズを殺した。勇敢で誇り高く、無邪気で可憐だったルイズを殺した。
 この女は柊つかさを狙った。あんなにも朗らかで、心優しい、自分を友と呼んでくれた柊つかさを。
 自分に降りかかる痛みになら、いくらでも耐えることができる。
 けれど友の痛みだけは我慢できない。
 心を濁らす愛憎怨怒を滅殺するのが零式防衛術。

 ――なれど。

 揺れるはずのない覚悟の心は今、ルイズや新八を失った時よりも、揺れていた。
「私とカズキの間に、誰も、入るなっ!!」
 絶叫と共に女の体がたわんだ。おそらく次の攻撃は、先ほどよりもさらに速い。
 身構えつつも、覚悟は葛藤する。

 "覚悟さんはどうするつもりなの?"

 悲しき悪鬼をどうするのかというコナン少年の問いが、覚悟を悩ませる。
(今の俺に、因果が撃てるのか? 撃って、いいのか?)
「私とカズキは二人だけの世界で暮らすんだ!カズキは私だけのモノだ!」
 覚悟の心が瞬時に沸騰した。

 ――誰にも人をモノ呼ばわりする権利はない。

(この女の心にあるのは、献身ではない!)
 身を捨てて相手に尽くそうとしているのではなく、自分の欲望を通そうとしているだけだ。
 覚悟の心の熱が、拳となって具現化。
 零式防衛術、水鏡の構え。一撃必殺の因果を叩きこむ構えである。
「邪魔を、するなあぁぁ――っ!」
 飛燕の速さで女が迫る。
 覚悟の間合いに女が入る――刹那。女が横っ飛び。

 ――霍乱機動か。

 覚悟の視線が淀みなく女を追う。
 女の唇がつりあがり、
「ああっ!!」
 地面から何か――地面に落ちたランタン――を打ち払った。
(これは、当たる)
 集中によって全てが低速化した世界の中で、ゆっくりとランタンが迫り、女がランタンの後を猛追してくる。
(避ければ隙が生まれる)
 覚悟の鋼鉄の胸にランタンが命中し、甲高い破壊音が鳴った。
 一瞬遅れて胸と顔から焼けつく痛みが走る。皮膚がこげ、神経が燃え、脳の神経が悲鳴を上げた。
 覚悟の構えに動きはなく、表情は毛筋ほども揺るがない。

 ――覚悟とは苦痛を回避しようとする本能すら凌駕する魂である。

 女の顔に動揺が走り、槍の穂先がほんのわずか鈍った。
 瞬時に覚悟の後ろ足が地面を蹴る。

 ――因っ……

 "許して"

 ルイズの声と共に覚悟の瞼の裏で桃色の髪が舞う。

「零式積極直突!!」




 ――動けん。

 男が近づいてくる。
 斗貴子の背筋を氷塊が滑り落ちた。
(強い、この男は、強い……)
 あの変態筋肉と互角に戦える力の持ち主だ。
 正面から闘う愚を冒した迂闊な己を斗貴子は呪った。

 ――あの、疫病神め。

 あの女、ルイズの名を口にした瞬間、固まっていたはずの心に小さな亀裂が生まれた。
 その亀裂は、男と闘えば闘うほど、大きさを増していばかり。
 おかげで、戦闘に集中しきれずこのザマだ。
「水月経由で脊髄中枢に刺激を加えた。その力……。二度とつかえまい」
 淡々とした宣告。

 ――ふざけるな

 斗貴子の心で爆炎が生まれた。

 ――これぐらいのことで、誰がっ!!

「ぐぅっ!」
 伸縮させたサンライト・ハートの穂先を腿につきたて、抉る。
「うがぁぁっ!!」
 右腕の傷口を道路に押し付け摩り下ろす。
 ぐじゅずりと骨と肉が腕からこそぎとられ、地面に赤黒い線を引いた。
 常人なら発狂するほどの痛み。脳の神経回路が焼ききれんばかりの熱を発した。
 激痛という名の刺激で神経と脳を強制的に接続。
「さぁ……どうした? 来ないのか?」
 荒い息を吐きながら、斗貴子は男をねめつけた。
 太ももと右手の傷口から間断なく痛みが襲ってくる。男の拳を受けた箇所から鈍痛が走る。
 痛みの混声合唱を執念で黙殺し、斗貴子は男に向かって歩を進めていく。
「があっ!!」
 割れた声で気合を上げ、槍を突き出す。
 槍が虚空をついた。
「っあ!」
 そのまま横薙ぎ。男が顔を逸らしてかわす。足がふらついた。
「クソっ!」
 袈裟懸け。狙いがそれている。
「糞っ!」
 喉狙いの突き。遅い、遅すぎる。
「くそおぉっ!」
 足払い。余裕持って回避された。足先と脳神経が連結しきっていない。

 ――当たらない。当たる気がしない。

 絶望と憤激の炎が斗貴子の胸を焦がす。
(このままじゃカズキが……。カズキを、生き返らせられないじゃないかっ!!)
 胸の炎が命じるまま、男の顔面に刃を叩きつける。
 男の鉄と化した手刀が閃いた。
 手刃と槍刃が激突し、ぎぃんと耳障りな金属音を発した。
 力では敵わなかった。
 槍刃が弾かれ、力のベクトルが急激に変化。てこの原理で槍の動いた方向に腕を引っ張られ、斗貴子の体がおよいだ。
 体勢が崩れたところに、男が高速の右回し蹴りを放ってくる。
 避けられなかった。脇腹に衝撃。
 息が止まりかけた。
 浮遊感があって、一瞬遅れて背中から全身に衝撃が突き抜け、傷口が悲鳴を上げた。
「ごっ、ぐげぇあ!」
 吐瀉物を吐き出して、斗貴子はのたうった。
「え、ぐぅぐ……」
 込み上げるものを無理矢理の見下し、斗貴子は乱暴に口元をぬぐう。
「あなたの、そんな姿をみればきっと――」
「絶対にありえない仮定はやめろ! たくさんだっ!」
 男が口をつぐんだ。
「見られないんだ、カズキは。見ていたら、こんな……。お前なんか……一発で……。
それが死ぬってことだろうっ!?」
 斗貴子は顔を上げた。
 男の悲しみの視線と斗貴子の濁った視線が衝突。
 男の目の光が、斗貴子には無性にカンに触った。
「どうして、生き返らせたいと思わないんだ?」
 不思議でどうしようもない。

 "お願いだから正気に戻って。カズキって人が悲しむだけだから……"

 あの女の声が響く。
「うるさい!! カズキはもう、悲しむことすらできないんだと言ってるだろうが!?」
 男が戸惑ったような顔をしている。
「どうして分からない!? 死んだ人間は、喜ばない!!
悲しまない! 怒らない!! 笑わない! 何でお前らはそれが許せるんだ!?」
 泣き顔だっていい、もう一度彼の顔が見たい。
 斗貴子の瞳の中の男の像が、ぼやけた
「カズキは……妹のことを大事に思ってて、思われて……。
私と違って友達だってたくさんいて……。いつだって、人のために闘って、闘って……。
一度は、命を投げ出して全てを救おうとしたんだ!! そんなカズキが何で死ななきゃならない!?
こんなのわけの分からない、意味もない戦いで! いきなり! 不条理に!!」
「それほどの人間を、お前自身が汚そうとしていることに、何故気付かん!」
「馬鹿かお前は!? そうしなきゃ、生き返らないからに決まっているだろう!?」
「汚れた手段で現世に引き戻された人間が、喜ぶとでも思っているのか?
お前は、命を奪われた人間から、名誉まで奪うつもりか!?」
「知ったことかっ!! 他の世界の奴らにどう思われようがっ!!
私とカズキの世界に、私達を罵るやつらなんかいない! いたら私が殺してやるっ!!」
 手が震えてまともに槍を持っていられない
 斗貴子は左掌に噛み付いた。
 金臭い味と共に妙な味が舌を刺激するが、すぐに斗貴子はその疑問を抹殺する。
 今は目の前の男を殺すことだけを考える時だ。
「おしゃべりは――終わりだっ!!」
 サンライト・ハートの柄を最大に伸張。
(間合いを取って闘う……。怪我の一つも負わせられれば御の字だ……)
 目の前の男には、今の自分のような回復手段はあるまい。
 傷を負わせて撤退するだけでもこの際、かまわない。
「ィィイっ!!」
 体を動かすだけで全身から走る痛みを気合と共にねじ伏せ、胴突きを放つ。
 男が半身でかわす。

 ――逃がさん!

 槍の穂先が円を描いた。
 巻き込み――槍術や昆術の基本技で、男の服を絡め取る。
 そのまま振り回して叩きつけようとした瞬間、男が槍の柄を掌握。
 槍が強制停止させられ、槍に加えた力が逆流してくる。
 男の打撃を受けた胸部と脇腹から走った痛みが全身を貫き、斗貴子の奥歯が鳴った。

 ――動かせない?

 左腕一本とはいえ、あの液体を飲んで力を得た自分と互角とは、なんという力か。
(いや……。負けている?)
 男はまだ余力を残している。
 鉄面皮な男なので表情からは分からないが、槍を通して伝わってくる力から、それぐらいは読み取れる。
「どうしても戻る気はないのか? 人の道へ」
 押し殺した男の声。
「人の道? はっ! そんなもの……」
 会話に応じながら抜け目なく槍を揺さぶってみるが、鉄のボルトで固められたかのように、動かない。
「雨が降って地固まるという言葉はある。されど、仮にカズキという男が蘇生し、
あなた達二人が再び共に生きることになったとして、あなた達二人の絆が強くなるとは、俺には思えない。
あなたの愛したカズキという男が、友を愛し、家族を愛し、人を愛した男なら、
あなたの行いを知れば、きっと苦しみ、怒るだろう。血の雨を浴びた後に強まるものなど、あろうはずがない!!」

「人の話を聞いていろっ!!」

 男に倍する声量で斗貴子は怒鳴った。
「私とカズキは、二人の世界に行くんだ! カズキだって、分かってくれる!
私以外に愛する人さえいなければ、きっとまた、私を愛するようになる。そして、愛し続けてくれる!」
「キサマ!!」
 男の怒号が斗貴子の鼓膜を振動させた。
 同時に斗貴子の体が宙に浮き、横方向に強制移動。

 ――叩きつけられる!?

 咄嗟にサンライト・ハートを分解。間一髪で間に合った。
 桁外れの男の力に更なる危機感を感じつつ、斗貴子は男に神経を集中させる。
「やはりキサマの愛は侵略行為! 他者を、そして、想い人すら蹂躙するだけのものだ!」
 男の声には、闇を払う清冽さと厳しさがあった。
「……うるさい。だから、何だ……。だって、そうしなければ……側に、いてくれないじゃないか……」
 発せられた言葉は、自分でも驚くほど弱弱しかった。

 "死んでもやっちゃいけないコトと死んでもやらなきゃいけないコトがあるんだ!"

 カズキと出会ったばかりの頃の記憶が、斗貴子の頭に蘇ってくる。
 蝶野の作り出したホムンクルス・鷲尾との戦いで、
 カズキは、自分が永らえるために他者を犠牲にした蝶野に、怒りを露にしていた。
 自分の命より大事なことがあるといっていたカズキ。彼は死ぬ時までその信念を貫いたに違いない。
 自分のやっていることを、カズキはきっと許さない。カズキに嫌われるかもしれない。
 カズキに嫌われるのは嫌だ。諦めるなんて絶対に無理だ。

 ――諦められない。

 どうしても、どうやっても、諦められない。カズキの側にいたい、カズキと共にありたい。
 愛している、カズキを心から愛している。
「カズキ……。カズキ……」
 何かが頬をつたうのを斗貴子は感じた。
(涙? くそっ……。敵の、前で!)
 無理矢理自分を叱咤し、斗貴子は槍を構えなおす。
 斗貴子の思考に空白が生まれた。

 男が両腕を広げている。

「何の、つもりだ……?」
 喘ぐように斗貴子は言った。
(あの構え……。あの構えからどういう技を?)
 斗貴子の動揺を見透かしたように、
「構えにあらず! 策でもない!」
「じゃあ、何のつもりだっ!?」
「ルイズさんがそうしたように、私もあなたを救いたいのだ!!」

 "違うわ。『わたし』を救うの"

 男の姿が笑顔のルイズの姿と重なり、音程の違う二つの声が、斗貴子の頭の中で何度も鳴り響く。
 斗貴子の体を震えが襲った。
 あの時の恐怖が蘇ってくる。微笑を浮かべたルイズに抱きしめられた、あの時の恐怖が。
「ふざけるな! 同情のつもりか!?」
 男の気持ちを、ルイズの気持ちを受け入れてしまえば、引き換えしてしまえば、もう二度とカズキに会えなくなる。
 カズキを永遠に喪ってしまう。
(駄目だ! ダメだ!! それだけはだめだっ!!)
 駄々をこねるように、斗貴子は何度もかぶりをふった。
 男は無言で両手を広げている。腕を切り落とされても悲しい微笑を浮かべながら両手を広げていた、ルイズように。
「闘え! お前らの偽善なんぞ、クソっくらえだ!!」
 悲鳴じみた絶叫が静寂の街に響き渡った。
「ようやく、ルイズさんの気持ちが分かった……。
暴力で想い人を奪われたあなたに、どうして因果が撃てようか!」
「黙れっ! 何が救うだ。思い上がるのも大概にしろっ!!」
 喉も枯れよとばかりに、斗貴子は喚きたてた。

 "本当に好きだったんでしょう? 悲しいよね。けど、受け入れるしかないの"

 ――やめろ! 言うな!

 斗貴子の心で荒れる狂う感情の乱流は心の堰という堰を押し流して、荒れ狂っていた。
 心が……壊れそうだ。
 すべてを押し殺してしまおうと、斗貴子は目を硬くつぶった。

 ――何故ためらう?

 心の奥底、心の真っ暗な深遠から声がした。

 ――馬鹿が勝手にこちらの身の上に同情して隙を作ってくれたぞ? 絶好の好機じゃないか。

 声は陰々と響き続ける。

 ――カズキの他者への献身の先にあったのは何だった? 死だけだったじゃないか。

 それは悪魔の囁きだった。甘い響きを持つ、利己主義という名の悪魔の誘惑。
 無論、大なり小なり、利己の心は誰とて持っている。
 しかし、その心が狂的なまでに高められた時、それは人を、
 信じる心を嘲笑い、命を斬り捨て、世界すら滅ぼそうとする悪鬼へと変える。

 ――自分のために、カズキのために、他の奴らを犠牲にして、何が悪い。

 わずかに理性の色を取り戻しつつあった津村斗貴子の心は、またも漆黒に染まっていく。
 一人の女のために世界すら滅ぼそうとした悪鬼、白金と同じレベルにまで、堕ちていく。
 誘惑に抗うには、津村斗貴子は既にあまりにも弱りきっていた。狂ってしまっていた。

 ――何人も襲っておいて、二人も殺しておいて、いまさら戻る気か?

 罪を重ねすぎていた。

 ――もう戻れない……。いや……。誰が、戻るか!

 武藤カズキを愛しすぎていた。

 出口を求めて荒れ狂っていた斗貴子の心は、奈楽へと落下していく。
 押し留めるようとするいくつかの声も、すぐに奈楽の底に消えた。
 斗貴子は目を見開いた。
 男は、斗貴子が目を閉じる前と全く変わらぬ姿で、両手を広げている。
 斗貴子の胸の中で渦巻いていた感情の乱流は、嘘のように静まっていた。
(私は、何を迷っていたんだ?)
 迷うことなんて何もなかったというのに。
(おっと……)
 思わず微笑んでしまいそうになった。
 慌てて、唇を元の形に戻す。  
(私は、絶対に負けない)
 自分は、運命という名の意地悪な神になど負けない。
(フフ……そういえば、ルイズはいいことを言っていたな……。
目の前のコイツも言っていた気がするが……。まあ、どちらでもいいか)
 斗貴子は呟く。戦いへと赴く自分を奮い立たせる言葉を、身を奮い立たせる言葉を。

 仮に運命がどれほど過酷であろうと、灼熱の戦いがまっていたとしても、かまわない。

 ――当方に迎撃の用意あり。

 諦めずに追いかけ続ける。信じる道を進み続ける。
 絶対にカズキを、二人の幸せな未来を勝ち取ってみせる。

 ――覚悟完了。

「その手は食わない!」
 男に向かって冷酷な口調で告げる。
「見損なうな!」
 男の返答。
「どうだかな!」
 疑うような言葉を叩きつけながら、斗貴子は心の中で嗤った。
(馬鹿だ、こいつは大馬鹿だ)
 この目の前の男は、おそらく槍を受け入れてくれるだろう。あの桃色の髪の馬鹿女と同じように。
 槍の穂先を男の胸に合わせる。
「どうか! どうか……。人を殺めるのは、これで、最後にしていただきたい!」
 真摯な眼差しと誠実さと暖かさにに満ちた響きが、斗貴子の鼓膜を揺らす。
 けれど、男の言葉を脳が認識しても、斗貴子の心の水面には、波紋一つ起きなかった。
 耳障りなあの女の声は、もう聞こえない。
(ありがとう、私と出会ってくれて。君が、この殺し合いの参加者でよかった……)

 ――おかげで一人分、殺す労力が少なくてすむ。

 斗貴子の踵が地を打ち、サンライトハートが光を放つ。
 爆発的な推進力で一気に斗貴子の体を前に運ぶ。
 視界がみるみるうちに狭くなる。
 男は動かない。
(死ねっ!!)
 男は、動かない。
 槍の穂先が男の胸に迫る。
 男は――

 動いた。

 胸に衝撃。視界がいきなり後ろに流れ出す。
 壁に叩きつけられ、後頭部から衝撃が突き抜け、意識が一瞬吹き飛んだ。
 地面に叩きつけられる感触で、意識が引き摺り戻された。

 ――やられた。

 胸から込み上げる破壊的な痛みより何より、その思いが、頭を真っ白に塗りつぶした。

 ――見抜かれていた。

 自分の心根を見抜かれた気がした。
 心が熱く熱くて焼け付いてしまいそうだ。
「糞っ!」
 吐き捨てて斗貴子は、今の一撃で間合いが開いたのを幸いとばかりに、逃走を開始する。
 男は追ってこない。

 ――追う価値もないということか!?

 殺意と憎悪の炎が、斗貴子の脳天に駆け上がった。
(殺す、絶対に殺してやる!!)
 自分をコケにし尽くした男を、必ず殺してやる。
 絶望の淵に叩きこんでやる。必ず、必ずだ。
 斗貴子は気付かない。
 彼女の胸を満たす怒りには、最後の救いの蜘蛛の糸を切り落とした、己自身に対する怒りも混じっていることに。
 闇の中でか細い光を発していた蜘蛛の糸を切り落としてしまったことに気付かぬまま、
 悪魔の毒で染められた心が命じるままに、斗貴子は誓う。

 男への復讐を。




 女が消えていくのを覚悟は呆然と見ていた。
 視線を右の拳に落とす。

 ――何故動いた、俺の拳。

 女の涙を見たとき、女の狂気が、愛から生まれた深い哀しみと絶望によるものだと、心が認識した。
 悪鬼ではなく、目の前にあるのは哀しみそのものだと思った。
 理不尽な暴力によって生まれた哀しみに、暴力を加えても哀しみは増すばかり。
 ゆえに両手を広げた。広げるしかないと感じた。
 救いたかった、ルイズの遺志を継ぎたかった。

 ――それなのに、何ゆえ?

 目を開けた女の目の中に、暗い炎を見てしまったからだ。
 深い悲哀に満ちていた先ほどとはまったく違う、利己の塊を。他者を糧として燃え上がる歪んだ黒炎を。
(言い訳をするなっ!!)
 己の心に、覚悟は満身の力を込めて怒声を浴びせかけた。
 女の槍が胸を貫かんとしたとき――

 "……私、待ってるから"
 "葉隠、何処で待ち合わせるかは分かってるな?"
 "私を追い払っておいて、こんな所で死んだら許さないわよ!!"

 三つの声が響き、ヒナギクの悪戯っぽい笑顔が、つかさの柔らかな笑顔が、川田の不敵な笑顔が、
 次々と脳裏に浮かんだとき、思ってしまったのだ。

 ――まだ、死ねない。

 湧き上がったその思いは、刹那の時で心を埋め尽くし、精神と一体化した父の教えすら吹き飛ばしてしまった。
 仲間達をこれから待は、自分の数瞬の忍耐などとは比較にならぬ、大試練。
 仮に目の前の女を救い、一人の悪鬼が人間に戻ったとしても、戦鬼ラオウがいる。赤髪の鬼がいる。
 首輪の謎は解けず、仮に解けたとしても、その先に待つのはラオウすら捕えた悪鬼の群れ。
 世慣れぬ自分、悪鬼の血を引く自分を「友」と呼んでくれた仲間達を、未熟な自分の歩みを支えてくれた友達を残し、何故死ねよう?
 死なせたくない。ルイズのように、新八のように。
 守りたい。守り抜いて、友たちが生きるべき世界に帰るのを見届けたい。
 牙なきもの全て剣となるのが、零式防衛術を継ぐものの役目。誰か一人の戦士たれぬ我が身。
 けれど、もし、願いが許されるなら――

 気がつけば、拳を振り切っていた。

 気の抜けた、迷いに満ちた拳を。
(ルイズさん……。許してくれとは最早言わぬ。
存分に罵ってくれ! 呪ってくれも構わない。
俺は、あなたを守れなかっただけでなく、あなたの遺志を汚してしまった……。
俺はあの瞬間、あなたの遺志より、友を選んでしまった)

 ――言行不一致。卑劣漢。大嘘吐き。不覚悟者。未熟者。

 ルイズの遺志に泥を塗り、女に卑劣極まる攻撃を仕掛けた自分にする罵倒の言葉は、
 悔恨の念と共に大波となって絶え間なく押し寄せ、覚悟の心の壁を粉砕せんとする。
 だが、その感情の波をさらに越える思いに突き動かされ、覚悟は走り出す。
(無事でいてくれ! ヒナギクさん、つかささん、川田)
 女が去ったのは病院の方角。
 おそらくは、傷を癒しにいったのであろうから、女からの危機はさったといえよう。
 なれど、ここは多くの悪鬼が蠢く場なのだ。

 一心に友の無事を祈りながら、覚悟は駅への道を急いだ。