進化◆1qmjaShGfE



闇夜をぬける銀と白の軌跡。
純白のそれは時折上に下にと揺れながら、銀のそれは一律の高さを維持しながら、アスファルトの森をかいくぐるようにすり抜けていく。
それらに影のように寄り添う物があった。
二つの輝きを導くように、支えるように寄り添うその影は、そうと知る者ですら見つける事が困難な程、見事にその存在を消し去っている。
取ってつけた『影』の役所ではない。
影として生まれ、影として生き、影として死ぬ事を定め付けられた、そんな存在であった。
しかし、彼はそれだけでは終わらなかった。
歴史を重ね、修練を重ね、不純物の一切無い純粋で濃密な影へと進化し続ける。
周囲を遍く照らし、力を与え、その支えとなる事の出来る影。

それは既に光と同義であった。

ケンシロウ達は独歩と別れた場所までたどり着く。
しかし、独歩が北に向かったらしい事はわかるが、それ以上の事はわからない。
そうケンシロウがエレオノールとエンゼル御前に告げると、エレオノールが自信満々に自らの胸をたたく。
「お任せ下さい。人が移動した跡を見つければよいのですね」
突然地面にへばりつくエレオノール。
真剣な表情でアスファルトに残るはずの無い足跡を探し始める。
『ケンは目が見えない。ならば私が彼の目にならなければ』
風は微風、これならば、全力で目を凝らせば踏みしだいた埃を見つけられるかもしれない。
などというありえない可能性を信じてゆっくり匍匐前進を始めるエレオノール。
ケンシロウは、何か彼女に勝算があっての行動かと思い黙認。
エンゼル御前のみが、この奇行に待ったをかける。
「……それは無理だと思うよエレノン」
しかし、エレオノールは真剣な表情で御前を見据える。
「いえ、やらせて下さい。何としても痕跡を見つけ出してみせます」

三十分後、物凄く落胆した顔でエレオノールはとぼとぼとケンシロウの後を歩いていた。
「気にするな」
そう声をかけるケンシロウに、エレオノールは申し訳無さそうな顔をするだけだ。
一刻を争う事態だというのに、エレオノールの無駄な行為で時間を浪費してしまったのだ。
だが、エレオノールはケンシロウや御前の役に立つと決めたのだ。
『落ち込んでばかりはいられません。とにかく独歩と合流する方法を……』
何か良い物は無いかと辺りを見回し、ふと目に入った日用雑貨をごちゃごちゃと売っている中古屋の窓ガラス。
そこから見えるそれは、今の状況にぴったりだと思いついたエレオノールは、ケンシロウ達に少し待つよう伝えると、その店へと入っていった。

「さあケン、これに座って下さい」
そう言ってエレオノールが引っ張ってきたのは車椅子だった。
返答に困っているケンシロウに代わり、御前がエレオノールに意見する。
「あのさエレノン、ケンは別に病人じゃ無いんだから……」
そこまで言った所でエレオノールは御前を引っ掴むと、路地の方へと駆けていく。
ケンシロウには聞こえないであろう距離を取った所で、エレオノールは小さい声で御前に囁く。
「御前、ケンは目が見えないのですよ。私達に気を遣ってああやって普通にしていますが、きっとただ歩くだけでも信じられないぐらい消耗しているはずです」
「そ、そうかぁ?」
エレオノールはやはり自信満々に言う。
「試しに目を瞑って移動してみてください。それがどれだけ神経を使う行為か御前にもわかると思います」
やってはみなかったが、想像してみると確かにとんでもない事だと御前も思った。
そもそも、それであんな風に普通に行動するなんてありえないだろうとも。
「そんな訳ですから、少しでもケンには休んでいただきたいのです」
「そっか~。でもエレノンも疲れてんだから無理すんなよ」
「心配無用です。私はしろがねですから、多少の疲れなどでどうこうなったりはしません」
話し合いが終わると、二人は示し合わせてケンを車椅子に座らせにかかる。
実は二人の話し合いが聞こえていたケンシロウ。
その好意を無碍にするのも気が引けたようだ。
「疲れたらすぐに言うんだぞ」
そんな言葉と共にその行為を了承した。

そもそも体の大きいケンシロウが座るには適さない大きさであったが、身を縮めれば何とか座る事は出来た。
「では行きます。ケンはゆっくり休んでいて下さい」
しろがねのパワーか、はたまたエレオノールの気合のせいか、車椅子は自転車並の速度で走り出す。
御前はちゃっかりケンの膝の上に座っている。
「おお、こりゃ楽ちんだ。エレノンふぁいとー」
「はいっ」

車椅子は走る。
御前は搭乗者の膝の上。
押している人間は、車輪の強度が気になるのか遠慮がちに押してはいるが、それでも車椅子界のスピードレコードを容易く塗り替えられる速度を出している。
それを為している当人は涼しい顔である。
搭乗者はそんな彼に、申し訳無さそうに言った。
「……すみません、ケン」
車椅子を押しているケンシロウは、その無骨な体に似合わない優しげな笑顔で応えた。
「気にするな」
当初車椅子を押すのはエレオノールの役目だったのだが、ものの100メートルも押さない内に、貧血起こして倒れそうになってしまったのだ。
疲労が溜まっているのももちろんだが、そもそも、意識を失うような状態であった彼女がいきなりこんな激しい運動なぞすれば当然こうなる。

良かれと思ってやってみても、迷惑ばかりかけてしまう。
しかしエレオノールはそうやって落ち込みそうになる自分を叱咤する。
まだ何かやれる事があるはずだ。
食事はどうだ? 数時間前に用意させてもらったが、独歩と合流して学校に行ったらそれを振舞うのも悪くは無い。
食材さえ用意出来れば栄養バランスの取れた良質の食事を提供出来る。
あの……時のような、ありもので適当に作ったような食事ではない、もっと一生懸命作った物を用意してあげたい。
食事の事を考えると、どうしても自分が手にかけたあの女性の事が頭にちらつく。
この罪悪感は、多分一生拭えないだろう。
「なーエレノン! エレノンの居た世界ってどんな場所なんだ?」
突然膝の上で御前がそんな事を言う。
「は、はあ。普通の所です」
あまりに唐突だったので、間抜けな返事になってしまった。
「そうじゃなくって! あーそうだな~。じゃあさ、エレノンは向こうで何してた?」
「人形繰りをする必要の無い時は、サーカスに在籍しておりました」
エレオノールの言葉に御前が大袈裟なアクションで驚く。
「おおおお!! すげぇ! サーカスってあれだろ! 球に乗ったりすげぇ高い所のブランコに乗ったりするやつ! エレノンあれやってたのか!」
それがそんなに驚くような事と思えなかったエレオノールは不思議そうな顔をする。
「はぁ、前のサーカスではコントーションを……体の柔らかさを見せる番組をやらせていただいておりました」
御前はとても素直な性格なので、思った事がすぐに顔に出てしまう。
あからさまにがっかりしたような顔で、エレオノールに問い返す。
「えー、もっとかっこいいのじゃないのかよー」
「かっこいい……ですか。良くわかりませんが、派手な物でしたら、アクロバットなども良くやっておりました」
エレオノールの動きの良さを良く知るケンシロウは得心する。
「なるほど、お前のアクロバットなら充分芸になるだろう。一度見てみたいものだな」
御前はエレオノールの膝の上で、何かを我慢しているようだ。
「どうしました御前?」
エレオノールがそう言うも、御前は曖昧そうに笑うのみ。
そんな様子を見たケンシロウは、彼らしい控えめな笑いを見せる。
「御前、エレオノールは疲れている。彼女のアクロバットはまたの機会にな」
ケンシロウの言葉に、大きくため息をつきながら頭を垂れる御前。
「いえケン、見たいというのであれば私は……」
「駄目だ。無理はするなと言ったぞ」
御前も悔しそうにしながらも、ケンシロウの言葉に同調する。
「そうだよエレノン、それにまだチャンスはあるさ! その時を楽しみにしてるぜ!」

ケンシロウは車椅子を押しながら、まだ賑やかに騒ぐ御前とエレオノールを見ている。
『彼女が落ち込んでいるのはわかっていたが……やはり、御前には敵わんな』
彼女の説得も、御前無しには為し得なかったと思う。
こんな場所での底抜けの明るさが、一際眩しく感じられる。
核金、支給品、そんな思考は最早ケンシロウには無く、御前もまた大切な仲間の一人だと、そうはっきりと認識していた。

川田章吾はジグマールが奪取したバイク、ヘルダイバーにジグマールと二人乗りしつつ、ジグマールとの情報交換をしていた。
しかし、ジグマールの話を聞くなり、あんまりな内容に思わず天を仰ぐ。
『……つくづく、嫌らしい展開になってくれやがる。ジグマールが遭遇したかがみってのは十中八九、柊かがみだろ……』
この男は、柊つかさの姉である柊かがみの腕を斬り落とし難を逃れたと言う。
ヘルメットの事といい、この世界は川田がこうして殺しに乗った事がよっぽどお気に召さないようだ。
殺しに乗った途端、今まで情報らしい情報も得られなかった柊かがみの生存情報が手に入るなんて、神様の嫌がらせとしか思えない。
『ぼやいても仕方がねえけどな。とりあえず学校には行って無いようだし、その件は後回しか』
ジグマールの同盟相手である、エレオノールとの合流も考えなければならない。
首輪探知機を持って南に下ってきているにも関わらず、その姿は一向に見つからない。
「ようジグマールさん、エレオノールってのは本当にこっちに向かったのかい?」
「ああ、だが敵に追われながらの事だ、進路の変更もあり得るかもしれんな」
川田はジグマールから聞いた二人が別れた位置と、現在位置を地図で見比べる。
「少し西に寄りすぎたかもしれないな。もう少し東側見てみるかい?」
現在位置は南南西というよりは南西と言っていいぐらいの位置である。
「……そうだな、同盟相手を見捨てるような真似はせんよ。最低限のフォローぐらいはしてやらんとな」
ジグマールは川田に聞かせるように、そう言った。
エレオノールと合流出来れば良い。だがその女を追うケンシロウという男と出会ったらどうする?
決まっている、バイクでさっさと逃げるまでだ。
そんな都合の良い展開を通す道具は、こちらの手の中なのだから。

学校にはあれだけ追い詰めながらも、津村を返り討ちにした奴が居る。
事前に津村が調べた時に居たのは、少女と青年。この男を津村は仇だと言っていた。
仇に返り討ちにされてりゃ世話が無い。
あれから川田自身も大きく戦力を増し、ジグマールという協力者も得た。
学校側の切り札の一つ、覚悟も潰した。
やるなら今だ。
「川田……学校は後回しだ」
不意にジグマールがそんな事を言い、バイクを止める。
首輪探知機が反応を示している。
二人は物陰に隠れ、息を潜めて待ち構えていると、そこに現れたのは車椅子を押す男とそれに乗る女。
そして女の膝の上で何やら騒いでいる小さな人形という奇妙な一行であった。
「ケンシロウ……か」
ジグマールから、その男の名は聞いている。
歩く悪夢だと、接近したが最後、何をする間も無く血祭りにあげられると。
ならば狙撃で仕留めるかと訊ねる川田に、ジグマールは顔色を蒼白にしながら川田の申し出を断る。
「……川田、アレは、アイツは私がやる。手を出せば……お前でも生かしてはおかん」
ジグマールの様子に果てしない不安を覚えるが、その言葉は川田に不利益な事ではなかったので、その不安を口には出さない川田。
「因縁がありそうなのはアンタの様子見ただけでわかるが……まあいいさ、好きにしろよ。ただ俺は隠れさせてもらう、文句は無いな」
「勝手にしろ。奴は必ず私が倒す!」

勝てる。今のこの装備なら、今の私なら今度こそ必ず勝てる。
今こそ、私が最強である事をこの男に思い知らせてくれる。
いや待て。まだ準備が足りない。もっと私は強化出来るはず。
「川田! お前確か銃を持っていたな!」
「あ? ああ持ってるが……」
「それを貸せ! ああ、私は……そうだな、代わりにこの……」
「おいおい、勘弁しろよ。悪いがこのライフルは渡せないぜ」
ジグマールは哀れを誘うような、そんな情け無い顔を見せる。
川田は瞬時に計算を立て、新たな提案を持ちかけた。
「このマシンガンなら構わない。そっちの首輪探知機をもらえるんならな」
首輪探知機の能力を考えれば、まるで割りに合わない条件だが、今のジグマールに必要なのは情報ではなく純粋な戦力である。
僅かに迷った後、ジグマールはその提案を受け入れる。

さあ、これで全ては整った。
同盟相手が見ている、無様に逃げ去るような真似は許されない。
前に進むんだジグマール!
「ケンシロウ!!」
そう叫んでヘルダイバーに乗りながら道路に飛び出すと、ケンシロウがそれに気付いて近づいてくる。
ええい震えるでない! それでも全宇宙を支配する者マーティン・ジグマールか!
車椅子に乗せられたエレオノールの姿も見える。
何だあの女? ケンシロウに懐柔でもされたか?
何やらぼそぼそと話した後、ケンシロウのみこちらに向かって歩み寄ってくる。
「ジグマール、観念したか?」
「寝ぼけるなケンシロウ! 私は今ここで貴様を倒す!」
盲目であるはずのケンシロウは、まるでそんな素振りを見せずに首を鳴らす。
「やってみろ」
ジグマールはヘルダイバーを駆り、声高に叫ぶ。
「武装錬金!」
ヘルダイバーのバイクとはとても思えない加速で、激戦をまっすぐ前に構え、ケンシロウ目掛けて突撃を敢行するジグマール。
『いかに貴様が人間離れしてようと! エンジン相手ではどうしようもあるまい!』

中世の騎士が好んで用いた槍を使う戦闘方法に、チャージと呼ばれるものがある。
自らが跨る騎馬を突進させ、その前に長大な槍を構えて相手を突き殺すといったものだ。
騎馬の足の早さは人の比ではない。
この攻撃圏内から逃れる事は至難であり、その槍の長さから、攻撃される前にやり返す事も難しい。
また、当然馬にくくりつけた訳ではない槍は、相手の動きに合わせて自在に変化する。
この動きを見切り、かわす事は、よほど修練を積んだ者でも難しいとされる。
ジグマールはそんな歴史を知っている訳ではなかったが、彼の知能が導き出したバイクと槍とを用いた最適の攻撃方法がこれであったのだ。
ここからも、彼の知能が高い事を察しうる。
相手がケンシロウでなければ、これもまた有効な攻撃手段であっただろう。

ケンシロウはその場所から微動だにしない。
ただまっすぐ前に両手を伸ばし、その時を待つ。
ジグマールが必殺の間合いと確信したその位置で、槍を突き出す。
ヘルダイバー前部にあるウィングで斬りつける手もあったが、通り過ぎた時にバランスを崩す恐れがあったので、ジグマールは槍のみでの攻撃を選んだ。
バイクはケンシロウの向かって右側を駆け抜ける。
ジグマールと激戦を残して。
ケンシロウは、突き出された槍をその場から一歩も動かずに両腕で掴んでいた。
バイクの突進による勢いも、ケンシロウを僅か半歩すら動かす事適わなかった。
当然、槍を持っていたジグマールは槍に引っかかったままで、バイクだけそのまま真っ直ぐ走り抜ける事になったのだ。
思い切り前へ激戦を突き出していたジグマールは、その柄尻が自分の胴体にぶち当たってしまう。
その為、派手に吐瀉物を撒き散らしながら、その場に尻餅をつく。
腹部を襲う激痛を堪え、顔を上げたそこには、すぐ側まで歩み寄っていたケンシロウが居た。
「どうした? これで終わりか?」
必死に激戦を握っていたおかげで、腹部の痛みもすぐに引いていく。
「ふざけるなあああああ!!」
人間ワープで大きく間合いを取り、川田から借りたサブマシンガンを乱射する。
さしものケンシロウも銃には弱いのか、走りながら物陰へと逃げていく。
そうだ、ケンシロウは遠距離での攻撃手段が数える程しか無いはず。
ならばこれで距離を取りながら機会を待つ。
奥の手を使う、その機会を。
ケンシロウが逃げ込んだのは、コンクリートで覆われた古いビルだ。
流石にこの壁をマシンガンでは撃ち抜けない。
衝撃波は体力消耗の関係上、極力使わず別の手段で代用したい所だ。

ゴンッ!!

突然、そんな音がすぐ側で聞こえた。
あれ? 私は何故空を見上げている?

ドンッ

今度は後頭部を殴られた。
何だ? 何が起きて……
正気に戻って体を起こす。何かがぶつかって私は倒れていたのだ。
見ると、ケンシロウが隠れたコンクリートの建物に、一箇所だけ穴が空いていた。
何かがジグマールの顔にぶつかった。それは確かだ。
一体何が……そこまで考えて、はたと気付く。
まさかケンシロウは、コンクリートの壁を殴りぬいて、それを弾にしてこちらに飛ばしているのでは?

そのまさかであった。
コンクリートの壁の向こう。
今正にケンシロウがその拳を振り下ろさんとしていた。

「あーたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたあたぁ!!」

今度は一発所ではない。
雨あられとコンクリートの塊が襲い掛かってくる。
ジグマールは慌ててワープにより逃げようとするが、所構わずそこら中に降り注ぐそれら全てをかわす事は出来ない。
そして、壁越しにも関わらず正確にジグマールの居場所を察知するケンシロウから、逃れる術も無かった。
ケンシロウは約五メートル四方あったコンクリートの壁を完全に崩し終わった所で射撃をやめる。
天井から降ってくる塵を払いながらケンシロウが建物から出てくるが、ジグマールはそこに銃を打ち込む所か、ぼこぼこに変形した自らの全身を再生させるのに手一杯であった。
「……奇妙な技だなジグマール。それは何だ?」
そこで初めてケンシロウはジグマールの再生能力に気付く。
ようやく動くようになった口を確認しながら、ジグマールは精一杯強がって見せる。
「き、貴様になんぞ教えてやらん!」
接近戦は絶対にマズイが、かといってこうして距離を取ってもこんな手でやりかえしてくる。
ヘルダイバーのパワーも、この男には通用しない。
銃による射撃は、本音を言わせてもらえば、例え数千発撃ち込もうとまるで当てられる気がしない。
川田のライフルを奪えば? いや、あんなデカイ物振り回す余裕をこの男が与えてくれるとは思えない。
ならば、独歩との時のように人質を取るか?
居ないだろ、そんな都合の良い奴。エレオノールは……どうなのだろう。何故ケンシロウは車椅子に乗せるなんて真似を……
やってみる価値はあるか?
そこまで考えた所で、ジグマールは思考を止める。
ジグマールの視界からケンシロウが姿を消したからだ。
考え事はしていたが、そこから一瞬たりとも目を離した覚えは無い。
「あたぁ!」
真後ろからそんな叫び声と共に、トラックか何かが突っ込んで来たような衝撃が襲ってきた。
何をする間も無い。
まっすぐに壁に激突する。正面から突っ込んだせいで顔が潰れそうだ。
直後、更なる叫び声が聞こえてくる。もうこの声トラウマになる、絶対。
「あーたたたたたたたたたたたたたたたたたたあたぁ!!」
背中一面に嵐のように拳を叩き込まれる。
そんな絶望的な攻撃を受けながら、ジグマールは自らの考える策がこの男には決して通用しないであろう事を悟っていた。

……とに……かく、この手を、離さな……け、れば……それでも、まだ、チャンスは……

人間ワープをする間も無かった。
あんなに殴られながら、何かを出来る奴なんて居てたまるか。
不意に昔の事が思い出される。
ああ、これが走馬灯という奴か。
力が欲しくて、必死になっていた時期があった。
アルター能力を身につけた時、あの時は嬉しかったなぁ、もう私に敵う者なぞ存在すまいとまで思ったものだ。
それでも敵は強くて、幾たびも進化を重ねてきた。
その都度自分は強くなったと、確信出来るのが何より嬉しかった。
ギャランドゥが自我を持った日。
私だけが辿り着けるその場所に、遂に辿り着く事が出来たあの日。
師すらこの手にかけた甲斐があったと、そう初めて思えたあの日。
大地の持つ進化の力を、全て我が手中に収めたと確信出来たあの日。
なんで、こんな事になってしまったのだろう。
たった一人の男に、こうまでいいように嬲られるこの姿を、あの日の自分に想像出来ただろうか。

アルターさえあれば、こんな男になんて、絶対負けたりしなかったのになぁ……

意識が戻る。
次々蘇る感覚に、ジグマールは自分の居る状況を思い出す。
『ケンシロウは!?』
身を起こして周囲を見渡すと、ケンシロウが居た。
ほんの少し驚いた顔で、こちらを見ている。
「なるほど……その槍に何か秘密があるようだな……」

ばれたあああああああああああ!! マーティン・ジグマール終了のお知らせえええええええええ!!

逃げるか? どうやって? この男に最早人間ワープは通用すまい。
私が連続ワープを用いてすら、容易く後を追ってきて、こちらの体力が尽き次第私を殺すだろう。
ヘルダイバーまで逃げればどうだ? そうだ、あの速度は幾らなんでも奴にだって……

『また逃げるのか?』

そして次の機会を待てばいい、今度は川田にも協力させて、狙撃を用いるのも悪くない。
人質、そうだ。ケンシロウならば幾らでもそういった付け入る隙があるはず。勝負はまだ終わってはいない。

『また、逃げるのか私は?』

アルターさえあれば、こんな男に負ける理由は何一つ無い。
それが回復するまで、ギャランドゥが戻るまでは何としてでも生き延びなければならない。

『アルターだと? それならあるだろう。人間ワープが使えるのに、何故アルターが出せない何て言えるんだ?』

ギャランドゥが戻れるまで私のアルターは完全とはいえない。
それまでは、何としてでも……

『馬鹿か私は、いや知ってて言ってるんだよな。
 アルターの特性を誰よりも知る私が、そんな言い訳で納得出来ると思ったか?』

『そこに大地はある。ならば、アルター力はいつでも私の呼びかけを待っているんだぞ』

『さあ、後は、私次第だ』

「無理だ!」
突然叫びだすジグマール。
ケンシロウにはその意図が読めない。
「あそこまで進化させるのにどれだけ時間がかかったと思っている! それを……それを……」
ジグマールは手に持った槍を持って大きく振りかぶる。
「うわああああああああああああ!!」
そしてそれを、力任せにケンシロウに向けて投げつけた。
簡単な一挙動でそれを弾いてみせるケンシロウに、ジグマールは半泣きになりながら怒鳴る。
「アルターとは進化の力! その源は全てを育む大地にあり! そしてそれはこの場所にも確実に息づいている!」
それは恐怖の為か、はたまたそれ以外の理由か。
ジグマールは零れる涙を、震える膝を止める事が出来なかった。
「アルター力を導くは確固たる信念! 強靭なる意志! それある限り、大地より吸い上げるアルター力に限界なぞ無い!」
両腕を正面でクロスさせ、力を一点に集中させる。いつもそうであったように、彼を呼ぶために。

「ギャランドゥ! 君が失われたのなら私は再び君を作り上げる! 再び自我を取り戻すまで進化させてやる!」

周囲の物質が音高く削り取られる。
そうしてアルターと化したそれらは、ジグマールの眼前に集まり、人の姿を模っていく。

「活目してこれを見よケンシロウ! これぞアルターの真の特性! 進化の力!!」

悠久の時を経て、ようやく心を繋いだ最高の相棒。

「出でよ! 私のギャランドゥゥウウウウウウウウウ!!」

ジグマールの前、そこに、再びギャランドゥがその勇姿を現したのだ。